ラッセルのバレンタイン
活動報告に載せていたお話の再掲です。(初出:2013年2月)
遠い異国には、「恋人たちの日」という記念日があるらしい。一年に一度、女性が好きな男性にお菓子を贈る日だ。
ラッセルがシャーロットに向かって、いきなりそんな話を始めたものだから、僕は思わず聞き耳を立てた。
いや、僕だけではない、教室中だ。さっきまでの喧騒が嘘のように止んでいた。
「ちなみに俺は、チョコレートが好きだ」
「ふーん」と、気のない相槌を打つシャーロット。
彼女をじっと見つめるラッセルをよそに、シャーロットは突然何かを数え始めた。
親指から順番に指が折られ、片手が一度拳になってから小指が立つ。
「6。ワンホール、焼くほうがいいかな」
その仕草と呟きに、ラッセルの顔が強張った。
「お前、それはまさか恋人たちの日の――」
「うん。家族の分のケーキ」
ラッセルが脱力した。当人以外は、「やっぱりな」という顔で見ていたけど。
「シャーロット、『恋人たちの日』だぞ? なぜ家族になど作る!」
「え、だって、好きな人にお菓子をあげる日なんでしょう? 私、恋人なんていないし」
「お、俺がいるだろう!」
「え? ラッセル、欲しいの?」
きょとんとするシャーロットに、ラッセルは赤い顔をさらに真っ赤にした。
「ぐっ……、それを俺の口から言わせようとするとは……っ! シャーロット、お前という奴は……っ!!」
小悪魔め、いや天使か? 愛らしい顔でそんな言葉を求めるのか、欲しがり屋さんめ!
早口かつ小声でそう呟くのを、僕は確かに聞いた。
そんな彼にシャーロットは首を傾げ、クラスメイト達は半眼で見つめた。ややあって、長く息を吐いたラッセルがもどかしそうに言った。
「俺は、『恋人』の分をもらってやると言っているんだ! だから……用意しろ」
「分かった。7人分ね」
「待て。俺という『恋人』がありながら、なぜまだ家族の分が入ってる!」
「家でお菓子作ったらみんな食べたがるんだもの。不公平なんて出来ないし」
シャーロットはラッセルの言葉の一部は華麗にスルーして答えた。
「仕方ない、家族の分は許そう。だが、俺以外の男にはこれ以上、お菓子を贈ろうなどと考えるな! 絶・対・に! だぞ!!」
鬼気迫るラッセルの言葉に、シャーロットがこくりと頷く。
誰かの溜息が聞こえた気がした。
そしてやってきた「恋人たちの日」。
ラッセルは朝から小さな箱を抱えてご機嫌だった。授業中も手放そうとしない。トイレにさえ持って入るのを、誰も止めることは出来なかった。
「ふふふ……ふふふ……」
時も場所も考えず、大切そうに箱を抱きしめたまま。しかも突然ニヤニヤと笑いだす。
そんな彼を、僕たちは一日、遠巻きにして見ていたのだった。




