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高天神城  作者: 麻呂
12/18

安祥城

「御屋形様」

 今川館の奥、義元の私室とも言える間に、一人の僧がやって来た。窓の明かりを頼りに決済書類を確認する義元は、声の主さえ見ずに返事をする。

「御師よ、いよいよかと」

 手を止めぬ弟子に何ら不満を示さず、雪斎は静かに円座に座り、その黒衣を殊更見せつけるかのように裾を音立たせ、居住まいを正してから声を続けた。

「いつから見ておられた」

「なに、今の岡崎なれば」

 我が目を向けずとも向こうから、と、答えてから師の眼を見る。

「安祥ではチト骨を折って頂くが」

 御師なれば釈迦の骨さえも手に入れられよう、と、形通りでない笑顔を作った。

「おや、信広は骨で良いので」

「まさか」

 その程度なれば松井や岡部らに任せるわ、と返すと、

「御師なれば生け捕りにできると思うてな」

「ほう、信秀の子を」

「鬼子母神でさえ我が子が愛しいと申す」

 如何に虎とて最初の子は可愛かろうよ、と、義元は改めて雪斎の眼を覗き込んだ。

「御屋形様は」

 三河の全てを取るおつもりか、と、表情を崩さず問う雪斎に

「いや」

 と、手を止めて否定する義元。そして

「三河を治むるは我しかおらぬ」

 三河を取るのではなく、三河が我を頼るのよ、と、続けた。

 慢心でも大言壮語でもない。義元が仮名目録追加に記したように、自らの力量を以て国を治めるのである。

「されば」

 と言いながら雪斎は立ち上がり、義元の眼を慈父のように見つめ

「御屋形様が整えられた兵で、早速に」

「頼む」

「御意に」



 広忠の死から一月も置かず、今川軍は松平軍と共に安祥城を囲んだ。小豆坂と同じく総大将に雪斎を据えることで、織田軍の士気を下げ、今川軍の士気を上げる狙いもあったが、何より雪斎の戦術を重視していたに違いない。

 しかし、安祥城を二重に囲む布陣をしておきながら、雪斎は総攻撃の下知を下さない。兵糧攻めには物足りなく、このままでは信秀が救援に来るのが誰の目にも明らかである。

 不思議な膠着に困惑する将兵の中には元信もいた。先の小豆坂での活躍があり、周囲の目がこれまでと違うことにくすぐったい様な、嬉しくも恥ずかしい、若者らしい心持ちの中にあったが、それ以上に雪斎の意図が読み切れずに悩んでおり、元信はポーカーフェイスを貫くことができていた。

「流石は」

 岡部の秘蔵っ子よ、と、噂する者がいる。先の活躍に驕ることなく、この場においても神妙な顔つきでいるわ、と、元信の評価は上がっていたのである。

「のう、岡部の」

 松平の将であることは思い出せるが、名は何であったか。元信は内心戸惑いながらも、声を掛けてきた縅鎧の武者に「何でございましょう」と答えた。

「総大将殿は何を狙っておいでなのか」

 またか、と、悪態を付きたくなるが、元信は困ったような表情を作り、

「某も悩んでおりまする」

 雪斎様には深いお考えがありましょうが、某にはとんと見当がつきませぬ、と、返す。

「ほう、岡部殿でさえ分からぬか」

 同じ回答を繰り返しているが、相手の反応もほぼ同じであった。

 このところ元信の許に雪斎の意図を尋ねる者が多く来ており、正直なところ辟易していたが、それでも一人一人にしっかりと対応し、無用な妬みや不興を買わぬよう注意していたのである。

――中に敵を作らず

 敵、と言っては大袈裟であるが、元信は小豆坂の際、妙な引っ掛かりを感じていた。奇襲の後、怒涛の如く押し寄せた今川軍であったが、元信の思う最適な行動を取らず、己の功に重きを置き過ぎる者がいたのである。

 無論、この時代において当然のことであるし、今日でも全体の勝利より、己の功を求める者がいる。だが、もしあの場で今川軍がその勝利のために一枚岩になっていたら、と、元信は若さ故の理想を捨てきれずにいた。

 そして元信が下した結論は、家中に味方を増やすことであった。将同士の信頼関係を構築すれば、戦の折、自らの動きに周囲が呼応してくれるのではないか、と、望みを掛けたのである。



 織田家の東の拠点、安祥城を守る織田信広を生け捕りにする、という、常人が聞けばまず不可能と思う戦を行うにあたり、雪斎はその目的を秘匿することから始めた。

 戦において、城主が投降することは珍しいことではない。だが、信広は小豆坂で失敗しており、下手に力押しすれば城を枕に討死、という選択肢を採るかもしれないのである。無論、打って出てくれば一番良い。生け捕りを命じ、囲めば良いのである。

 だが、雪斎の下した信広の性格から判断すれば、現状で打って出てくることは無く、籠城の上討死の確率の方が遥かに高い。

 本陣において瞑想するかの如く、雪斎は静かに目を閉じている。

――このままでは一度負けねばならぬか

 信広の選択肢から「死」を外さねばならない。そのためには功を与えるのが一番である。

――誰が

 だが、誰がその敗戦の責を負うか、が、問題であった。無論雪斎が責任者であるが、局地戦において将兵を失い、負け戦の切っ掛けを作る人物が必要である。

――誰が

 家中に育つ若武者を捨てるには惜しい。雪斎は教育者として有能であったが、弟子への情が厚いところがあり、このような判断に悩むところがあった。

 雪斎は結論の出ぬまま、数日の間信秀の救援を待っていた。信秀を下し、城内の士気を下げ、切羽詰まった信広が打って出てくることを計っていたのである。だが、信秀に安祥城を救援するだけの余力が無いことは承知していたし、大軍で囲む兵糧攻めが不利であることも承知していた。

 はっきり言ってしまえば、雪斎は状況を変えるための切っ掛けを作る必要があったのに、あえて偶発的な「事故」を待っていたのである。



 安祥攻めの先方は松平衆であった。大久保新八郎(忠俊)や本多平八郎(忠高)らは織田家への鬱憤もあり、安祥城の守備隊と小競り合いを繰り返していたが、攻める方も守る方も全力を出さず、消化試合の様相を呈しており、煮え切らない現状に不満を抱いていた。

「今川の坊主は」

 と、平八郎が言うと、

「滅多なことを申すでない」

 と、新八郎が窘める。

「なに、腰抜けの坊主に聞かれたとて何が困ろう」

 これほどの手勢があると申すに何故攻めぬのか、朝比奈備中守がおらねば何もできぬではないかと気焔を吐く平八郎に同意しつつも、今川軍が背後に控える今、内輪の争いを避けたい新八郎は一計を案じた。

「某にな、考えがあるのよ」

――ほぅ

 と、平八郎は感心する。

――槍働きしかできぬと思うていたが

「どのような」

「なに、夜討ちよ」

「おお」

 無論軍令違反であるが、敵も味方も緩んでいる今、夜討ちの成功率は高いであろうし、今川家に三河侍の働きを見せつけたい、という功名心でもある。

 大した策では無いものの、平八郎と新八郎は二人で意気込み、早速夜討ちをかけるべし、と、話が纏まった。


 二人の策は大当たりする。安祥城の兵は夜襲に備えていなかった訳では無いが、緊張続きで疲れ切った兵の働きは大久保・本多勢に比べて著しく劣っており、この夜襲は読み通りの戦果をもたらした。

 だが、織田軍も吹っ切れたのか、日が昇ると攻勢に転じ、平八郎はその戦いの中で命を落とすことになったのである。

 無論、夜襲と平八郎戦死の知らせは今川本陣に届き、雪斎の耳にも入った。



「惜しいことよ」

 軍令違反に怒るのかと思えば、雪斎の口からは平八郎の死を悼む言葉である。軍議に参加する将兵は意外な反応に少し驚くが、気の利く者は「松平への配慮であろう」と察した。

――大久保も死んでおれば

 雪斎の望み通りであれば、信広は夜襲を掛けてきた松平家の侍大将2名返り討ちにした、という戦果を挙げたことになるが、現実は1名である。インパクトは小さいであろう。

――惜しい

 兵を引くには足りぬか、と、雪斎は静かに目を瞑る。ふと、重要なことを思い出した。

――本多は松平の重臣(おとな)であったな

 重臣が軍令違反というのも情けない話であるが、松平家の支援という形がある以上、重臣の死は撤退の理由として十分であろう。

「一度、兵を引かねばなるまい」

 将兵の一部は不満そうな表情をするが、雪斎は一顧だにしない。ただ勝てば良い、という戦ではないのである。

「松平は今川にとって大切な家なれば、本多殿を失われた今、無理をさせる訳にはいかぬ」

――よくもまぁ

 スラスラと適当なことが言えるものだと自分で可笑しくなりながら、雪斎は尤もらしい顔付で具体的な撤退指示を出す。

――これで

 信広は命を惜しむ。

 策が進んだことにほっとしたのか、雪斎は安祥城の方を向き、そっと手を合わせる。

「本多殿は西方浄土にて松平家を見守られよう」

 と、人に聞かせるため呟いた。

 何に手を合わせ、何を思ったかは分からない。



 半年後、今川軍は再び安祥城を囲んだ。

 雪斎の読み通り、信広は討死を選ばず、今川家に生け捕られたのである。

平成のうちに投稿することが出来、ほっとしております。


主役は元信のはずですが、主要な脇役になっているような気がする今日この頃。

でも良いんです。元信を書くと言いながら、義元公と雪斎禅師も書きたかったんです。

…元信ファンの方、申し訳ありません。

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