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♯_Ⅳ


 列車は走る。規則正しく枕木を踏みしめて、この世とあの世を縫って走る。

 その車内、一番広くて心地の良い部屋の奥。大きな寝台の上で、朽葉色に似た濃い金色の髪の男が明るい灰髪の女を抱き寄せていた。


「……よかったのだな」

「はい。……あなたこそ、よかったのですか?」

「他ならぬ、お前の願いだ。出来うる限り、叶えてやりたい。それが、わたしの思いだ」

「…ありがとうございます」

「あぁ」


 女の琥珀色の目は、今にも閉じそうだ。声はか細く、呼吸も弱々しい。辛うじて灯っていたぬくもりが指の隙間から零れ落ちていくのを、男は感じていた。


「……しあわせで、あったか」

「…ふふ、しあわせ、でしたよ。いまも、しあわせ、ですよ。だって、大好きな、あなたの、腕の中で、ねむれるんですもの…」


 女の顔は、言葉通り幸せそうだった。頬をいっそう寄せてくる彼女をしっかりと抱き締め、男はその灰髪に唇を落とす。


「…あなたは、しあわせ、でしたか」

「あぁ。しあわせだったとも。しあわせだとも」

「そう…よかった」


 もう一度「よかった」と呟いて、女は息を吐き出した。ゆっくりとその体から力が抜けていく。


「…夜が、あけますね」

「あぁ」

「一足、お先に…いきますね」

「…あぁ」

「……閣下」


 女が、懐かしい呼称を口にした。男は自分の口から笑みが零れるのを不思議に思いつつ、女に顔を近づける。


「……また、お会いしたいと…そう、思ってしまう私は、おろかでしょうか。願ってしまう、私は……」

「愚かなものか。例え愚かだとして、ならばわたしとてそうだ」

「…かっか、も?」

「あぁ、そうだとも。わたしもまた、お前に、貴様に会いたいと。心から願っている」

「………私、わたし、きっと、おぼえて、いません…。…おぼえて、いられません…それでも、」

「あぁ、それでもだ。

 わたしが、憶えていよう。お前のことを、ずっと、憶えていよう。そうして、必ず見つけてみせる。お前のことを。救ってみる。すべてから。

 だから…また。見付けた時は、またどうか、どうか…わたしと一緒になってほしい。わたしと一緒に、あってほしい」

「えぇ、もちもん。光栄です」

「うむ。……嬉しくは、ないのか?」

「ふ、ふふっ。うれしいですよ、とっても。とっても」

「そうか。良かった。嗚呼、わたしも…嬉しいぞ。とても、とても」


 微笑み合う姿は、とてもあたたかい。

 カーテンの向こうでは、黒青の空が徐々に白く明るく焼けていく。


「……閣下。ありがとう、ございます。さいごに、さいごに…たからものと、あなたがくださった、一番の、たからものと、あわせてくださって…」

「言ったはずだ。他ならぬお前の願いは、出来うる限り、叶えてやりたい、と。……整えるまで、時間がかかってしまい、すまなかった」

「いいえ、いいえ…。ありがとう、ございます…」


 揃って、目を開ける。宵と明の『薄明』に灯るそれぞれの目が、お互いだけを映した。


「…かっか。…わたしの、いっとう、すきな、ひと…。

 また、…あした」

「あぁ。また」


 男が唇を寄せれば、女はそっと目を閉じた。こんな時くらい目を開けたままでも、と言う思いと、あぁらしいなという思いが混ざって、笑みの形となって男の唇から零れた。

 丁度、外では夜が去っていく。

 女のさいごの息を呑み込んで、男はしばらくじっと動かなかった。


「――……ああ、嗚呼。なるほど、心とはかくも重たいものであったか。

 お前が、貴様が、傍にいたので、その重さを忘れていた。いつもお前のお陰で軽かったのだ。だから、わたしはこの重さを、今の今まで知らずにいた。嗚呼、ああ…。なんと重く、苦しいものだろうか。確かに、飛べたものではないな。歩くことはおろか、立っている事さえままらなん。

 ……ああ、嗚呼。世界よ、はやく終わってはくれまいか」


 男は右目から涙を一筋流し、もう一度、妻へと口付けた。


  *


「――宵の薄明は夜が去るときに。明の薄明は日が沈むときに。それぞれ埋葬するんだ。

 いつから始まったのか分からない。いつまで続くのかも分からない。そんな、世界の決まりの一つさ」


 義大叔父上の説明を聞きながら、ぼくは今しがた、夜明けと共に閉めた柩の蓋に覆いかぶさる。涙が、ポロリと零れ落ちて、堰を切ったように止まらない。

 予想は、していた。埋めてとお願いされた時――いや、きっと、列車に乗ることを許された時に、どこか気付いてはいたはずだ。

 埋めるということは、そこにあるということ。つまりは、旅の一つの終わりを定めることでもある。

 ぼくの手は、無意識に柩を抱き締めていた。


「………クソ親父の時も、ぼく、泣けるんでしょうか…」

「それは、君の自由だよ。ぼくらの可愛い子」


 ぼくの頭、そして背中を優しく数回撫でて、義大叔父上はこの場を後にした。ヒューも、一礼して出て行った。

 礼拝堂に、ぼくは、母様の欠片が収められた柩と、まだ空のクソ親父の柩と、のこされる。


「………ぜったい、涙の、一粒だって、くれてやるものか。

 力一杯、柩ん中にぶち込んでやるからな、覚悟しておけよ」


 ――とうさま。



(21/10/31)

万聖節によせて。この世とあの世を縫ってゆく列車に、ひとつの終着点を、ここに定めん。

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