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8章_0112話_共和国の不穏な動き 1

――――――――――――


「前任者がどうなったか、オマエは知ってるのか?」

「は……いえ、申し訳ありません、存じません」


インペリウム特別寮の3階、いちばん西側の部屋。

30部屋しかない特別寮には大中小と部屋の大きさが分かれており、この部屋は部屋の主が望んだわけではないが大きな部屋だ。


「知らないなら教えてやろう、俺が目をえぐって耳を切り落として追い出したんだ」

「は、は……は……そ、そう……だったのですか」


勉強用の机の椅子から立ち上がり、前に出て机に腰掛ける。

離れて立っていた青年は、その動きにすこし身じろいだ。


「理由を教えてやろう」

「は、はい。今後の参考にいたします……」


「俺宛の手紙を、隠したからだ」

「……」


「この寮で、俺に意に背くような行いをすればどうなるか、わかったか?」

「は……はい」


十分な大人といえる青年よりも小柄な少年だが、その威圧は本物。

その場にいるだけですぐに逃げ出したくなるような殺気を、少年は持っていた。


「オマエ、聖教徒だな?」

「いっ……あの、はい……」


「『いいえ』と答えろと言われたんだな?」

「……は、い」


「……ふん。俺に嘘を付くべきではないと判断できた点は、気に入った」


青年からは少年の顔は逆光で見えない。

だが、その手が机の上の何かを持ったのはわかった。

何を持ったのだろうと青年が目を凝らした瞬間、頬の横で風を切り、背後で「トッ」と小さく何かがぶつかる音がした。

青年が恐る恐る後ろを振り返ると、ペーパーナイフが壁に刺さっている。

ズキリと痛む頬を押さえると、ぬるついた。血だ。

少年が、頬をかすめるようにナイフを投げたのだとようやく頭が理解した瞬間、ドッと吹き出すように汗がでた。


「俺の育ちが悪いのは有名だろう? スラムで生き残るためには、特技が必要なんだ。新入りのオマエに教えてやる、俺の特技はナイフ投げだ。この距離なら、オマエの目玉にペンやナイフを投げることなんていつでもできる。そして、スラムでは生き残るための特技はひとつだけじゃなく、隠すもんだ。わかるよな」

「……ひ」


「聖教の奴らが指示してきたことを、すべて俺に報告しろ。もしも報告が漏れたり、ウソをついたり、俺の学院生活を乱すような真似をしたら、1度目は右目だ。2度目は鼻を削ぎ落とす。3度目はない。寛容だろ? 2度は許すと言ってるんだ」

「……、……」


青年は無言で何度も頷く。


「その場に座れ」

「……」


青年は言われた通り、その場に膝をついて腰を落とす。正座のような姿勢になると、少年がゆっくり近づく。恐怖は最大になり、手と下顎が堪えきれずに激しく震えてカチカチと奥歯が鳴っていた。

少年は無感情な瞳のままそれを見ると、ポケットから何かを取り出して頬を拭い、何かを貼り付けた。


青年が震える手で頬を確認すると、絆創膏が貼られていた。


「俺の側近になるんだ、みっともない姿を他にさらすな。いいな?」

「は、はい」


「これを届けろ。下がっていい」


少年が封筒を手渡すと、青年は我に返ったようにもたもたと立ち上がる。

深くお辞儀するとすこしフラつきながら部屋を出ていった。


ドアが閉まった静かな部屋で少年はしばらく立ち尽くし、おもむろにカーテンを開く。

昼の明るい日差しに、目を眇めた。


窓に目を向けてはいるが、景色を見ているわけではない。

何も映っていないような冷めた瞳をした少年は、小さく「聖教め……」と呟いた。



――――――――――――



自室でアウロラとキュアがいきなり映像再生装置(ビデオプレイヤ)を持ち込んで映像を流し始めたかと思えば、マフィア映画のワンシーンみたいな状況だった。


「だ、ダニエル……こわわ……」


「スラム育ちってのは本当みたいだよ〜」

「ダニエルの母は元娼婦。母の器量とダニエルの知性を首相に買われて婚姻関係に及んだようですね。首相もダニエルの才能には一目置いているようです」


齢12歳で、苦労人なんだなあ。あ、今年13歳か。

スラム育ちだとおもえば、ああいう冷酷な裁きも必要でやっていたことかもしれない。

育ちが悪い……という本人自ら称しているが、魔導学院ではどちらかというと品行方正なほう。本性はともかく、表向きには礼儀もしっかり身につけて理性的で冷静。


「それにしても場慣れ感がはんぱない……」


「実際、子どもを集めてお金を作ってたみたいだよ。大人の無法者からも一目置かれるくらい有能だったみたい。頭がいいんだね」

「そうですね。母親である首相夫人は息子の頭の良さに気づいて、まともな教育を受けさせようと首相に近づいて結婚にこぎつけたようです。前の夫人を追いやってまでね」


「どろぬま! そうぜつ!」


「共和国は貧富の差が激しくて、貧しいヒト、特に子供や老人は人間あつかいされないみたいだね。身を守るには手を汚すしかなかったんだろうねえ」

「農産物が余るほど生産され、貧民でも飢えることはない帝国とは事情が違います」


「レオも共和国というか聖殿で『食の改善』なんて言いだせない状況だった、って言ってたもんなあ。そう考えると共和国のことをふかく知るには政治側のダニエルと、聖教側。りょうほうに話を聞ければいいんだけど……ファリエル、おバカだもんなぁ」


「あの少年は確かに物知らずのようですね。祖父から蜜だけを与えられて育てられたようなものです。主の助力とするには不足でしょう」

「聖教のフラットな思考を持った協力者……かあ。うーん、しばらくは難しいかも」


「しばらく? あ! ねえ、そういえば、式典で女性の司教から話しかけられた気がしたんだけど! あれなに、魔法!? 」


「あ、それは両方向通信(ハイサー・ドラート)に似た古代魔法だよ。あの女性……えーと、マグノリエル、だっけ? あのヒトは主の味方になりそう。でもちょっとぶっとびすぎだよね〜、さすがにいきなり接近するのは立場的に難しいよね〜。でも主の正体を知れば、聖殿も投げ出して主に付くと思うよ!」

「あの女は、聖教の本来の教義を知ったうえで組織の腐敗を放置しています。狙いがあるのかもしれませんが……少なくともあの愚かな子どもよりは役に立つでしょう。ただ、接触するにも引き込むにも、いささか大物すぎるのが難点ですね」


ドアがノックされ、ガノが入ってきた。


「ケイトリヒ様、ダニエル卿の使いから招待状への返事が届きましたよ」


机の上でポヨポヨしていたおにぎりサイズのキュアとアウロラが、ふわりと消えた。


「おや、精霊様と話されていたのですか? 邪魔してしまったようですね」

「ううん、ちょうど終わったところだったの。おへんじちょーだい!」


ガノが封筒を手渡してくる。

先ほど、映像でダニエルが新入りの側近に渡していた封筒だ。

俺の招待状は無事取り戻せたようでよかった。

まあ、隠した人物は無事ではないみたいだけど……。


「誘うようなおともだちはいないから、1人で来てもいいか、って」

「ふむ、ダニエル卿は一匹狼というやつなのですね」


あんな性格と生い立ちだったら、魔導学院でキャッキャしている同級生なんてノーテンキで頭の悪いお花畑ども、とか思ってそうだ。


まあ彼からしたら俺もたいがいお花畑なんだろうけど、何よりカネと権力と帝国の上層部にコネクションがある。ジャレッドにトリューを与えたことや、叙勲式典で発表された功績を知れば敵対も無視もすべきではない相手、くらいには思ってるだろう。

あわよくば仲良くなりたいと思ってくれてるかもしれない。


「お返事はすぐに書かれますか?」

「うん! いちばん上等な紙ちょうだい」


ガノは予測していたようで、小脇に抱えていた書類バッグから便箋を取り出す。

白鷲が箔押しで描かれた雅な便箋だ。


「ダニエル卿を取り込むおつもりですか? 彼は曲者です、難しいと思いますよ」

「ううん、曲者でも頭はいいみたいだから、かんたんだよ」


ガノは器用に片眉を上げた。「その心は?」と言ってるようだ。


「頭がいいひとは、自分の利になる相手を正確にかぎわける」

「なるほど?」


ガノは納得したようで頷いた。そして俺の文面を見て、すこし首をかしげた。


「お食事かお茶か……? 希望を聞くのですか? 今まではお聞きにならなかったのに。帝国の礼儀としてはそういったことはこちらで調べるべきことですが」


「ダニエルは共和国の人だよ。調べられることを快くおもわないかもしれない。それに、複数人なら全員の希望をかなえるのはムリだけど1人だからね」

「ふむ?」


ダニエルはなんとなく、こだわりが強そうな気がする。希望を聞き入れれば、おそらく気を良くしてくれるはずだ。さらにプラスアルファがあれば感心してくれるだろう。


「できた。これ、ダニエルに……あ、ううん、僕が手わたしするから封筒ちょうだい」

「いえ、手渡しは……まあ、イザーク卿にも手渡してましたね」


ガノは書類バッグから同じく箔押しの上等な便箋を取り出すと、便箋を丁寧に折って入れる。俺は引き出しからシーリングワックスとハンコの準備。

机の上に置かれた封筒の上から、紫紺の蝋を杖先で溶かして垂らす。その上からペタリとハンコを押せば、白鷲マークの封蝋のできあがり。


「開封者の認識だけじゃなく、開封確認と破損の検知も魔法陣に加えないとな……」

「はい?」


「んーん、なんでもない!」

「それより、どうやって直接手渡しされるおつもりです?」


「明日、応用魔法工学の授業があるから」

「ああ、同じ授業があるのなら簡単ですね……そういえば、すぐに親戚会のためにラウプフォーゲルに戻らねばなりませんから、魔力を多めに満たしておく必要がありますね」


そうだった。もう来週は親戚会だ。


「あにうえたちは行かないの?」

「御館様に確認したところ、『任意』だそうです。授業に余裕があるようであれば戻って参加しても良いということでしたので……クラレンツ殿下とジリアン様は残り、アロイジウス殿下とエーヴィッツ様は参加するそうです」


んー。学力格差が、歴然としていますね!


「よかった、ひとりぽっちだと寂しいなーとおもってたんだ」

「今回はエーヴィッツ様も我々と一緒に往復しますよ」


「ヴァイスヒルシュには戻らないってこと?」

「ええ、そうなると時間がかかります。両親に会いに出席されたいということでしたら、会期中にお話しすれば十分なのでしょう」


なるほどね。

式典と親戚会のある6月(フォイア)は大忙しになると思ってたけど、そうでもなかった。

1人だけだと気が重い親戚会にも優しいお兄ちゃんたちが来てくれるし、安心。



翌日。


応用魔法工学の授業の予鈴前。

体育館のように広い教室に入ってきたダニエルに駆け寄って、お手紙を渡す。


「ダニエル卿、おてがみです!」

「なんと、わざわざ手渡しで……ありがとうございます」


にっこり社交的な笑顔で受け答えしてくれるダニエル。昨日見た映像が嘘みたいだ。

内緒話するみたいに口元を隠して上目遣いすると、察したダニエルはすこししゃがんでくれた。


「(前の招待状にはつけてなかったんですけど、こんかいのお手紙から、開封者検知と破損検知の魔法陣もくっつけたんです。よかったら、これどうぞ。魔力をこめれば、お手紙に今の魔法陣を付与することができます)」


俺が懐からちいさなスタンプを取り出すと、ダニエルは鋭い切れ長の目を丸くさせた。

押し付けるように差し出すものだから、つい受け取ってしまったようだ。


「こ……」


ダニエルはハッとして、再びかがんで俺の耳に内緒話してきた。


「(こんな貴重なものいただいても、私にはお返しができません)」


内緒話って、すごく耳がくすぐったい。そういえば前世を含めても初めての経験かも。


「(お返しなんていらないです。どうしても気がすまないというなら……うーん、おともだちになって! ね?)」


顔を離して、視線を合わせてニコリと笑うと、ダニエルは妙なものを見るように見つめてくる。……クラレンツと同じで、ぶりっこ効かないひとかな?


「おや、ケイトリヒ様はダニエル卿と仲が良いのですね」


涼やかな声に驚いたダニエルが振り向くと、そこには美少年ヴィンがいた。

相変わらずキラキラエフェクトまき散らしてる!


「あれえ、ヴィンはどうして?」

「バルタザール先生に、助手を頼まれたんですよ。あの先生、教えるのヘタでしょ?」


「うぉいメルテンス、聞こえてるぞー!」

「わ、ヤバ」


ヴィンがクスクス笑う。美少年は笑顔が凶器! 美しいなあ!


「それより、ケイトリヒ様。ナマハイシン、見ましたよ! ……あ、ごめんなさい。ダニエル卿とお話中でしたら、のちほど……」


「いいえ、私はもう済みました。ケイトリヒ殿下、ありがとうございました」

「あっ、うん! またね!」


「ダニエル卿、よかったらケイトリヒ様だけでなく私とも仲良くしてくださいね。私と仲良くなれば、『フェガリ』のチケットを手配して差し上げますよ? ああ、割引はできませんけどね!」

「えっと……は、はい……」


ヴィンの人懐こい美少年パワーに、ダニエルもタジタジだ。


それから授業の間は、ヴィンが俺のお歌を褒めちぎる会になった。

劇団にスカウトされ、歌ってみて欲しいと言われ、散々だったけど箱庭(ダンジョン)の作り方の説明はバルタザール先生より補助の院生たちの誰よりも上手。

ヴィンはウィンディシュトロム寮だけど、魔力の扱いを学ぶためにこの授業をとって、素晴らしい箱庭(ダンジョン)を作り上げたそうだ。

さすがおしゃれセンスのあるヴィン。造形するチカラだけでなく、美しいものを作り上げようという気概があったにちがいない。

そしてその箱庭(ダンジョン)は、愛好家の貴族に2万FR(フロー)でお買い上げされたらしい。おかげで魔導学院の学費を6年生まで前払いできたとホクホク顔で教えてくれた。


俳優の卵だけど、ウィンディシュトロム寮の生徒としてしっかり商魂もたくましく育て上げてました。


そして俺とのキャッキャした雑談に、ときどきヴィンが強引にダニエルを巻き込もうとする。ダニエルがウザがって手にしていた杖や造形に使うペインティングナイフを投げてくるんじゃないかとヒヤヒヤした。

さすがにそんなことにはならなかったけど、授業も後半になるといい加減ヴィンの扱い方がわかったのだろう。タジタジになる様子もなくなり、ヴィンの強引なフリにダニエルが冷たく返答してヴィンが「ひどーい!」と言って、それを俺が笑う。という定番の流れができあがった。


俺が笑い転げると、ルキアも隣でつられて笑う。

ころころと笑う俺達を見て、ダニエルも苦笑のような自然な笑顔になってた。


ルキアはダニエルを「ナイフのようなツッコミ能力」と称し、ダニエルはヴィンを「ウザ美少年」と名付け、ヴィンはルキアを「つられ笑い上手」と呼んだ。

僕は?と聞いたら3人とも「赤ん坊」と口をそろえた。ひどーい!笑。

ちなみにダニエルがヴィンを美少年と呼んだのは、俺がヴィンのことを美少年美少年と何度も呼んだせいでもある。


植物学の授業とはまたちがった充実感! 社交的でフリ上手のヴィンがいなかったら、ここまで楽しい関係にはなれなかっただろうね。

ルキアともすこし仲良くなれた気がするし、大満足の授業だった!



ダニエルとのお茶会の日程はその後のお返事で順調に決まったので、次はリヒャルトとヘルミーネかな。順番的にはその次がルキアだろう。


ヘルミーネは、俺が親戚会に出席すると知ったら「さしつかえなければリーゼロッテ夫人とマルガレーテ夫人の絵写真(ビルトパピーア)をお見せいただけたら幸いです」と返してきた。

あの2人、ほんとに旧ラウプフォーゲル女性の憧れなんだなあ。



翌週。

親戚会のためにラウプフォーゲルに戻ると、父上と兄上たちから式典での歌についていじられまくり。だいたいヴィンと一緒で、居眠りしてた顔が大アップで映ってたとかもう一度歌を歌ってとか魔導騎士隊(ミセリコルディア)のトリューがすごいとか、新型投影機(ヴァイツフィルム)はすごいとか、そういうところ。

新型投影機(ヴァイツフィルム)じゃなくて映像記録装置(ビデオレコーダ)と呼んでほしいんだけど、投影装置のほうは名前をつけてなかったな……。

まあそっちはそのままでいいか。


これ、親戚会でも同じなんだろうなあ。


案の定、親戚会では歌とトリューとナマハイシンの技術と白き鳥商団(ヴァイスフォーゲル)と今回の功績について、ずーーーっと聞かれたり褒められたりの3日間。


ほぼ話題の中心!


疲れた。


でも今回はシャルルも側近として俺についてくれたので、予定よりはラクできたのかも。

ナマハイシンについてはシャルル、白き鳥商団(ヴァイスフォーゲル)についてはガノ。トリューはペシュティーノ、魔導騎士隊(ミセリコルディア)についてはオリンピオと担当を分けて社交の補助に入ってもらった。

おかげで同じことを何十回も話す面倒からは解放されてます。


フランツィスカとマリアンネについても女学院でどうしても抜けられない授業があるとかで欠席。けど……。


「ケイトリヒ、改めてになるけど、私の婚約者を紹介するよ」

「ケイトリヒ殿下、改めましてご挨拶申し上げます。ブラウアフォーゲル領主ロータル・ファッシュ閣下の孫娘ナタリー・ヘルツェルです」


あんなにキャピキャピしていたナタリー嬢が、落ち着いて美少女然とした笑顔でご挨拶してきた。昔とぜんぜんイメージが違う! 彼氏がいると安定するタイプの美少女だったんだね……。


「兄上、ナタリー嬢、ごこんやくおよろこびもうしあげます」


「ウフッ! ケイトリヒ殿下、少し気が早いとお思いかもしれませんが……おねえさまと呼んでいただけると嬉しいですわ!」


「それはけっこんしてから」


昔のキャピ具合の片鱗を見せてきたので、ビシッとお断りすると笑顔が消えた。一瞬で。

すごい顔面筋肉コントロール力!


「前々から思っておりましたけれど、ケイトリヒ殿下ってわりと毒舌ですわよね?」

「ナタリー嬢、毒づくときはもう少し声を抑えて」


アロイジウス兄上が諌めてる! ナタリー嬢の二面性も含めての婚約ですか!

兄上、フトコロが深いです!


「アロイジウス殿下にもう少し物言いを教育してもらう必要がありそうですね」


す、スタンリー!?


「貴方、ケイトリヒ殿下の側近風情が生意気ですわよ。私はケイトリヒ殿下の兄君の婚約者、つまりいずれ義理の姉になるのですよ?」

「今はまだ無教養で礼儀のなっていない頭空っぽ令嬢でしょう」


「なんですってぇ?」

「ふん、簡単に挑発される、そういうところも低能だというです」


ちょ、ちょっとスタンリー!

ナタリー嬢も急にヤカラみたいにメンチ切るのやめてほしいの!


「ぷ、くくく……」


何故かアロイジウス兄上がものすごい楽しそう!! なんでなの!

俺がシンジラレナイみたいな目で兄上を見ると、それに気づいて笑ってきた。


「ああ、私はスタンリーとケンカしているナタリー嬢が一番好きなんだ。すごく自然体だと思わないか? 私にはまだここまでの姿はなかなか引き出せないなあ……」


フトコロ深いとおもったけど、アロイジウス兄上は奇妙な方向にマニアックだった。

まあなんというか、ワレナベにトジブタ……というと失礼かな、収まるべきところに収まって、本人たちが幸せならそれが一番だよね。


今回の親戚会ではジョセーカンケーを気にしなくていいので心労はなかったがとにかくいつも話題の中心だったので疲れた。


は〜。人気者も人気者で大変ね。



――――――――――――



「礼を失した訪問にも関わらず寛大なお心で席をご用意いただいたこと、心から感謝申し上げます。火と水の調和に感謝を。土と風の不偏に感謝を。光と闇の普遍に感謝を」


ことさら申し訳無さそうに悩ましげに眉根を寄せ、丁寧に謝罪の言葉を述べられればいくら皇帝といえども足蹴にすることもできない、と司教は踏んでいたのだが。


「うむ……めでたい席であったので参列を許したが、次はない」


ピシャリと言い放った皇帝の声は冷たかった。

アテの外れたマグノリエル筆頭司教は、後ろで苛立ちを隠せない部下の怒気を感じてさらに明るい声で言う。


「才ある子は帝国に栄華をもたらすことでしょう。我々聖殿は、共和国の政治とは距離を保っておりまする。帝国に精霊の祝福に満ちた才子が(もたら)されたとあらば、協力は惜しみません、と、それだけ申し上げたく参りました次第にございます」


「マグノリエル筆頭司教の言葉、皇帝ヴィンツェンツがしかと聞いた。下がってよい」


それだけ言うと、皇帝は玉座から立ち上がって去った。

謁見の間は入口から玉座に向けて周囲から少し高い道がある。

その道の両サイドは少し低くなっていて、普段は記録係や法服貴族、ただの見物人の貴族などが雑多に控えているのだが今は誰もいない。


玉座の前には重鎧を身に着けた近衛兵と魔導士が威圧的に立っており、司教は一方的に謁見を打ち切られて追いすがることも叶わなかった。


「なんという無礼でしょう! これが大陸一の帝国の、聖殿に対する総意であるとでもいうつもりでしょうか!? 筆頭司教、正式に抗議を……ッ!」


帰り支度をするために通された簡素な小部屋で、堰を切ったように不満をもらした司祭たちに、容赦ない張り手が襲った。

パアン、と乾いた音が小部屋に響いたが、司祭たちは何が起こったか理解できず呆然としている。


「帝国は聖教と教義は違えど、その圧倒的な武力で臣民を守る剣。一時の憤りに判断力を失い、無作法な発言が皇帝の耳に入れば、共和国との火種は聖殿にまで飛び移り我らを燃やすでしょう。わかりますか?」


年若い司祭は、顔を青ざめさせて「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。


「聖殿は世俗の理から隔離されているがゆえ、政治と情勢に疎い。政治に屈する必要はありませんが、経典で目を塞いではなりません。気がついたときには火の粉は身を焦がす獄炎になりうるのですから、広い視野をもちなさい……さあ、戻りましょう」


司祭たちはもたもたと帰り支度をはじめ、女性司教はそれを見守りながら考え込む。


(接触はできませんでしたが……お姿を拝観できたのは僥倖。あの御方は間違いなく偉大なる精霊の、しかも十重二十重の祝福と恩寵を宿す御子。ゆえに帝国からの守護も尋常ではない。さて、どう接触したものか……)


カツ、カツ、と整えられたきれいな指先がテーブルを叩く。

それを聞いて、帰り支度をしていた司祭たちがビクリと肩を震わせ、慌てた。


「ひ、筆頭司教、準備が整いました。さきほど、城の衛兵からはすでに馬車の準備もできていると聞いておりますのですぐに出立できます」


「そうですか。ご苦労さまです。では、急ぎましょう」


ニコリと笑顔を向けられた司祭たちが、口元を引きつらせる。

彼らが通る廊下は衛兵たちが睨みをきかせ、見送るものもない簡素な出立だった。



ところかわって、共和国、聖殿。

前時代の遺物である荘厳な教会は荘厳ではあるが、政治体制が変わってからというもの職人たちが激減したおかげで修繕が追いつかないほど老朽化が著しい建物。


冷たい雨が降るとあらゆる場所で雨漏りがした。

ポタリと書類に落ちた水滴を、いまいましげに拭き取った老人が悪態をつく。


「ふん……ファリエルめ、報告書にまったく中身がないではないか!」


ばさりと書類を投げ出した老人は気を落ち着かせるためにそばにあった飲み物をあおる。

小間使いの少年が、暖炉の方へふわりと滑っていきそうになった書類を慌てて拾った。


「ん……誰だ、この茶を淹れたのは。砂糖が入っておらんぞ」

「あ、それは先日の綱紀粛正の再徹底で、お砂糖の使用は量が決められていて……」


「なにをぬかすか!! 聖殿の畑で採れておるのだ、粛正もなにもあるものか!」

「おそれながらアヴリエル枢機卿、これはマグノリエル筆頭司教の厳命にございます!」


「おのれ、忌々しいエルフどもめ……精霊の気配が読めるなどという理由で彼奴らを招き入れた先々代教主を盾に、我が物顔で……!」


「おやあ、随分な言われようですねェ」


「!!」


思わぬ方向から声がして、アヴリエル枢機卿は勢いよく振り向きすぎて首を押さえた。


「あはは、失礼。そろそろ枢機卿に禁断症状が出てる頃かな〜と思いましてェ」


老人が座っていた背後の窓からひらりと法衣をなびかせて入ってきたのは、はりついたような笑顔を浮かべ、真っ青な長い髪から長い耳が飛び出した青年。軽やかな足取りで老人の横をすり抜けると、テーブルの上に小さな麻袋をドサッと置いた。


「ぐ、グルシエル筆頭司教! 窓からの出入りは非常識だと今まであれほど……!」

「まあまあ、おこらないでェ。ほらァ、お砂糖ですよォ!」


老人は怒りに赤らめた顔をスススと元の色に戻し、小さな麻袋を手にとって中を確認し、ニンマリと笑った。

ケイトリヒが見ていたら「ガマガエルみたいな笑顔」と称しただろう。


「先日、帝国が砂糖の生産を宣言したことで価格がさがってェ、豪商たちが買い占めてるんですよねェ。まったく、拝金主義はイヤですねーェ。ねえ、それからすると、エルフなんてかわいいもんでしょォ?」


麻袋の中身をぺろりと舐めた老人は、満足そうに頷いてティースプーン山盛り3杯をお茶にいれるてかき混ぜる。


「そうとも限りませんがな」


ゴクリと茶を飲み、ふたたびニンマリと笑う。

外から複数の声で「グルシエル筆頭司教〜どこですか〜!」ときこえてくる。


「……また講義を抜けていらしたのですか」


「だァって、『精霊の気配の捉え方』なんて、ヒトから教えられて身につくものじゃないと思いませんかァ? どォしてこんな講義を考えたんでしょォ……ああ、学ぶなら……魔導学院に入学しちゃえばいいのに、ねェ! そう思いませんかァ?」


最後の言葉に、老人の目がギラリと攻撃的に光る。


「ファリエル助祭のご報告ゥ〜……皆、注目しておりますよォ!」


鼻歌を歌いながらスキップでもするかのような軽やかな足取りでエルフの筆頭司教は部屋を出ていった。


「ふん……目障りな耳長め……」


ぐいと飲み干して、ポットのお茶を淹れ、再びティースプーンで山盛り3杯の砂糖を入れる。それを見て小間使いの少年がおろおろと進言する。


「あ、あのアヴリエル枢機卿、あまりお砂糖は……」

「やかましい! 儂に意見するでない!!」


廊下でその怒鳴り声を聞いたグルシエル筆頭司教は、クスクスと笑って去っていった。

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