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赤熊辺境伯の百夜通い  作者: すずき あい
9/15

9 叶わなかった100日目

怪我を負う表現があります。ご注意ください。


アトリーシャはとても眠れないと思っていたのだが、ディルダートが守ってくれているということに安心感を覚えたのか、気が付いたらプツリと意識は途絶えて、次に目を開けた時にはすっかり空が明るくなっていたのだった。


「ぐっすり寝てしまったわ…」


睡眠時間は短かったもののぐっすり寝てしまったアトリーシャは、誰に咎められることはないのだが呑気すぎる自分にどこか気恥ずかしくなって一人で赤面していた。


「魔獣、どうなったかしら」


いつもは鳥の声くらいしか聞こえない静かな朝が、今日は多くの人が話しているらしいさざめきがあちこちから響いて来るせいかどこか落ち着きのない空気が漂っている。ただ、声の気配からすると危機が迫っている感じでもない。



「お嬢様、お坊ち…レンザ様がこちらにお見えになるそうですが、ご挨拶に伺ってもよろしいかと先触れが来ております。いかがしましょうか」

「勿論お会いするわ。わたくしがお世話になっているのですもの。お命じになられてもよろしいくらいですのに」


まだ警戒を続けていた方がいいだろうと、昨夜着たまま寝てしまった乗馬服から違う乗馬服に着替える。昨夜のよりも上着の型がしっかりしていて、裾や袖に控え目ではあるがレースがあしらわれていた。

髪も、マリアが丁寧に細かく編み込んで、少し高い位置にくるりと纏めた。それだけでどういう構造になっているのか、毛先の部分が編み込みとそうでない部分が交互になって花のようになっている。余計な装飾品は付けていないので遠目からは簡素に見えるが、髪自体が装飾になっている。素晴らしい技術だった。

こんな状況であるので、通常のように装うことをしなくても咎められることはないが、おそらく格上のレンザに面会する為に準備してくれたのだろう。



「このような早朝に申し訳ありません。もしかして起こしてしまったのでしょうか」

「いいえ、今朝は随分早く目が覚めてしまいました」

「やはりこのような状況では落ち着きませんね。巻き込んでしまう形になってしまいお詫びしようもありません」

「そのようなことを仰らないでください。今回は不測の事態と伺いましたし」

「そう言っていただけるとありがたいです。現在の状況をご報告しても?」


頷いたアトリーシャに、レンザが昨夜のうちに分かった今回の件の進展と、現在の状況を簡単に説明した。



魔獣を呼び寄せる実験を行っている首謀者と思しき人物は、国籍も年齢も定かではないが、膨大な魔力を持ち魔法の制御にも長けていること。そしてこの国内にいることは分かったのだが、その姿形は誰も知らなかった。おそらく幻覚魔法か隠遁魔法、あるいは両方を複合させているのだろうという、手掛かりにもならないような情報のみだった。


現在、出現した魔獣はまだ森の外には出ていない。森を囲むようにいつもよりも濃度を上げた魔獣避けの香を焚いているので、魔獣はその香の影響の薄い場所を探して森の境目付近を徘徊しているらしい。今は王城から続々と討伐隊が到着しているので、全てが整うまで風魔法が使える者達が香の薄まった箇所を見つけられて突破されないよう風向きを調整しながら必死に持ち堪えていた。



「騎士や自警団の者達は、近くの街の住民の避難を夜通し続けています。ただ、どうしても騎士団がこちらへ向かう為の大きな街道は使用出来ず、各地で渋滞が発生して避難は遅れている状況です。本音を言えば、デュライ伯爵からお預かりしている大切な宝物(ご令嬢)を真っ先に避難させたいところですが…」

「民を守ることは貴族の最優先すべき義務です。わたくしのような何の力にもなれない者は、せめて最後に避難することで義務を果たしますわ」


アトリーシャがそう言うと、レンザは一瞬キョトンとした表情になって目を瞬かせた。何か変なことを言ってしまっただろうかと内心僅かに焦る。


「ディルダート殿と貴族の義務についてお話をされたのですか?」

「え?…いいえ。ディル様とは持ち帰られた魔獣のお話と、美味しいもののお話と…思い返してみたら楽しいお話ばかりでしたわ」



魔獣の話と言っても、どれが美味しいとか煮込みに向いてるとか、1年以上塩漬けにしてやっと口に出来る程度にしかならないとか…基本的に食べる話であった。これまでの会話を思い出してみて、アトリーシャはどれだけ自分が食い意地の張った女だったのだろうと今更ながら心の中で頭を抱えた。しかし、そこは長年鍛え上げた淑女力で全力で内部に押さえ込む。

レンザはそんな彼女の内心の大暴れに気付いてない様子で「そうですか」と言って、遂に堪えられなくなったようにクックッと喉の奥で笑い声を漏らした。



「いや、失礼。昨日ディルダート殿が貴女と全く同じことを言っていましたので、少々驚いてしまいました」

「ディル様が…?ですが、貴族の義務としてどなたでも心得ているのではないでしょうか…」

「なかなかこういった会話でサラリと言える方はそう多くないですよ。貴族は残念ながら色々としがらみもありますから」

「そうですか…国境の森で民を守る為にその身を楯にしておられるディル様と同じことを言っていただなんて…光栄ですわ」


アトリーシャは、自分の胸の奥に暖かいものが灯ったような気持ちになった。まるで、百花祭で彼の火魔法で点けてもらった赤く光るランタンのように。あの光が入ったランタンは、真っ赤なのにどこか柔らかい色も宿した彼の髪の色を思わせた。


「王城からの討伐隊が全員揃うまで、昼くらいまでかかるでしょう。その間の待機場所としてこちらの別邸の庭と、ディルダート殿が使用していた離れを使用することになりました。無事に討伐が終われば、再び救護所として利用していただきます。しばらくはうるさいでしょうが、お許しいただけると助かります」

「こちらは大公様の別邸ですから、わたくしに許可など要りませんわ。もし何かお手伝い出来ることがあれば遠慮なく申し付けてくださいませ」

「そうですね…ではお嫌でなければ、後で討伐隊の上官達にお声をかけていただけませんか?貴女のような美しい女性に励まされればいつも以上に力を発揮するでしょう。勿論、側には我が家の専属騎士とディルダート殿で固めますので、ご安心ください」

「そのようなことでよろしいのでしょうか?お邪魔でなければ喜んでお声をかけますが…」

「ええ、きっと皆喜びますよ。男は単純なのです」



彼女が第二王子と婚約解消をして約3ヶ月近くが経とうとしている。その夜会の直後にアスクレティ大公家が囲うような形で「保護」したので、表向きは声高に揶揄するような者はいない。だが、再び彼女が表舞台に立とうとすれば様々な輩が絡んで来るだろう。

しかし、ここで王城付きの騎士達に、アトリーシャには後ろにディルダートが付いているという印象を与えられれば少なくとも手を出そうとする令息はグッと減る筈だ。あの辺境最強の赤熊を恐れない命知らずがいるとしても、そのような浅慮なタイプは退けるのも容易いだろう。


それに、もしかしたら無自覚かもしれないが、ディルダートの話をするアトリーシャの頬は薔薇色に染まり、全身から暖かな喜びに満ちているのだ。一番分かっていないのが当人達で、傍からその態度を見てしまったら、諦めない方がどうかしている。どうかしている者は彼女のためにならないので()()するに限る。


少々物騒なことを考えながら、レンザはそれを全く悟られない様子でアトリーシャに向かってにっこりと微笑んだ。



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「ディル、大変なことになったな。あと1日だったのにな」

「アレク。さすがに今日は無理だ。仕方ない。それよりもお前、今日も律儀にこっちへ来て良かったのか?」

「ああ。蛇系は幻覚を使うことも多いから、ついでに手伝って来いと言われた」

「…お、おう…」


苦虫を噛み潰したような顔になって「団長の人使いが荒すぎる…」とアレクサンダーはブツクサ言っていた。


「ディルはどうするんだ?」

「俺はリーシャ嬢の護衛だ。レンザ殿の指示だからな」

「まあ、そうなるか」



続々と集まった騎士達が大公家別邸の庭園に並ぶ姿は圧巻でもあった。これから後続隊も到着してもっと増えて行くだろう。指揮を執る上官達が集まって作戦の確認をしているようだが、あまり表情はよろしくない。斥候の様子を伝令が細かく状況を伝えて来ているが、明るい報は来ていないようだ。



その騎士達の一角で、奇妙なざわめきが起こった。


「何だ?」

「リーシャ嬢だ。レンザ殿が連れて来たのか…」


これから討伐に向かう騎士達なのでまだ身なりはそれなりに整っているが、それでも大半が体格のいい男性集団で、ともすればむさ苦しい。その中に乗馬服とは言え美しく可憐な令嬢が登場したのだ。それはもうざわめくというものである。


誰よりも背の高いディルダートがいち早く彼女を見つける。ほんの一瞬ではあるが眉間に皺を寄せて、アトリーシャの姿を見てポカンと口を開けて見蕩れている騎士達に不機嫌な顔をしたが、すぐに勢い良く彼女の下へ駆け出して行った。


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「リーシャ嬢!」


ディルダートが他の騎士を跳ね飛ばしそうな勢いで走り寄った時、彼女は全く違う方向をじっと見ていた。そしてディルダートが声を掛けるまで近くに来ているのに気付かなかったようで、弾かれたように顔を向けると驚いたように目を丸く見開いた。


「え…?ディル、様?え…!?」

「リーシャ嬢?」


彼女はまるで信じられないものを見たかのように目を瞬かせたが、すぐにハッと我に返る。


「あ…申し訳ありません。先程あちらにディル様に似た騎士様がいらしたので、そちらばかり見てしまいまして」

「俺に、似た騎士ですか?」

「ええ。他の騎士様と同じ服を着ていらしたので、予定が変わって皆様と一緒に討伐に出られるのかと」

「いいえ、今回は王城所属の騎士や魔法士が主の討伐隊ですから。それにあの服は騎士団の制服です」

「言われてみればそうでしたわ。この前からどうも見誤ってばかりですね。早とちりでお恥ずかしいです…」


そう言いながらアトリーシャは振り返って、先程見ていた方向に顔を向けた。ディルダートも釣られて同じ方向に目をやったが、自分と見間違えられる程の体格の騎士は見当たらなかった。まだ本格的な作戦を開始する前なので、各自が武器の手入れや防具の確認、連携の打ち合わせなどで比較的自由に動き回っている。その中で目当ての人物を見つけるのはなかなか難易度が高そうだった。


「ふむ…ディルダート殿、僕は少々確認することが出来ましたので、このままご令嬢の護衛をお願いしてもよろしいでしょうか」

「はい。問題ありません」


レンザは思案するような顔で、後をディルダートに託した。残されたディルダートは、アトリーシャにちらちらと目を向けている騎士達の目から遮るように側に立つ。おそらく中にはディルダートの身分を知らない者もいるだろうが、さすがに見るからに巨体で鍛え上げている熊男を突破してアトリーシャに近付く者はいなかった。



「…今日は、100日目、でしたね」

「そうですね。残念ながら達成は叶いませんでした。リーシャ嬢には長らく俺の我が儘に付き合わせてしまいましたね」

「そんな…わたくしは毎日ディル様が訪ねてくださることが、とても楽しかったですわ。本来なら危険が伴う魔獣の狩りですのに、今日は何を持って来てくださるのか、と毎日楽しみになってしまって」

「そのように思っていただけたのなら、挑戦した甲斐がありました」



あと1日で達成出来たのに、ディルダートは言葉の割に残念そうに聞こえず、態度もあっさりとした反応のように見えた。アトリーシャはそのことに少しだけ寂しいと考えている自分に気付いた。そして、またもう一度願いをかけてくれないか、とすら思っていることに驚く。

しかし、そろそろ社交シーズンと呼ばれる季節も終わってしまう。特に辺境領では、春に産まれた魔獣の仔が夏頃になると親について巣から出て来ることが多い為、討伐が増えると聞いていた。いつまでも領主が不在という訳には行かないだろう。

それにいくら最強と言われても毎回無傷で済んでいた訳でもない。その危険の伴う行為を、ただ待つだけの自分から再び願うことは出来なかった。


アトリーシャは、胸に浮かんだ痛みをそっと包むようにして奥にしまい込むことにした。きっといつかは楽しかった思い出として振り返ることができますように、と願いながら。



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「まさかヒュドラの幼体…しかも変異種だったとはな」


別邸の庭は、さながら野戦病院の様相を呈していた。


次々と運ばれて来る負傷者に、アトリーシャも水魔法を使って治癒や浄化を手伝っていた。だが、魔力量は多いがそれほど強力な魔法を使うことは出来ない彼女は、ひたすら軽傷者の間を回って手当を続けていた。彼女の護衛に付いていた大公家専属の騎士達も、アトリーシャから離れることはなく共に治療に当たってくれている。本来の役目ではない筈なのだが、アトリーシャの動きを見て嫌な顔一つせずに付き添っていた。



討伐隊も、斥候の情報でナーガの変異種と予想はしていたが、決して準備を怠った訳でも油断していた訳もなかった。ただ、その予想を越えて相手の方が厄介だったのだ。



討伐隊は、蛇型魔獣が苦手とする氷魔法の使い手や、氷の魔石を使って動きを鈍くした後、首を落としてその切り口を焼くという作戦を使った。通常ナーガであったなら、首を落としてそのままでもいいのだが、万一ということを考えてヒュドラ退治の作戦も併用したのだ。ヒュドラは首を落としても、その切り口を焼いておかないとそこから倍の数の首が再生するのだ。


しかし、今回発生した魔獣は、氷の魔法を使っても大した効果は得られなかった。それでも辛うじて片方の首を落とし、その切り口を焼くことに成功した。が、そこで信じられないことに、もう一つ残った頭が、切り口の焦げた部分を噛みちぎった。そしてその新たな傷口から複数の頭が再生して来たのだ。

それだけではなく、落とした方の首からも胴体と尾が再生して、僅かな間に相手にする魔獣の頭数が数倍に増加してしまったのだ。

ただ、再生した頭は小さめであったので、噛み付かれても丸呑みされる程のサイズではなかったことだけが幸いしたと言うべきだろうか。


この再生する特徴からこの固体をヒュドラと確定し、大きさは成体より小さい事から幼体と判断された。



このままでは数に押されると判断した討伐隊の指揮官達は、強力な火魔法の使い手でもあるディルダートに応援を要請した。勿論彼一人で戦線が引っくり返せる訳ではないが、追加で各方面に応援要請をした強力な火魔法を使える魔法士と、火の魔石が到着するまでの足止めにはなる。


戦況の報告と応援要請を受けて、ディルダートは即答して森に向かうことを決めた。アトリーシャの護衛から離れてしまうことを何度も謝ってはいたが、行かない選択肢は彼にはないようだった。アトリーシャとて、貴族の義務としてすべきことだと分かっている。しかし、一瞬かつて大公から聞いた「百夜の誓い」の話を思い出してしまって、何とも言えない不安に駆られてしまった。



「ディル様、お気を付けてくださいませ」

「はい。リーシャ嬢も護衛から離れないようにして、危険な場所へは近付かないようにしてください」

「ご心配されなくても、王……王城の教師から危険が迫ったときの対処方法は学んでおりましたのよ。自分の身を守るくらいは心得ております。ディル様も……」

「……はい」



声が震えて言葉に詰まったアトリーシャに、ディルダートは低いが精一杯の優しい声で短く答える。そして何か言おうと口を開いたが、そのまま何も言わずに深く一礼だけすると、後方で待機させていた辺境領より連れて来た黒のスレイプニルの手綱を引いた。



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ディルダートが現場に到着してから、戦況は好転し出した。


彼の強力な火魔法によって、落ちた首から増えた固体の半数は焼き払われた。炭になるまで焼いてしまえばさすがに再生はして来なかった。

討伐隊も、母体になる固体を攻撃する際は、首を落とさずにダメージを与える方向に切り替えてからかなり弱体化させていた。


「追加部隊、到着しました!」


火魔法を扱える魔法士と火の魔石を携えた騎士で構成された部隊が到着すると、一気に討伐隊の志気は上がった。見る間に小さな固体は炭と灰になり、残すところ大きな母体のみになった。それも、切り落とした傷をディルダートが最も強い火力で焼いてからはほぼ再生しなくなっていた。


「一気に押せ!このまま仕留めるぞ!」


指揮官の声に討伐隊も応え、気力を振り絞る。もう最初から参加していた者の顔は殆どない。皆負傷して戦線を離脱している。後発部隊も、怪我をしていない者はほぼいなかった。後方で援護に当たる治癒魔法士も、怪我や魔力切れで後退を余儀なくされている。追加の部隊がまだ余力を残しているうちに一気に片を付けた方がいいということは、この場にいた全員が分かっていた。


「いかん!毒だ!下がれっ」



弱った固体が、ここに来て急激な進化を遂げたのか、それとも死ぬ間際に使う奥の手だったのか、それは突如として毒を吐き出した。紫色の毒の霧状を呼気を周囲にまき散らす。いち早く気付いた指揮官の声に一斉に後退したが、一部が間に合わずに、その霧に触れた部分が赤黒く焼けただれたように変色した。



「ヒュドラの毒は染み込む前に喰らった皮膚を焼け!浄化は効かん!浅い火傷なら治癒魔法で完治できる!」


国境の森で幾度かヒュドラと交戦したことがあるディルダートが指示を飛ばした。ヒュドラの毒は浸透は遅いが、血流や肺に流れ込めば専用の血清を即時投入しないと助からない。おそらく用心で血清は持って来ているかもしれないが、ヒュドラ自体が個体数の極めて少ない魔獣である為、どこまで在庫数を確保しているかは分からない。


僅かでも毒に触れた者達は即座にディルダートの言葉に従い、火魔法を繊細に操作できる魔法士が対処に当たる。毒に触れた箇所を焼くのにはとてつもない苦痛を伴うが、それを躊躇って毒が回ってはもっと悲惨なことになる。


身を守るように周囲に毒の霧を纏わせている固体に攻撃を加えることが出来ず、距離を置いたまま囲むしかなくなる。じわじわとではあるが、付けた傷が塞がって来ているようだ。


「この霧を焼く。下がれ!」


ディルダートは魔法士が持参していた魔力回復薬をもらって一気に飲み干すと、最大火力を乗せた火魔法を放出した。その毒の霧は火に触れると蒸発して、火花を散らしながら周囲に異臭をまき散らした。しかし、そのおかげで毒は無効化されて、再び騎士達が攻撃を再開する。


既に弱っていた固体は、再び毒の霧を吐く余力もなかったのか、すぐに断末魔の雄叫びを上げて、周囲の木をなぎ倒しながらドウッと地面を揺らして倒れた。


ようやく倒した魔獣に、その場に居た討伐隊から喜びの声が上がる。



「クロヴァス閣下!お顔に毒が!」

「あ…ああ。応急処置を頼む」


気が付かないうちに近付いた際に顔に飛んでいたのだろう。駆け寄って来た女性くらい小柄な魔法士に声を掛けられるまで気が付いていなかった。興奮状態だったのか、痛みはまだ自覚がなかった。


「失礼します」


済まなそうな表情で手をかざす魔法士に、ディルダートは目を閉じて痛みに備えてグッと歯を食いしばった。

ふと脳裏に、心配そうな表情で自分を見上げていた見送ってくれたアトリーシャの顔が浮かんだ。あの美しい夜空のような瞳が僅かに潤んでいたように見えた。きっと応急処置とは言え顔に火傷を負った状態で帰ったら悲しい顔をされるだろう。彼女に会う前に治癒をしてもらえればいいのだが、と考えていた。



手を翳された顔の部分に、ジリッと熱と痛みが走る。



次の瞬間、ディルダートは弾かれたように横に倒れ込んだ。考えるよりも早く体が反応したのは、もう幾度となく死線をくぐり抜けて来た本能からの警告だったとしか言いようがない。


手を翳された方の顔半分と、こめかみ辺りの髪の毛が焦げるような匂いがした。そして背後で爆発するような音と悲鳴が続いた。


「何をしている!」

「捕らえろ!」


様子がおかしいのにいち早く気付いた騎士が、その場から逃げ出した魔法士を追った。



ディルダートはジリジリと痛みを覚える顔を押さえながら何とか体を起こした。紙一重で避けられたが、余程威力が強力だったのだろう。僅かに掠めただけの筈だが、堪えた喉の奥から微かに呻き声が漏れた。もしまともに喰らっていたら、今頃頭半分が吹き飛んでいたかもしれない。不幸中の幸いにも目には影響がないようだった。


「急いで戻りましょう」


他の騎士に応急処置をしてからもらい、ディルダートは優先的に馬車に乗せてもらった。怪我はそこまで重くはなかったが、大きな魔法を使った後と、さすがに不意打ちで殺されかけた直後なので足に上手く力が入らない。ディルダートの背後に居合わせた数名が不運にも巻き込まれたが、幸い死者は出なかったので安堵する。


重傷者が乗せられた馬車に乗り込み、大公家別邸に戻る間、何故あの魔法士が自分に攻撃魔法を仕掛けて来たのだろうかと考えていた。しかし、怪我の痛みが強くて思考がまとまらない。


そしてふと、その魔法士の顔を思い出そうとしてもぼんやりと霞が掛かったようにはっきりしないことに気付いて、背中をゾワリと冷たいものが走るような気がした。




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