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♯_Ⅱ


 ぼくらが乗り込んで間もなく、列車は走り出した。タタン、タタンと徐々に速度を増していくのを感じる。枕木を踏む音も聞こえるし、その衝撃も感じるけれど、果たして、窓の外を流れていく景色は何処までがこの世なんだろうか。

 そんなことを頭の隅に追いやって、先を歩くシジルゼート少将に付いて行く。廊下に敷かれた絨毯は靴音を微かにするほど分厚く、等間隔に灯る照明は暖かい橙色で車内を満たしている。それでもどこかひんやりと感じるのは、やっぱり、生きたものがぼくら二人以外にいないからだろうか。


「此方になります」


 少し歩いて、一つの部屋に着いた。シジルゼート少将が到着を知らせた後、扉を開けて通してくれる。入った部屋は邸宅の応接室といった風で、ここが列車の中ということを一瞬忘れかける。

 そもそも、だ。重厚なテーブルの向こう、部屋の奥の席に座っている一人の男を目にした途端、ぼくの頭はもうそれだけになってしまって。他の事を考えている余裕なんてこれっぽっちもなくなった。


「――アルフォンス様‼」


 ヒューの大声でハッとして、それから、ぼくは舌打ちした。肉薄した男の首と心臓を刺し貫く寸前だった両手の短剣が、シャンデリアから零れ落ちる灯りを反射して煌く。磨き上げられた刃の側面に映っていた表情のない男の顔が、目の前に座る金髪に空色の目をした男とそっくりだ、なんて。一瞬でも思ってしまったことに、気分がさらに下がっていく。さっきよりも大きな舌打ちが出てしまった。


「活発なのは、あれに似たか」


 殺されかけたばかりなのに、男が発した声はとてつもなく冷淡だ。なるほど、これが常なら「怪物」と呼びあらわされるのにも頷ける。少なくとも、人間らしさというものが一粒も見当たらない、


「あれ呼ばわりするのも我慢なりませんが…それ以上に、母を貶すのはやめていただきたい」

「貶す…ふむ、そう聞こえたか?」

「それ以外にどう聞こえるとお思いで?」


 無感情な空色の目が、ぼくを見上げてくる。温度なんて欠片も感じられない声が、一音一音言葉を紡ぐたびに、止めている短剣を押し込んでしまいたくなる。皮膚の下から溢れ吹きだす血がせめてぼくらと同じ赤色だったら、この怒りとも憎しみとも分からない何かも幾らかは治まってくれるんだろうか。


「あれはとても機敏である。お前も、今の動きはたいしたものであった。あれの子であるお前ならば、当然と言えば当然であろうな」

「…それは。どうも。お褒めに預かり、光栄です。クソ親父」


 吐き捨てて、ぼくは乗っていたテーブルの上から飛び降りる。短剣を仕舞いながら振り向けば、ヒューもシジルゼート少将の眉間に突き付けていた小銃をゆっくり下ろすところだった。ちなみに、少将はヒューの首を狩ろうとしていたサーベルを、同じくゆっくり鞘に戻すところ。


「お見事でした、アルフォンス様。流石、閣下と夫人の御子です」

「どうも」


 少将にわらってから、ぼくは彼が引いた椅子に腰を下ろす。半歩後ろにヒューが控えて、少将が向かいのクソ親父の傍につく。

 前置きなんているものか。礼儀なんざクソくらえ。


「して、母はどちらに?」

「部屋で休んでいる」

「案内していただけますか? していただけないのなら、それでも結構。しらみつぶしに探すだけです」

「今日はもう遅い。

 明日、かわたれ時に部屋へ」

「会わせてほしい、今すぐ」


 感情的になっていくのが分かった。分かったけれど、口もなにもかもが止められない。

 クソ親父が、ぼくを見る。そして、ぼくらはまったく同じタイミングで瞬きをした。


「会話は出来ん。先ほども伝えた通り、今日はもう休んでいる」

「構わない」


 ぼくが答えれば、クソ親父は鷹揚に立ち上がり部屋を出て行く。ここで溜息の一つでも吐けば、幾らか人間らしいと思うのに。やっぱり、それすらなかった。


「付いてこい」


 なんて言葉を残したものの、クソ親父にはぼくらの待つ気なんて欠片もないのだろう。マントの裾をひるがえし颯爽と廊下を歩いていく。

 その後を追うぼくの足が速くなるのは自然なことだ。

 程なくして、クソ親父の足が止まる。その部屋の扉の左右には衛兵がいた。敬礼する衛兵に一瞥をくれるでもなく、クソ親父は扉をノックする。コンコンコン、とそっと響いた軽い音。それに、ぼくは思わず目を見開いた。

 だって、その手つきには、気遣いが確かに感じられたから。目の前の人の形をした怪物から、初めて温度らしいものを感じたから。ぼくは素直に驚いてしまった。


「…わたしだ。今戻った。子もいる。その従者も。…入るぞ」


 クソ親父が扉を開けて入っていく。ぼくはどうしてか、すぐには続けなかった。唾を呑み込んだけれど、喉は潤わない。深く吸った息を細く吐いて、そうしてやっと足を踏み入れた部屋は、あたたかかった。

 程よく調度品で埋められた部屋の奥。キングサイズの寝台の上。枕と掛け布団に半ば埋もれるようにして目を閉じている、明るい灰髪の女の人が一人。


「…かあ、さま…」


 声と一緒に、体の力も抜けかけた。それを何とか踏ん張って、クソ親父とは反対側の枕元に辿り着く。視界の端で、深々と一礼したヒューと少将が部屋を出て行くのが見えた。音も微かに扉が閉められて、列車の走る音と呼吸の音だけが聞こえる。


「…、…母さま…」


 やっぱり、返事はなかった。それどころか、呼吸の音さえ聞こえない。ぼくの体は自然と動いて、眠るように死んでいる母様の胸元に顔をうずめた。心臓の音が聞こえないのは、きっと掛け布団がフワフワ過ぎるから。なんて、下手くそな嘘さえつけない。恐る恐る触れた頬は柔らかいままなのに、首元に当てた指先を押し返す脈動は一向にやってこないのだから。


「…母様…」


 ぼくはもう一度母様の胸に顔をうずめ、しばらく目をつむった。

 一分か、十分か。それとももっと。そうして体を起こしたぼくへ、クソ親父が声をかけてきた。


「泣いてはおらんのか」


 相変わらず冷淡は声でそう問われ――いや、確認されて、怒りよりも呆れが湧き上がる。その気持ちのままにぼくは大きく溜息を吐いた。


「泣きませんよ。誰があんたの前で泣くものか。…まぁ、母様だけだったら、泣いたかもしれませんね」

「そうか。…ふむ、やはり母親というものは、父親とは一線を画すものなのだな」


 一人納得したように頷いたクソ親父は、母様の頬を撫でる。表情はやはりまったく変わらず、眉一つ動かない。だのに、その手つきはいっそ恐れているほど丁寧で。母様を見つめる空色は柔らかい。そんな気がした。

 また沈黙がおりる。気まずさも息苦しさも感じないのは、きっと間に母様がいてくれるからだろう。

 ぼくを生んだひと。ぼくと笑った顔が、その雰囲気がそっくりだというひと。ぼくと同じ、琥珀色の目をしているひと。笑った顔も眼の色も、ヒューや義大叔父上たちからの聞いた話だ。それでも、ぼくにとっては大事な拠り所。

 だからだろうか。ぼくは、大嫌いな男に向かって口を開いた。


「…ぼくは、母様と似ていますか?」

「あぁ」


 これっぽっちも期待していなかった返事は、あっさりと返ってきた。ぼくはゆっくりとクソ親父に顔を向けてみたけれど、クソ親父はやっぱり母様を見つめていたので。ぼくも、母様へと顔を戻す。


「それは、やはり目でしょうか」

「まず一番に思いつくのは、やはりそれであろうな」

「笑った時が、一番よく似ていると。言われます」

「わたしは、これの笑った顔を見たことはあるが、お前の笑った顔を見たことがないので判断しかねる。が、そうか」

「そうらしいです。ぼくも…ぼくも、母様の笑った顔は、見たのかもしれませんが、もう…思い出せないので…」


 母様との今生の別れは、ぼくがまだ物心がつくかつかないかの頃。世界情勢の悪化か、それに伴う内政の揺らぎか。残念ながら一枚岩ではなかった当時の帝国から、ぼくはヒューによって逃がされた。他ならぬ、母様の願いだったと聞いている。

 だから、はっきりとした思い出なんてほぼない。その所為で、夢にさえ母様はほとんど出て来てくれない。出たとしても、顔も声もぼやけている。あたたかい手つきといい匂いだけが、寝ぼけるぼくの胸辺りをきゅっとつまんで消えていく。


「……写真で見た母様と、変わらない…」

「薄明かりの間しか、息をしておらんからな」

「それは、呪いですか」

「そうであろうな」

「…あんたが、呪ったんですか。あんたが、呪っているんですか」

「そうであろうな。

 して…わたしを殺すか」


 さも当然と言った風に続けられた言葉に、ぼくは大きく嘆息する。


「解けるなら、そうしましょう。

 それに…殺すなら、あんただけじゃない。きっと、あんただけじゃ済まない。少なくとも、この列車に乗っている奴らは全員。それから…はぁ、義大叔父上もかなぁ」


 母様の傍で頬杖を付いて考える。

 ぼくに、色んなことを教えてくれた義大叔父上。ぼくを、育ててくれた恩人の一人。母様の師でもあって、このクソ親父の『大悪友』を自称する、化け梟。そんな人に立ち向かう自分を想像して、乾いた笑いしか出てこない。出てきただけマシなのか、どうなのか。


「いやぁ、正気の沙汰じゃないな。あの人とやり合うなんて」

「それについては同意しよう」

「どうも。…はは、あんたにそう言われるとか…流石義大叔父上」


 もういい歳だけれど、未だに義伯父上(陛下)以下をいい意味で振り回していらっしゃるもんだから。「頼むから、お前の義大叔父()のようになってくれるな。頼むから」なんて、彼方此方から頭を下げられているぼくの身にもなってほしい。


「奴は、未だしぶとく生きながらえているか」

「そう言えば…あんたを柩にぶち込むまで、死んでも死にきれないって。よく言ってます」

「フン」


 話すことなどないと思っていた。そもそも、話が出来るとも思っていなかった。人の姿形をした別のもの(怪物)相手に、言葉は通じても、それだけだと思っていた。まぁ、実際そうなのだろう。やっぱり、この男から人間味というかそれらしい温度は感じられない。それは僕自身が拒否拒絶しているからというのも、きっとある。この怪物自身が、母様以外のすべてにおいて興味関心がないというのも、そうだ。

 そんな分かりきったこと、だのに。

 再び訪れる沈黙に、やっぱり不思議と息苦しさを感じない。それはやはり。


「……親子、っていうこと…なんだろうか」


 母様の傍で寝台に突っ伏したぼくの言葉は、願い通りに独り言となって消えた。



(21/10/31)

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