10 首謀者探し
「ディル様!?」
大公家別邸に到着して馬車から降りた時、アトリーシャがその姿を目敏く見つけて半ば悲鳴のような声を上げた。
「リーシャ嬢、驚かせて申し訳ない。少々油断しましたが、軽傷ですから…」
「ですが…」
「お嬢様はクロヴァス閣下の手当をお願いします」
「は、はい!」
アトリーシャに付いていた護衛達に促されて、ディルダートと共に別邸に中に案内された。他の軽傷者達は庭で手当を受けているが、ディルダートは急遽応援要請された辺境伯当主ということもあって、身分的にも気を遣われたのだろう。
包帯を外されて、その傷を見たアトリーシャが息を呑む。ディルダートの顔の半分程が火傷を負っていて、その痕は耳の上部と側頭部まで続いている。頬の辺りが一番酷く、外した包帯にも血が滲んでいた。
「リーシャ嬢にこのような傷をお見せして申し訳ない。もしご気分が悪いようでしたら別の者に…」
「いいえ、やらせてください。先程も庭で皆様の傷の手当を手伝っておりましたから」
「感謝します」
ジクジクとした痛みが続いていた傷の部分に、アトリーシャがそっと手を寄せる。触れるか触れないかのところで広げた彼女の掌から治癒の水魔法が薄く注がれる。ヒヤリとしているのに柔らかく優しい魔力が、少しずつ痛みを減らして行くのが分かった。
「…ありがとうございます。痛みが引きました」
「わたくしの魔法ではこの程度までが限度です。後で治癒専門の方に傷跡を治していただいてください」
ディルダートの顔の火傷は、全体的に赤みが薄くなって一番酷かった部分の出血は止まっていた。それでもまだ痛々しい痕に、アトリーシャは自分の魔法の弱さに不甲斐無くなって泣きそうになったが、実際に怪我を負った人間の前でそれだけはしてはならないとどうにか踏み止まる。
「これだけ痛みを軽減していただいたのです。何とありがたいことか。リーシャ嬢の治癒魔法はもっと誇っても良いことです」
「そんな…わたくしはあまりお役に立ててはいないのです…」
「完全に傷を治せる魔法士もすごい力ですが、それには大量の魔力が必要です。それに治癒専門の魔法士の数も多くはない。その治療を待つ間、怪我人はずっと痛みに耐え続けなければなりません。貴女のように痛みを軽減してくれる治癒魔法は、怪我の多い者にとっては救いです」
「……ありがとう、ございます」
これまで何度も国境の森で傷を負い、生きて帰還できなかった者達をディルダートは幾人も見送った。中には、怪我自体はそこまで深刻ではなかったが、痛みで休むことも食べることも出来ずに衰弱して亡くなった者も珍しくはないのだ。辺境は豊かであっても厳しい土地だ。医師や治癒の魔法士も圧倒的に足りていない。破格の条件で勧誘するのだが、なかなか居着いてもらえないのが現状だった。
ディルダートは、もしアトリーシャにクロヴァス領に来てもらえたら…と思わず考えて、すぐに頭からそれを追い出す。彼女のように王都で暮らし、かつては王子妃になる予定だったような高貴な女性には、辺境領での暮らしはさせられないだろう。
「もし、痛みがぶり返すようでしたらすぐに仰ってくださいね?すぐにまた魔法を掛けますから…」
「はい、その時は遠慮なく」
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しばらく体を休めた方がいいだろうと、ディルダートは客間で休むことになった。
それと入れ替るように、レンザがアレクサンダーを同行してやって来た。
「少々お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です。……ノマリス副団長様?お顔の色が…」
レンザの後ろに立っているアレクサンダーの顔色がひどく青白く見えた。よく見ると、額にうっすら汗もかいている。
「ああ、彼も討伐隊に協力していてね。もし貴女の魔力に余力があれば、彼からも話を聞きたいので治癒を掛けてもらえませんか」
「はい!勿論です!わたくしは痛みの軽減しか出来ませんが、それでもよろしいですか?」
アレクサンダーは最初の討伐隊に混じって参加したのだが、距離感を見誤った魔法士を庇って尾の一撃を脇腹に喰らったらしい。そして結果的に魔獣は幻覚魔法は使用しないと分かったので、ほぼ帰還組第一陣でここまで戻って来たそうだ。
「多分肋骨にヒビ程度の軽傷なので、このまま王城に戻っての治療だと思っていました。痛みの軽減をしていただけるのでしたら非常に助かります」
「それで軽傷なのですか…」
「まあ、騎士としては珍しくはないので」
珍しくはないのかもしれないが、それでも痛いものは痛いのだろう。少し笑ったアレクサンダーの表情は硬いままだった。
「すぐに治癒魔法を掛けますね」
ゆっくりとソファに腰を下ろしたアレクサンダーの隣に座り、そっと負傷している箇所に手を翳す。
「…あの、アトリーシャ嬢。一応言っておきますが、普段はちゃんと討伐や治安維持に出る場合、騎士団には十分な回復薬は支給されてますから。今回が特殊だっただけです」
「……わたくし、顔に出ていましたかしら」
「まあ、多少は。それに、ディルに付き合って100日間毎日お会いしてましたし」
アトリーシャが治癒魔法を掛けたところ、ヒビではなく一本は完全に折れていた。そしてもう一本にヒビが入っている。これを軽傷扱いで、王城まで馬車に揺られて戻るまで放置されていることが理不尽に思えたのだ。それをアレクサンダーに見事に見抜かれて、アトリーシャはどう反応していいか分からずに複雑な表情になった。しかし、今回だけでそこまで騎士団の環境は悪くないことに安堵したのも事実だった。
「このまま治癒を続けている間にお話をしても差し支えありませんか?」
「あ、はい。問題ありません」
大抵の治癒を扱う魔法士は、集中力が必要とされているので、治療中に話しかけられるのを苦手としている。アトリーシャは大きな魔法を使っていないせいか、全く問題はない様子だった。
「今のところ、首謀者のみが魔獣を引き寄せる方法を知っているようだ」
「ということは、その首謀者をどうにかしないと、次もまた厄介ヤツが来る可能性があると…?」
「そうなるね。困ったことに。不幸中の幸いなのは、他の者が方法を知らないから多発的に起こらないことと、魔獣が出現した近くに首謀者がいると分かるくらいかな」
レンザの言葉に、アレクサンダーの表情が引きつる。
「しかし、首謀者は顔すら分かってない。それどころか年齢、性別も。首謀者に会った人間は、誰もハッキリと覚えていないそうだ」
この騒動の関係者を絞り上げて聞き出した情報は、さほど有力なものがなかった。が、逆に言えば、有力な情報をごまかすことの出来る特殊な魔法を使える者だという予測は立っていた。
「幻覚魔法か隠遁魔法を使用しているということですか?」
「おそらくその併用だろうね。そこで、アトリーシャ嬢の証言が引っかかってね」
「え?わたくしですか?」
「先程、ディルダート殿に良く似た騎士を見かけたと仰っていたでしょう?」
「はい。ですが騎士服を着ていらしたので、ただ良く似た方なのだと…」
「それがね、いないのですよ」
レンザが指揮官達に確認したところ、ディルダートに似た体格の者は数名いたが、全員赤い髪ではなかった。逆に赤い髪の者も確認したが、彼程の体格の者は皆無であったのだ。
「隠遁魔法は水属性の魔法。アトリーシャ嬢は水魔法を持つ家系であり本人も魔力量が豊富。おそらく隠遁魔法が効きにくいのでしょう」
「では、わたくしには幻覚魔法しか効果がないということでしょうか」
「そのようですね。百花祭の際、アトリーシャ嬢だけが街中でもディルダート殿に似た者を見たと報告を受けています。おそらく先程見かけたと言う者と同一人物ではないかと」
そのことを奇妙に思ったアレクサンダーが、祭の後に一応騎士団に報告を上げていた。その報告はレンザの下にも届いている。
「ディルダート殿に怪我を負わせた魔法士は、周囲にあれだけの人間がいたにも関わらずハッキリと顔を覚えていない。攻撃されたディルダート殿でさえ」
「…首謀者はこの討伐隊の中にいる、と」
アトリーシャの治癒が終わり、アレクサンダーの顔色は随分良くなっていた。アトリーシャも、その様子に安堵したように息をついた。彼女の魔力はまだまだ残っているようだった。
「おそらく首謀者は更に強い魔獣を呼び寄せるつもりなのでしょう。ディルダート殿を狙ったのは、こちらの戦力を削ぐことが目的なのだと予想している」
「ヒュドラ以上の魔獣が来るということですか…それはかなりマズいですね」
今回は幼体だったとは言え、それなりの被害は出ている。更に上位の魔獣が呼び寄せられるとすると、どれもこれも特大の災害級の魔獣ばかりだ。考えるだけでもゾッとする事態に、アレクサンダーは思わず唇を噛んだ。
「そこで、今こちらに逗留している討伐隊の中から、アトリーシャ嬢のその首謀者を見つけていただきたい」
「わたくし、ですか?」
「隊の中には水魔法の使い手もいますが、貴女程魔力量が多くないか、幻覚魔法で違う姿を見せられても違和感がない相手なのでしょう。貴女だけがここで唯一、首謀者を見つけられるのです」
「レンザ殿、それは危険ではありませんか」
レンザの提案に、アレクサンダーが食い気味に口を挟んだ。もし、彼女が怪しい人間を見分けられると知られたら、真っ先に排除対象になるだろう。そしてディルダートに怪我を負わせた時のように、無害な味方のフリをして近付いて来られたら命の危険さえある。
「それは否定しない。しかし討伐隊の中に紛れていて、まだ自分の正体を見破れるものがいると分かっていない今が好機なのもまた事実」
「わたくし、やります」
「アトリーシャ嬢!?」
「このままにしていてはまた…いいえ、もっと大きな被害が出るかもしれないのでしょう?わたくしがお手伝いできるのでしたら、ぜひやらせてください」
「ありがとうございます。貴女の身の安全は我が家で全力を持って当たらせていただきます」
迷わず言い切ったアトリーシャに、アレクサンダーは不服げな表情を隠さないまま仕方なく口を閉じた。危険なのは間違いないのだが、レンザの言うように姿の分からない首謀者を見つけるには絶好の機会というのも否定できなかった。
「それで、俺の役割は幻覚魔法対策ですか?」
「さすがに察しがいい。貴方には首謀者に魔力封じの魔道具を付けて拘束をお願いしたい」
「畏まりました。後で使い方を教えていただければ」
「本邸から魔道具が届き次第担当者に説明させよう。あとは…拘束時に協力が可能でノマリス殿の信頼できそうな騎士を数名、討伐隊の中から探しておいてもらいたい。負傷の度合いによっては治癒魔法士を優先的に回すよう申し付けますが、あまり目立たぬように」
「魔法士が必要ない程度の軽傷の者を探しますよ。今回討伐隊に多い第四騎士団には顔馴染みも多いですし」
「よろしく頼みますよ」
治癒魔法のおかげですっかり痛みが軽くなったアレクサンダーは、早速とばかりにヒョイと立ち上がった。まだ完治した訳はないのだが、その動きは全く影響がないように見えた。
「ああ、あとアトリーシャ嬢の警護にはディルのヤツを付けてやってください。何を言っても付いて来るでしょうから、押し問答するだけ時間の無駄です」
「助言、ありがとう。そうしますよ」
部屋を出る前に、アレクサンダーは振り返ってそう言った。おそらく話を聞けばディルダートは反対するだろうが、その説得は丸投げすることにした。とは言うものの、おそらくアトリーシャが実行すると言い張れば折れるだろう。
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(まあ、俺、便利だもんなあ…)
部屋を出て、廊下の隅の人目のない場所でこっそりと胴体に巻いた包帯を強めに絞め直しながらアレクサンダーは自虐気味に溜息を漏らした。痛みはアトリーシャのおかげでかなり軽減はしたが、それでも無くなった訳ではない。
相手は幻覚魔法の使い手のようだが、アレクサンダーは妻への愛情が強過ぎて妻の幻覚を見せられたところで瞬時に看過できる為に、基本的に相手に対して行動に躊躇がない。ただ、魔獣に対しては容赦はないが、過去の事故により対人戦を苦手としている為にどうしても人に対しては手加減をしてしまう。今回のように厄介な相手であっても、目的を聞き出す為に生け捕りの必要がある案件には最適な人材だ。それに副団長だけにそれなりに顔も人脈も広いし、幻覚魔法対策として第四騎士団の討伐に何度も参加していることから人柄も腕前も把握している騎士は多い。
その戦力の為に、わざわざレンザがアトリーシャのもとに案内して特別に治癒をかけさせたのだと自分でも分かっていた。
「ああ…早く帰ってヴィーラを吸いたい…」
誰もいないことをいいことに、アレクサンダーは他人に聞かれたら確実に引かれることをつい声に出して呟いていたのだった。
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「問題は、捕縛する側にどうやって位置を知らせるかですね」
少し休んだおかげか大分調子を取り戻したらしいディルダートが、難しい顔で考え込んでいた。まだ顔の火傷の跡は痛々しかったが、当人はあまり気に留めていないようで一番傷の深い場所にガーゼを貼り付けているだけだった。
レンザから首謀者の捕縛にアトリーシャが協力することを聞いた際には、当然のように難色を示したのだが、彼女の全く揺るがない意志に押されてあっさりと陥落していた。アレクサンダーの助言により、彼女の側を絶対に離れないで護るという条件を提示されたことも大きかったのかもしれない。
「騎士団で伝令の暗号があると伺ったことがあるのですが、それは利用できませんか?」
「おそらくはどこの騎士団もある筈ですが、暗号ですから容易く教えられませんよ。俺も王城の騎士団の暗号は分かりませんし。それに、リーシャ嬢が暗号を使用していたらそれだけで怪しまれます」
「そうですね…」
アトリーシャも提案してみたが、やはり無理があった。他にもレンザと共に3人で作戦を練ってみたが、なかなか確実な手段が浮かばなかった。首謀者を捕らえる機会はおそらく一度きりだろう。それ故に確実な手段を立てておきたかった。
「わたくしが攻撃魔法を使えれば良かったのですが…」
「攻撃魔法でなくとも強めの水流を当てるということは可能ですか?」
「そこまでは…せいぜい両手に掬える程度の水が出せるだけですし、勢いも同じく手で掛けるくらいで…」
アトリーシャは実際に両手で椀のような形を作って、その上に水球を出現させて見せた。両手とは言っても彼女の小さな手であるので、大振りな手のディルダートの片手程度だった。大きさを見せてから、彼女はサラリと水球を空中に放って霧散させる。
「仮に相手に水を掛けるとすれば、どのくらいの精度で可能ですか?」
「それでしたら見える範囲でしたらどこでも。それは得意でしたので」
幼い頃、第二王子と遊んでいた時に側に寄って来た蜂を小さな水球で包んで落としたことがあった。今思うとそれはミツバチで危険はなかったのだが、蜂は危ないものと教わっていた彼女は王子の安全を守る為に実行したのだ。今思うと可哀想なことをしてしまったと未だに反省することがある。
「制御力は比類無いくらい素晴らしいですね」
「ありがとうございます。ですが、今回はあまりお役には立てないかと」
「相手も高位魔法とされる隠遁魔法が使える程だとすると、目印に少しばかり水を掛けられたくらいでは拘束前に逃亡する恐れもある。ほんの僅かでも足止めできる方法はないものか…」
レンザも深く考え込む。彼も祖母の異国の血を継いでいるせいか、あまり彫りの深い顔立ちではないのと整った顔立ちの為に悩んでいると面のような無表情になる。
「…熱い湯を顔めがけてぶつける、というのはどうだろう」
ふと、思い付いたようにディルダートが呟いた。
「わたくし、温度変化は少しだけしか出来ないのですが」
「俺の剣は火魔法を纏わせる為に特殊加工がしてあるので、刃自体が相当な高温になります。その剣に触れるようにして水球を飛ばせば、かなりの威力になりませんか?」
近くでディルダートが火魔法を使えば、それを感知して相手に気取られる可能性がある。だが予め離れた場所で剣を熱しておけば、かなりの時間高温を保ったままでいられる。その剣にアトリーシャが作った水球を通せば、熱湯の水球が出来る。彼女の抜群の制御力があれば、分からない程度に小さくした水球を確実に相手に当てることも可能だろう。ただの水ならともかく、不意に熱湯を顔に浴びせられたならば確実な足止めになりそうだった。
「ただ…その、リーシャ嬢に…それは、その」
「大丈夫です。やりますわ」
本来なら争いや暴力などとは無縁の貴族の令嬢に対して、攻撃魔法と同様の行為を強いる残酷な願いであると思ったディルダートは歯切れの悪い口調になったが、アトリーシャは一切迷いなく言い切る。目の前で多くの騎士達が傷付いていたのを見て来た彼女の覚悟は既に固まっていた。討伐で怪我を負って戻って来た騎士達は、アトリーシャが痛みを軽減させただけで完治している訳でもないのに、迷うことなく再び魔獣と対峙している前線へと戻って行く者が多かった。
それを目の当たりにすることが、彼女の中でかつて王子妃教育で繰り返し学んで来た「貴族の最優先すべき義務」を実感させていた。
「ここで首謀者を捕らえなければ、もっと傷付く人が出るでしょう。わたくしに出来ることなら、やらせてください」
「…分かりました。では確認の為に少し練習をしておきましょう。もし上手く行かなければ別の方法を考えるということで」
「はい。よろしくお願いしますわ」
覚悟を決めたアトリーシャの瞳は、今までに見たことがない程強い光を宿していて、その瞳に真っ直ぐ見つめられたディルダートはこんな状況であるにもかかわらず見蕩れてしまった。




