8章_0119話_野望は大きく果てしなく 2
婚約が決まった。
第一夫人はシュヴァルヴェ領主ラングハイム侯爵令嬢、マリアンネ・ラングハイム嬢。
そして第二夫人はグランツオイレ領主ハイアーミッテン侯爵の弟、ハイアーヴァロウ伯爵令嬢フランツィスカ・キストラー嬢。
幼い頃から第二夫人まで婚約者がいるのは、領主令息ならばそう珍しくないそうだ。
父上に正式に宣言し、それからは怒涛の日々だ。
俺ではなく、主に白き鳥商団の面々が。
婚約式に贈るものの「標準装備」としてドレス、靴、ティアラの3点セットは外せないのでディアナが今まで無いくらい興奮していた。
「やっとドレスが作れるわー!」と言って、虹マユの布を早速発注していた。
原価で手に入るけど、一応高級品だからあまり多用しすぎないでね……?
そして他領では標準ではないのだが、ラウプフォーゲル直系子息の伝統として自身の家紋が入った馬車を贈るのも習慣だそうで。
俺はもちろん、白鷲マークの浮馬車。
ちなみにゲイリー伯父上はラオフェンドラッケの2頭立て馬車だったそうだ。
あんなに激揺れするものを女性に贈るものではない、と散々周囲には叩かれたが、2人の夫人はたいへん喜んだそうだ。やっぱりお似合いの夫婦なんだよね、あそこは。
そして諸事情から、婚約式は皇帝居城でやることになったらしい。
諸事情ってなんぞ。
『まあ、要は牽制だな。ケイトリヒには婚約者がいる、妙な手出しはしてくれるなというものだ。それに、今回の婚約は皇帝命令でもある。皇帝の名の下の婚約と知れ渡れば、そうそう横槍を入れる者も出るまい。其方を守るためだ、わかってくれ』
父上は固定両方向通信でそう言って、2人に婚約を申し込むという俺の判断を褒めちぎってくれた。
もともと婚約に対してはかなり消極的だったし、親戚会での俺の2人に対する態度もあまり褒められたものではなかったから心配だったみたい。
でも、1人ずつ話したら印象が変わったという話をすると、父上は喜んでくれた。
『アロイジウスの婚約者も決まったことだし、めでたい。其方の場合は相手のほうが乗り気であるから、初孫はアロイジウスよりも先になるかもしれんな? 体の成長は欲を言わぬが、精通だけしてくれれば……』
父上、赤裸々すぎます。見た目2歳児に生殖能力を求めないでいただきたい。
その話はそっと胸にしまっておいて。
しかし成人まであと8……いや、7年しかないのか。
はやく成長したいところではあるけど……いや、待てよ?
当初の野望が、ある程度叶ってしまったのでわ!?
「ペシュ、ペシュ!!」
「はいはい」
「グランツオイレのエルフ! エルフに、成長の秘密を聞くって話、あったよね!?」
「ああ……そうでしたね。その件ですが、実はシャルルが側近になった時点である程度エルフに伝わる成長の秘密の話も聞いているのです」
「え」
「……伝えておらず申し訳ありません。結果としては、ケイトリヒ様の成長の遅さは血筋などに関係なく、純粋に【命】属性の不足であると。逆を申せば【命】属性さえ十分であれば問題なく成長できるということでもあるのです」
ペシュティーノは俺を抱き上げると、準備していた昼食の席に座らせてくれた。
「じゃあ、いままでどおり?」
「ええ、特に追加してやらなければならないことはありません。食事は可能なかぎりたくさん、よく運動しよく眠り、アンデッド魔晶石を絶やさないように。さ、どうぞ」
昼食に並んだメニューはチキンクリームシチューと、鞠のような模様のはいった丸いかまぼこ。ころんとしててかわいい。
「……てっとりばやく大きくなるほうほうは、ないんだね……」
「ありません。あきらめて、たくさん召し上がるよう努力をお願いします」
まあ食べるのはね。まかせてください。
努力っていうほどじゃなく、全然がんばらなくてもできることだもんね。
「かまぼこー!」
「はい、新しいかまぼこですよ。味見してみてください」
さっそくぶすりとフォークを刺して口にいれると、なんか想像と違う味。
「……これ、かまぼこじゃない。トリ……」
「おや、すぐにわかってしまいましたか。やはりかまぼこは魚でなくてはならないのですね……残念です。レオには少々ムリを申してしまったようです」
「まあおいしいけど」
「ケイトリヒ様、以前も申し上げましたが【命】属性を豊富に含む食材は、魚よりも獣肉のほうなのです。なるべく積極的に、お肉を召し上がってくださいね」
鶏団子のようなかまぼこもどきは美味しいけど、ぷりぷり加減が足りないし、何よりフレーバーが鶏肉。鶏団子のような、というか鶏団子だ。美味しいけど。美味しいけれども!
かまぼこはお魚に限る!
その後は婚約の贈り物や成婚の贈り物や結婚式のプランなどについて、毎日トビアスから固定両方向通信で連絡が来る日々だ。
婚約の贈り物はともかく、結婚式はだいぶ遠くない? 早くても7年後ですが。
と、愚痴ったらシャルルから「とくにラウプフォーゲル貴族では女性に気に入ってもらえるよう、早い者は生前から親が結婚の贈り物を作るような家もある」と言われた。
貴族文化……おそろしや!
「お相手がまだお若くこれからも成長なさる方なので、ドレスはこまめにお贈りすればよろしいかと存じます。それよりも、一生物となるティアラですよ! これは流行りにのる必要はございません、ケイトリヒ殿下の唯一無二のデザインにすべきです」
今日も白き鳥商団の手工業部長オリバーはわざわざ俺の夕食の時間をみこして魔導学院にやってきて、かき集めた宝石職人と彫金職人のリストとその作品集絵写真をどっさり持って俺に見せつけてくる。
宝石より、ごはんたべたいです。
「王子殿下、宝石の買い付けはどちらから? たしかラウプフォーゲル公爵閣下はシュタインメッツ領の宝石職人に加工を依頼したとか。結婚の贈り物であれば、殿下のお色をお渡しするのが通例です。殿下のお色となると、アクアマリンかザフィーアか」
「ハッ、なにいってんだ。主の伴侶にそんなフツーの宝石なんか似合わねえよ」
オリバーのマシンガントーク営業を鼻で笑うように、バジラットが現れた。
白き鳥商団の幹部は全員、誓言の魔法を施してあるので精霊の存在を知っている。
「バジラット……僕、宝石まったくくわしくないんだけど」
似合うとか似合わないとか言われましても。
特に女性を相手に似合うとか……さっぱりわからん。
まあでも月並みに言えばマリアンネは紺色の髪色だからピンクとか水色とか似合うんじゃないだろうか。ブルベとかいうやつだ。
対してフランツィスカはオレンジの髪色。いわゆるイエベ? そういうヒトは緑や黄色が似合う……って、大学の頃の彼女が言ってた。在学中からコスメ系インフルエンサーやってて、化粧品会社に早々に内定が決まるとすぐフラレたっけ……。
未だに理由がわからんがフラレたことは間違いない。
なんか切ない思い出が。忘れよう。
「主、この世界には主が名前をしってる宝石とは別に、存在すら貴重な幻の宝石がある。そしてそれは、魔力の高い主なら自分で生み出すことができるんだ。贈り物としてはこれ以上ないくらいだぜ。貴重さ、美しさ、実用性を備えた……」
「ま……まさか!! 光玉!?」
オリバーが胸元を押さえて、大げさに口を開けて驚いた顔で、目を輝かせる。
またなんか新しいアイテム名でてきた?
しかし貴重さと美しさはともかく……実用性まである宝石って?
「今はそういう名前で呼ばれてるのか。古代では『魔玉』とか『宝玉』なんて呼ばれてたっけな?」
「で、殿下! 精霊様が仰るならば間違いありません!! 帝国史上、自らの手で生み出した光玉を婚約者に贈るなどというロマンチックなことを成した者はおりません。これは間違いなく大陸一の話題になります!」
「ロマンチックなの」
よくわからんです。
でも俺の魔力は無限だし、魔力で生み出すその光玉とやらが大陸を騒がせるほどの存在であるならうってつけかもしれない。
「光玉……ケイトリヒ様、もしそれを生み出すならば注意点があります」
ペシュティーノが俺の口元を柔らかい布でけっこう強めに拭いながら話に割り込んできた。ケチャップたっぷりのハンバーグはふかふかで美味しかった。しかしケチャップってそういうつもり全然ないのに、必ず食べたあと口の両端に残るよね。なんでだろ。
ともかく、光玉をつくるのって、本来は簡単じゃないんだろうな。
「魔力を含んだ鉱物である魔石とはまったく性質が異なり、光玉は魔力そのものの結晶。爪の先ほどのサイズでも、膨大な魔力を内包する存在です」
そこでペシュティーノは言葉を切り、俺を見てふうとため息をついた。
ちょっと、しつれいじゃない!?
「なにか!?」
「またとんでもないものが生み出されそうで不安なだけです。ともかく光玉は魔力の塊。作るとしたら1スールほどの大きさにとどめてください。それでも信じられないくらい巨大と言われる扱いです」
1スール。約3センチ。
「それから加工するんだよね? ちいさくない?」
「光玉に加工は必要ありません。殿下が思い浮かべるだけで形作られるものにございますので。……と、なると私は、殿下の思い浮かべる形の参考のため、帝国の至高の宝石を集めてまいります!」
オリバーが鼻息荒くやる気を出して出ていった。
なんかティアラ作るより面倒なことになってる気がするけど。
「光玉を扱える彫金細工師は限られていますので、彼に任せておけば安心でしょう。さ、明日は高等調合学の授業初日ですよ」
S級冒険者のミェス・リンドロース先生のやたらと高度な調合学教育のおかげで2年生も半ばとなったこの時期、調合学の修了試験を終えて高等調合学へ進むことになった。
高等調合学では劇薬や毒物などの危険物を扱うというだけでなく、調合に繊細な魔力操作を必要とするものが多く、俺の魔力訓練にはうってつけ。
しかし俺、魔導以外であればけっこう魔力操作できてると思うんだよね、何故か魔導だけがトンデモないことになっちゃうだけで。
案の定、高等調合学の授業でも俺は優秀だった。
杖を混ぜ棒がわりに使って魔力を流しながら薬液を混ぜる工程などでは、あまり意識しなくても適性な魔力量を流し込むことができた。
粉末の素材に魔力を込めるときは「魔力を込めすぎると弾けます」と言われたのでビビったけど、トンデモないことになることはなかった。
生徒の多くは魔力を扱うことよりも魔力量そのものが問題なようで、薬液を混ぜている最中に気を失ってしまったり気分が悪くなったといって座り込む生徒が多かった。
ド派手なボンテージ風衣装と魔女のような化粧のビンデバルト先生は高等調合学も教えていて、俺の魔力の扱いの上手さにとても驚いていた。
「こんなに完全に制御できているのに、どうして魔導になると自身の意志に反したものを生み出してしまうのかしら……」
そう言って側近の許可を得た上で俺の手首に触れたり、首筋に指をあてたり医者のような触診をした。結果は「確かなことは言えないが」という前置きつきだったけど、どうやら俺は魔力を扱うギアのようなものが2段階しかないのではないか、という説明だった。
まさかの俺の思考が理由。触ってわかったの!?
「魔法と魔導の2つしかない、と思い込んでしまっているのかもしれませんわね。殿下、実際には魔法と魔導は単にヒトが便宜上に区分けした種類であって、源流は同じものなのですよ」
それから実習中、ビンデバルト先生は魔導学の先生よりもより繊細な「魔力について」の解説を俺にとくとくと聞かせてくれた。
たしかに俺には「魔導=攻撃魔法=おもいっきりやる」みたいな構図ができあがっちゃってるかもしれない。そしてすべてを更地にすると。
ロウソクのような火と、拡散性放出の中間がない。
初めてラウプフォーゲルの魔導演習場であげた火柱は、今同じ呪文を俺がやるとユヴァフローテツのオベリスクよりも高く、ひとつの岩山を溶かすくらいに強力なものになっている。
あのときは拡散性放出を初めてみせたときよりもゲンナリされたなー。
本来は簡単なことだ、魔力量を調整すればいい。しかし魔法には明確なイメージが大事と聞いて「直径3メートルくらい、高さ5メートルくらいの火柱」と思い描いても、実際には天を突くような火柱になってしまうのは何故なの。
初めての高等調合学の授業を終えて勉強部屋に戻り、復習と予習を兼ねた素材学の勉強をしながらそんな愚痴をスタンリーに聞いてもらっていたら、ウィオラとジオールがもじもじしながら部屋に入ってきた。その後からペシュティーノがおやつを持ってくる。
「あ〜……えっと、主の魔導が強力すぎる件について、ちょっと僕の見解をおはなししたいんですけども〜……怒らずに聞いてもらっていいかな?」
ジオールが切り出した途端、ペシュティーノの目の色が変わる。
「……何かわかったのですか?」
「いやあ……正直、主はわかっててやってるのかなと思ってたんだけど、今日の教師との会話を聞いていてですね、ああ、わかってなかったんだとわかったというか、その」
「早く仰ってください」
「あ、うん。あのね、主の魔導には、『自然発生のあらゆる精霊の強化』が、なんというか……そうだねえ、しこたまノッてるっていうか、ノッちゃうっていうか、そういう感じなの」
「……続けてください」
ペシュティーノは俺の頭の上でロールケーキの皿を止めたままジオールに促す。
せめて置いてもらえないだろうか。
「次代の神たる主を精霊が慕うのは道理。特に、精霊が干渉しやすい放出系……と言われる魔導の呪文を使った場合、周囲の精霊たちが必要以上に力を貸してしまうのです」
ペシュティーノはロールケーキの皿を持ったまま、俺を見る。
めっちゃお預け状態。
「……では、ケイトリヒ様は充分に魔力操作が身についていて、精霊の強化を認識していなかっただけということですか」
「そう。主が命じれば精霊も勝手に強化つけることはないと思うんだけど〜」
「主は竜脈とつながっているが故に、それは簡単なことではありません。自然精霊からの影響を遮断する術式を、我々で構築いたしましょう」
「自然発生の精霊の力を借りて魔導を扱う者のことをなんと呼ぶか、ご存知なのですか」
「まあ、古代語を借りてひらたくいうと、神だよね」
「もう少し細分化すると『精霊使い』でしょうか」
「ウィオラ様は本来の意味で仰っているのでしょうが、今の時代『精霊使い』という存在は、かつてオラーケル聖教法国が帝国から討ち滅ぼされた理由であり、完全なる悪です。彼らは精霊を残酷に利用し、土地の精霊から絶縁された罪深き存在。今後絶対に、その名でケイトリヒ様を称すのはおやめください」
「ええっ、そうなの? あー、いまのでいろいろ合点がいったわ、どうして主やペシュティーノがその可能性に気づかなかったのかとか、僕らが知ってて言わなかったかとか!」
「……我々は人造精霊ですから、世界記憶の本流に澱のように沈んだ断片しか認識しておりませんでした。以後、注意いたします」
「げんいんがわかったから、対策がたてられるってことだよね?」
「そういうことになりますね」
「うんうん、魔術式は僕らのほうで考えてみるから、主はちょっとまってて!」
「呪文の詠唱に多少不便が出ますが、主の卒科のためには仕方のないことでしょう」
ジオールとウィオラは今まで言わなかったことを責められることがなくてホッとしたように部屋を出ていった。ペシュティーノは相変わらず考え込んでいる。
「ペシュ」
「ようございましたね、原因がわかったのはビンデバルト教諭のお手柄かもしれません」
「うん。ペシュ、それ食べたい」
「あ、はい。そうですね」
フルーツたっぷりロールケーキは生クリームタイプと俺の好物のカスタードタイプの2つ。美味しくいただきました。
「絶対的な悪」と断じられた精霊使いについては、ペシュティーノのすすめで魔導学院の図書館に行って調べることに。
ドラッケリュッヘン大陸で異世界召喚勇者たちを奴隷戦士にしていたのは、かつて共和国でオラーケル聖教法国を形成していた人々。そう思うと、絶対的な悪と断じる理由とその信憑性が増すし興味が湧いた。
【精霊使い】の意味。
神が存在した時代では自然発生の精霊たちに語りかけたり同調したりしてその力を借り、強力な魔法や魔導を扱う人物のことを指した。その時代は、【精霊仕い】という字があてられることが多かったという。
が、神が失われると精霊たちは同じ方法でヒトに力を貸すことが無くなった。神の不在により精霊そのものが弱体化し、ヒトに力を貸せば自身の存在が危うくなるからだ。
それにより生まれたのが現代の【精霊使い】。
その方法は……精霊と会話し、1人の人格として見ている俺からすると、凄惨としかいいようがない。
精霊を強制的に具現化させ、切り刻み、溶かし、体内に取り入れて魔力とし、強力な魔法や魔導を使う。精霊を犠牲にして造られたそれらは【精霊薬】と呼ばれ、オラーケル聖教法国では秘薬として高値で取引されていた……。
パチッ、と俺の周囲で静電気が弾けるような音がしたことで、俺は自分が怒っているのだと自覚した。
「主の感情を思うと嬉しいけど、精霊はその凄惨な方法について怒ってないと思う。その証拠に、オラーケル聖教法国に怒りを覚えて罰を与えたのは精霊ではなく帝国だったでしょ? 精霊は、生命体じゃないから切り刻まれても痛みは無いし、ヒトの身体にとりこまれても【魂】という概念で考えると、生きてるとも言える」
図書館の一角でそれらの本を読んでいた俺の手を、ジオールがそっと握る。
男の骨ばった手なのにビーズクッションのような感触だった以前の感触が、しっかり人間の手の感触になっている。
その手のひらは騎士という設定のためか、温かくてすこし硬い。
それにしても、共和国……いや、当時はオラーケル聖教法国の蛮行に怒った帝国が国そのものを解体させたとあるが、これって内政干渉じゃないんだろうか。この世界では国家間協定なんてものもないのか? そんなわけないよな、シャルルが優れた外交官であったという点からも外交があれば国同士のなんらかの協定もあるはずだ。
帝国が侵攻にふみきった本当の理由を探すために他の本をパラパラと調べていると、司書らしき男性が興味深そうにこちらを見ていることに気づいた。
ふっと俺が目を向けると、男性はニコリと笑ったので俺も愛想で笑う。
「お邪魔して申し訳ありません。小さなお身体でずいぶんと難しい本をお読みになるものだと感心しておりました。わたくし、魔導学院図書館で司書を務めておりますホルガー・バーデと申します。ラウプフォーゲル公爵令息、ケイトリヒ殿下とお見受けしますが間違いございませんでしょうか」
「はい、そーです!」
「ほほほ、なんと元気で可愛らしい……ああ、失礼しました。もしお気に召した本がございましたら、写本の依頼をお気兼ねなく依頼ください。下世話な話になって恐縮ですが、充分な賃料を頂ければ苦学生のよい収入源となります故、ご検討を」
「しゃほんが学生の有期労働契約なんですね」
「おやおや、さすが殿下は博学でいらっしゃる。難しい言葉をご存知ですね」
え、アルバイトって難しい言葉としてふつうに通じるんだ。というか語源はたしかドイツ語だったっけ? 俺の感覚ではほぼ日本語だった。
「ひようはどれくらいなんですか?」
「殿下がお持ちのそちらの『聖教法国崩壊の日』でしたら、絵や図解はほとんどありませんので、1000から3000FRほどです」
「やすい!」
「写本の作業料だけですから。殿下ならば紙はご自身でご用意できますでしょう? 額面に振れ幅があるのは、作業者の能力とできあがりの結果次第にございます。字が美しく、しっかりと原本に忠実に書く生徒は人気ですのでその分費用も高くなります」
そっか、本が高いのは紙が高いからだった。
「ずかんとかも、おねがいできる?」
「図鑑をご所望でいらっしゃいますか! それはそれは……しかし図鑑を手書きで写本となると最低額でも1ページ100FRから、それが300ページあるあちらの植物図鑑になりますと……おわかりでしょう。図鑑ならば手書きでなく、劣化しやすくとも複製の魔法での写本が人気です。図鑑の写本は、1ページから請け負うことができますよ」
複製だと劣化しちゃうのか。
図鑑の劣化はけっこうイタイ。
聞けば、既存の複製魔法では複雑な絵であれば2、3年、文字であれば10年ほどでカッスカスにかすれてしまうんだそーだ。絵と文字でなぜこれほど違いが出るんだろう。謎。
ちなみに魔導学院の教本は、すべて複製魔法で4年おきに刷新されている。
紙の値段の高さを考えると、よくできた運用方法だ。
パッと背後にいたジュンを見ると、杖にボソボソ話しかけてる最中だった。
気が利くー!! お小遣い管理係のガノに連絡してるんでしょ!?
ジュンが渋い顔をして、俺に耳打ちしてきた。うむ。わりと予算ある。
「絵描きのアルバイトを希望してる生徒は?」
「実は、たくさんいるのですよ。ですが図鑑はやはり高級品。1ページ100FRのうち40FRは使用料として著者に支払われるので、本当に最低の値段です。色までついた絵写真級のものは1ページ300FRもざらです」
著作権しっかりしてる〜!
しかしネットもメールも電話すらないこの時代、自分の足で調べて集めてわかりやすく絵にまで書き起こした情報は貴重だ。筆者にはしっかり利益を受け取ってもらわないと。
まあ、今生きてるか知らないけど。
「じゃあ、じゃあ! リンドロース先生からすごい自慢された『世界の薬草』の図鑑、あれを写本してもらいたいです! あっちの貸出禁止の書架にありましたよね! いろつきですし、1ぺーじ300FRで依頼します!」
「な、なんと」
「それとは別に、いくつか写本してもらいたい本があって、これとこれと……」
「お、お待ち下さい。今依頼書をお持ちして私の方で書き込みますので」
司書の男性は速歩きで司書室へ向かい、戻ってくるとホクホク顔で依頼書を作成していった。聞けば貧しい平民などは、魔導学院の学費は後ろ盾の貴族から払ってもらえても家族は相変わらず貧しく、寮ぐらしを贅沢に思うそうだ。そういう生徒が勉学に支障なくアルバイトするのに、写本はうってつけなのだという。
そういう生徒は常に図書室に「写本の依頼がないか」と仕事口を探しに来るのだが、当然依頼主がいなければ仕事はない。
御用商人が駆け回らなくても俺は本を入手できて、魔導学院の苦学生たちは学びを休めることなく働き口を手に入れられる。WIN‐WINだね!
その日は共和国解体前のオラーケル聖教法国についてのお勉強をそこそこで切り上げて、写本の依頼をたくさんして帰った。
図鑑は1ページごとに制作者を募って司書が編集するため、編集手数料などを含めても10分の1の値段で入手できそう。ただし制作期間があるので入手できるのは2年後。
まあ俺の場合、何よりも紙がほぼ無料っていうのがデカいんだけどね。
後日、ルキアから王国の異世界召喚勇者が待遇改善されたという報告とともに、「写本のアルバイト依頼ありがとうございます」と礼を言われた。ルキアもバイトするんだ!
字が綺麗だから彼の成果物は高く評価されそう。
それとほぼ同時に、異世界召喚勇者との面会許可が秘密裏に出た。
ドラッケリュッヘン大陸の異世界召喚勇者たちを帝国に誘導したことで、中央ともあるていど認識をあわせておかなければならない。
そのためシャルルが前々から席を設けるよう、中央に要請していたのだ。
ただし、帝国の異世界召喚勇者との面会は父上が同席する。
場合によっては帝国の異世界召喚勇者には俺の正体をバラす必要があるかも。
父上はすべて知っているし、父上は皇帝陛下にもあるていどバラしてるようだし。
シャルルがついてくれてるとはいえ正直俺の判断じゃこころもとないので、父上が同席してくれるのはラッキー。
中央ではまださすがにラウプフォーゲルのようにリラックスできないもんね。
シュティーリ家との仲は改善しつつあるし、中央貴族も今はおとなしいとはいえやっぱりまだアウェイ感がある。
来年は洗礼年齢とはいえ……今回の訪問は、見た目年齢で甘えていきます。
見た目年齢……たぶん、3さい!
成長痛に悩まされた甲斐あって、ちょっと大きくなったからね!
ちょっとだけだけど、ちゃんとゆっくり大きくはなってる。
まあ9歳にはとても見えないけど、そこはしゃーない。
ゆし、次なる予定は帝都で異世界召喚勇者と面会だ!