4 可愛い、とは
戦闘あります。ご注意ください。
「…今日は本当ならヴィーラと過ごす予定だったのに」
「…悪いと思ってる」
昼も薄暗い森の中を、数名の男達が進んでいる。
その中で先頭を行くのは、この国に2頭しかいないと言われている白い八本脚馬に跨がったディルダートだ。
スレイプニルは元は魔獣だが、賢く人に懐きやすい。上手く手懐けることが出来れば普通の馬よりもはるかに脚も速く力も強い為、騎馬としては最高と言われる種族だ。その中でも変異種、あるいは上位種と呼ばれる特に秀でた能力の固体がおり、この白いスレイプニルは脚の速さは王都一と言われている。
この白の固体、アスクレティ大公家所有のものなのだが、気前のいいことにディルダートに貸し出してくれたのだ。
並の騎士よりもはるかに重いディルダートを乗せても、疲れた様子もなく一日中走り回っても平然としているのはさすが上位種という風情だ。
そのディルダートに付き添っているのは、アレクサンダーであった。
アレクサンダーは色々あって夫婦で帰宅した翌日、アスクレティ大公から直々に書状が届き、高齢の執事が腰を抜かすという騒動になった。
その書状には、ディルダートの「百日詣で」による魔獣狩りが不正なく一人の力で行われているかを確認する立会人の要請が記されていた。国王と並ぶ力を持つ大公家からの要請とは、血縁でもなんでもない弱小子爵家からすればただの命令である。
さすがに騎士団の勤務に問題があるだろうと王城の騎士団詰所に顔を出してみれば、既に団長には話が通っていて、出勤して秒でディルダートの元へ送り出されたのだった。
そして今日は本来ならば休日の予定で、妻と一日外出でもしようかという話になっていたはずだった。が、朝から行きたくないと駄々をこねるアレクサンダーをヴィーラはいい笑顔で送り出した。そこに少しでも「ちょっと残念だけど、お仕事だから」みたいな翳りがあれば…アレクサンダーの願望ではあるが、マシだったのだが、あれは完全に満面の笑顔だった。
何せこの任務は特別手当が出ることになっている。大公家からたっぷりと予算を振る舞われたらしい。
「お前、スレイプニルに乗ってみたいと言ってたじゃないか。な?」
「それはそうなんだがな…」
アレクサンダーが騎乗しているのは、ディルダートが辺境から連れて来たスレイプニルである。こちらは一般的に多い黒い毛並みだが、やはり普通の馬に比べて馬力も乗り心地も歴然の差があった。
スレイプニルは、一部の高位貴族やランクの高い冒険者などが所有しているが、騎士団所属でもなかなか騎乗することは出来ない。憧れのスレイプニル騎乗の機会にアレクサンダーの心は踊ったが、それでも休日返上で愛妻の顔ではなくディルダートの顔を眺めなければならないのは納得が行かず複雑な心境だった。
「しっ!アーマーラビットだ」
索敵魔法の射程が誰よりも長いディルダートが、スッと片手を上げて後に続く者達に警戒を促す。
「よくこの距離で種族も分かるな。……ちょっと数が多いな。15?」
「18」
「で?どうする?群れに気付かれないように1体だけ仕留めれば、数日分は稼げるぞ」
「いや、殲滅する」
「だよな」
冗談混じりで呟いたアレクサンダーに、ディルダートがニコリともせずに群れのいる方向に顔を向けたまま答えた。
アレクサンダーも彼の示した方向に集中するが、ディルダートのように正確な種族と数の把握には学生時代から敵わない。そもそもアレクサンダーは身体強化魔法で視力と感覚力を底上げするタイプなので、索敵に特化した魔法とは根本的に精度が違うのだ。とはいえ、身体強化魔法もここまでの距離と精度を制御出来るのは珍しい。ディルダートが規格外なのであって、アレクサンダーもかなり優秀な部類なのだ。
ここは近隣の街から比較的近い森の浅い場所である。魔獣が発見されたら殲滅させるのが基本だ。
「ノマリス副団長。我々はどちらで進路を塞げばよろしいでしょうか」
ディルダートとアレクサンダーが小声で確認し合っていると、背後に付いていた3名の騎士のうち最も年嵩と見られる一人が確認して来る。見たところ明らかにアレクサンダーより年上のようだが、態度は大分下手だった。
彼らは、第四騎士団に所属している騎士で、こちらもアスクレティ大公から依頼を受けて派遣されて来ていた。もっとも、毎日付き添わされるアレクサンダーと違って、彼らは騎士団の任務に影響が出ないようにローテーションを組んでいるそうだ。
第四騎士団は、主に魔獣退治の為に編成されている。王都だけでなく要請があればかなり遠くの地方まで遠征する為、体力に自信のあるものや若手が多い。そして死と隣り合わせというリスクも高いがその分給料はいい。腕さえあれば手っ取り早く稼ぐことの出来る職場でもあるので、爵位を継がない下位貴族の次男、三男や、平民出身の者が第四騎士団には多かった。
対極に、アレクサンダーが所属している第一騎士団は主に王城の警備を担当する。貴族と直接やりとりも発生する故に基本的に貴族以外の者は所属出来ない。
王族を守る近衛騎士団が騎士団の中で一番高い地位にあるが、他の騎士団に基本的に上下はない。だが、暗黙の了解的に第一から順番に地位が高い扱いになっている。所属する団員の身分の割合もあるのだろう。
それ故に、第四の彼らは、第一の副団長であるアレクサンダーに指示を仰ぐ体裁を取っているのだ。
「この中で雷魔法が使える者は?」
「自分が。とは言っても弱い下位魔法程度ですが」
「充分だ」
年嵩の騎士の後方にいた若い騎士の一人が手を上げる。
アレクサンダーや同行する騎士達の役割は、まずディルダートが魔獣を仕留めるのを確認してから、そこからもし逃げ果せた魔獣がいれば殲滅させる手伝いをするのが基本的な流れである。
「ディルが移動してから俺達は四時の方向へ」
大体いつものパターンで行けば、ディルダートがほぼ一撃で魔獣を仕留めるのでアレクサンダー達の出番はない。しかし今回は数が多く、さすがのディルダートでも一気に殲滅させるのは難しい。それに彼得意の火魔法は、あまり広範囲で使用すると山火事の元だ。おそらく自分の剣に炎を纏わせて切り込む形になるだろう。
アーマーラビットはその名の通り、毛が固い鎧のようになったウサギ型魔獣だ。牙や爪はないが大きさの割に動きが早く、その固い体を生かして体当たりして来る。好戦的な性質で人を見ると大体襲って来るので、人里の近くに出没した場合は殲滅対象になる。大きいものは大人二人でやっと抱えられるくらいあり、体当たりされると骨なら余裕で折れる。かといって、小さいものは小さいもので頭に直撃すれば命の危険もある。そして固い分、剣の刃が通らなくて難儀な魔獣でもあるのだ。
もっとも幾ら固くても元は毛であって、火や水に弱い。火魔法を得意とするディルダートに見つかったことは、相手にすれば災難としか言いようがないだろう。
火を仕掛けられたアーマーラビットは、近くの水場へ逃げる筈だ。アレクサンダーは水に入ったタイミングで雷魔法で感電させて動きを封じ、そこを殲滅する策を彼らに伝える。
----------------------------------------------------------------------------------
攻撃の射程距離に入ったのだろう。ディルダートがスゥ…と目を細めて腰の剣を音も無く抜いた。彼の広範囲の射程距離は、魔獣の気配探知の外にある。だからこそディルダートの初撃を避けられる魔獣は殆ど存在しない。
構えた剣の周辺から、ユラリと陽炎のような透明な揺らぎが発生する。高熱耐性を付けた剣なので大丈夫だが、通常の剣ではとっくに溶けていたであろう圧倒的な高熱をはらむ。
後ろで様子を見ていた騎士の一人が、ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。
全く溜める様子もなく、ディルダートと白のスレイプニルは流れるように走り出した。滑らかにその大きな体躯を操り、木々の間を抜けて行くというよりも、木が彼らを避けているかのように見えた。
勝敗は一瞬だった。
魔獣の気配探知範囲に入ったと思うと、ディルダートは片手で素早く手綱を繰る。それに合わせてアーマーラビットが逃げる方向に回り込むようにスレイプニルが先回りをする。その白い体が揺れる度に、高熱過ぎてもはや透明に近い炎を纏わせた剣が周囲の空気を歪ませながらクルリ、クルリと閃く。その剣の刃に触れているようには見えないのに、剣が一閃する度に魔獣の体が黒く縮み上がり地面に転がる。一瞬にして周囲の空気まで燃やし尽くしているので、炎は上がらず燻ったように見えるが、実際はとてつもない高温で瞬時に燃やし尽くしているのだ。
「雷魔法を!」
「はっ!」
ディルダートが走り始めるとほぼ同時に、アレクサンダーは他の騎士を引き連れて水場に移動した。やはり数が多かった為に、ディルダートの剣から逃れた5頭が読み通りに走って来る。そして魔獣達が水場に足が触れる瞬間に雷魔法を発動させた。
水を含んだ毛の鎧は、電流を皮膚まで届けたようだ。死ぬことはなかったが一瞬魔獣の動きが止まる。
「左の2頭は引き受けた!」
鎧のような毛でも、関節を動かす為に僅かに隙間がある。アレクサンダーは、真っ先に動きを止めていたアーマーラビットの毛の首の隙間に向かって剣を叩き込んだ。そして返す刀でもう一閃する。あっという間にアレクサンダーの近くにいた2頭の首が落ちる。
それに続いた騎士達がそれぞれ一体ずつ仕留めた。うち二人は僅かに隙間からズレたのか首は落とせなかったが、十分致命傷は与えたようだった。あっという間に動いている魔獣の姿は無くなった。
(ああ〜あっぶね。ちょっと手応えおかしかったから刃こぼれしたかと思った)
振り抜いて血を払いながら、アレクサンダーはさり気なく自分の剣を確認した。騎士団からの支給品なので、刃こぼれを起こしても補修代は国から出る。よほどのことがない限り自分の懐は痛まないが、手入れの為に馴染んだ剣を当分手放さなければならないのはそれなりに痛手なのだ。
それに、他の団員の目の前で迂闊なミスはしたくないというささやかなプライドもあった。
「ノマリス副団長。お見事ですね」
「まあ、幸運も味方したな。貴殿もその剣で首を落とすとは素晴らしい」
話しかけて来たのは、先程指示を仰ぎに来た年嵩の騎士だった。若手が多い第四の中ではベテランになるのだろう。彼もアレクサンダーと同じように首を落としている。彼の剣は細身で、良く手入れはされているが少しでも力加減がズレると簡単に折れてしまいそうだった。それを折ることなく使いこなしているのは相当腕が立つという証拠だ。
「いや、僅かに刃こぼれしました。やはり武器への拘り過ぎは考え直すべきですね」
「魔法を乗せて使用してみてはどうだろうか?」
「クロヴァス閣下のように、ですか?」
「あれはまず人間を止めないと無理だろう」
苦笑しながら言ったアレクサンダーの言葉に、彼も軽く笑った。彼の手に握られている細身の剣は、騎士団で支給される汎用品とは違っていた。おそらく個人で拘って使用しているのだろう。
「私は攻撃魔法や属性魔法は使えないのです」
「身体強化は」
「それは出来ます。ですが騎士になる者はほぼ必須では?」
「じゃあその剣も自分の体の一部と認識させて身体強化をかければいいのではないかな」
「は…」
彼はポカンとした顔になった。身体強化魔法は、生活魔法に次いで使用者の多い基礎魔法の一種だ。騎士を目指す者は大抵使えるし、地味だが鍛えればかなり便利だ。しかし、その名の通り自分自身の体を強化するものであって、自分意外の者、ましてや武器に使えるなど聞いたことがなかったのだろう。
「自分の手がちょっと伸びたとか、そんな感じでな。かなり手に馴染ませたものじゃないと上手く行かないが、貴殿の剣なら強化できるのではないかな」
「そんなことが出来るとは…」
「俺はどうにか取得出来た。あいつが息を吸うみたいに軽々出来てたのが悔しくて、俺の方はかなり頑張って真似た」
「はあ…さすがと言うべきでしょうか」
アレクサンダーが「あいつ」と言って指した先には、黒焦げになった魔獣の中で、一番顔が可愛い(主観)固体を持ち帰るべく吟味しているディルダートがいる。
「ディルは剣を習い始めてすぐ出来たって言ってたな。何の苦労もなく身に付けたもんだから、やり方を聞いても『手がギュン!って感じになる!』とかで。でもまあ俺も若かったから、つい対抗心燃やして、伸びろ!って頑張ったら出来た」
「……ノマリス副団長も大差ありませんよ」
「うわ、マジか。……ま、まあ取り敢えず、自分自身にこの剣も手の延長!って思い込ませたらちょっとずつ出来るようになったから。貴殿のその使い込まれた剣なら割とすぐにいけそうな気がするな」
「ふふ…それは面白そうですね。挑戦してみますよ」
彼は嬉しそうに自分の剣を大切に鞘に納めると、愛し気な仕草で剣を撫でた。その手つきは、子供の頭を撫でる父親のような雰囲気があった。
「なーアレクー!これとこれ、どっちが可愛いと思うか?」
「……すまん。俺にはどっちも差が分からん」
「いやいやいや、よく見てくれよ!」
真っ黒に焦げた塊で、しかもどう見ても顔は断末魔のままだ。そこに可愛さを見出すのも、どっちが、と比べるのもアレクサンダーには出来そうになかった。
----------------------------------------------------------------------------------
アトリーシャは、ソワソワと窓の外を眺める為に立ったり座ったりを繰り返していた。
「お嬢様、落ち着いてくださいませ。お帰りになられればきちんと知らせが来ますから」
その様子に、侍女のマリアはクスクスと笑いながら紅茶を淹れ直す。良い茶葉も用意しているのだろうが、マリアの淹れ方が違うのか驚く程香り高い。そのおかげで、アトリーシャは毎日のように新鮮な驚きを楽しんでいた。
アトリーシャがアスクレティ大公家の別邸に一時的に滞在するようになってから20日あまり。大公家の大叔母に行儀見習いに来ている…という態になってはいたが、実際この別邸に主人である女性は暮らしていなかった。間違いなく血縁上は大叔母ではあるのだが、実は現当主のムクロジより年下で、名を隠して冒険者としてあちこち飛び回っているのだとか。
別邸では、久しぶりにお世話出来るご令嬢が来たということで、使用人達は張り切ってアトリーシャに仕えていた。
「今日はどんな魔獣を持って来てくださるのでしょうね」
「昨日は…図鑑で調べたけれど、結局どちらなのか分からなかったものね」
「もう少し分かりやすい形で仕留めて来てくださればよろしいのですけれど」
「まあマリアったら。ディルダート様がご無事に戻って来てくだされば充分だわ」
この「百日詣で」を開始した当初は、貴族の令嬢に魔獣の屍骸を直接見せるのは刺激が強すぎるだろうということで、敷地内の物置で解体して魔石を取り出して持って行くことをしていた。だが、元来好奇心旺盛な質のアトリーシャが生で魔獣を見てみたいと望んだ為、別邸の玄関先まで直接ディルダートが運ぶようになったのだ。
先日持ち込んだのは芋虫型の魔獣で、ディルダートが肩で担ぎ上げても足元に付く程の大きさだった。ただ、表面が半分以上焦げていて、その魔獣の正確な種族が不明だった。使用人の中には悲鳴を上げて建物に逃げ込んでしまった者もいたが、アトリーシャは魔獣図鑑片手に瞳を輝かせてまじまじと観察していた。
しかし、候補は絞れたものの、やはり表面の模様が見えなかったので正確な種族は分からなかったのだった。
「お嬢様、お帰りになられたようです」
「まあ!お出迎えしなくちゃ」
ディルダートの帰還の報せに、アトリーシャがパアッと顔を輝かせて立ち上がった。そして貴族の令嬢としてギリギリ可能な限りの急ぎ足で玄関まで向かう。マリアは、半分苦笑、半分眩しいものを見るような表情でその後ろ姿を見送った。
----------------------------------------------------------------------------------
「ディルダート様、お帰りなさいませ!無事のご帰還をお待ちしておりました」
ディルダートが真っ黒な塊を小脇に抱えて玄関の前に到着すると、中からアトリーシャが笑顔で出迎えた。もう夜も更けて、とっくに夕食も終えて夜着に着替えていてもおかしくない時間帯なのだが、彼女はシンプルながらも人前に出るのにおかしくないドレスを纏っていた。緩く束ねた白い髪と、淡い色のドレスと羽織った上着が、室内の明かりを受けて彼女自身が光を放っているかのようにフワリと浮かび上がる。
「女神…」
思わず呟いてしまったディルダートの声は近寄って来るアトリーシャに聞こえないくらい小声であったが、すぐ後ろにいたアレクサンダーには丸聞こえだった。
「あ、アトリーシャ嬢。いつも過分なお出迎えをありがとうございます。本日はアーマーラビットを持参致しました」
「まあ、随分と黒い毛並みなのですね」
「いえ…これはつい、焼きすぎまして…」
「あら、本当ですわね」
「お恥ずかしい…」
どこに恥ずかしさを感じる要素があるのか、後ろで聞いていたアレクサンダーには全く理解出来なかったが、以前よりもはるかにアトリーシャとの会話は成立していることは僥倖だと思った。この「百日詣で」を開始した直後はアレクサンダーが通訳をする必要があったが、今ではすっかり出番は無くなり後ろで控えているだけで良くなっていた。
アトリーシャは、見た目はその二つ名の通り白百合の如く儚くも凛とした美しい令嬢だが、知れば知る程中身は好奇心旺盛で、未知のものに関しては驚く程グイグイ来るタイプだった。普通の深窓の令嬢なら社交辞令でも魔獣が見たいなどとは言い出さないだろう。それに実際目にしても怯えるどころか平然と接近して来る怖いもの知らず。むしろ体を張って彼女を止めようとするお役目熱心な使用人達の方が涙目になっていた。
公務の為に登城していた頃の淑やかな立ち居振る舞いで完璧な淑女と名高かった彼女との差にアレクサンダーは驚きもしたが、素の彼女は更に好ましく映った。
「鎧に煤が付いていますわ。今浄化致しますね」
「これは、お気遣い感謝します」
アトリーシャの家系は水魔法を得意としていた。彼女もそれを受け継ぎ、神官の使う治癒魔法や聖魔法ほどではないが、治癒や浄化などが使えた。魔獣の血や泥で汚れてしまったまま帰還するディルダート達に嫌な顔一つせずに惜しげもなく魔法を使って浄化をしてくれるので、皆には大変ありがたいことだった。
「それではまた明日もよろしくお願いします」
「ディルダート様、ノマリス副団長様、騎士の皆様も、お気を付けてお帰りくださいませ」
----------------------------------------------------------------------------------
同行の騎士達は先に帰宅し、アレクサンダーはディルダートと共に騎乗していたスレイプニルを厩舎に戻しに行く。
「連日すまん」
「今更だ。それにこれは騎士団に正式に通された任務だからな。特別手当の割もいいからヴィーラは上機嫌だ。まあ、毎日お前の顔を見て過ごさないとならんのはアレだがな」
「ちょっと学園にいた頃みたいだな」
「まあそうなんだが」
同学年の騎士科で寮でも同室だったので、それこそ当時は毎日顔を合わせていた。それが切っ掛けで互いに切磋琢磨しながら、今も続く友情が築かれたのだ。
厩舎にスレイプニルを連れて行くと、慣れた様子で厩番が引き継ぐ。それと交替で、ここに来るまでに乗って来ているアレクサンダーの愛馬を連れて来てくれた。栗毛色の愛馬はいつもより良い餌を貰っているのか、ここ最近毛艶がいい。ついスレイプニルを見慣れて来ると普通の馬が小さく見えるが、アレクサンダーを乗せるだけあって彼の愛馬も大きめのがっちりした体躯をしている。
「いい馬だな。俺でも乗れそうな立派な体つきだ」
「乗せんぞ」
飼い主に首筋を撫でられてうっとりと目を細めている馬を見て、ディルダートが感心したように呟く。
「分かってるよ。それに飛竜に乗るようになってから普通の馬は乗せてくれなくてな」
「ワイバーン!?竜種を手懐けたのか!凄いじゃないか」
スレイプニルのように魔獣を騎獣にしたり、狼種の魔獣を狩猟犬や番犬代わりに飼い馴らすことはよくあることだ。しかし竜種は殆ど人に気を許さず、卵から孵して世話をしても騎獣に育てることはとても難しい。国土の大半が砂漠という西の果ての国では砂竜で編成した竜騎士団があると言われているが、それ以外の国で騎士団が編成可能な程の竜種を手懐けているところは存在しない。ごく稀にテイマーが所有していることもあるが、あくまでもテイマー個人に限られている。
それ故に、ディルダートのところでワイバーンを手懐けたというのは国に取って画期的な朗報だ。
「まだ1匹だけだし、乗れるヤツも3人しかいないんだ。それにどれだけ洗っても匂いが付くみたいで、スレイプニルくらいしか乗せてもらえなくなるからなあ」
「それでも凄いことだろ!」
「でもなあ…」
「問題でもあるのか?」
「時々集落を襲う」
「…それは、駄目、だな」
サラリと重大な問題を告げられて、一瞬期待したアレクサンダーはガクリと肩を落とした。
「ああ…当竜は遊びに行ってじゃれついてるつもりなんだが、何せ力が強い。畑とかに結構な被害が出てしまうんだ」
「領民は大丈夫なのかよ」
「領民には毎回しばき倒されて泣きながら帰って来るよ。全く、まだ子供とは言えなかなか学習しないのが困りものだ」
「お、おう…そういやお前んとこ、領内の婦人会でも気軽にワイルドボアとか仕留めてたもんな…」
学園卒業後に、アレクサンダーは騎士団の研修で半年程クロヴァス領に滞在したことがあった。その際に、王都から領主のご友人が来たぞ!と張り切って各集落の婦人会が競い合って大物魔獣を調理して差し入れしに来た時は、自分の常識が通じない世界があるということをつくづく実感したのだった。
「まあ、いつになるかは分からないが、領に遊びに行った時にはワイバーンを見せてくれ」
「それまでには乗れるように言い聞かせておくよ」
「いや、それは遠慮しておく。こいつに乗れなくなるのは寂しいからな」
「それもそうか」
愛馬の背にフワリと跨がると、アレクサンダーは「また明日に」と軽く挨拶を交わして愛妻の待つ自宅へと戻って行った。