第三話 不正
僕は『カチヤ』の手から、カザリさんを助ける決心をした。そうだ、『カチヤ』はカザリさんに悪口を浴びせるひどい人間だ。いや、人間なんて上等なもんじゃない、あいつは悪魔だ。
その証拠に、『カチヤ』はカザリさんに「お前は誰にも好かれない」と言った。血の通う人間なら、そんなことが言えるはずがない。やはり『カチヤ』は他人を苛めることを生きがいにしているんだ。
「カザリさんは僕が守ってあげるからさ」
勇気を出して、僕はカザリさんにそう言った。そう、カザリさんを助けられるのは僕しかいない。皆は『カチヤ』が怖くて何も言えないけど、僕は違う。僕だけは『カチヤ』に立ち向かえる。
カザリさんは僕の言葉に、少し戸惑ったような表情をしたけど、その後に小さく声を出した。
「あ、ありがとう……」
カザリさんはいつも声が小さくて聞き取りづらいけど、その言葉ははっきり聞こえた。やっぱりカザリさんは『カチヤ』に苛められていたんだ。『カチヤ』は先生でありながら、自分の生徒を苛めて楽しんでいたんだ。
「で、でもさ、甲村くん、あの……」
「大丈夫だよ、カザリさん。僕も『カチヤ』のことは嫌いなんだ」
「え、え?」
「『カチヤ』はひどいよ。僕たちが逆らえないのを知って、無茶な量の宿題を出すし、皆の前で僕たちに説教して見せ物にしているんだ。説教をして気持ちよくなっているんだ。そんな人が先生をやってるなんて、許せないと思わない?」
「……」
カザリさんは顔を俯かせて黙ってしまう。きっと、『カチヤ』にされたひどいことを思い出しているんだ。カザリさんも、僕に賛成してくれているんだ。
「でも僕は『カチヤ』になんて屈しない。みんなはあいつのことを恐れているけど、僕だけは違う。あんなヤツの言いなりなっていること自体がおかしいんだ。カザリさん、君は何も心配しなくていい。僕がカザリさんを守るからさ」
カザリさんはまだ黙っているけど、僕が彼女を助けられれば、その心も僕に向いてくれるはずだ。そうだ、それが彼女の本来あるべき姿なんだ。僕がカザリさんを『カチヤ』の手から……
「あのさ、甲村くん。さっきから何を言ってるの?」
だけどカザリさんの言葉は、僕の期待を裏切った。彼女の困惑した顔が、僕の心を戸惑わせる。
「何を言ってるって……僕がカザリさんを守るって言ってるんだよ!」
「そ、そこはわかったんだけどさ……その、勝谷先生から守るっていうのは、どういうことなの?」
……なんだ? カザリさんは何を言ってるんだ? 僕がせっかく、カザリさんを守ると言っているのに、何が不満なんだろう。『カチヤ』は悪者だ。この世に生きていてはいけないほどの悪人だ。そして僕が『カチヤ』からカザリさんを守るのは正しい行動のはずなんだ。なにが腑に落ちないというのだろう。
「カザリさん、僕は頼りないかもしれない。だけど、僕は本気でカザリさんのことを守りたいって思ってるんだよ」
「う、うん。ありがとう……」
カザリさんはなぜか少しずつ僕から離れていく。
「だからさ、君も僕を頼ってくれていいんだよ。『カチヤ』が何かひどいことを言っても、他の先生たちに助けを……」
「あ、あの! 私ちょっと、友達に呼ばれてるから、もう行くね!」
カザリさんは珍しく大声を出して、そそくさと廊下を走って行った。なんだろう、いつものカザリさんらしくなかったような……
そうだ、きっと『カチヤ』のせいでカザリさんは精神的に不安定になっているんだ。きっとそうだ。そこまでカザリさんは追い詰められているんだ。うかうかしていられない。僕がきっちり彼女を守らないと……
そして、その日の四時間目……
この日の四時間目は社会の授業だった。そして社会の授業を担当するのは、当然『カチヤ』だ。
「それでは授業を始める。まずは一昨日予告したとおり、小テストを行う。20点満点で、10点以下の者は再テストを受けてもらう。このことも事前に予告したな?」
……しまった。そういえばそんなことを言っていたような気がする。まずい、何も勉強していない。
「それでは教科書を机の中に片づけろ。机の上には筆記用具以外の物を置くことは許さん。いいな?」
どうしよう、どうしよう。これで10点以下になってしまったら、また『カチヤ』は僕を追い詰めるだろう。それがたまらなく怖い。
……いや、そもそもこんな小テストが行われること自体がおかしいんだ。二日の間を開けただけで、十分に勉強ができるわけがないじゃないか。そうだ、きっと『カチヤ』は、これを口実に僕らを苛めるつもりなんだ。きっとそうだ。
「さて、問題用紙は全員にいきわたったな? 制限時間は10分だ。それでは始め!」
10分!? そんな短い時間で20問すべてに答えられるわけがない。どうする? このままじゃ、『カチヤ』にやられっぱなしだ。
……大体、この小テストそのものが『カチヤ』の罠なんだ。それにまともに向かい合う必要なんてない。それなら……
そして僕は、カチヤがこちらに背中を向けていることを確認し、机の中からこっそりと教科書を取り出す。
そうだ、『カチヤ』が僕をそうまでして苛めようというのなら、こっちにも考えがある。どんな手を使っても満点を取って、『カチヤ』の企みを阻止してやるんだ。これは正しい行いなんだ。
そう決意して、教科書を机の下で広げた時だった。
「何をしている!?」
突然、『カチヤ』の怒号が教室に響き渡った。顔を上げると、その鋭い視線は間違いなく僕を捉えている。
「ひっ!?」
「甲村! 今、机の下に広げたものを見せろ!」
『カチヤ』はズンズンと僕に迫り、僕の机をずらす。
「……お前、カンニングをしていたな!? 私は言ったな? 教科書は机の中に片づけろと」
「……」
「こうなれば、お前にこのテストを受ける資格は無い。この教室から出て行け!」
「……」
「甲村! 返事はどうした!?」
「……はい」
「それと、今回のことはお前のご両親にも伝える」
「え!?」
予想外の言葉に、思わず声が出てしまった。
「当然だろう。お前は小テストとはいえ、学校の試験で不正行為をした。もしこれが本試験であれば、0点になるのは避けられない。それに、不正行為は保護者にも伝えるのがこの学校の規則だ」
「そんな……それはやめてください!」
「そもそも、お前が不正を行わなければこうはならなかった。ご両親に叱られる原因は、100%お前にある」
「そんなの、理不尽です!」
「どこが理不尽だ。言ってみろ、私の言葉のどこに理不尽な点があるのだ?」
「それは……」
「とにかく、お前は廊下に立っていろ。授業を行っている間、じっくり反省するんだな」
「……!」
あまりの現実に、涙が溢れそうになってきたけども、どうにかこらえて教室を出た。
……『カチヤ』の声が教室から聞こえてくる中、廊下で一人立たされている僕は考えていた。
なんで僕だけこんな目に遭わなければならないんだ。そもそも僕が見つかっただけで、他の誰かだってカンニングをしていたはずだ。あんな難しいテストなんだから、そうに決まっている。
それなのに『カチヤ』は、僕を狙い撃ちするように叱ってきた。きっと初めから仕組まれていたんだ。『カチヤ』は僕を陥れるために、マークしていたんだ。
『どうだ甲村。お前に生きる資格などないとわかったか?』
……うるさい。
『お前はカンニングをする、どうしようもないクズだ。お前をとことん追い詰めて、自殺に追い込むのが私の義務だ』
……黙れ。
『私は生徒を苦しませ、自殺に追い込む使命がある。そのために、邪魔なお前を排除したのだ』
「だまれぇ!!」
教室の中から聞こえる『カチヤ』の声が、僕を追い詰める。やっぱり全ては罠だったんだ。『カチヤ』は僕を……いや、この学校の生徒全員を苦しめるために動いているんだ。
そんなことをさせるもんか。僕はみんなを……カザリさんを守るんだ。
『カチヤ』の声が耳元で聞こえる中、僕の憤りはますます増していた。