表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
高天神城  作者: 麻呂
15/18

桶狭間

 永禄3年5月17日、今川義元は対織田戦最前線にほど近い沓掛城に入った。

 織田軍が攻撃の意思を露わにし、鳴海城の付城として、丹下砦、善照寺砦、中島砦、大高城の付城として、丸根砦、鷲津砦を構えてきたのである。

 と、表現しては信長の一方的な挑発のようであるが、彼に言わせれば「向こうが先だ」と一笑に付されるであろう。山口教継らを利用して尾張侵攻を行ったのはどこの誰だと。


 義元は沓掛城で軍議を開くと、まず大高城へ兵糧入れを行うように命じた。先に述べた通り、大高城に行くためには丸根、鷲津の砦を通らねばならず、盾もろくに持てない荷駄を中心とした部隊は、死の危険と隣り合わせの嫌な役回りである。戦略的に重要な役割と分かっていても、目に見える戦果を得られないため、積極的に受ける者はいない。だが、

「ここは」

 と、進んで前に出たのが元康である。

 彼には三河国主としての地位が約束されていたが、それはあくまでも地方行政官トップの立場であり、旧臣を多く抱える松平家の当主とすれば、家臣への俸禄を不安視せざるを得ない。この戦において危険を顧みず活躍することで、今川家への忠節を示し、加増を期待するのは当然のことであった。

「おお、元康」

 既に駿河・遠江の政治は氏真が差配している。三河は義元が預かっているものの、この元康を据えるのは既定路線であり、家臣を納得させるためにも元康の活躍は願っても無いことであった。

「三河侍の強さ、我に見せてくれるか」

 嬉しそうに言う義元の声を受け、元康は即座に首を垂れる。

「御屋形様には吉報をお待ち頂きたく」

 義元の周囲に控える重臣達に聞かせるように、言葉を力強く発した後、元康はガシャリと音を立てて立ち上がり、その場を後にした。


「よいか、皆の衆」

 5月18日、元康は馬上の人となり、俵を担いだ兵達を見渡す。我らはこれより大高城に兵糧入れを行う、と、宣言すると、所々から応、応、と声が上がった。

「只ひたすらに駆けよ」

 大高城へのルートは複数あるが、いずれも一長一短あり、元康がどこをどのように通るのか、義元達今川首脳部も気になる所であり、織田家もそれぞれに対策を取っている。

「荷駄以外は盾を持ち」

 元康はそう言いながら兵の間に入り、予想される砦からの弓に備えるよう細かく指示した。既に最短距離である街道を通ることを決めており、今川、織田両軍に対して三河の意地を示す機会と捉えている。

――御屋形様に見せねばならぬ

 元康は今川家において厚遇されている。勿論血によるものであるが、彼の資質によるところも大きい。使える者を次々と抜擢する義元にとり、元康は大きな拾い物であったろう。そんな義元に「三河は忠義者」「三河の何某が使える」という認識を持ってもらうことができれば、家臣の出世も十分期待できるのである。

 大高城の丁度東に丸根砦があり、その北側、現在の大高駅東側に鷲津砦がある。元康はただひたすらに西へと向かい、丸根砦からの弓を受けながらも、無事大高城に兵糧を届けたのであった。



 先に述べた鷲津砦を北東に向かえば、善照寺砦等に囲まれた鳴海城がある。この頃、鳴海城主の元信は各地に斥候を放っていた。織田方の丹下、善照寺、中島の砦の動きを見るだけでなく、その背後にいる信長が――最後は清須で籠城戦になるであろうが――どのように動くのか、織田軍が鳴海城に来る可能性が多分にある以上、元信は織田方の動きを警戒せざるを得なかったのである。

「殿」

 5月19日、この日は非常に暑い日で、元信も「日が近くに落ちたか」と冗談を言う程であったが、そんな彼の情報網に妙な話が引っかかった。

「織田方、次々と善照寺砦に入っておりましたところ、一団が外へ出ておりまする」

「ほう」

「四つ目結の紋などが見え、その数200を超えており、士気高く街道を駆けていることから恐らく」

 報告者が言い過ぎたと気付き、言葉を止めたが元信は続きを促した。

「恐らくこちらに向かっているものと思われます」

「御苦労」

 元信は気の利き過ぎた報告を受け取ると、一言呟いた。

「街道を、な」

 街道を通れば斥候の目に入りやすい。木々の間を移動するのは難しいことであるが、劣勢にある織田家が街道を進むというのはどういうことか。

――兵は拙速を貴ぶと言うが

 前線たる鳴海城はその防衛に力を入れており、十分な兵でなければ落とすことはできない。織田側が鳴海を攻めるという陽動のために見せているのでは、との不安が拭えない。

 既に大高への兵糧入れがあり、続いて鷲津、丸根両砦の攻略が行われた。城を出た一団の動きが陽動であろうがなかろうが、今川方にとって元信が鳴海城へ釘付けにされるデメリットは大きい。善照寺砦に次々と入っている織田方の狙いはどこにあるのか。

――鷲津を攻めたは朝比奈備中守(泰朝)殿であったな

 大高城は苦しい状況に置かれていた。早期に付城たる鷲津丸根を落とさねばならず、兵糧入れの元康勢はそのまま大高城の援軍となり、返す刀で丸根砦を攻め、朝比奈泰朝や井伊直盛らが反対側から鷲津砦を攻めたのである。

――織田本隊が此処を攻めれば

 即座に朝比奈勢がその背後を突くであろうし、義元本隊も大高城に向かっているため、そのルートを西から北へと変更すれば、一気呵成に織田を殲滅することもできるのである。

 つまり、善照寺砦に入ったところで織田方にできることは殆ど無く、ネズミが猫の掌の内に入ってきただけのことであった。

――だからこそ

 この鳴海を目指していると思われる一団は不気味であった。


 程無く、佐々政次と千秋せんしゅう季忠すえただら約300の兵が鳴海城に攻め寄せた。

「後続がおるやもしれぬ、何ぞ動きがあらば即、声を上げよ」

 元信は矢倉に向かって声を出しながら、自らも弓を引き絞り、先頭の一団目掛け矢を放つ。織田の足軽一人が腕を抑えて立ち止まった所を見ると、どうやら腕を掠めたのであろう。

――織田に勢いがある

 織田家が劣勢であることは誰の目にも明らかであった。だからこそ近隣の地侍達は今川家に靡き、何ら抵抗することなくその道を開け、義元らの進軍が早まったのである。対する織田家は極端に言えば逃げるか死ぬかの二択を迫られている状況であるのに、佐々らの軍勢は勢いがあり、元信には不可解であった。

――死ぬ気か

 鳴海城を攻める兵が真剣であればある程、織田家は鳴海城を狙っていると思わざるを得ない。だが、だからこそ元信には一つの仮説が浮かんでいた。

――善照寺砦に入ったは、敵大将に相違無し

 劣勢の中で兵を死地に追いやれる立場の者が善照寺砦にいる。とすれば、状況から敵大将出陣であり、何らかの戦果――今川の将の首――を挙げ、痛み分けの形で講和に持ち込もうとするであろう。

 大高城と鳴海城を奪われた時点で、織田の伊勢湾利権が崩壊しつつある。結果、今川と織田の戦は避けられないものとなっており、劣勢にある織田家は痛みを伴った新たな国境線を引きなおさねばならない状況にあった。今川家がここまで攻め込んできた以上、講和を有利にするための戦果を求めている筈である。

――敵の目的は鳴海に非ず

 織田家にとり、鳴海攻めは挟撃の恐れだけでなく、時間も掛かることから選択に入れることができない。とすれば敵大将、織田信長の狙いは今川家の先鋒衆の首であろう。

 前に出ると見せかけて、清州方面に展開している葛山氏元を狙うのか、それとも今川方が鷲津丸根砦を容易に落とせぬと思い、挟撃するつもりであったか。

 元信が考える間にも、城門前の織田勢はじわじわとその数を減らしていく。その様子を見、後続が無いと確信した元信は陣太鼓を叩かせた。

「今だあ!」

 という声と共に、戌亥の林に隠しておいた伏兵が織田家に襲い掛かった。死兵とは言え突然の奇襲に我に返れば、その体を覆うのは恐怖感のみである。慌てて逃げようとするが悉く討ち取られ、織田軍は鳴海の地に消えた。



「御苦労」

 義元の許に次々と戦勝の報が届く。鷲津、丸根の両砦は陥落し、織田の先発隊も悉く討ち取ったとのこと。

「ほう、信長が」

 鳴海からの知らせにはもう一つあった。善照寺砦に信長か、それに近い立場の者がいると思われる、と。

――厄介な

 義元が集めた情報では、この辺りの出城の中で善照寺砦が最も高い位置にあるという。

――我の陣立てを見ておるのか

 と、不愉快に感じつつも、見られて困るものでなし、と、悠々としていたのである。そうであろう。今川軍の布陣を見たところで信長には絶望しか浮かばず、負け戦であることを見せつけるだけのことであったのだから。

「大高入りは止めにし、鳴海に向かう」

 善照寺砦に信長がいるのであれば、包囲殲滅してしまえば良い。だが、接近を悟られては信長が逃げるかもしれないため、義元は善照寺砦から死角に入るルートでの行軍を選んだ。


「無理だな」

 善照寺砦から見下ろす信長は独り言つ。今川の将の首をと思い城を出てみたものの、憎らしいまでに道を塞がれていた。だが、これで引き下がるわけにはいかない。家臣の利権を見捨てたとあっては戦国大名としての立場そのものが崩壊してしまう。進も地獄、引いても地獄である。

 信長はため息も付かず、善照寺砦に入った兵達に指示を出した。これより今川軍と当たるが、雑兵の首は取らず、ただ兜首だけを取れ、と。同じ死地に立つ兵達は状況を理解した。頭の弱い物でも、ここで小さな功を上げたところで恩賞は期待できないことは分かる。何より首を取る余裕も無い戦いになることは容易に想像できた。

 そして、信長たちが善照寺砦を出て暫くした頃、俄かに雹交じりの豪雨が降り出した。

――これは

 熱田の天祐か、と、信長は思わず天を仰ぎ見てしまった。今日で言うゲリラ豪雨であろうこの雨は、敵味方の判断が付かぬほど激しく降り、織田勢の姿や音を隠してくれたのである。

――この期に敵陣深く入ることができれば

 前線の陣は警戒も高いが、本隊近くの後詰であれば比較的油断しているであろう。何よりこの雨で今川方も敵味方の判断が付かない状況にある。

 信長は兵を急がせると、奥へ奥へと突き進んだ。途中善照寺砦を包囲するために行軍中の朝比奈泰朝部隊の付近を通り過ぎたが、泰朝にとって信長がここにいることは想定外であり、自身と同じく包囲戦を行う部隊の移動であろうと見逃してしまったのである。

 そして、雨が弱まり視界が回復しつつある中、信長は兵の一団を見つけた。今川軍の威容を見せつけるが如き、見事な鎧武者の姿もあった。

――名のある将に当たったようだ

「かかれぇい!!」

 信長の号令一下、織田軍は一斉に今川軍に襲い掛かった。敵は移動中豪雨に当たったようで、街道脇に腰掛ける兵がいるなど戦闘態勢が取れておらず、ましてやここに織田軍が来るとは思っていなかったようで、一方的な戦闘が開始された。

 無論、今川方も組頭と思われる者が兵を纏め、各個がそれぞれに対応する。十分もすれば指揮命令系統が回復し、集団戦闘が開始されるであろう。ところが、織田方から出た流言が奏功する。

「謀反じゃ!」

「謀反!」

「御味方、御謀反!」

 通常であればこのような流言はそれほどの効果を持たない。だが、この時はこの場所が今川義元本陣であったこと、そして視界の利かない豪雨直後であったことから真実味を帯びたのである。

 既に信長自ら刀を振るう乱戦となっている。義元本隊としては突然の「謀反」の中でも乱戦で持ちこたえているのは見事としか言いようが無いが、大将の危機に親衛隊が耐えきれなかった。

「御屋形様、こちらに」

 と、馬を曳き、義元を馬上の人にすると即座に退却を開始するが、周囲は先程の豪雨で足元が悪く、また、当時の馬の速度は決して早いものではなかった為、親衛隊一団を良い首と思った織田軍が次々と駆け寄り、再び乱戦が開始される。

 義元も愛刀宗三左文字を振るい、織田兵の突き出す槍をいなしながらその首を刺し、横から迫る粗い息を頼りに身を捩り、振り向きざまに切り付ける等していたが、服部一忠の突き出す槍を飛び上がってかわし、その膝を見事切り裂いた瞬間、背後から来た毛利良勝にその背を刺された。

「ぐっ!」

 と声を上げるが、義元はそのまま背後に刀を向ける。しかし良勝の槍の長さに届かず、動きが鈍ったところを体当たりで倒された。

 二人は組み合う形で地を回るが、背を刺された義元に勝ち目は無く、やがて良勝は義元に馬乗りする形となり、義元の首を掻き切ろうと、その左手で義元の顔を押さえつける。力強く押さえつけたのであろう、良勝の親指が義元の口に入った。そして良勝がその脇差を首に当てたと思った途端、

「うあああ!!!」

 という叫び声が上がった。良勝の悲鳴である。義元が最後の力で良勝の指を噛み千切ったのであった。

 しかし、それは義元最後の抵抗であり、その首は良勝によって胴と別れることになったのである。

主役は元信、でも義元公のことも書きたい、でも主役は…等々悩んだり、桶狭間のどの部分を書こうか悩んだり、義元公の最後を奇麗にしようかと悩んだり、諸々悩んだりしておりまして、なかなか筆が進みませんでした。

仕事の合間に書いている関係もあり、時間が取れなかったこともありますが、前回に続きお待ち頂いた方々には大変申し訳ありません。


また、最後に毛利新介の指の話を入れた関係で、急遽R15設定をさせて頂きました。


義元公ファンの一人として桶狭間は書きたくない話ではありますが、最後の山場となる所でもあり、今回は私情を多少抑えて、淡々とさせて頂きました。

桶狭間は義元からすれば不期遭遇戦であり、信長としては着いたところが偶然義元本隊だったという説が最も現実的なものと考えておりますので、そのような流れで書いております。信長の情報網が上回って狙い通りの結果、というのはどうも腑に落ちず…信長ファンの方には申し訳ありません。が、ここは岡部元信が主人公ですので、ご容赦下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ