7 魔獣VS愛妻家
戦闘、流血表現あります。ご注意ください。
「何だかおかしくないか?」
白いスレイプニルの手綱を引いて、ふとディルダートはその場に止まった。
その後ろに続いているアレクサンダーと、本日派遣されている第四騎士団の騎士2名が同じように立ち止まった。
「厄介なヤツでもいるのか?」
「厄介と言えば厄介なのかもしれないが…」
索敵魔法を使えるディルダートが「厄介」と口にしたことで、騎士達に緊張感が走る。
「弱い気配なんだが…形がハッキリしない」
「スライムとか何かか?」
「そうではないな。…ううむ。大きさはかなりでかいのだが、その割に気配が弱くてな」
「スライムでも巨大化したらそれなりに強いからな。何だ、そいつは。……何か心当たりはあるか?」
アレクサンダーは、背後の騎士達に話を振った。第四騎士団は対魔獣を主とした組織である為魔獣には詳しい。ディルダートも魔獣には馴れているが、辺境領と王都の近くでは生態系も違う。彼らに聞いた方が心当たりがあるかもしれないと思ったのだ。
「小さな魔獣の群れとかではないでしょうか」
日焼けした肌にそばかすが散っているからか、顔に幼さを残す若い騎士がおそるおそる口にした。
「いや、この辺りではそんな小型の群れをなす魔獣はいない筈だが」
もう一人の、先輩らしき方の騎士が口を開く。こちらの騎士は、そう長身ではないが剣ではなく槍を携えていた。
若い騎士はトニ、槍を持った先輩騎士はサミュエルと名乗った。
「ええと、トニだったな。もし小さな魔獣だとしたら何が考えられる?」
「は、はい!僕の故郷では名前もないような小型の魚系の魔物とか、飽食蝗と呼ばれる虫型が群れになることがあります」
ディルダートに話しかけられて、トニは頬を紅潮させながら嬉し気に答えた。最強と名高い辺境の赤熊と呼ばれる辺境伯と直々に話す機会はそうない為、全身から憧憬の気配が駄々漏れであった。
「飽食蝗は穀倉地帯で出現する魔物です。この辺りではあまり見ないかと」
「あ…そうですね」
飽食蝗は、僅かな小麦などを主食とする普段はそれほど害のない小さな虫型魔物だが、数年に一度大発生して周囲の穀物、植物を食い尽くす。そして植物がなくなると動物まで襲い始める習性があるのだ。しかし、全てを殲滅させてしまっては飽食蝗を餌とする動物に影響が出る。生態系を保つにはなかなか扱いの難しい魔物だ。
サミュエルに指摘されて、トニがしょげた顔になった。この素直な様子が、ディルダートもアレクサンダーもどこか微笑ましく、自分が新人だった時代が思い出されて少しだけ気恥ずかしくも感じた。
「襲って来る様子はないが、これが邪魔で索敵が通らん。今日は少し時間がかかるかもしれんな」
「そうだな。気を引き締めていくぞ」
「はっ」
「はい!」
アレクサンダーの言葉で、騎士達は背筋を伸ばして返答をした。
----------------------------------------------------------------------------------
「…リーシャ嬢…!?」
突然、ここにはいない筈の名をディルダートが口にした。
「嘘…だろ…い、いや、これは幻覚か」
「落ち着け」
ディルダートの肩を、アレクサンダーがきつく握る。装備の上からではあるが、その掴まれた肩に鋭い痛みが走る。おそらく痣になるほど強く力を掛けているのだろう。が、そのおかげでディルダートは我に返った。
「お前らも前に出るな!その場で待機!」
背後に続いていた騎士達に、アレクサンダーの厳しい声が飛ぶ。その声で彼らも辛うじて足を止めたが、その顔色は悪い。トニは、見るからに構えた剣が震えていた。
「アラクネかよ…あんなにでかいのは初めて見た」
「…どう見てもリーシャ嬢に見えるんだか…想像以上にキツいな」
「それもそうだが、むしろ足元の方がマズいだろ」
「あれは二角獣か…!クロヴァスでもあんなに巨大なの、まず見ないぞ」
「それは…かなりヤバいな」
アラクネとは蜘蛛型魔獣で、雌は上半身が人間の女性型をしている。産卵期には幻覚と魅了の魔法を用いて獲物の番となる生物、或いは好物の幻を見せておびき寄せては餌にする。人間にとっては、最も愛しいと思う人物の姿を見せて補食する為に凶悪で厄介な魔獣とされていた。そして巣に用いる糸は粘着質で丈夫であり、微毒の性質も持つ。
そのアラクネが、彼らの目の前で巨大な巣を広げていた。上半身は人とほぼ同じくらいだが、蜘蛛部分は人の三倍はあるだろうか。そんな人間とはかけ離れた容貌であっても、魔法のせいか違和感を抱かせない。
それだけでも厄介な相手なのだが、その巣に巨大なバイコーンが掛かっていたのだ。
バイコーンは黒とも紫ともつかない色の毛並みに、馬に似ているがその頭上には二本の角が生えている。弱いながらも精神を錯乱させる魔法を使用し、悪意のある者の前に出現しその悪意を増幅するとも言われる。バイコーンの周囲には殺戮と混沌が満ちると言い伝えもある。それだけでなく、バイコーン自体も好戦的な性質を持ち、その強靭な脚や鋭い角で襲いかかって来るのだ。馬系なので牙こそはないものの、それでも顎の力だけで人の骨なら一噛みで軽く砕く。
アラクネもバイコーンも、単体でも極めて危険とされる魔獣だ。しかも、アラクネは産卵期で最も気が立っている状態であり、バイコーンはその糸に絡めとられて完全に凶暴化している。
「で、どうするよ」
「どっちも単体なら仕留められなくもないが…さすがに2体同時は俺でもきついな」
ディルダートが思わず口元を押さえる。勿論幻覚魔法だと頭では分かっているが、同時に使われる魅了の魔法の影響によって本物だと思い込まされているので、脳と精神の乖離が酷い吐き気をもよおさせる。
今のところ、2体の魔獣とは風下で離れた位置にいるので気付かれていないようである。アラクネはバイコーンを補食しようと糸を吐き続けているが、バイコーンの方はその巨体で暴れ回り次々と糸を引きちぎっている。
ただでさえ凶悪な様相なのに、アラクネはこの場にいる全員がそれぞれの愛しいと思う相手の姿になっているのだ。
愛しい者がバイコーンによって攻撃されている姿を見せられて、鈍くなった判断力から憎悪が産まれる。そしてその憎悪をバイコーンの魔力が増幅する。その最悪な組み合わせに、魔獣の性質が分かっていても感情を押さえ込むことが辛くなりつつあった。
「じゃあ俺がアラクネな。ディルはバイコーン任せた。ただし、派手な火魔法は使うなよ。あの糸は良く燃える。巻き込まれるのだけはごめんだ」
「あ、ああ…しかしアレクお前は」
ギリッと音を立てて、ディルダートの肩の装備を掴んだアレクサンダーの爪が食い込む。爪どころか、ミシミシと音を立てて装備にヒビが入って今にも指が食い込みそうだった。
「俺の肩を砕く気か!?」
「あいつ…ブチ殺す…」
聞いたこともないアレクサンダーの低い声に慌ててディルダートが隣を見ると、アレクサンダーの普段優し気に見える少し垂れた目が完全に瞳孔が開いた状態になっていた。顔も凶悪としか言いようのない表情になっていて、フーフーと息も上がっている。彼の柔らかな茶色の髪も、静電気でも帯びたかのように逆立っていた。正直、旧友のディルダートでさえも見たことのない形相になっていた。
「お前、ヤバい顔になってるぞ!」
「あの蜘蛛野郎…俺のヴィーラをあんなに不細工に再現しやがって…クソムカつく…絶対コロス…」
「アレク!?」
アレクサンダーはブツブツと呟いていたが、掴んでいたディルダートの肩から手を離すと、一瞬で抜刀して全力でアラクネに向かって行った。身体強化魔法を最大に掛けているのか、動体視力は抜群な筈のディルダートですら一瞬見失った。
慌ててアラクネに視線を戻すと、アレクサンダーの大きな体が軽々と飛んで、躊躇なくアラクネの首を一閃した。
ディルダートの目には、白い髪に濃紺の瞳を持った美しい女性の顔が驚いて目を見開いたかのように映った。が、次の瞬間にはその首が体から離れて宙を舞っていた。まるで世界から音が消えたようになり、全ての動きが緩慢になった。その永遠とも思えるような一瞬ではあったが、彼女の目が確かにディルダートの方を見て、怯えて縋るような色を帯びた。そしてその小さな唇が微かに動いていた。見てはいけない、と本能が警鐘を鳴らしていたが、その動きから紡ごうとしている言葉を読み取ろうと目が追ってしまう。その唇の動きがはっきりと「助けて」と動いたことが分かった瞬間、彼女の口からゴボリと血が吐き出された。
「うわああぁぁぁっ!」
ディルダートの理性がひび割れそうになった寸前、背後から自分のとは違う叫び後を聞いて我に返った。
「クロヴァス閣下!」
一瞬背後に目をやると、剣を握ったままのトニがサミュエルに押さえ込まれている。先程の叫び声はトニが上げたものだった。
しかし、それに目を向けていたのはその一瞬だけで、次の瞬間にはディルダートは自分にも身体強化魔法を掛けて、蜘蛛の糸から抜け出そうとしているバイコーンに一直線に走り出した。身体に糸を食い込ませて血を滲ませながらも、力任せに引き千切ろうとしているバイコーンに今一番近くにいるのはアレクサンダーだ。彼は首を落とされてもまだもがいて暴れるアラクネに容赦ない斬撃を叩き込んでいるが、バイコーンからの攻撃には備えていない。
バイコーンが最後の糸を千切ろうとした瞬間、拳に最大の強化魔法を乗せたディルダートの岩をも砕く一撃が振り下ろされた。
僅かにタイミングがずれ、バイコーンの頭と角の境目辺りに当たる。ミシリと音がして、一瞬後にバイコーンの角の一本が折れる。砕けた際の小さな破片が指の付け根に刺さった気配がしたが、構わず2度、3度と拳を叩き付ける。その打撃の一つ一つがとてつもなく重いのか、叩き付ける度に響く低い音が人間が発生させていいものではなかった。
力を込めて踏みしめた足元に、人のものにしては色味の違う赤い色の血溜まりが広がっている。その視界の端に、白くて長い髪がチラリと入ったが、そこから目を逸らしてバイコーンに渾身の一撃を叩き込む。
首の根元に叩き込まれた拳は、その下にある骨を砕いた。それと同時に表面は焼かないように拳から距離を離して小さくても火力の高い魔法を体内に流し込んだ。
その凶悪な一撃は、あちこちを殴られてズタズタになっていたバイコーンの内部を駆け抜け、焼き付くした。血液すら沸騰して蒸発したのか、バイコーンは口から黒い煙を吐き出すとズシリと地響きを立てながら崩れ落ちた。
さすがに短期決戦で通常以上の出力で戦ったせいか、体力のあるディルダートも肩で息をしていた。
ドサリと背後で音がしたので反射的に振り返ると、完全に原型がなくなっているアラクネに最後の止めとばかりにアレクサンダーが蜘蛛の本体に剣を突き立てていた。彼も肩で息をしていたが、返り血を浴びて凶悪な笑顔を浮かべている様はどう見ても悪人の顔だった。
「こ…怖ぇ…」
ディルダートの耳に小さな呟きが入って来た。その声ははるか後方で待機していた、というより動けずにいたトニの声だった。
ディルダートがまだ毛を逆立てて興奮状態のアレクサンダーをチラリと見て、無理もないな…と思って振り返ると、トニは何故か自分を真っ直ぐに見ていた。
納得行かない、とディルダートは思ったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
大型魔獣2体を仕留めた後、周囲を確認したところ、大量のアラクネの卵が発見された。また孵化はしていないが、中で蠢いているのは分かった。この卵が先程からディルダートの索敵の妨害をしていた正体らしい。
あまりにも広範囲で大量に見つかったため、ディルダートの火魔法で燃やそうかとも思ったのだが、先程の魔力の大量消費で制御が難しい。うっかり山火事を起こしかねない。
これは4人だけでは処分し切れないと判断された。その為、アレクサンダーとトニが第四騎士団を呼んでそちらで処分してもらうよう知らせることになった。森を出て一番近い街に行けば、役場に遠話の魔道具がある。そこから近くにいる騎士に討伐要請をすれば半日も待てば到着するだろう。
母体が死んだことにより危機を察知した卵が未熟状態でも孵る可能性もあるので、騎士団の応援が到着するまで見張りも兼ねてディルダートとサミュエルがその場に残る。アラクネは小さくても弱い幻覚魔法を使うため、またアレクサンダーが狂戦士状態になっても困るし、トニはまだ幻覚魔法を使う魔獣との経験値が少ないということもあっての人選だった。
「自分が後始末をしておきますので、クロヴァス閣下は休憩していてください」
「すまんな」
「いえ。自分は何も出来ませんでしたから」
サミュエルは、自分の馬に積んでいた麻袋を取り出す。これは魔法耐性の強い麻で作られているので、屍骸となった後も魔法効果が続く魔獣を入れる専用袋だ。そして黙々とあちこちに散らばっているアラクネを回収していた。気を遣ったのか、サミュエルはディルダートの目から真っ先に隠すように血溜まりに転がっていた首を入れる。その瞬間は、サミュエルも眉を顰めていた。
「死んでも幻覚魔法が続いているのは初めて見たが…最悪だな」
「そうですね。強い変異種には時々そういった固体もいますから。辺境ではいないのですか?」
「そうだな…ウチでは強すぎる固体に成長する前に間引く方が多いからかな」
「なるほど。それが実践出来るのは理想ですね。第四にももう少し人手があればいいんですが、何せ今は出現してから対応するので手一杯で」
ふう、と息をつきながらサミュエルは持参して来た聖水を周囲に撒く。この聖水は、神官が聖魔法と浄化魔法を込めて出来ている。魔獣の血で他の魔獣を引き寄せる可能性もあるので、念の為周囲を清めておくのだ。
「しかしノマリス副団長がいてくれて良かったです。あの方には幻覚魔法が効きませんし」
「そうなのか?あいつにそんな特定魔法の耐性があったとは聞いたことがないが…」
「耐性と言いますか…さすがの愛妻家、と言うべきでしょうか」
----------------------------------------------------------------------------------
アレクサンダーがまだ副団長に就任する前、漁業が盛んなトーマ湾にセイレーンの群れが出没した。
セイレーンは顔は人間に似ている作りだが、全身鱗に覆われたどちらかと言えば魚に近い魔獣だ。このセイレーンも、アラクネ同様幻覚と魅了を使う。徒党を組んで船を襲うので、この魔獣がいては漁に出ることが出来ない。
それを討伐する任務で第四騎士団が派遣されることになったのだが、第一から第四の騎士団の頂点にいる統括騎士団長から直々の命でアレクサンダーが参加することを決められた。第一騎士団に所属していた彼は、詳しいことは分からないが問題のある要注意人物と噂されていた。何故そのような人物を騎士団のトップが捩じ込んで来たのか分からなかったが、断る理由もなく、仕方なく共に討伐に参加してもらうことになった。
「遠征中は話すこともありましたし、作戦遂行の訓練で組むこともありました。実際に接してみると腕は確かで気配りも上手く、人柄にも問題があるように思えませんでした。ただ、極端に対人戦が不得意だったので、それを大袈裟に言われてそう噂になってしまったのだろうと」
幻覚魔法を使う魔獣の討伐は大変難しい。大体において、幻覚魔法と言うのは「その人間の最愛の人物」を見せるものが多い。それ故に家族構成や、性格なども十分考慮されて編成を組む。新婚の者や子供が産まれたばかりの者などは外されることが大半だ。そして討伐に参加した場合も、精神的な負担が大きいために立て続けには参加させないことになっている。
トーマ湾で目撃されたセイレーンの群れは、10体前後と報告を受けていた。他の魔獣なら中規模だが、セイレーンはその厄介さ故に10体を越えれば大規模討伐として扱われる。討伐参加者は入念な選抜が必要のため、常に幻覚魔法系の魔獣討伐の参加者は不足している。その為、大規模討伐と言っても人数が報告数に対応出来るギリギリしか投入出来なかった。しかしいざ討伐作戦に入ると、少なくとも25体はいる予想を越えた大規模な群れだった。
「その群れのリーダーが上位種だった為、本来は群れていても単独で攻撃するだけのセイレーンがリーダーに操られて、恐ろしい程連携が取れていました。むしろリーダーの手足同然でしたから、人間よりも統制が取れていたかもしれません」
幻覚魔法を軽減させる魔法士も参加していたが、後方にいた筈なのにセイレーンが攻撃を集中させて真っ先にやられた。魔道具もあったが、複数で一斉に魔法を仕掛けられてはほぼ役に立たなかった。
最愛の人物の顔をした魔獣が、自分に牙を剥く悪夢。数体は傷を負わせても数に押し負けてジリジリと戦況は不利に傾いた。連携も崩れて、孤立する者も出て来た。そうなるともはや撤退もままならない。
「その時、自分は副団長の近くにいました。連携を取る筈だった騎士は早い段階で戦線を離脱し、お互いほぼ孤立状態で、正直ここで終わると思いました」
その時、アレクサンダーが「もう駄目だ」とポツリと呟いたのを聞いた。それを耳にしたサミュエルも、そうだな、と妙に納得した気分になった。いくら幻覚だと分かっていても、長時間その魔法を浴び続けるのも複数の知った顔に襲われるのも心を折るのに充分だった。
しかし次の瞬間、アレクサンダーが大きく剣を一閃させた。と、同時に3体のセイレーンの首が飛んだ。そこからはもう情報量が多過ぎて意味が分からなかった。
気が付くとアレクサンダーがセイレーンを次々と屠り続け、そして我に返ると周辺に生きているセイレーンは見当たらなかった。
後に確認したところ、セイレーンの屍骸は28体にも及んだ。そしてそのうちアレクサンダーが討伐したのは24体と言われている。
「もともとセイレーンは魔法と群れを成すのが厄介で、力自体はそこまで強い魔獣じゃないが…さすがにその数はどうかしてるな」
「はい。討伐に参加していた仲間は、セイレーンよりその時のノマリス副団長の方がよほど恐ろしかったと語り継いでいます…あ、このことは内密に」
「……まあ、分からんでもない」
先程のアラクネを相手にしていたような形相でセイレーンを屠りまくっていたのなら仕方ない、とディルダートは思った。
後日聞いた話によると、あまりにも対人戦が苦手すぎるので、そこを別の能力で補おうと先輩騎士に頻繁に魔獣討伐に連れて行かれたのだが、その時に幻覚魔法を使用する魔獣の討伐成功率がやたらと高かったらしい。そのことに統括騎士団長が目を付けて、セイレーンの大討伐に捩じ込んだのだそうだ。結果的に、アレクサンダーのおかげで被害が大変少なく済んだ。だが、その戦闘する姿を見て色々とトラウマを植え付けられた騎士も多かったと言われている。
「その討伐の帰り、聞いたんです。『どうして幻覚魔法が効かないのですか?』と。そうしたら、『あいつら魔法が下手過ぎて腹が立った』と言われました…」
アレクサンダー曰く、確かに幻覚魔法でセイレーンは当時はまだ婚約者だった彼女っぽい姿にはなっていたそうなのだが、あまりにも本人と違いすぎて腹が立って我慢出来なかった、のだと。
「その…アレクが『もう駄目だ』と言ったのは…」
「腹が立ちすぎて堪忍袋の緒が切れたそうです」
その後も、幻覚魔法を使うタイプの魔獣が出没する度にアレクサンダーは討伐に参加させられた。何度か参加すると、取り敢えず彼に先陣を切らせて後の人員は討ち洩らしやフォローに回るという作戦が基本スタイルとなった。その活躍が認められて、程なくしてアレクサンダーは第一騎士団の副団長に抜擢されたのだった。
因みに最初は第四騎士団の副団長に推挙されたのだが、セイレーンと対峙した時と同じ顔で「遠征が多いと妻といる時間が減るのでお断りします」と言い切ったので、特定の魔獣討伐のみ協力するという譲歩案で現在の地位に落ち着いたという。
この時のやり取りは、その場に居合わせた騎士団上層部の恐怖伝説となっているらしい。
「その…幻覚魔法ってそんなに見分けが付くものだったか?」
「さあ…自分は何度喰らっても本物としか思えないのですが」
「俺もさっき、その…知り合いのご令嬢としか思えなかった」
「ですよね」
最初はそれでも控え目だったアレクサンダーの溺愛っぷりも、婚姻後は加速度的に暴走するようになり、騎士団では恐れをこめて、貴族令嬢の間では憧れとして、アレクサンダーのことを「愛妻家」と評価しているそうだ。
「自分も、昨年妻を迎えたのですが、近所で『愛妻家』という評価を貰う度に全力で否定してしまいます」
「やはりそこまで行かないと『愛妻家』は名乗れんのか…恐ろしいな、愛妻家」
ディルダートとサミュエルは、しみじみと互いに溜息を吐き合ったのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
数時間後、タイミングよく連絡がついたらしくアレクサンダー達が第四騎士団の数名を引き連れて戻って来た。
彼らと交代して、ディルダートは大公家別邸に仕留めたバイコーンを持ち帰る為にその場を離れることになった。
アラクネはアレクサンダーが仕留めたということを説明されると、全員「あー…」と何ともいえないような表情になっていた。そして、どう見ても撲殺されたとしか思えない超大型なバイコーンを見て、ディルダートにも「あー…」という顔を向けられた。
やはり納得行かない、とディルダートは思ったのだった。