みっつめの偶然◆ふたつめとみっつめの間 3
翌朝、ずる休みしたくてたまらないのに小心者の私はうまい嘘が思いつけなくて、進まない足で会社へ向かった。主任はいなくてボードには客先直行と書かれていた。思い切り肩透かしをくらってしまった。
お茶を淹れていたら不意に喉が詰まった。もし本当にTakaさんが稲葉主任だったとしても、私はただ主任の絵の一ファンでしかない。もし主任が高野優子が私のことだと知ったとしても、正体がばれてしまったと照れてメールに改めてお礼を言われるくらいでしかないのに。
返信メールは饒舌だけど絵についてのことばかり書いてあってTakaさん自身のことなんてほとんど分からない。でも主任であってほしかった。ずっと一緒に仕事をして何とも思ってなかった、ただの上司だった。なのにTakaさんかもしれないと思ってからほんの二週間で、どうしてこんなに好きになってしまったんだろう。彼氏いるのなんて訊くから思わず期待しちゃったじゃないの、もう。
結局、定時を過ぎても主任は戻ってこなかった。私は一日の仕事を終え、エレベーターを降りた定時上がり集団の一員となってビルの出口を目指した。道に面したガラス越しに主任の姿を見つけた。
こんなところで会うのは偶然でもなんでもない。たいていの会社員は最低でも一日二回は会社の出入り口を通る。ほら、その証拠に。
人待ち顔でロビーに座っていた女性が出入り口から入ってきた主任に歩み寄った。主任が顔色を変えた。周囲の人は特に気にもせず二人の脇を通り過ぎていく。その一連の出来事を見届けて、私は稲葉主任の前で立ち止まった。
「稲葉主任、お疲れさまです」
「優子ちゃん」
稲葉主任が私の名前を呼ぶと、主任の傍に立つ女性が鋭い目で私を見つめた。いや、睨んだと言ってもいいかもしれない。私は彼女の目を一瞬だけ見つめ返した。
「机の上に急ぎの回覧が置いてありますから。お先に失礼します」
自分でもたぶんすごく変な顔をしてるんじゃないかと思ったけど、ぎこちない笑顔らしいものを浮かべて会釈をすると、私はその場を離れた。