花倉
正成は今川館を急襲した。突如として表れた兵に街の者達は慌てふためくが、館内は義元指揮の下、何とか平静を保ち戦っている。
「良いか、火矢が来れば女共は直ぐ消して回れ」
「戸が燃えたら戸を蹴り捨てよ。中に矢が届いても構わぬ」
寿桂尼が昨日正成の許を訪ねたばかりである。まだ帰らぬ寿桂尼に不安も残るが、義元は朱色の大鎧に身を包み、屋敷に籠る者達に声を掛けた。
正成は時間の経過と共に不利になることを悟り、義元の首を狙って奇襲してきたのであろう。
「流石は越前守」
的確な選択である。ここで義元の首を獲れば万事解決となるのだから。
「チト、苦しいか」
臨戦態勢であったとは言え、義元の手勢は少ない。だが、奇襲を仕掛けてきたということは少数の兵、恐らく正成子飼いの兵の一部であろう。
「刻を稼げば」
この奇襲はすぐに広まり、義元派の援軍が駆け付けるであろう。駿府周辺は比較的義元派が多く、屋敷詰めの武将もいた。正成の援軍が来る恐れは少ない。
奇襲部隊を率いる正成の家臣も同様に考えているだろう。義元はそう考えていたが、大きな間違いが一つだけあった。
「東へ回れ」
門の外から聞き覚えのある声がする。
――まさか
正成自ら兵を率いてきたか、と、動揺を隠せない。この状況において、敵大将が突如として奇襲を仕掛けるなど、尋常な手では無かった。
だが、正成からすれば自然な手である。正成ほど戦慣れした将は少なく、的確な状況判断ができる者は少ない。甲府攻めの経験を持つ正成自ら兵を率いるのは当然と言えた。
「話が違うぞ、御師」
義元は誰にも聞こえないよう師に文句を言う。
――越前守は戦慣れし過ぎておる
敢えてこちらに聞かせたのかもしれぬ、と、逆を警戒した。
――越前守が逃げるのなれば、坤か
正成らは義元を逃がさぬよう、館全体を薄く囲んでいるであろう。だが、義元派の援軍が来ればそこから計画に綻びが生じてしまう上、偶発的な市街地からの退却戦となってしまっては、退路を断たれる危険性がある。
だとすれば退路は事前に確保している筈であろう。駿府から近過ぎては追手の危険もあるし、離れ過ぎては今後の戦に支障が出る。とすれば影響力の強い遠江をめざし、西へ向かうしかない。
義元は大手門を守る兵の一部を、西門の応援へと回した。
「早い」
正成は舌打ちした。彼の想定では義元派の援軍が来るまで後半刻はある筈である。
応戦するための予備兵はいるが、思いの外援軍の動きが良い。奇襲対応に慌てて兵を出したと言うよりも、既にこうなることを分かっていたかのような動きである。
「来たのは誰ぞ」
伝令に来た兵に問うと、兵は
「ハキとは見えませなんだが、左三つ巴の紋かと」
と、答えた。
――左京進か
正成の表情が険しくなる。裏切り者がと吼えてしまいそうになるが、ここで感情的になってしまっては、奇襲と言う難易度の高いこの作戦に悪影響を及ぼしてしまう。
館内を動揺させるために虚報を出しもしているが、どうやら氏輝の弟は冷静に対応しているらしい。
――憎らしいものよ
こうなれば今夜の奇襲は失敗である。久能山城に戻れば袋の鼠となってしまう以上、花倉か土方に逃げるしかない。
「午の方に引け」
親綱は西から来た。数の力で押し返すのも良いが、館内の兵が出てきてはまずいし、何より既に退路が断たれたと見るべきである。
駿府の道は綺麗な碁盤の目では無い。一見整っているように見えるが、曲がり角に角度を付けていることが多く、下手な道に入り込んでは敵の前に姿を晒すことになってしまう。
正成は南に向かい馬を駆る。この道を使えばやや西側に出ることは承知していた。同時に親綱が伏兵を置いていることも恐れていた。
だが、伏兵はおろか、通常の警備兵と思われる兵もいない。
――左京進は
見逃してくれたのか、と、思う。
これまで幾度となく馬首を並べたが、この様なミスをするような凡将ではない。激しく攻め立てもするが、手堅い戦い方をするのが持ち味と言っても良い、いぶし銀のような将である。
正成は駿府を一瞥すると、そのまま振り返らずに花倉城へ向かった。
後に花倉の乱と呼ばれる今川家の家督継承争いは、この夜襲から始まったのである。
「五郎兵衛はおるか」
義元の命を受け、一時岡部館に戻った親綱は息子の姿を探す。
「はっ」
と、言いながら鎧を鳴らし、駆け足で目の前に膝をつく息子に頼もしさを覚えながらも、親綱は厳しい表情で伝える。
「父と兄はこれより」
御館様のため戦に参る、と、突き放すように宣言する。そして
「我らに何かあれば、そちが岡部の家を継ぎ」
そこまで言うと一呼吸を入れ
「御館様に尽くせ」
と、言った。
「はっ」
五郎兵衛は余計な言葉を挟まず、素直に頭を垂れる。親子で戦死しては家の存続が危うくなってしまうと容易に理解できた。
岡部家は親綱の家だけではない。岡部美濃守久綱の岡部家もあるが、両家が互いに助け合い、今川家中で一定の力を所持し続けてきた。万が一の時は互いに支え合うこともできようが、方輪が外れてはこれまで築いた岡部の影響力が低下してしまうのである。
「父上、御武運を」
「うむ」
戦国武将として、そして父として、親綱は威厳のある態度で息子に接していたが、自らの命が消えるかもしれないというこの時になり、改めて岡部家の将来を考える。
――聡い子だ
数年もすれば元服するであろう。物事を良く理解し、何より人の考えを察することに長けている。兄の長秋も戦が上手く、戦国の世にあって恵まれている家だと思う。
――良い働きができよう
己が露と消えようとも、岡部家は安泰。そう思えた親綱の表情は、ここ数日の暗鬱とした表情とは打って変わって別人のようである。
そして鍬形の立物が付いた兜を被り、ゆっくりと館の外へ出る。梅雨明けしたのか日差しが強く、銀色の立物が良く輝いていた。
すうっと大きく息を吸うと、集まった兵を前に郷中に聞こえるような大声を上げた。
「義元公の命により、我らはこれより方ノ上城を攻める」
平時こそ文官であるが、戦となれば攻めの激しさで名を知られた親綱である。戦を前に、気分が良い。
――血が
騒いでおる。戦にならぬようになど、何と愚かしいことであったか。喜びで体が打ち震えておるではないか。
猛る気持ちを隠そうともせず、親綱は更に大音声を上げる。
「戦じゃあ!」
応、と兵達も声を張り上げる。
「命を惜しむな!」
「此度も勝つ!」
応、応、と、兵達は応じる。一種の集団催眠であろうが、親綱の戦振りを知る兵にとって、親綱の表情は戦の勝利を約束してくれるものであった。今日の晴れ渡る空のように屈託の無い笑顔をしている親綱は、彼らにとって必勝の守護神である。
親綱はその勢いのまま方ノ上城に向けて兵を進めた。城とは言っても砦のようなものであり、この乱をきっかけに正成派の篠原刑部少輔達が奪い、城代を置いていた程度のものである。
だが、義元にとって重要であったのは、この城の機能であった。
方ノ上城は現在の日本平PA付近にあり、北東に山を抱えている。駿府からすれば、遠江から来る兵は山で見えないが、この方ノ上城がそれを察知し、狼煙を上げることで「目」の役割を果たしていたのである。
正成は義元の目を潰しに掛かったが、義元は即座に反応した。落城の報を受けると目を奪い返すため、親綱に攻略させたのである。
岡部軍は矢盾を上に向け、勢いに任せて山道を登った。砦には簡単な曲輪程度しか防衛機能は無く、道を阻むのは曲輪の堀切程度である。だが、一直線に本丸へと向かうその道には四層の堀切があり、山の尾根を利用した造りになっている方ノ上城では、全ての堀切を越えるしかなかった。
岡部軍は堀切の先に兵が居れば矢を降らし、敵が躊躇したところを堀切から一斉に出て斬り付ける。
「慌てるな、身を低くせよ」
親綱に勢いを殺す気は無いが、無駄死には求めていない。兵が尾根から落ちるのも、敵の矢の的となることも防ぎたい。
無論、兵は岡部の里の者ばかりであるし、親綱の言わんと欲するところは理解できている。だからこそ兵達は憑き物が落ちたかのような親綱の為、前に出ることを喜んだのである。
岡部軍の猛攻の前に、方ノ上城は短時間で陥落した。
そして各地の将を味方に付けた義元は、更に甲斐の武田や相模の北条を味方に付け、良真派の拠点である花倉城(葉梨城)を攻める。
親綱もこの城攻めに加わり華々しい戦果を挙げ、戦後、義元から方ノ上城攻めの功と合わせ、感状が下されることとなった。
父と兄の生還を待つ五郎兵衛は、帰着した兵を捕まえては敵の配置や攻め難かった場所、予想外の展開があったか等、戦に物狂いしたのではないかと笑われるほど、事細かに聞いて回った。
「まず親父様の心配をなされませ」
大人達は苦笑していたが、彼は何ら頓着せず
「父に何かがあれば、とうに早馬が来ておりましょう」
と、小賢しさを感じるような、ややもすると生意気なことを言い、そしてまた他家の戦い方などを聞いて回る。
「初陣のための心構えです」
聞かれればそう答えていたが、彼は父と同じ場に立つ己の姿を夢想し、兵から見た戦場の様子を聞いて回る事で、より現実的な、それこそ戦場の臭いを感じられる程、頭の中で戦を繰り返していたのである。
――父や御館様は
戦が上手いのかもしれない。
大人が聞いたら何を当たり前のことをと思うかもしれないが、花倉での戦い方を知れば知るほどそれを実感していった。
――でも
違う戦い方もできたのかもしれない。
そう考えたこと自体が父に対する裏切りのようで、幼心に申し訳ない気持ちを抱きながら、彼なりの戦後が過ぎて行く。そんなある日のことである。
「五郎兵衛よ」
枯葉色の肩衣を着、脇息に少し身を傾けた父から驚くような話を持ち掛けられた。
「駿府のお館様の下で学んで参れ」
立場が不安定だった義元は、独自に家臣団を作ろうとしたのであろう。小姓や馬廻のような近習を探しており、五郎兵衛にも白羽の矢が立った。
親綱としても息子の将来が約束されたようなものであり、否やは無い。五郎兵衛からすれば若さから来る都会への憧れと、そして父に言われ続けた尽くす相手のために働けるという、日本人的な自己犠牲への震えるような喜びがあった。
「岡部の名を汚さぬよう、励んで参ります」
恭しく平伏する五郎兵衛の姿に、親綱は
――ここまで成長していたか
と、息子を頼もしく思うと共に、男親として言い表せない寂しさを抱いていた。