第六話 盲目
『ただいまより、臨時の全校集会を行います。全校生徒は、体育館に集まってください。繰り返します。ただいまより臨時の全校集会を行います。全校生徒は、体育館に集まってください』
「こ、甲村くん。集会あるみたいだから、早く行こう?」
「……わかった」
集会があることを口実に、足早に甲村くんから離れて体育館に向かう。それにしても、彼があそこまで迫ってくるとは思わなかった。財布を持ってきてないというだけで、あそこまで怒られたのは初めての経験だ。
というかそもそも、彼は私を守りたいんじゃなかったのだろうか? さっきの彼はどう考えても、勝谷先生をこの学校から追い出すために私を利用しようとしているようにしか思えなかった。彼の中では既に、私の都合なんて二の次なんだ。現に彼は自分の財布を使って、勝谷先生を陥れることを拒否した。私の財布がなくなってもいいけど、自分の財布がなくなるのは嫌だと言っていた。
なんという自分勝手、なんという我が儘、なんという想像力の無さなんだろう。他人は自分の言うことを聞いて当たり前。その前提が崩れると、途端に怒り出す。とても中学生とは思えない。カンシャクを起こした子供と一緒だ。
しかしどちらにしろ、このままでは甲村くんに振り回されるだけだ。一刻も早く勝谷先生に相談をしたかったのだけれど、今日の朝一番で職員室に行っても、緊急の会議とかで職員室には入れなかった。
まあどちらにしろ、体育館での集会が終われば勝谷先生は教室に来るだろう。その時に相談をすればいい。
そして体育館に到着し、私は自分のクラスの生徒たちが並んでいる列に入り、集会が始まるのを待っていた。そういえば、臨時の集会だとか言っていたけど、何か事件でも起こったんだろうか。周りの皆も、何が起こったのだろうと友達同士で話し合っていた。
そんな時間が数分過ぎた後、壇上に先生が上がり、集会の始まりを伝えた。そしてその先生と入れ替わりに、校長先生が壇上に上がる。
「……突然の呼び出しに応じて頂き、ありがとうございます。本日は、悲しい知らせをお伝えしなければなりません」
校長先生が顔を俯かせながら、はっきりとした声で挨拶をする。そして少しの沈黙の後……
「昨日、本校の社会科教師である、勝谷憲助先生が亡くなられました」
私の心を刺し抜くような言葉を発した。
校長先生の言葉の後、周りの皆もざわつく。特に私たちは、毎日会っている担任の先生を亡くしたのだ。衝撃は大きい。
だけどその中でも、私の心を襲った衝撃は更に大きいものだった。私は勝谷先生からもっと教わりたかった。もっと言葉をかけてほしかった。もっと導いてほしかった。私が、ちゃんとした大人になるのを見守ってほしかった。
だけどそれはもう、叶わぬ夢だ。どうしてこんなことになったのだろう。どうして勝谷先生が死ななければならなかったのだろう。
「……勝谷先生は、昨日未明に事故に遭われました。信号無視の車に撥ねられ、病院に運ばれましたが……助かりませんでした」
校長先生の絞り出すような声を心に染みこませる。
事故? そんなことで勝谷先生はあっさりと命を落としてしまったの?
ウソだと言ってほしかった。『これはドッキリです』と誰かがネタばらしをしてくれると思っていた。だけどそんなことは絶対にない。勝谷先生が、そんな悪質な冗談を許すはずがないからだ。
つまり、勝谷先生の死はまぎれもない事実ということだ。
それを悟った瞬間、私は膝から崩れ落ちた。どうして? どうしてあんな立派な先生が、そんなつまらない死に方をしないといけないの? どうして神様はあの人にそんな罰を与えたの?
「……私としても、勝谷先生のような立派な教師を亡くしたことは残念でなりません。ですが、勝谷先生の名誉を守るために、あることを皆さんに伝えようと思います」
ショックのあまり、校長先生の言葉を上手く聞き取れていなかったけど、その次の言葉ははっきりと聞こえた。
「勝谷先生は、自分の目の前にいた学生を車から守ろうとして命を落としたそうです……最期まで、立派な先生でした」
……目の前にいた学生を守って、命を落とした?
私は想像する。横断歩道を渡っていた先生が、猛スピードで迫ってくる車に気づく。そして自分の目の前には、それを避けられそうにない人がいる。
後ろに避ければ、自分の命は助かるかもしれない。だけど無意識だったとしても、勝谷先生は目の前の人を助ける選択をした。そんな選択を、生徒を苛めることを楽しむ外道のような人間ができるはずがない。常日頃から、他人のことを助けたいと思っている人間にしか、そんな選択はできない。
だから勝谷先生は、最期まで立派な先生であり続けたんだ。
私は静かに立ち上がる。勝谷先生の死は悲しい。だけど無駄ではなかった。私に勇気を与え、前に進む力を与えてくれた。
私も勝谷先生のように立派な人間になりたい。そう思い続ければ、先生の死は無駄ではなくなる。いや、私が先生の死を無駄になんてしない。
私は今度こそ、自分を変えるんだ。
数十分後、校長先生の話は終わり、私たちは体育館から教室に戻った。教室には副担任の先生が来て、しばらくは担任の代行をすることを私たちに伝え、これからのことは追って連絡をすると言った。
一時間目は自習ということになり、クラスメイトたちは勝谷先生の死に衝撃を受けていることもあり、静かに課題に取り組んでいた。私はふと甲村くんを見る。彼は俯いたまま、微動だにしなかった。おそらく彼も勝谷先生が亡くなったことはショックなんだろう。いくら嫌っていたとはいえ、身近な人間が死んで、平然としていられるわけがない。
しかし図らずも、『勝谷先生を学校から追い出す』という、彼の目的は達成されてしまったことになる。さすがの甲村くんも喜びの感情を表には出さないだろうけど、心の中では笑っているかもしれない。それを考えると、私は腹が立った。
いけない。そんな想像でわざわざ怒ることはない。とりあえず今は自習に集中しよう。
そして放課後。
今日の授業は午前中だけということになり、午後は部活も中止し、生徒は全員帰宅しろという指示が出た。特に残る用事もないので、私も荷物をまとめていた。
「カザリさん」
だけどそんな私を、またしても甲村くんが呼び止めた。こんな時に、何の用なんだろうか。
「……なに?」
「朝話したとおり、今日は君の家に行くね」
「は?」
何を言ってるんだろうか。不本意だけれども、彼の目的は達成された。これ以上何を望んでいるというのか。
「甲村くん……ちょっと今日の私、あんまり気分良くないから……勝谷先生のことがあったし……」
「そうだよ、『カチヤ』をここから追い出すんだ」
「え?」
「このままじゃ、『カチヤ』の暴走は止まらない。今も『カチヤ』は僕たちを苦しめている」
甲村くんは、虚ろな目で私を見る。いや、彼は私を見ていない。彼が見ているのは……
「僕たちが、『カチヤ』をなんとしても倒さないといけないんだ」