急:testamentum ―受け継ぐモノ―
「なぜ、ここに?」
「いや、兄さんこそ……」
「僕は、『Idea』の曲を動画サイトにあげていた人物に会いたくて……」
「その一人がぼく、だよ」
その言葉に、僕は目が点になる。すると、弟は一枚の写真を見せた。
「あの子は、高校の同級生で初恋の人なんだ」
その言葉に、僕は少し納得した。けれども、弟がこんな素敵な女性に恋をしていたなんて知らなかった。まぁ、その頃僕は既に大学生になり家を出ていたから。
弟の話はにわかには信じがたかったが、話を聞いているうちに、信じられるようになった。
最初の動画は彼女の親が上げたのだが、辛くなって2つ目以降上げられなくなったらしい。そこで、弟と有志メンバーで動画の編集とアップロードをおこなっていたそうな。
「ぼくも、病気になるまでは動画アップしていたんだよ」
と少し誇らしげな顔で言う。少し幼く見えるその顔に、僕は少しだけテレが混じっているのを感じた。それがすっ、と消えて、弟が真面目な顔になる。
「兄さん、彼女の何が知りたいの?」
そんな弟の問いかけに、僕は……一番気になったことを口にした。
「どうして、午後9時35分に動画をアップしたんだい?」
「それは……彼女が、生まれた時間だからさ」
最初、特に時間を定めていなかったらしい。だが、あの一番最初の動画を、彼女の父親が、生まれた時間にセットして公開した……と。だからそれからずっと、『Idea』が生まれた時間に動画をアップしていたのだ、と。
その意味に、僕の中にとても冷たくて熱い何かが落ちていった。
死んだ娘の曲を、生まれた時間にアップする、という意味を。
僕が深くとりすぎたのかもしれない。だけどここに狂気と愛情を深く、深く感じたのだ。
「僕らは、もう一度彼女をこの世に生まれさせたくて、せめて彼女の曲をこの世に生まれさせたくて、動画を上げ続けた。想像以上の反応に遺族も、プロジェクトチームのメンバーもびっくりしているんだ」
弟は真面目な顔で、情熱を瞳に宿らせて言う。それは狭くてちょっと暗くて、レトロな雰囲気の喫茶店には微妙に似つかわしくない、静かで熱くて、切ない炎だった。
「途中で僕は病に倒れて、手を離れたけれど、彼女の声を聞くたびに活力を貰っていたね。だから、どうにかここまでたどり着けた」
右手で左手首を握りながら、しっかりとした声で言う。彼は、『Idea』の意思を継ごうというのだろうか? それほどまでに真面目な顔だ。普段は朗らかで柔らかい顔をしているだけあって、新鮮だった。
「……これから、どうするつもりだい?」
僕の何気ない言葉に、弟は少し考え……こういった。
「ぼくらは、『Idea』を『電子の歌姫』にする」
「えっ?」
その言葉に、思わず変な声が出てしまった。だが、弟はそれを気にせず喋り続ける。眼の炎が、一段と力を増す。
「既にプロジェクトは始まっているんだ。これも、彼女の遺言からきているんだよね」
「えっ?!」
予想外の言葉に面食らう僕を置き去りにし、弟は目を細めて口ずさむ。
「彼女は、ずっと歌っていたいって願うほど歌が好きだった。だが、もう肉体は滅んでしまった。だったら、僕らが彼女を歌わせてあげればいい。そして、彼女の歌に惚れた誰かが」
どこからともなくタブレットを取り出し、動画を起動する。と、そこにはあの動画に出ていた『Idea』をモチーフにしただろう女の子のイラストが浮かび上がる。
水色のシンプルなワンピース。そして、灰色の瞳。淡いサンゴ色の唇。優しい笑顔の彼女の絵が、マイクを持って立っている。
聞こえて来た歌声は、どこか電子的な音がにじむ。でも、それは確かに『Idea』であった。
「こんなことをして、ゆるされるとでも思っているのか? 死者を冒とくしていないか?」
「これは、彼女の遺言。彼女は、歌い続けたい、と願い続けていた! だから、天罰だろうと何だろうと受けて立つよ」
18歳にしては童顔な青年は、どこか獰猛さを滲ませた笑顔でそう言った。
* * *
それから、さらに半年後。
電子の歌姫『渡音 イデア』は発表された。一部『Idea』ファンから反発があったらしいが、概ね好評だった。
おそらく、今後もこれを使って『Idea』の歌声をみんな楽しむかもしれない。そう思うと、少し複雑な気持ちになった。
――『Idea』、君は、どう思うかい?
(終)
ここまで読んでくださりありがとうございます。
一旦ここで終わります。
気が向いたら、続きを、と考えている最中です。