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北条戦記  作者: ゆいぐ
北条家登用試験編
9/43

9 卯吉の抹茶

1合=150g(米)、0.18l、180cc

1000合=100升=10斗=1石

4斗=1俵


この9話では米1石=750文 酒1合=10文 銭1文=100円 という設定で書いてます

登用試験から二日たった日の夜。早川村の治郎兵衛の家で与一郎が試験の顛末を聞かされていた。


「はは、馬上の敵を投げ飛ばしたか。流石に無茶苦茶やるなあ」

「無我夢中でさ。砂地に落ちたその敵将から槍を奪い取ってとどめを刺さなきゃって構えたんだけどすぐ別の二人が襲い掛かってきたんだ。やっぱり相手が騎馬だとやりづらいし凌ぐのに精一杯でさ」

「ふんふん」

「気が付けば他の受験者も集まってきて乱戦に……。かなり疲れてたけど最後の気力を振り絞った」

「そうするしかないよな」

「けれどね。それからいくらもしないうちに『両軍、そこまでっ!!』て、私の後ろにいた新九郎様が叫んだんだ」


興奮気味に語る治郎兵衛。だが与一郎は察した様に目を細めるとその小さな顎を撫でた。そして治郎兵衛の言葉の先を続ける。


「『扇谷(おうぎがやつ)上杉の難波田(なんばた)家騎馬隊』は若君配下の者達が扮した偽物だった……ってとこか」

「え……。もしかして……知ってた?」

「ああ、いや。まあ仮に襲撃が本当だったら、昨日今日と小田原城内があんなに静かな筈ないしな。北条の兵として雇った浪人者(足軽)を城下の長屋に住まわせて管理してる俺なんて、それこそ一番に呼び出されて責任取らされてるさ。そんなこともなく今こうしてお前ん家でのんびり話してられるということは、襲撃は芝居で若君が用意した登用試験の一つに過ぎなかった、って考えただけさ」

「……なるほど。なんかもっと驚くかと思って楽しみにしてたのに。一兄(いちにい)には失望したよ」

「はは、悪かったな。言い返すならお前も驚かしてやろうって気持ちが見え見えなんだよ。

けどあの大人しい新九郎様がそんな悪戯をねえ。意外と食えないな。……それとも守り役の右京様の案かな? 治郎兵衛、お前はどっちだと――」


与一郎の言葉を遮り、家の外から声がした。


治郎兄(じろあにい)、いるかねー?」


治郎兵衛が『あれ?』と呟き、立ち上がる。入り口の(むしろ)を上げると、そこには小柄で細身な少年が立っていた。


「へへ。治郎兄、久し振り」

卯吉(うきち)~、帰ってきたんだ」

「うん、昨日ね。明後日にはまた出るんだけど」


彼は卯吉(うきち)。治郎兵衛より一つ下の十四でやはり身寄りが無い。小田原の北、山田村(やまだむら)で家を借りて住んでいる。彼は相模一帯から武蔵中部をシマとして干物や紙、荏胡麻(えごま)等を商う連雀商人の一人として生計を立てていた。


「あ、与一郎様もいらしてたんですか」

「おお、しばらく振りだな。ん? ちょっと痩せたか?」

「そうですか? まあ運ぶのが仕事みたいなものですから」

「あまり無理すんなよ。(もの)は売れてるのか?」

「ええ、お陰様で。というか扇谷上杉様方の方が相模の北条様より景気良く買ってくれるくらいで」

「はは、そうか。

けど連雀も行く先々で金が掛かって大変だろ。宿に護衛に、座と無関係な(せき)とかもあるし。それから座役銭(ざえきせん)か。当然に北条が課してる税もあるしよ」

「はは。まあでも僕は田畑耕すには体が小さいし、戦場に行くのも恐ろしくて無理だから……。

そういえば治郎兄、試験はどうだったの?」


卯吉に水を持ってきた治郎兵衛は曖昧に笑って『いやあ』と頭を掻く。代わって与一郎が説明した。


「一騎当千の足軽募集ってんなら良かったんだけどなあ。最後の襲撃の話なんて感状ものの働きだしよ」

「そ、そうかな。あははは、いやあ、それ程でもあるけど」

「まあ命知らずの無謀とも言うけどな」

「……」

「何より筆記と面接がやっぱ要領悪いんだよなあ。だからやっぱり筆記問題だけでも前もって調べてくりゃ良かったんだよ」

「ふん。実力で受からないとしょうがないんだって」


ふくれる弟分。それでも与一郎は言葉ほどきつい目はしていない。


「登用試験なんて難しそうだものね。

僕は治郎兄は頭の回転が遅いだけで悪いわけじゃないと思うんだけど」

「はは。何とも微妙な励ましを貰えて良かったな、治郎兵衛」

「まあいいよ。それに万が一合格ってことだってあるかもしれないし。慰めるのは明日小田原城門前で合格発表を聞いてからにしてよね」

「あくまで行く気か。……しょうがねえ、登城ついでだ。俺達が付き添ってやるか、卯吉」

「はい」

「あ、冷やかしなら結構ですから」

「ははは、怒るなって」

「あはは。そうしたら前祝いの景気付けにこれでも飲みましょう」


卯吉は懐をごそごそとやって紙のおひねりを取り出す。

小さな包みを開くと、新緑の粉末から清々しい香りが溢れた。


「あれ、これってもしかして」

「へえ、抹茶か」

「はい。一合八一〇文の河越茶(かわごえちゃ)です」

「おお、結構良い値段じゃねえか」

「たった一合で、八一〇文……。抹茶一合で米俵二つ半(一石)……!?」

「へへ、凄いよね。まあ実際に一杯の茶椀に入れるのはその百分の一位だから一杯八文。そう考えると酒一合よりちょっと安い位なんだけどね。まあ湯を沸かす薪代は別にかかるけど……」

「それにしてもよく手に入ったな。河越茶っていうと座の元締めは……天台宗、東国本山の星野山無量寿寺(せいやさんむりょうじゅじ)か?」

「流石、与一郎様は良くご存知ですね。茶座といってもあそこは身内の集まりみたいな感じですが」

「座? 星野山無量寿寺?」

「河越城のすぐ南にあるんだけど、北院(きたいん)南院(みなみいん)中院(なかのいん)から成る大きくて立派な寺だよ。茶畑を持ってて加工まで取り仕切ってるんだ。本当はそこの許可が貰えないと仕入れられない品なんだよ。元々生産量も多くないせいで商品としてもあまり出回ってなくてね」


卯吉の表情が僅かに陰ったものの、すぐに元の調子で続けた。


「でもこれはいいんだ。その無量寿寺の御坊様から日頃出入りしてる(よしみ)で少しだけ譲ってもらった物だから」

「へえ、そうなんだ。だけど私の受かってるかも分からない発表の前祝いなんかで飲むのは悪い気がしてきたな」

「へへ、治郎兄に遠慮は似合わないよ。それに僕だって連雀に加えてもらってもう一年だからね。これからはそういう付き合いも増えてくから」

「治郎兵衛、お前もうかうかしてると卯吉に先越されるぜ」

「それは別にいいっていうか、むしろ嬉しいけど。じゃあ……折角だから有り難く頂こうか」

「うん、お湯を沸かしてよ」


やがて粗末な木椀(もくわん)三つに卯吉が一つまみづつ抹茶を入れた。そこにかまどで沸かした鍋と木杓子(きじゃくし)を持ってきた治郎兵衛が聞く。


「何かあの、(ほうき)の広がったやつで掻き混ぜるんだよねえ」

「この家にそんな風流なモンは()えな。囲炉裏も無えし」

「ほっといてよ」

「あは。茶筅(ちゃせん)だね。いいよ、箸で掻き混ぜよう」

「なあ、だけど折角だからそれっぽくやろうぜ」

「え、どうやるんですか」


三人でああだこうだ言った挙句、客役の与一郎と卯吉が入り口を背に正座し、亭主役の治郎兵衛が与一郎の正面に座して木椀を箸で掻き混ぜた。


「本当にこれで合ってるの? 掻き混ぜ方も作法とかあるのかな」

「よく知らねえけど、何となく雰囲気出てるだろ」

「そうかなあ。まあ確かめようがないか。……では、お二方。どうぞ」


治郎兵衛がどこまで本気か分からない神妙な面持ちで二人の前に木椀を置く。

もっとも支度はともかく、抹茶は紛れもない本物である。淡い緑の水面に三人はしばし心を奪われた。


「綺麗ですね」

「ああ、ほんとにな」


やがて与一郎と卯吉が飲み始めたのを見て、治郎兵衛も椀に口を付けてみた。

濃厚であってまろやか。後味には(ほの)かな甘みと爽やかな苦みが残る。


飲み終えた三人は茫然として、しばしそこに惚けていた。


入り口から吹き()る隙間風に体が冷えたのか。我に返った与一郎が、小さく身震いして口を開いた。


「河越城の上杉朝興(うえすぎともおき)も城内の屋敷で飲んでんのかな」

「贅沢だねえ」


与一郎が何を思ったか胡坐(あぐら)をかき、空になった木椀をすする。

そうして芝居じみた声で喋り出した。


「いやぁ、はっはっは。我々も一国一城の主となってかように雅な茶を飲むことになるとは、まるで夢の様だのう、治郎兵衛よ」


ぽかんとする卯吉を置き去りにして治郎兵衛も乗る。


「まったくその通りですな。あの早川村の貧しきあばら()が今となっては懐かしゅうござる。わっはっはっは」

「今では儂が二十万石。そなたも十万石の立派な大名じゃ」

「まことに。お互い出世しましたなあ」

「全くじゃ、うははは」

「わはははは」

「儂の家臣はざっと二百名じゃ。そちの下にも既に百人以上の家臣ができたであろう」

「いかにも。今やすっかり大身(たいしん)となり申した」

「であるのう、うははは」

「わはは、は……ハァクションッ!」

「ふむ。 誰やら我等を妬んで噂話でもしてると見ゆるわ、なあ治郎兵衛」

「……駄目だ、寒い。貧しきあばら家、やっぱり隙間風が寒い」


治郎兵衛は降りたが与一郎は更に悪乗りする。


「なに、寒い? 治郎兵衛は城主になってすっかり軟弱になったのう。いた仕方ない、しばし待っておれ」


おもむろに入り口の方を向くと、突然手をパンパンと叩き、声高に叫んだ。


(たれ)か、誰かあるっ! 火鉢を持ていッ」


今度は治郎兵衛も呆気に取られて妙な間が空いた。ややあって慌てて否定する。


「いやいや、来ないから。場の雰囲気に流されて思わず待っちゃったよ」


卯吉が笑う。


「ほんとに来たら面白いのにね」

「来られても困るよ。一兄、ふざけ過ぎ――」


直後に入り口の(むしろ)が無造作に上げられて、百姓の男が顔を出した。


「大声がしたけど何かあったかね、治郎兵衛さぁ」

「うわっ! ご、吾作さんっ!? す、すみません。何でもありません!」

「そうか? ならいいんだけど」


吾作は『それじゃな』と帰っていった。


「今の、村の人? びっくりした」

「う、うん。隣に住んでる吾作さん。ああ、驚いた」

「火鉢じゃ、火鉢を持てい! 誰か! 誰かある!」

「わわっ、まだ言うか。近所の人がまた来ちゃったらどうするんだよっ」


治郎兵衛が慌てて与一郎の口を塞ぐ。卯吉は可笑しそうに笑っている。

やがてそれもようやく止んだ頃、治郎兵衛が言った。


「ていうか、考えてみたら結構いい時間だよ。灯りの荏胡麻油(えごまゆ)も勿体ないからそろそろお開きにしよう」

「ううむ。左様か、仕方ないのう。ならばそろそろ床に就くとするか」

「あ、泊まってくんだね……。じゃあ卯吉もそうしたら?」

「うん、有り難う」

「それがよい、そういたせ。では卯吉、後ろの綿(わた)入り厚布団を取っておくれ」

「え、治郎兄の家に布団なんて……あ、これか」


卯吉は後ろに積まれていたぺらぺらの(むしろ)を取って二人に渡す。


「むむ、三人では窮屈だのう」

「もうその設定いいってば。じゃあ灯りも消すね。二人ともおやすみ」

「あ~あ、もうちょっとやってたかったが寝るか」

「ふふ、久し振りにあんなに笑いました。おやすみなさい」


ようやく暗闇と共に静けさが訪れた。わけではなかった。


「なあ、治郎兵衛」

「ん?」

「明日の朝飯は鯛の煮付けでいいからな」

「ハッ、クションッ!」


こうして本当に夜は更けていった。


物価に関してはまた修正するかも分かりません


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