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高天神城  作者: 麻呂
3/18

還俗

 氏輝、彦五郎の葬儀は表向き淡々と行われた。

 そして玄広恵探は還俗し、今川良真と名乗り家督を継ぐ。少なくとも親綱はそう見ていたし、これまでの雪斎の様子から、恵探が後継者となることに誰も異を唱えぬと思っていた。

 だが、太原雪斎と寿桂尼が栴岳承芳を還俗させたのである。これにより親綱は新たな悩みの種を抱えることとなる。


――ふざけるな

 還俗直後とは言え、惠探とて戦国武将の一人である。これくらいの悪態は吐いたかもしれない。いや、正成がそれ以上に怒りを露わにしたであろう。

――生臭坊主めが

 氏輝達の排除を言い出したのは、糞坊主であったではないか。

 かと言って、自身も深く関わり過ぎてしまったために、今更表立たせることもできない。

――かく成る上は

 遠江を纏める。井伊や飯尾、更に堀越といった旧勢力を味方に付け、遠江連合を形成すれば十分勝ち目がある。

 更に、懇意にしていた駿河の者に手を回し、雪斎側に付く者を減らせば良い。

「急ぎ使者を」

 遠江側は勿論のこと、駿河の家臣を抱き込まねばならない。特に重臣の朝比奈や岡部は真っ先に手を付けるべきであろう。

――岡部か

 親綱には十分働いてもらった。それに報いることを約し、更なる条件を提示するのが良かろう。

――真面目なれば、使える男よ

 いくら立場を与えたところで、福島に逆らうことは無い。都合の良い駒である。

 岡部家にも早々に使者が送られた。



 親綱は正成の使者にも深々と頭を下げた。

 これには使者の方が恐縮し、お止め下され、と、声を出してしまうほどであったが、少なくとも岡部家は福島家に対する叛意が無いであろうと感じられる。

「我が主、福島越前守が申しますには」

 今川家に反旗を翻し家中を混乱に陥れる雪斎達を征伐し、御館様を共にお助け致そう、と。

――御館様、か

 今川館の主が御館様となるのであれば、今は栴岳承芳であろう。

 正成にはそれなりの勝算があるから、戦の先の話をしているのか。

「某は」

 これまで通り、今川家の御為尽くして参ります、と、親綱は言う。そして

「良真様にもよしなにお伝え下さいますよう」

 と、言葉を終えた。

 使者は得たりと笑い、されば早速、と、顔一杯に安堵の表情を浮かべながら岡部の館を後にする。

――筋は違えど

 良真は側室の子である。正室の子は雪斎が擁立した承芳であるが、これまで雪斎自身が良真擁立に異を挟んでいないではないか。

――雪斎殿が引いてくれれば良い

 岡部家が正成側に付いたとなれば、三浦、朝比奈両家の判断にも影響が出るであろう。福島家と岡部家、そして2家の戦力を考えれば、正成側の勝利は堅い。

「このまま何事も起こらねば良いのだ」

 ふと口を吐いた言葉に首を振り、考えを改める。

――だが、あの雪斎殿が

 そう簡単に引く訳が無い。明確な態度を示した以上、きっと何かを隠し持っていると見て良いだろう。

――何ができるのか

 この状況で決定的な何かを出せるとは思えない。

 親綱は文官肌の人間である。無論、今川家重臣の家に生まれ、これまで幾度も戦を重ねてきただけあって、その穏やかな表情の裏には激しい武将の顔を併せ持っているが、氏輝の側近という立場もあり、少なくともここ数年は文官的な、言うならば政治的な物事の捉え方をするタイプであった。

――戦になる

 今の今川家は、血が流れなければ解決できない状況に陥っている。

 雪斎が何を隠し持っているか知らないが、戦を回避できない状況になったことは間違いない。 

「急ぎ、戦支度をせよ」

 館内に命じる。

「長秋、五郎兵衛にも」

 息子達にも戦支度をさせる。無論、形だけのものであるが、岡部家が一斉に戦支度を始めた、ということで、正成側には忠誠のメッセージと映るであろうし、雪斎側には威嚇のメッセージと映るであろう。他の家にも旗幟を鮮明にしなければならない、というプレッシャーを掛けることとなる。

――それでも

 できることなら戦そのものが無いことを願い、雪斎が諦めるような手を打ち続けるしかできなかった。



 親綱の悩みを嘲笑うかのように、雪斎は栴岳承芳を今川義元として還俗させた。将軍より偏諱を賜るというこれ以上ないオマケ付きで。

 元々正室の子、という立場があった義元に、更に将軍のお墨付きが与えられたのである。家中は大きく動揺した。

――まさか

 最も動揺したのは、無論、正成である。次いで親綱であろう。 

 正成の動揺は怒りへと変貌し、その思考は過激な方向へと進む。少なくともこのまま手を拱いていては、義元派に寝返る者が将棋倒しのように生じてしまう。折角三浦や朝比奈と肩を並べるところまで来たと言うのに、何故このような状況に追い詰められねばならぬのか。

――刻は無い

 急ぎ、手を打たねばならぬ。だが、誰をどう動かすか。

――三浦と朝比奈はアテにならぬ

 彼らからすれば今川家の重臣は2家のみであり、武田との戦で成り上がった正成のことを快く思っていないであろう。両家は勝てる方に付く、という態度がアリアリと表れていたし、義元に大義が出来てしまった以上、余程のことが無い限り正成に付くことは無い。

――殺さねばならぬ

 それも早急に。義元の首さえ上げれば、万事解決するではないか。

 正成は細い目を暗く光らせ、戦支度を進めていった。



 一方、親綱の動揺は恐怖へと変わっていた。

――早過ぎる

 まだ氏輝の死から二か月も経っていないではないか。

――雪斎殿は

 この状況を予想し、氏輝存命の内から手を打っていたのか。

 甘く見ていたという言葉では表現できない、心臓を掴まれるかのような恐怖が親綱を支配する。

――越前殿は

 恐らく急いで兵を挙げるであろう。時間を掛けていては義元側に靡く者が増えてしまう。

――だが

 戦の中で寝返られては更に状況が悪くなる。正成側に立ち、雪斎を諦めさせようと追い詰めていたつもりでいたが、追い詰められていたのは自分達であったか。

――どうすれば

「殿」

 恐怖に今後の対応を相談する親綱に知らせが入る。

「尼様がお見えでございます」

「尼?」

「はい、お侍様も付いて、急ぎのお話しとのことでございます」

――まさか

 駿河に警護付の尼などそうそういない。ましてやこの雨の中、岡部家を訪れる尼など。

「丁重にお通し致せ。恐らく」

 そのお方は国母様である、と、添えて。


「このような田舎にお越し頂き」

「よい、そのような堅苦しい挨拶をしておられぬ故」

「はっ」

 深々と頭を下げる親綱に、寿桂尼は堅い顔を少し崩す。

――数年前なら

 このような梅雨に髪の手入れを邪魔されたが、と、他愛もないことを思い出し、左耳の上に軽く手を遣り、帽子もうすに触れた。

 着替えも済んでおり、雨の中来たとは思えないような居住いであるが、少し息が荒いのはやはり慌てていたせいか。

「顔を上げよ」

 はっ、と、言いながらゆっくりと顔を上げるが、親綱はその顔を見ることができない。

「気にしておるのか」

 親綱は答えない。いや、答えられない。

「雪斎より」

 彦五郎を斬った者を捕え、斬り捨てたと聞いておる。武田の間者であった故、氏輝が寝込んでいると知らず、間違えて彦五郎を襲ったと。

 親綱は驚き目を上げる。そこには伏し目がちに話す、子を亡くした尼が一人いるのみであった。

「氏輝の傍にあり、よく働いてくれた」

 そう言いながら寿桂尼は親綱の顔を見た。偶然とは言え目が合い、親綱は慌てて目を下に遣る。

――変わらず、美しい

 寿桂尼は四十の頃であろうか。化粧領を貰い、悠々自適な生活を送っていた寿桂尼は、岡部の女共とは違い、白く、品のある美しい姿であった。上気したのか頬も少し赤く、年齢より若く見える。

「勿体無いお言葉」

 感情とは裏腹に、親綱は通り一辺倒の返事をした。

「今日参ったのは」

 国母たる威厳を持ち、寿桂尼は改めて言う。義元に味方し、今川家を安んぜよ、と。

 外の雨の音に掻き消されることなく、寿桂尼の言葉は凛として親綱の耳に入る。正成側にいる親綱にとって板挟みとならざるを得ない苦しい言葉であったが、彼には救いに聞こえた。

――国母様が御自ら

 まだ今川家の当主の座は空席である。現状代行人として相応しいのは、過去にも氏輝の後見人をしていた寿桂尼をおいて他に無い。今川家当主たる寿桂尼自らに依頼されたとあっては、家臣として受けねばなるまい。正成は家中最大の実力者とは言え、岡部家に命を出せるのは今川家のみである。

「恐れ多いことにございます」

 と、下げた頭を更に下げ

「この左京進の働き、存分にご覧くださいますよう」

 と、続ける。

「頼もしや」

 寿桂尼の明るい声にこちらも笑みが零れそうになるが、親綱の笑みは寿桂尼に釣られて、と言うより恐怖から抜け出せた安堵のためであろう。

――これで

 雪斎の恐怖から抜け出せる。

 なまじ文官肌だあったからこそ、雪斎の恐ろしさが分かった。

「某も」

 岡部家も近隣の地侍達に義元に付くよう人を遣ると約束する。

「それは」

 と、寿桂尼が目を大きくした。当然であろう。岡部家が付けば上々、それ以上望んで話が拗れるのは避けたいところであったし、雪斎が動いているのを承知していたからである。だが、岡部からも声が掛かるとなれば雪斎も仕事がし易かろう。

 親綱の言葉は、罪滅ぼしの気持ちからでは無い。大企業役員の処世術と言った方が良いかもしれない。それでも寿桂尼は親綱の言葉に喜び、親綱もその場で朝比奈家に使者を出した。

「間も無く雨も上がりましょう」

 そう言いながら外を見る寿桂尼の佇まいは、やはり岡部の者とは違う。

――血とは

 かくも大きなものであるかと思う。

――義元殿は

 まだ見ぬ義元の「血」と雪斎の鬼謀に複雑な気持ちを抱きながら、親綱は寿桂尼を見送る。

 その時初めて寿桂尼の衣から、香を焚いた香りがしていたことに気付いたのだった。

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