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高天神城  作者: 麻呂
2/18

親綱

 高天神城の戦いから遡ること44年、天文5年3月(1536年)、駿河国岡部郡にある岡部親綱の館は慌ただしかった。今川氏輝とその弟彦五郎急死の知らせが舞い込んだのである。いや、彼は氏輝側近であったため、その死を逸早く知った一人であるから、その知らせに慌ただしくなったと言っては不適当である。

 まだ氏輝の葬儀も済んでいないと言うのに、彼の館は戦の前のように人の出入りが激しくなっていた。主家の当主とその後継者が不在になった今、その重臣として葬儀に責任を持たなければならないため、その準備に慌ただしくなるのは不思議なことではない。だが、今回ばかりは事情が違う。



「恵探殿が今川家を御支えできればと」

 今川家中で最も影響力のある福島越前守からそんな話があったのは、昨年の暮れのことであろうか。氏輝の体調が悪く、万が一のことも考えねばならぬという話になった時、正成はその細い目を更に細くして、さも自分が今川家を案じている忠臣であるかのように言っていた。

――何を申すか

 と、親綱は思う。

 正成は一門の娘を氏親(氏輝の父)に嫁がせており、側室とは言え一男を儲けていた。継承問題が生じないよう氏輝と彦五郎以外は皆仏門に出されていたが、半年ほど前から側室の血を引く弟、玄広恵探げんこうえたんが福島の館に出入りしている。

――彦五郎殿がいるではないか

 家中随一の実力者であるため、表立って正成に意見する者は少ない。更に正室の三男、栴岳承芳せんがくしょうほうの後見人に当たる太原雪斎も恵探の動向を否定的に言わないため、誰も意見が言えずにいた。

――あの時

 既に計画は進んでいた。

 正成と雪斎は家臣の立場で考えてはならぬことを画策し、実行に移していた。そして先日、氏輝側近であった親綱に、断れない提案をしてきたのである。

「左京進どの」

 そう呼び掛けられ、話を聞いたあの場で

「有り得ぬ」

 と、言えればどれだけ楽であったか。


 氏輝の死と共に彦五郎を斬る。言葉にすれば単純であるが、果たしてあの二人はその意味が分かっているのだろうか。

 このことを誰かに伝え、二人を弾劾するのが正しい姿であろう。だが、誰があの二人を止められると言うのか。病に臥せることの多い病弱な当主に伝えるとて、どうして事実の証明ができようか。

――逃げ場も無い

 この二人に逆らえば、間違い無く岡部家は潰されるであろう。だが、二人の意を酌んでは自身も大罪を背負うこととなる。

 親綱の心中を容易に察したのであろう。雪斎は少しでも彼の抵抗を和らげるため、親綱の役割がさも軽く、責任はあくまでも二人にあると話を進めた。

「御館様は持ってあと半年」

 初耳であった。病弱であるがそこまで弱っていたとは思えない。

「すでに、な」

 毒を盛っている、とは言わないが言外に匂わす。だとすれば

「小田原から戻られたら」

 氏輝は武田との戦勝祝いに小田原へ行くことになっている。正成も同席する予定でおり、後々氏輝の訪相が無理を押してのものであったと証明するのであろう。訪相の疲れから氏輝は病に臥せり、そのまま帰らぬ人となる。無理のある話ではない。そして彦五郎には留守中兄と同じ病が生じ、彼もまた帰らぬ人となる、言う。

「斬る者は既に仕込んでおる故」

 後の処理だけを左京進殿に願いたい、と言う。

――わしには出来ぬ

 そう言いたいが、二人が親綱に話してきた以上、既に自身が大きなうねりの中に巻き込まれていることは間違い無い。

「越前殿にも御坊にも申し訳ないが」

 コトがコトだけにこの場ではお答え致しかねる。無論、今聞いたことは他言しませぬ。と、重臣らしい態度で言うと、震える足に気付かれぬようにその場を去る。

――いっそ後ろから斬り殺してくれれば

 そんなことを思いながら、親綱は館へ戻る。自身の周囲が危険になることは承知の上だった。



 数日の間親綱は悩んだ。今川家を見れば病弱な当主を抱え、先達ても甲斐の武田信虎に攻め込まれている。幸い正成達の活躍により押し返しているが、当主が弱いと見れば攻めてくるのが戦国の世である。氏輝に今川家の当主たる資格があるかと言われると、親綱には答えられない。

 玄広恵探げんこうえたんであれば正成の一門であるし、家中が福島色で纏まることができるであろう。そうなれば正成のこと、北条と手を組み武田を攻め、今川家の版図が広がることは想像に難くない。

――だが

 親綱は悩み続けた。

 主殺しや親殺し、兄弟は勿論、子殺しがあるのが戦国時代である。その国に暮らす者は、当主に力無いと見れば、自らが生き残るために主を替えねばならない時もある。

 二人に相応の見返りを求め、大きな目で見て二人の手先となるのが今川家、ひいては岡部家のためであろう。

――だが

 それでも親綱は悩む。

「父上」

 と、悶々とする親綱に声が掛かる。

「おお、五郎兵衛か」

 顔を上げると、そこには9歳になる息子がいた。

「何を考えておられるのですか」

 はっとして息子の目を見る。利発そうな子に成長しており、その目は世俗に塗れておらず、活き活きと輝いているようにも見える。

「そうか、そう見えたか」

 平静を装い堂々と答えるが、心中穏やかではない。

「案ずるな。わしが考えるとすれば岡部の家と今川の御家」

 そしてお主の行く末のみよ。と、言う。

 五郎兵衛は少し首を傾げると

「父上、戦があるのですか」

 と、改めて聞いてきた。

「戦など」

 あるものか、と、親綱は言うが、氏輝の存在が戦を招いている事実を突きつけられたようで、じっとりと嫌な汗が出た。

「某も」

 早く戦に出とうございます、と、目を輝かせて言う世継ぎに困った顔をしながら、親綱は言った。

「そうならぬように動くのが父の務めよ」

 衣擦れの音と共に立ち上がると、親綱は外へと向かう。

「どちらへ」

 というの使用人の言葉に「土方ひじかたへ」と返すと、親綱は馬上の人となり供も付けずに一路駆ける。土方城は福島氏の拠点であり、高天神城とも呼ばれていた。

――二人が口に出した以上

 この計画は戻れない所まで来ている。いや、もう最後の手を待たずとも氏輝は詰んでいるのであろう。

 親綱が内心最も恐れていたのは、二人が責任を親綱に擦り付け、岡部家が潰されるのではないか、ということであった。だが、氏輝側近である親綱は今川館の者達とも懇意にしていたし、自身が実行犯で無いことはその者達が保障してくれよう。

――岡部家が生き残るには

 二人に付くしかない。最初から気付いていたことであったが、ようやく覚悟が決まった。


 高天神城に付くと、城門を守る兵は即座に門を開けた。まるで親綱の来城が分かっていたかのようである。

「越前守様はこちらに」

 と、名乗りを上げる前から案内される。

 季節柄乾いた冷たい風が吹き、汗をかいた親綱の体を冷やす。日陰の場所ではより寒さが増していたが、火照っていたのか親綱は気にもしない。

「これは左京進殿」

 正成が目尻を下げた好々爺のような顔で出迎える。案内の者は頭を下げると速やかに持ち場に戻り、その場には三人の男が残った。

「こちら、御世継ぎの恵探殿にて」

 親綱の挨拶を待たず、正成はもう一人の男を紹介してきた。

――これが

 言われてみれば氏輝に似ている。腹違いであるためか目元等は大分違う気がするが、今川家の血であることは間違いないようである。何より氏輝同様あまり外に出ていないようで、肌が白い。

「岡部左京進親綱にございます」

「世話を掛ける」

 声は少し高い。まだ俗世の立場に慣れていないのか、緊張しているのか。

「勿体無いお言葉」

 親綱は気付いた。もう自身が協力すると言っているようなものである。

――断らせる気は無かったということか

 何とも言えぬ気持ちが入り混じる親綱に、正成は「御家への忠義、比類無し」と声を掛けてきた。

 己のどこに忠義があるのかと嘲り笑いたくなるが、親綱の心はどこか安堵する。

「後は某が進めます故」

 何も気になさいますな、と、正成は笑った。



 天文5年3月17日、いつものように親綱は氏輝の部屋にいた。小田原から戻ってからの数日は体調悪化が激しく、見舞いのため連日訪れていたのである。

 侍医はいつものように薬を処方する。近習に聞いたところによると、雪斎が氏輝の病を知り、昨年京より招いた名医であるとのことだった。

――昨年から

 親綱は近習の言葉に驚くが、近習は京からわざわざ呼び寄せたことに驚いているのだろうと見た。無論、違っている。

 容態が急変したのはその四半刻ほど後のことで、近習は侍医を呼びに走った。だが、侍医が駆け付けた時には既に事切れ、氏輝はこの世の人ではなくなっていた。

「彦五郎様を呼んで参れ」

 親綱は近くに居た近習に命じる。更に続けて府中の屋敷にいる筈の正成に早馬を出すように伝え、その指示を仰げと続けた。恣意的な面もあるが、正成の立場は今川家における筆頭家老であるため、誰も疑問に思わない。

 親綱は改めて氏輝の顔を見る。そして自身がまだ氏輝に手を合わせていないことに気付き、慌てて手を合わせた。

――終わった

 と、安堵と恐怖に身を支配されながら。


 彦五郎の死が報告されたのはその半刻後のことであった。信じられぬ報に動揺する今川館にあって、親綱は重臣らしい冷静さをもって、皆落ち着け、と声を張り、続けて言う。

「コトがコトだけに、他言無用とせよ」

 もし他家の間者が入っておっては、今川家の危機を招く、と、理をもって伝えると、近習達の動揺も大分収まった。

「この件はわしが預かり越前守殿と相談する故」

 以後、氏輝様のことのみ口にせよ。と、緩い緘口令を敷いた。

 氏輝の体が弱いことは武田家にも知られていたし、そこまで緘口令を敷いては却って怪しく思われるであろう。

 逆に一部話して良いとなれば、人はその許されたことを安心して話してしまうものである。自然と彦五郎の事件は無かった方向に向かう。

――あの二人は

 そこまで読んでおったのか、と、親綱一人震えていた。



 岡部屋敷に出入りする使いの者は、今後の相談が書かれた書状や、今川家の行く末を案ずる書状 ――つまり誰が後継者になるか―― が多かった。

 氏輝側近として、また、重臣岡部家の主である親綱にそのような相談が舞い込むのは当然であったが、親綱はそこまで考えが及んでおらず、只々使者の対応に追われていた。だが、忙殺されることで彼は恐怖から離れることができ、何時しか日常を取り戻していた。

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