家康
安祥城が今川家の手に落ちた後、今川家と織田家の間で人質交換の話が進められた。
信秀としては三河の拠点安祥城を奪われた以上、三河に執着して国力を低下させるのは悪手であり、体制を立て直すためにも信広は必要な人材であり、一方の義元は穏便な三河支配のため、竹千代を求めていたのである。
「某が」
元信が間の抜けた声を出した。義元から声が掛かったと思えば、笠覆寺に行けと言うのである。
「先の戦で捉えた信広とな、三河の竹千代の交換よ」
近所に魚を買いに行くような気軽さで続ける義元だが、笠覆寺は尾張にあり、人質交換とは言え信秀が悪心を持てば、帰路襲撃される恐れもある。
「どう転んでも岡部の名は上がるぞ」
と、際どい冗談を言いたくなるのを堪え、義元は意地悪そうな笑みを浮かべて元信を見る。他の家臣達は一様に無表情を務め、義元と目を合わさぬよう元信の様子を伺っていた。
笠覆寺は織田家に有利な場所とも言えるが、清州城と安祥城の中間地点であり、今川家としても織田家に三河の状況を認めさせる――安祥城に野心を抱くな――という警告にもなり、政治的に悪い場所ではない。
「兵は如何程」
「寺の外に百、内には互いに二十まで」
義元に代わり雪斎が答えた。交渉の実務担当は僧である雪斎が務めていたのである。
「なに、戦をしに行くのではない。雪斎と共に尾張を見てくれば良い」
元信の立場は護衛隊長、といったところであろう。だが、義元としてはやがて来る尾張侵攻の日のため、戦場を見させておきたかったのである。
「安祥に兵を詰めておく故、器用人とて手は出せまい」
そこまで言うと義元は静かに席を立ち、雪斎に後を委ねた。
雪斎らと共に頭を下げ、義元の衣擦れの音が遠ざかったところで話が再開される。元信としては自分に何ができるのかと不安であったが、それ以上に義元に認められた喜びが勝り、雪斎の話を聞き漏らすまいと身を乗り出し、その様子を同僚たちは安堵の表情で見つめていた。
――可愛気のない小僧だが
笠覆寺からの帰路、元信は初めて見た竹千代のことを考えている。下膨れの穏やかそうな顔であったが、情と言うものが欠けているように感じられた。愛想はある。会釈もするし、一通りの挨拶もする。だが、どこか機械的であり、温かみに欠けるような印象を受けたのである。
――まぁこれまでのことを思えば
やむを得ぬか、と、一人納得をする。祖父に続いて親が殺され、人質生活が続いていたのである。今川家の保護下に入ったとは言え、今後の松平家如何では命を奪われることも在り得る。笑顔でいられる方がおかしいであろう。
天白川を越えた辺りで元信の警戒度が高まる。自然と帰路の足は速くなり、皆の顔も自然と堅い。ただ一人雪斎だけは悠然と馬に乗っているが、護衛の身である元信は周囲の警戒に余念が無く、地形や街道の様子を伺うようになっていた。
「いずれ」
と、たった三文字の言葉を発して息を吸い、馬に揺られながら雪斎が続ける。
「必ず役に立とう」
いずれ元信が役に立つと独り言ちたのか、それともこの経験が元信の役に立つと言ってくれたのか。雪斎の声量からはどちらとも取れたが、いずれにせよ今自分に与えられた仕事を全うするのが良いことに間違いはない。元信は軽く頭を下げ、すぐに警戒の任に戻った。
駿府における竹千代の扱いは、人質とは程遠い今川一門のような扱いであった。と、言っては「徳川家康」ファンの方がお怒りになるかもしれない。孕石元泰との逸話(屋敷が隣り合わせであり、元康の鷹の糞や獲物が屋敷に落ちることに苦情を伝えていたことを元康が根に持ち、高天神城落城の折、元泰ただ一人切腹させられた)があるではないかと。
だが、孕石元泰は元信と同じ駿河先方衆の一人である。重鎮とは言えない家柄でありながら駿河先方衆として活躍しており、人質である竹千代が駿河先方衆と隣り合わせの屋敷に住んでいたことからも、竹千代の待遇が良いことが分かる。
また、竹千代は後日義元から元の字を賜り「元康」を名乗る。孕石元泰も義元から同じ「元」の字を賜っており、元泰としては後から同じ「もとやす」を名乗った者が、屋敷に「ペットの糞」や「ペットが咥えた小鳥の死骸」を落とすようになったとあれば、苦情の一つや二つ入れたいところであろう。
高天神城落城の際に切腹させられたことについても、元々皆殺しにする予定であった中で、元泰のみが切腹という扱いを受けたことは、家康が元泰を将として見ていた証でもあり、討死した元信と共に一定以上の評価をしていたためではなかろうか。
元泰と竹千代の逸話は、人質時代の神君が苦しい立場にあったのだろうという三河の曲解とも言える妄想であり、今川家時代を悪し様に描くことで、主君(氏真)を裏切った印象を少しでも軽減し、神君の忍耐強さを表現したかったと思われる。
話を戻す。竹千代は龍王丸(後の氏真)の弟のような扱い、少なくとも義元は竹千代に当時における高等教育を受けさせ、今川家の中枢に近付けるべく動いていた。氏真が駿河・遠江を、竹千代が三河を治め、義元が尾張に進むという形を早い段階で考えていたのであろうか。いずれにせよ、竹千代は元服して「元康」を名乗り、関口親永と義元の妹の間に生まれた姫を妻に貰う。
この「姫」というのは、後世様々な悪評に汚されてしまった「瀬名姫」である。ここでは悪評についての話はさておき、その婚姻の意味合いを考えることとする。
まず、血統は申し分無い。重臣の家に下った妹が生んだ姫である。自然と関口親永が元康の後見人となるであろうし、家中における元康の立場は安定する。
更に今回、瀬名姫に義元の養女という立場を与えている。これまで氏真の弟のような、という表現をしてきたが、この瀬名姫との婚姻により、氏真と元康が義兄弟となったのである。ただの「人質」にこれほどまでの厚遇をするであろうか。今川家中枢のしたたかな三河統治の戦略が見え隠れする。
高天神城にも朝が来た。どうやら天道様は死にゆく者にも等しく顔を出してくれるらしい。
――御館は出ぬか
幾度となく救援の使者を甲府に出している。状況が逼迫していることを伝えるため、城内の立場ある者にも連名を受け、武田家の将来を考えればこその出陣要請であったが、勝頼の心は動かなかったようである。
――河東の折の御屋形様は大将であったと聞いたが
今川義元が家督を継いだ直後、北条との関係が悪化し、氏綱が駿河東部の河東を侵略してきた。敵地に孤立した善徳寺城が落城か投降かとなった時、義元は渡河作戦を強行。富士川を超えて氏綱と当たり、善徳寺を救援したのである。
義元の作戦が失敗したとしても、家臣を見捨てぬ頼れる将であると評価は得られる。当時18歳かそこらの若武者でありながら、義元は自身の置かれた立場を良く理解していたのであろう。
――比べてはならぬな
義元と比べれば勝頼は将たる者とは言えない。だが、それを口にすることは不義であろうし、そもそも城内を不安にするだけである。
元信は城壁に背を預けて休む兵を見、井戸の周りで顔を洗う兵を見、僅かな食料にも不満を言わず、汚れた椀で粥を啜る兵を見るにつれ、溢れる涙をどうすることもできない。
――許せ
勝頼の誇りは父が落とせなかったこの高天神城を落としたことにある。そしてその高天神城を見捨てることで、大きな汚点を負うのである。ならば家康はこの城を如何にみすぼらしく、如何に酷く落城させるかに心血を注ぐであろう。
それでも健気な兵を見れば、必要以上に情が沸いてしまう。
――せめて城内の者だけでも
と、無為なことを考えてしまった。元信は思わず
「誰ぞ、あるか」
と、声を出してから
――しまった
と、気付く。
廊下を走る音が近づき、2名の兵がやってきた。
「これに」
片膝を付き、頭を下げながら言う兵に、元信は少し照れ笑いしながら
「すまぬが、これから書く書状を」
少し考える。後の言葉を続ければ、間違いなく兵の命は散るであろう。だが
「松平の陣へ届けて貰いたい」
左側の兵が思わず顔を上げた。死を命じられたと考えたか、元信が降伏する気であると考えたか、いずれにせよその衝撃的な言葉に反射したのである。
「降伏する故、兵を助けてくれぬかとな。そう伝えたい」
慌てて頭を下げ直す兵を愛おしく思い、また、何故死に急がせてしまうのかと悔やむ。
――在り得ぬ
松平にとって高天神城は武田家の墓標となる城である。故に見苦しくなければならぬし、降伏など以ての外である。だが、元康と自身が馬首を並べた仲であること、無愛想だが道理を弁えたあの小僧の持つ情に賭けたくなってしまったのである。
動揺を隠すかのように、元信は二人に背を向け紙に向かう。それは情に訴える内容では無く、通り一遍の、まるで初めて見た竹千代の如く、どこか機械的であり、温かみに欠けるような内容であった。
二人は静かに書き終えるのを待ち、元信が差し出した書状は、頭を上げなかった右の兵が恭しく受け取る。
「家族はおるか」
唐突に元信は問いかけた。二人はあっけにとられつつも、どちらも「おります」と、答える。
「そうか」
突く様な痛みが元信を襲った。家族がいるのは分かっていたことである。何故敢えて聞いてしまったのか悔やみ、喉の奥の重い痛みを堪えながら「急がずとも良い」と、態度と矛盾したことを言い、二人を下がらせた。
後刻、家康の許へ元信の書状が届けられた。
――岡部様らしい
昔語りや情に訴えるものはなく、ただ「これ以上戦はできぬ」と、兵の助命嘆願をするものである。
「右大将様に相談せねばな」
この戦は松平家だけのものではない。武田滅亡を意図する織田家も控えており、むしろ松平は先発部隊のようなものであった。勝手に和睦の真似事をしては、織田家との関係に問題が生じてしまう。
――分かっておるのだ
元信の使者は死の恐怖に緊張しつつも、皆が助かるかもしれないという希望も持っている。だが、この嘆願書を見る限り、元信は松平・織田に兵を助ける気は無いのだと分かっている。
――酷なことを
とは思わない。既に高天神城の運命は定まっている。後は早く死ぬか遅く死ぬかの差であれば、最後に城内より良い飯を食べ、苦しまずに斬られる方が幾分ましかもしれない。
分かっていながらも尾張に伺いの使者を送ると、数日後、斬れ、という回答が戻って来た。勝頼が来るまでの時間稼ぎかとも考えたが、密偵の報告では甲府の様子に変化は無く、最後の賭けのようなものだったのであろう。
家康は元信の使者に会うこともなく、家臣に斬る様に伝える。後になってから強右衛門の仕返しに磔でも良かったか、などと強者の楽しみが脳裏に過ったが、供養にもならぬと自身を戒めた。だが、どうしても使者が気になり、立ち会った家臣に使者の最後の様子を聞くと
「堂として」
と、言われ、背中に寒いものが通り過ぎた。
「名のある者であったか」
との問いにも
「村の名は忘れ申したが」
百姓の子でございました。と、返され。眩暈がするように感じてしまったのである。
――聞かねば良かった
末端の兵でさえ死を覚悟して敵地に入れるのである。
――まさか、な
兵の覚悟を見せるために使者を出したのかと考えてしまう程、家康にとって恐ろしい存在であることを思い出した。
――桶狭間よ
家康にとって独立の切っ掛けとなる、元信にとって修羅への切っ掛けとなる、天地を揺るがすような大事件。元信はあの頃から戦の天才であった。
河東の乱からご覧いただいている方は予想済みだったかもしれませんが、旧軍が特別な日に戦果を上げたかったように、私も5月19日には投稿したいという強い想いがあり、何とかこぎつけました。
今年は生誕500年ということで、静岡市でも商工会議所が中心となってイベント頑張っています。
来年は義元公の1歳になられた日から500年の記念すべき年です。そして再来年は2歳に…




