♯_Ⅰ
その幽霊列車は、薄明かりの中を走る。夜の手前、あるいは朝日が迫る前の、輪郭がおぼろげになる世界を走っていく。
ぼくは、その伝説を追ってきた。積まれているとされる溢れんばかりの金銀財宝が目当てではない。そんな実体のあるものではなく、ぼくが求めるのは、その列車に乗る亡霊たち統べる『魔王』。と、その腕に抱かれているだろう『魔女』だ。ぼくの、生みの親たち。その成れの果て。
「ぼくが笑うと、君は大抵目を細めるよね。嫌そうに、ではなく。眩しそうに、さ。そんなに、似ているんだ? 母様と」
「えぇ。とても。よく似ておいでです」
三白眼ぎみの菫青の目を細めて頷く彼はヒュー・シュッツエ。その昔、母と相棒だった彼は、こうしてぼくの護衛兼お目付け役となって久しい。
彼と共に幽霊列車――それに乗っているとされる母と父の亡霊を探す度も、もう両手で数え切れないほどだ。人の声や星の動きから道順を導き出して、文字通り飛んでいっても、あと一歩のところで追い付けない。そこにあるのに、手が届かなかった。まるで蜃気楼だった。ぼくが臍を噛んで睨み付けているのを、きっとわらっているんだろうと零したこともあった。まぁ、そんなことはあり得ないとヒューから真顔で言われたけれど。
「奴に、心があるとは到底思えません。笑うということが出来るほど、心が育っているとは、小官は到底思えないのです。……あなたの父君を悪く言うのは、憚られますが…」
言い切ってからすまなさそうに視線を落としたヒューに、肩を竦めて苦笑いするしかなかった。ぼく自身、概ねその通りだと思ったから。母との思い出は決して多くはない。父――とされるあの男との思い出なんて、より一層。言葉を交わしたことはおろか、名前を呼ばれた記憶さえ曖昧だった。
ただ、あの青い目は、宝石のように無機質な空色の目は、時々夢にみる。
物心ついた時から見始めたその夢に、最初は「青い目のお化け」と泣いて起きていたらしい。義大叔父上から母と父の写真を見せられて、話を聞いて、夢に出てくる怪物の正体を知った。
――そんな過去があるからか。そんな経験をしたからか。ぼくは目の前の光景を信じられないでいる。
真っ黒い礼装コートを着た軍人たち。彼らは道の両脇に等間隔に整列して、古い駅舎の出入り口までを固めている。
「……はぁ。一体どういう風の吹き回しだろう」
横目でヒューに尋ねれば、彼は小銃を構えたまま小さく首を振った。
「申し訳ありません。小官には分かりかねます…。ただ…小官には何が起こるか分かりませんが、貴方に危害が及ぶことはないかと」
「安堵していいんだろうけれど…君も一緒に無事じゃないと。例えば、これがぼくの逞しい想像力によって生み出された夢。そんなオチだったとしても。寝覚めが悪いってもんじゃすまない」
肩を竦めたぼくに対して、ヒューが口元をゆるめたのが見えた。
「そう言っていただけて、至極光栄です。
そのお気持ちに是が非でもお応えしたい。…ので、手始めに使者を取っちめましょうか」
ヒューがぼくの前に出て、駅舎から歩いてくる一人から遮った。全身に魔力を巡らせて臨戦態勢となるヒューにならい、ぼくも集中する。
白い顔の軍人たちが敬礼する中を悠然と歩いてきた男は、柔らかい笑みを浮かべてヒューの数歩手前で足を止める。銃剣の切っ先が届きそうで届かない、いい距離を空けて、彼は深々と一礼してみせた。
「お初にお目にかかります、ご令息様。シジルゼートと申します。どうぞ、以後お見知りおきを」
「ご丁寧にありがとうございます。
…シジルゼート…。…シジルゼート少将閣下とお見受けいたします。記憶違いでしたら申し訳ありません」
ヒューの半歩後ろまで進み出れば、彼が振り向かないまま微かに頷いた。
一方、使者であるシジルゼート少将はその緑青を思わせる両目を瞬いて、嬉しそうに破顔した。
「なんと! ご令息様にご記憶いただけていたとは! 嬉しい限りでございます」
「どうぞ、アルフォンスとお呼びください。父である方の身分は高かったと聞いておりますが、自分は一介の魔導師でありますから。本来なら、こうして少将閣下と直にお話しする機会もありませんでしょう」
「お許しいただきありがとうございます。アルフォンス様。
いいえ、いいえ。どうか、そんなさみしいことを仰らず。ああ、やっとお会いできたのです。ご令息である貴方様と、旧知の仲である…シュッツエ、貴官に」
シジルゼート少将から視線を受けたヒューはしかし、目つきを一層鋭くしただけで口を開くことはない。
少将が小さく笑った。片眼を瞑り肩を竦める仕草は、なるほど、色男と聞いていただけの事はあって、とても様になっていた。
「相変わらずだな。中身はまったく変わらず、あの頃のままという訳か」
「貴官においては、外見すらお変わりない様で」
ヒューの言葉に、やはりそうなのかと心の中で頷いた。
少将がまた、小さくフと笑った。緑青の目が細められたその顔は、満足そうな、はたまた、もっともっと楽しませてほしいとでも言いそうな、そんな風に見えて。溜息が零れそうになる。
(この男だけでも手に余るだろうに。母様、お腹は痛くありませんでしたか?)
いや、考えるまでもなく、きっと痛かっただろう。そんな雑念を瞬きで切り替えて、ぼくは少将へ向かって言葉をはなつ。
「それで、シジルゼート少将。こうしてお会いできたということは…一体、どのようなご用件でしょう」
とびっきりの微笑みでもってそう尋ねれば、少将は姿勢を正した後敬礼した。
「先触れの無いことをお詫び申し上げます。
アルフォンス様、およびシュッツエ護衛官殿。閣下が夫人と共にお待ちです。どうか、ご乗車いただけませんでしょうか」
それは、待ちかねた言葉だった。喉から手が出るほど望んだことだった。
だから、ぼくは、一つ深く呼吸した後、頷いた。
「分かりました」
罠だろうが、何だろうが。構わない。例えば、もうこの世に戻ってこれなくても。
シジルゼート少将の後に続き、ヒューを伴って軍人たちの間を歩く。古びた駅舎の中を通り、ホームに出れば、所々に装飾を施された軍用列車がお目見えする。煙突から絶え間なく吹きだす蒸気の熱は、不思議と感じられない。
「どうぞ、アルフォンス様。足元にお気を付けて」
少将に促されて、列車に乗り込む。その間際に見上げた空は、夜の一歩手前だった。
(21/10/30)