8章_0117話_将来のゆめ 3
「ようこそおいでくださいました、ケイトリヒ殿下。シュヴァルヴェ領主ラングハイム家一同、心より殿下の来訪を歓迎申し上げます」
シュヴァルヴェ領の城はラウプフォーゲル城とちがってこぢんまりしていて、外観からは木造部分が多いように見える。
日本人としての記憶のある俺は、なんだか親近感をおぼえる外観だ。
城の大扉を背にして、俺達を迎えるためにずらりとならんだ領主一家と使用人一同からマリアンネが一歩前にでて優雅に出迎えの挨拶をしてくれた。
領主ではなくマリアンネが挨拶するあたり、今回の訪問の意味を既に理解している。
「マリアンネ嬢、去年の親戚会ぶりにお目見えします。ラングハイム城は初めてですが、あたたかみのあるすてきなおしろですね!」
俺が言うと、使用人もシュヴァルヴェ領主フェルディナンドも嬉しそう。
「そんな、大ラウプフォーゲル時代の栄誉あるラウプフォーゲル城とくらべたら、あばら家のようなものですわ、お恥ずかしい」
「大ラウプフォーゲルの栄誉はスマラクト平原の平穏を守ったシュヴァルヴェ領あってのもの。おだやかな深い森にそびえたつロルベーア城はまさに燕の止まり木のように美しいです」
「まあ……! そんな、嬉しいお言葉ですわ」
マリアンネが演技ではない、本当に嬉しそうに照れながらはにかむ。
俺の返しは、シュヴァルヴェ領に属するヒトにはお決まりの殺し文句といっていい。
「スマラクト平原の平穏を守った」はシュヴェルヴェが領になる前からこの地方の人々が大ラウプフォーゲル、つまりラウプフォーゲルが王国だった頃からの誇り。
そして「穏やかな深い森」もまた、資源として、要塞として、そして美観のために森を管理してきた矜持がある彼らへの賛辞。
「燕の止まり木」は古代から鳥を崇めてきたラウプフォーゲル王国時代からの定型の美辞麗句。数ある鳥の中で領の紋章にもなっている燕は豊穣と交易を司るとして神格化されていて、それが止まるということは「これからもますます栄え富む」という暗喩なのだ。
ともかく、俺のご挨拶はたいへんシュヴァルヴェの皆さんのお気に召したようだ。
「さあさあ、どうぞ城へ。マリアンネ、白き若鷹の君をご案内して差し上げなさい」
「はい、お父様」
ちなみに、ヒトを鳥そのものに例えるのはラウプフォーゲルのファッシュ一族の直系にだけ許される賛辞。これは大ラウプフォーゲル時代の王家を讃える名残だ。
ちっちゃいけどちゃんと社交できるんだぜ。というのが伝わったかな。
実は今のラウプフォーゲル城よりもさらに古いロルベーア城は、木造部分が多いだけあって全体的にやや暗い内装になっている。そのせいかいたるところに天窓があり、採光に工夫がされていて、白っぽい飾り布が垂らしてあるところも多い。
キョロキョロと興味深く城の内装を見ては「あの布はなんのためにあるのか」なんて質問する俺に、マリアンネはときどきメイドや騎士たちから助言や補足を受けながらも自らの言葉で丁寧に教えてくれた。
父上やペシュティーノが言う通り、勤勉な少女だということがよくわかる。
「付近の森の7割を占める白炎樹は脂を多く含んで弾力性があり、木材に加工すると硬くて頑丈になり、水に強いのですわ。ですから旧ラウプフォーゲルで唯一の造船所と海軍を持つことが叶ったのです」
マリアンネが自信満々に言うのを、知っていてもふむふむと感心したように聞き入る。
シュヴァルヴェ領のことは概要で勉強したけれど、住民が何を誇りに思い、何を大事にしていてどんな思想を持っているかまでは実際に接してみないとわからないものだ。
実際、シュヴェルヴェ領は山岳地帯に森、平原、海、川、そしてマグマ滾る溶岩地帯と非常に幅の広い気候や土地条件のある稀有な領地。古代からあらゆる変化に対応する柔軟性と違いを受け入れる多様性を持ち、ずっと栄えてきた土地柄だ。
「まあ、ごめんなさい! 私ったら、ケイトリヒ様がいらしたことが嬉しくて領のことばかり話してしまいましたわ。それよりもあのナマハイシン! 女学院のあるラウプフォーゲルでもとっても鮮明な絵で拝見しましたわ! あの技術は素晴らしいですわね!」
「え、じょがくいんってラウプフォーゲルにあったんですか?」
それまで貴族然として優雅に知的に会話してたのに、思わず素が出た。
「あらご存じなかったのですか? 女学院は8歳から14歳までですので、私たち来年には卒業になりますのよ。ただ今後の次第によっては……帝都の上級貴族院に入るかもしれませんわね。それよりあのお歌。とっても素晴らしかったですわ!」
マリアンネはさり気なく言って話題を変え、にっこり笑う。
帝都の上級貴族院。それはつまり、俺と婚約したら未来の皇后教育として帝都の学校に通う必要が出てくるということだ。
マリアンネにも既に婚約命令について聞いているのだろう。
到着したのは昼過ぎだったが、その後は城の案内、領主一族の紹介、領の特産品の紹介や庭の案内などで終わった。
ラウプフォーゲルとは全く違う気候と植生は興味深かったけど、これはいわゆる前座。
夕食は、ラングハイム一族に家臣まで揃った大きな会に。
気になったのは、その席で食事の前に祈るような仕草をする人物がいたこと。
お年を召した方が多く、周囲のヒトは、その人物を見ていた俺の気を引こうとわざと話しかけてきていた気がする。
触れちゃいけないのかなと思ってあえて聞かなかったが、たしか聖教は帝国でも信仰されていたので別に咎めるようなものじゃないと思うんだけど……。
メニューは事前に好みを調査した上だろう、巨大な骨付き肉のコンフィで、フォークでつついたらほろりと崩れるくらいに柔らかいものだ。臭みもなく、とても美味しかった。
パンもやわらかめの白パン。一応後ろにペシュティーノが控えていて給仕を手伝ってはくれたけど、特に避けるような料理はなかった。
食事が終わり、デザートタイム。
砂糖が死ぬほど高額だった帝国にはそんな習慣はないので、ガノが今後増産される帝国産のお砂糖をよろしく、というセールストークを兼ねて「異世界の風習」としてデザートを紹介する。
マリアンネを含めた大人も子どもも全員が興味津々にガノのプレゼンに聞き入ったところで、今回の「手土産」、コンポート皿の登場だ。
オリンピオが抱えてきたコンポート皿は、鳥かごのように背の高い大きなガラスの蓋が付いていて、完全な透明。この世界ではまだ色のついてない、透明なガラスの価値は高い。
その薄さと透明度にも驚きの声があがったが、それ以上の驚きは繊細にして色鮮やかなコンポート皿のガラス細工だろう。
紺色と金を基調にした細工に、2羽が仲睦まじく寄り添い合う番の燕。
ユヴァフローテツのガラス工房が寝る間を惜しんで制作した傑作だ。
そして、蓋の中にはレオ特製の3段ケーキ。
レオが助手に飴細工の概要を教えたところ、職人気質の1人がとんでもなく腕を上げたそうだ。たっぷりの生クリームに飴でコーティングされたつややかなフルーツ、そして飴細工の燕がいたるところに羽を休めるように止まっている。
それがまたガラス細工にも見えて、一層コンポート皿をひきたてる。
「なんて素晴らしいの!! ケイトリヒ様、これをわたくしのために!?」
マリアンネはフランツィスカと比べたらクールというか、ちょっとおすましな少女だったのだが、興奮するほど喜んでもらえたようだ。俺はちょっとビクッってなった。
「そうです。マリアンネ嬢は親戚会のプディングも気にいっていただいたよ、う……」
俺がケーキの説明をしようとしたら、テーブルの向こうにいたマリアンネはガタンと席を立つ。ぐるりと両親の座る席を回って俺のところへ駆け寄り、周囲の静止もきかずに抱きついてきて、熱烈なキスをいただいた。ほっぺにね。
「マリアンネ、食事中になんてはしたない!」
「いくら幼い見た目をされているからといっても、王子殿下は来年は洗礼年齢。礼儀をわきまえなさい!」
ご両親もさすがにガチめに叱ってらっしゃる。
「だってお父様、お母様! こんな素敵な贈り物を、わたくしのために贈ってくださったのですよ! 感激して言葉も出ませんわ、殿下、わたくしとても嬉しいのです! こんな完璧な贈り物、きっと帝国どこを探してもみつかりませんわ、ありがとう存じます!」
「ハイ」
サッカーの「手、触ってません」アピールのポーズで硬直した俺に、マリアンネはおかまいなしにぶちゅぶちゅと頬にキスをかましてくる。
……あの、それくらいにしていただけないでしょうか。
そんなハプニングもあったけど、レオのケーキは大好評。
そしてコンポート皿には蓋を閉めれば「時間停止」と「外的影響遮断」が発動し、全てのガラス部分に破損防止のための「軟化」と「復元」の魔法陣が詰まっている、と説明すると大人たちもさすがに驚愕した。
ガノから値段は付けられないレベルの魔道具、と聞いているので驚かれるのも想定内だ。
その日は夕食会の後、マリアンネの父フェルディナンド公とチェッタンガで対戦。
フェルディナンド卿は苦手だそうで、全戦全勝。これ接待プレイじゃないよね?
通された客室は壁も床も暗い白炎樹材だが、部屋全体が暗く鳴りすぎないようにところどころ別の明るい色の木材が使われているし、ファブリック系も白色で統一されているのでとてもシックな印象だ。
室内には俺がお風呂好きと聞いてかバスタブも用意してあった。最高。
側近たちの部屋もドア続きになっていて十分なベッド数がある。
ちなみにオリンピオのベッドはちょっぴり踵がはみ出るサイズだったらしい。仕方ない。
翌日。
本番は、今日だ。
俺は色々な書類を持ってフェルディナンド卿の執務室へ。
そこには、マリアンネと最側近である女性と、卿とその側近の4人だけ。
俺もペシュティーノとシャルル、そしてガノだけを連れて部屋に入る。
「フェルディナンド侯爵閣下、ならびにマリアンネ嬢。わたしのためにお時間をつくっていただきありがとう存じます」
「とんでもない。殿下の婚約は、殿下とマリアンネの2人だけの将来ではありません。ラウプフォーゲル、帝国、ひいてはクリスタロス大陸全土に影響する未来の話です」
閣下が俺に座るよう促してくれたので、もそもそとソファに座ろうとするけれど、これ絶対足が届かんやつ。チラリとペシュティーノを見るとサッと抱き上げて座らせてくれた。
「それで、娘と改めて話したいことというのは」
「たんとうちょくにゅうに申し上げます。僕がマリアンネ嬢とお会いしたのは親戚会で2度、それからお手紙でなんどかやりとりしているだけです。父上の命令といえど、婚約するからにはお相手とはしっかりした絆をむすびたいとおもっています」
ラウプフォーゲル領主になる道はすでに薄れかけ、代わりに皇帝になる道はどんどん切り拓かれて目的地さえ見えそうな勢いだ。
ただでさえラウプフォーゲル王子である俺は中央に疎まれていることもあり、妻である皇后が敵では困る。無能でも困る。たとえ味方であっても悪目立ちしすぎたら困るし、愛情云々に執着されても困る。
「つまりケイトリヒ殿下は、私の娘が絆を結ぶ相手として相応しいかを見定めたい、と……そう仰るのですね?」
怒気といってもいいような冷たい目線でフェルディナンド卿は俺を見下ろす。
今まで好意的だった卿からすると、豹変とも言えるくらいの変わりよう。
だけど、これに負けてはいけない。
「閣下は大事なご令嬢をひょうかされることがご不満でしょうが、ありていに言うと、そうです。外見や名ばかりの相手ならば、ひつようありません。心から信頼しお互いを尊敬しあえるような相手をのぞんでいます。今、僕が手にしている事業やアイデアは将来、大陸をゆるがすものになる。これから先、皇帝になってもならなくても僕はおそらくそれ以上の特権を手にします。そのときに僕の、真の伴侶となってくれる相手がほしいのです」
シーンとした執務室。
フェルディナンド卿は相変わらず冷たい目で俺を見下ろし、マリアンネのほうはなぜかものすごくキラキラした目で俺を見ている。この反応はどゆこと。
「……ふう。ムリして威厳のある父親を気取るのはラクじゃない」
卿が大きなため息を吐いてそう言うと、マリアンネがクスクス笑う。
「ね、お父様。わたくしが申し上げた通りでしょう? ケイトリヒ殿下は見た目以上にずっと成熟してらっしゃるわ。まるで年上の殿方と相対しているような気分ですもの」
卿は「そうだね」というと俺を見てフフッと笑った。
「親戚会では幼い姿しか見ておりませんでしたからね。多才であることは存じておりましたが、それでもザムエル閣下がケイトリヒ殿下をなぜこれほどまでに評価するか真の意味で理解していなかったようだ」
卿は我が子を見るような優しい笑みで俺を見つめる。
……これは、許されたのかな?
「殿下。その質問にはわたくしがおこたえしましょう。それをお望みでしょう?」
マリアンネが自信満々に手を自身の胸にあて、背筋を伸ばしてキリリとこちらを見据えて言う。これまで見てきたような、キャピキャピした少女とはうってかわった聡明さが際立つ目つき。
「殿下の事業は……仰るとおり、帝国だけでなく大陸を揺るがすことになる。それはわたくしも重々承知しておりますわ。トリューだけでもラウプフォーゲルの傭兵事業の大革命となりますけれど、お砂糖や製紙の事業にいたっては帝国の根幹である農業まで大きく変貌させることでしょう。そしてその変化の波は、すぐに共和国も王国も飲み込みますわ。白き鳥商団の設立で、それはもう確定しました」
そこでマリアンネはチラリと父親の方を見て、ニッコリと笑う。
「そんな稀代の実業家である殿下に、わたくしの野望を打ち明けますわ」
「やぼう」
「ええ。わたくし、野望がふたつあるのですわ。ひとつは、中央を含めた全ての社交界を牛耳ること。もうひとつが、救済院を正式に国営化すること。そのふたつです」
アデーレいわく、帝国の社交界は現在大きく分断されている。
まあお察しの通りというか、中央とラウプフォーゲルの2つに分かれているわけだ。
中央は中央の流行があり、ラウプフォーゲルにも独自の流行がある。今でこそゲイリー伯父上の2人の夫人が中央の社交界にも影響力を与えているが、ひと昔前まではラウプフォーゲルは中央から「蛮族」呼ばわりされて蔑まれていた。
社交界の主役は、主に女性。
俺の手の届かないところを頑張ってくれる、理想の相手だ。
「社交界はりかいできますけど……救済院というのは?」
「もちろん、孤児の教育ですわ。殿下、風の噂でユヴァフローテツに現れた不法流民を、市民として迎え入れたと聞いていますけれど、それは本当ですの?」
おっ。思わぬところを突いてきた。
しかし痛むところはない。父上にも報告していることだし、流民と呼ぶ以外ない人達だったけれど、流民となった理由は明らかに同情に値するものだったと会議でも認められた。
「はい。奴隷として、本人たちの意志にかんけいなく不法ににゅうこくさせられた8人の獣人を市民としてうけいれました」
「殿下はその方々を、奴隷扱い……いえ、ユヴァフローテツ市民の婚姻のための、いわば出産用として確保したわけではございませんわよね?」
「えっ、そんなわけないです! かれらは本当にひどい扱いをうけてたんですよ。なにもわかっていない、子どもです。それを、流民だからといって……」
「ごめんなさい。念の為聞きましたけれど、本当は存じております。殿下は『流民として扱われること自体が不当な人々』を正確に見抜かれた。それが、この帝国でどれだけ稀有なことか、殿下はご存知?」
ローレライで、痛々しい表情をしながらフーゴが決断した顔を思い出す。
不法流民は、殺処分。ヒトとして扱われず「処分」された人々の中に、どれだけルナ・パンテーラのバドルと同じ状況の者がいただろうか。
そんな人々はもう語ることもできないので、真相はわからない。
「帝国、とくにラウプフォーゲル地方は女性が生まれにくいのはご存知でしょう? なので子を増やすには移民女性に頼るしかありません。幸いにも帝国の内情が安定しているおかげで、周辺国からの女性移民は絶えることなく続いておりますけれど……それでも、足りません。流民でも女性だけは保護しようという運動もありますが、まだ実現しておりませんわ。そこで救済院の整備、正式な公営化を考えておりますの」
ラウプフォーゲルとその周辺領地は日本の地方都市にも負けない規模で人口があるので俺にはあまり実感がない。けれど帝国全体では人口の減少そのものというより、人口維持を移民に頼るしかないという状況が問題なんだよね。
女児が生まれにくいということは遺伝子学的になんらかの偏向があるのか……日本ではトンデモ話だったが「男の下着で生まれてくる子どもの性別が変わる」とか「電波塔の近くに住んでいるとどちらかが産まれやすい」とか色々あったな。ネタで聞いただけの話なので、ちゃんとした研究なのかは今となってはわからない。
これほどまでに女児が産まれにくいのは周辺国と比べても帝国、さらにラウプフォーゲルは明らかに顕著であることから、遺伝よりも土地柄の条件がある可能性が……。
「あの、ケイトリヒ殿下?」
「あっ! す、すみません、マリアンネ嬢の着目点がきょうみぶかすぎて、かんがえこんでしまっていました。すばらしい野望をお持ちなんですね。かんぷくいたしました」
そう、それよりもマリアンネが想像以上に統治者向きの思考であることのほうが驚きだ。確かに父上たちが認める通り、皇后候補としては申し分ない資質と言える。
さすがは領主の娘。
そして、俺の伴侶、兼「ビジネスパートナー」にはピッタリの資質だ。
それからは俺が現在かんがえている、あるいは進行している事業の案を、ざっくり共有した。もちろん、身内であるシュヴァルヴェに知られても問題ない程度に情報は制限してあるけれど、それでもフェルディナンド卿は俺の話を聞いて何度も感嘆の声をあげた。
魔導騎士隊の今後の活動展開の予定が国外まで見越していること。白き鳥商団が大陸全ての商業を掌握する複合企業を目指していること。鉄道事業が極貧地域で活用されずに眠る資源を掘り起こし、産業を興すであろうという見込み。
「鉄道の研究が進んでいることはラウプフォーゲル閣下から聞き及んでいましたが、このような活用法をお考えだったとは」
フェルディナンド卿は考え込むように押し黙り、マリアンネ嬢は目を輝かせて「そうしたらヴィントホーゼ大陸の掌握ももう時間の問題ですわね!」と嬉々としている。
やっぱりヴィントホーゼ大陸……アイスラー公国は港町を有するシュヴァルヴェからすると目障り以外の感情もない相手らしい。
「そういえば、僕……海運にはうといんですけど、帝国の西側にはシュヴァルヴェ以外にあまりおおきな港町がないですよね。ちいさな漁村はあるみたいですが」
「それはもちろん、海路が共和国とヴィントホーゼしか無いからですわ。どちらも帝国からしたらあまり魅力のある土地ではありませんし、王国やドラッケリュッヘン大陸のある東側に回るには遠すぎますもの。海運には大して旨味がないのです。アイスラーの海賊たちを蹴散らすために一応軍備はしておりますけれどね」
世界地図を思い出し、ふと考え込むとマリアンネ嬢が興味深そうに聞いてくる。
「何をお考えなのかしら? 塩漬けの海運が活かせるような、目の覚めるような案をお持ちなの?」
ユニヴェールの世界地図は、前世で見慣れた太平洋が中心のものとほんのちょっと似ている。細かい部分をみればもちろん全然違うんだけど、クリスタロス大陸はヴィントホーゼ大陸と一体化させたとして、ユーラシア・アフリカ大陸とざっっっくり形が似てる。ということにしておいて。
ドラッケリュッヘンはオーストラリア。そうすると、暗黒大陸は南北のアメリカ大陸だ。
そして帝国は、アフリカ大陸。アフリカの北はヨーロッパ、位置にすると共和国。
大陸をぐるりと回れるような巨大な船の技術があるなら、コロンブスが大西洋を横断したように暗黒大陸にも向かえるはず。
地理の授業で「クリスタロス大陸の西には大海溝があり、船で渡ることはできない」と言われてフーンと聞いていたけど、大海溝って前世の基準でいうとただの水深の深い海だ。
「もし暗黒大陸がちょうさされて渡航可能になったらシュヴァルヴェがきょてんとなるかもしれませんね」
俺が言うと、親子は目を丸くした。
「……まさか、暗黒大陸にまで目を向けていらっしゃるとは。トリューがある以上、夢物語として終わらないのが恐ろしいです」
「たしかにそうなれば、シュヴァルヴェにトリューや浮馬車で西へ向かうための発着場のようなものができてもおかしくありませんわね! でも、大海溝の付近は魔道具がおかしくなると聞いていますわ」
2人が船を出すつもりがまったくない。
大海溝というものは俺の想像しているようなものではなさそうね。
その日の話し合いは、もう俺の目的が果たされた。
その後は将来の展望について若干の夢物語を混ぜ込みつつ楽しい話で終わらせた。
滞在は2泊3日、その間はマリアンネとたくさん話した。
話してみると彼女への苦手意識は完全になくなったといっていい。
俺が前世チートでちょっと小難しい話をしてみても決して「わからない」と投げ出すことなく、話のなかの端々から分かる部分を拾い上げ、本当にわからない部分はきちんとこちらに聞いてくる。教えるとすぐに覚えてしまい、理解した上ですぐに自分の意見や感想を言語化できる。
これがどれだけ優秀なことか、お飾りでも社長だった俺にはわかる。入学に一定以上の集中した勉強が必要な有名大学出身の新卒女性と話しているような気分だ。
そして優秀な彼女は俺の思惑も正確に読み取っていた。
「ケイトリヒ殿下、近いうちに婚約者をお決めになるのでしょう?」
「はい、父上の命令ですから」
最終日。
トリューを使う騎士隊がどのように訓練しているか見たいという俺の要望に応えて、城壁の中の小路を2人で手を繋いで歩いていたところポツリとマリアンネが切り出した。
前にはシュヴァルヴェ領の騎士が先導し、俺の後ろには俺とマリアンネの側近がゾロゾロとついてきている。領主令息、令嬢のお散歩なんてこういうものだ。
「このあとはグランツオイレ領にも往かれるのですわよね」
「はい、そのつもりです」
マリアンネは言うか言うまいかすこし悩んだようだが、チラリと俺を見て決めたようだ。
「ケイトリヒ殿下。殿下は、フランツィスカの言う通りあまり婚姻にロマンスを求めてらっしゃらない様子なので正直に申し上げますわ。殿下が婚約者を選ぶための、判断の一助のためとお受け取りくださいまし」
「は、はい」
マリアンネはしばらく考えると、小さな声で呟くように言う。
「わたくしもフランツィスカも、未来の皇帝の伴侶として不足しているとは思っておりませんわ。むしろ相応しいと思います。けれど、もしも殿下がどちらか片方だけしか選べないというのであれば……殿下が手にするものは、わたくしたち2人が揃ったときの10分の1になるとお思いくださいまし」
10分の1とは大げさだな。でも半分以下になることは理解している。
どちらか片方を選べば、選ばれなかった領との関係は悪くなるとは言わないが、最高ではなくなる。シュヴァルヴェ領にしてもグランツオイレ領にしても、どちらも旧ラウプフォーゲル勢の中核。
その2つのどちらかと距離ができるのは、半分などという簡単なものでは収まらない。
こういう「隠れた負の関係」は俺がラウプフォーゲル領主になれば改善できるだろうが、皇帝になってしまってはなかなかカバーが難しい。立場が違うからね。
「りかいできます」
「ありがとう存じます。わたくしは、フランツィスカと共に過ごす時間が最高に幸せですし、彼女とわたくしがかけ合わさることでお互いに最高以上の能力を発揮できます。殿下が『役に立つ』伴侶をお望みならば、わたくしとフランツィスカは2人でひとつとお考えになったほうがよろしいですわ」
……俺の要望を正確に読み取りすぎ。
本当に、女性というのはこわい。13歳でこれだもんな……。
「おぼえておきますね」
俺が言うと、マリアンネは嬉しそうに笑った。
彼女に対して恋愛感情をもつことはできないが、賢く自分の要求を通そうとする人物は男女関わらず好きだ。理性的に話しあうことができて、妥当性を言語化できて、お互いに尊敬しあえて、そして意見を出しあえる関係。
燃え上がるような感情なんて無くても、お互いが認めれば結婚も婚約もできる。
公爵令息という国にとって重要な立場でありながら俺自身の価値観を無視しない、父上にも皇帝陛下にも感謝だ。
マリアンネに対する俺の判断は、決まった。
さて、次はグランツオイレ領。フランツィスカに逢いに行こう。