庭のチューリップの話
「わー! チューリップ、きれい!」
初等部の庭園で、突然シャーロットがしゃがみ込む。赤、白、黄、ピンク、紫――色とりどりのチューリップが、綺麗に並んで咲いていた。
一心に花を見つめ、動こうとしないシャーロット。仕方なくラッセルも同じようにしゃがむ。ただし、見つめるのはチューリップでなくシャーロットである。
にこにこしながらチューリップしか視界に入っていないシャーロットは、ラッセルが顔をじろじろ見ていても気がつかない。当然、ラッセルが表情筋を思うさま弛めていることも知らない。
「そんなに、チューリップが好きなのか?」
そう訊くと、ようやくシャーロットがラッセルを見た。ラッセルは顔が赤らむのを感じたが、かろうじて目は逸らさなかった。いや、逸らせなかった。シャーロットが、ラッセルに笑顔を見せたから。
「うん。だいすき!」
だいすき、だいすき、だいすき……。
たった一言が、何度もこだまする。
――自分のことを言われたわけでもないのに。
「チューリップを植えてくれ!」
ラッセルは帰宅するなり、庭師に頼み込んだ。
*
「珍しいフルーツが手に入った。食べさせてやるから来い!」
放課後ラッセルの家に連れてこられ、学校の中庭にも引けを取らない広い庭を見渡せるテーブルに、有無を言わさず案内された。
ラッセルが着替えるために席を外してしまったため、落ち着かずキョロキョロする。
と、庭師さんが手入れをしている一角が目に留まる。
「チューリップだ」
思わず近づくと、庭師さんがニコニコ話しかけてくる。
「チューリップが好きかい?」
「はい! 一番好きな花です」
「そうか。ここの球根はね、坊ちゃんが植えたものなんだよ。坊ちゃんの『コレ』がチューリップを好きだから、満開のところを見せたい、ってね」
庭師さんが小指を立てながら言う『コレ』の意味は分からなかった。けれどなんとなく聞くのが躊躇われ、「ふーん」とだけ答えた。
「お嬢さんは」
「シャーロット!」
庭師さんが何か言いかけたところで、ラッセルが走ってきた。ラッセルの顔は真っ赤で、今にも湯気が出そうな勢い。
「お前、俺のいないところで庭師と仲良く……! 俺以外の男とは絶・対・に! 不用意に関わるなと言っているだろう! 行くぞ」
きつく手を引っ張られ、名残惜しくもテーブルに戻った。
それからもずっと、ラッセルは顔が赤いまま、表情も厳しいまま。
ラッセルがチューリップを見せたい人のことも、ラッセルがいま怒っている理由も分からず、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
せっかく出された珍しいフルーツは、鮮やかなオレンジを目に映すだけで、味はさっぱり分からなかった。
後日。ラッセルが家まで訪ねてきた。
「好きだって言ってたから……いっぱい咲いたし、分けてやる」
差し出されたのは、チューリップの鉢植え。赤い花がやわらかく開いていた。
「ありがとう」
ラッセルは、庭の満開のチューリップを誰に見せたくて育てたの?
訊きたかったけれど、訊けなかった。鉢植えを手渡すなり、ラッセルは踵を返して走り去っていたから。
チューリップ好きって言ったの、覚えててくれた。今は、その事を素直に喜ぼう。
満開のたくさんのチューリップを、ラッセルが本当は誰と見たいのか。考えると、胸がざわざわするのは気のせいだ。
*
――受け取ってくれた! 俺の気持ち!
ラッセルは恥ずかしくて思わず逃げてしまったが、あのチューリップは今のラッセルの精一杯の勇気だった。
赤いチューリップの花言葉は「愛の告白」。さらに、チューリップは贈る本数によっても意味があり、一本だと「あなたが運命の人」になる。
だが、シャーロットが花言葉に気づくのは、ずっと後のことだった。




