第五話 独善
僕は『カチヤ』をこの学校から追い出す名案を思いついた。そしてその作戦を達成するには、カザリさんの協力が必要なんだ。カザリさんの財布を『カチヤ』の鞄に入れ、アイツがカザリさんの財布を盗んだという疑いをかける。そうすれば『カチヤ』はこの学校に、いや先生を続けることができなくなる。
そもそも『カチヤ』は生徒を苛めて楽しむような悪人なんだ。僕がこの作戦を達成しなくても、いずれ誰かの財布を盗んでいたに違いない。それが少し早まったというだけの話だ。濡れ衣を着せることのなにが悪いんだ。
だから僕は一刻も早く、この作戦で『カチヤ』を追い出したかった。そのために、カザリさんの財布を預かりたかった。だけど彼女はたまたま財布を家に忘れてきてしまったらしい。間の悪いこともあるとは思ったけれど、明日には持ってきてくれと頼んだのだから、持ってきてくれるだろう。カザリさんも『カチヤ』に苦しめられている被害者なんだ。きっと僕の作戦に乗ってくれるはずだ。
それが昨日の出来事。そして今日は早く学校に来て、確実にカザリさんに作戦のことについて話すつもりでいた。
朝7時半。ちょっと早く学校に来すぎてしまったとは思ったけれど、これも『カチヤ』を倒すためだ。仕方がない。
しかし8時を過ぎても、カザリさんはまだ教室に来なかった。早く財布を預かりたいのに、少し苛立ってしまう。
結局、カザリさんが来たのは、始業時間十分前である、8時30分のことだった。どうしてこんな大事な日に、ギリギリに来るのだろうか。
「カザリさん! ちょっといい?」
少し怒鳴り声になってしまったけれど、仕方のないことだとは思う。ともかく僕は、教室に来たカザリさんに真っ先に声をかけた。
「あ、甲村くん、おはよう……」
「とりあえず、ちょっと来て!」
「え、あの……」
僕はカザリさんの腕を引っ張り、廊下に出た。
「カザリさん、財布持ってきた?」
「え?」
「昨日言ったよね? 『カチヤ』を倒すためにカザリさんの財布が必要なんだって。だから持ってきたよね?」
「え、えっと……」
なぜか目を逸らして、あいまいな返事をするカザリさんに、僕はますます苛立ってしまう。彼女は自分に与えられた役目をわかっているのだろうか。
しかしカザリさんは、申し訳なさそうに言った。
「あ、あの……今日も持ってきてないんだ……」
僕を見上げるようにして気まずそうな表情をする彼女を見て、僕の怒りは最高潮に達した。
「カザリさん!」
「ひっ!?」
僕の怒鳴り声に怯えるカザリさんだったけど、間違いなく彼女が悪いんだ。彼女が怒られるのは当然だ。
「言ったよね!? 君の財布を使って、『カチヤ』をこの学校から追い出すって! これは僕たちの学校を守るために必要なことなんだ! 君は自分のミスがどんなに重大なのかわかってるの!?」
「あ、あの……」
「『カチヤ』は今、この瞬間にも、僕たちを苦しめているんだ! あいつがいる限り、この学校に平穏は訪れないんだ! 君だってあいつに苦しめられているんだろう!? 勇気を出さないとダメだ!」
「……」
それでもカザリさんは僕と目を合わせようとしない。彼女は自分に与えられた役目を忘れてしまったのだろうか。
「あ、あのさ、甲村くん……自分の財布を使うっていうのはダメなの……?」
そしてあろうことか、カザリさんはこんなことを言い始めた。本当に何を考えているのだろうか。
「カザリさん! なんで僕の財布を使わないといけないの!?」
「え……?」
「もし『カチヤ』が僕の財布を本当に盗んだら、僕のお金が無くなっちゃうだろ! そんなことになったら、カザリさんは弁償してくれるの!?」
「そ、そんなこと、ないと思うよ……?」
「君は『カチヤ』がどんなに邪悪かわかってないの!? あいつはそういうことをするヤツなんだ! だから万一のことを考えて、君の財布を使うって話をしているんだろ! なんでそんなこともわからないの!?」
「……」
もし『カチヤ』が僕たちの作戦に気づいて、鞄に入れられた財布を隠してしまったら、僕の貴重なお金が無くなってしまうことになる。でもカザリさんの財布を使えば、そんな可能性はなくなるし、カザリさんのお金がちょっとくらい無くなっても、彼女が『カチヤ』に苦しめられていることを考えれば、安いものだと思う。いや、むしろカザリさんが自分で『カチヤ』からの解放を望むのであれば、彼女自身の財布を使うべきだ。それが正しいやり方なんだ。
「いいかい! 明日こそ財布を持ってくるんだよ! そうしないと、君は永遠に『カチヤ』に苦しめられたままなんだ! それでいいの!?」
「あ、あのさ、甲村くん、そもそも私が勝谷先生に苦しめられているっていうのは……」
「だから君が『カチヤ』に悪口を言われてるって話だよ! さっきからその話をしてるんだろ! わかれよ!」
「……」
カザリさんが引っ込み思案なのはわかっていた。だけどここまでくると、僕もイライラしてしまう。せっかく僕が救いの手を差し伸べているというのに、どうして素直に従おうとしないのか。
「……こうなったら、今日の授業が終わったら、君の家に行くしかないね」
「え、え?」
「仕方ないだろ? また明日も財布を忘れられたら困るし、僕が君の家に行けば確実に財布を預かれる。わかったね? じゃあ今日の放課後、家まで案内してよ」
「そ、それはちょっと……」
「それはちょっとじゃない! そもそも君が財布を忘れたのが悪いんだろ! 君が悪いんだから、ちゃんと家まで案内してよ! はい決定!」
僕がカザリさんの家に向かうことを決定した時だった。電子音が響いた後、校内放送が校内に流れる。
『ただいまより、臨時の全校集会を行います。全校生徒は、体育館に集まってください。繰り返します。ただいまより臨時の全校集会を行います。全校生徒は、体育館に集まってください』
全校集会? なんだろう、今日はそんな予定なかったはずだけど。
「こ、甲村くん。集会あるみたいだから、早く行こう?」
「……わかった」
足早に体育館に向かうカザリさんを見ながら、僕も向かうことにした。
一時間後。
全校集会が終わり、教室に戻ってきた僕は、再び『カチヤ』の攻撃に晒されることになった。
『甲村、私はお前の全てを見下している』
……くそっ!
『私はお前もカザリも自由に攻撃できる。そして私には、それをする使命がある。私はお前らのような出来損ないの生徒を排除することが喜びだ』
くそっ! くそっ!
『私はお前ら生徒のことなど、腐りきったゴミとしか思っていない。私の目の前からゴミを取り除かなければならない。そしてお前らは私の言うことを、黙って聞く義務がある』
くそっ! くそっ! くそっ!
どうしてこうなった。どうして僕は今、『カチヤ』の為すがままになっているんだ。
こんなはずじゃなかった。僕は『カチヤ』を退治するはずだったんだ。それなのに、どうして『カチヤ』は未だに僕を苦しめ続けている。
僕は正しい。僕は間違っていない。『カチヤ』を倒し、カザリさんを救うことこそが、絶対の正義なんだ。それは間違いないんだ。
だけどどうする。このままじゃ『カチヤ』を倒すことなんて不可能だ。『カチヤ』はこの学校に君臨し続けてしまう。そんなことはあってはならない。
『カチヤ』みたいな腐りきったヤツを、このままのさばらせるなんてことがあってはならないんだ。
『甲村、お前みたいなクズが、私に勝てるはずがない』
だけど『カチヤ』の声は、まだ僕の中に響いていた。