7 登用試験 実技
午後は外で実技試験が行われた。まず持槍――一間五尺(約三.三メートル)の物。穂(刃)は外してある――を用いた試験官との試合である。広い敷地内で四試合が同時進行していく。
床几に座って検分を続ける氏康の隣に、小袖に括り袴の姫と侍女が来た。氏康と一つ違いの妹、栄と糸乃である。
「兄上。御役目、ご苦労に存じます」
「来たのか」
「はい。
いかがです、目ぼしい者は見つかりましたか」
「まあ、な……」
「それは何より。して、どのような者ですか?」
「うん……それなりにな……」
「それなりとは」
「まあ、色々だ……」
面倒そうに答える氏康は試合から目を離さない。栄は一層声を大きくした。
「兄上っ」
「……ん」
「この藤色の袴、中々似合うと思いませぬか」
氏康は根負けして栄を見た。
「あのなあ……。そちは何しに参ったのだ。無駄話なら向こうで糸乃にでも聞いてもらえ」
「まあ、ひどい。それが兄を気遣って小田原の御城からはるばるやって来た妹に言うことですか」
目と鼻の先であるが氏康は勿論、糸乃も突っ込まない。
「栄様、若君が仰る通りです。無駄話なら私がお付き合いしますから、もう戻りましょう」
「ちょっと、糸乃。貴方まで無駄話って。そもそも今来たばっかりで」
騒ぐ栄を糸乃は羽交い絞めにし、連れていく。
ちなみに侍女でありながら全く遠慮が無いのは氏綱の配慮による。三年前に母を亡くし、姉も他家へ嫁いでしまった彼女に対し、日常のことは必要に応じて遠慮無く躾けるよう言われているのだ。
栄もまた幼い頃から共に過ごす二つ上の糸乃を実の姉同様に慕っていた。
「わっ、ちょっと待って! 分かった、分かりました! ちゃんと静かに見学していますからっ。
あっ、あの大きな男などいかがです! 見所ありそうですよっ、兄上」
氏康は呆れつつも栄の指す先を見た。
治郎兵衛が鎧に鉢金姿でまさに試合を始めるとこだった。
「あ、でもちょっと鈍そうな感じ」
「もう良いから黙って見ておれ。
さて、治郎兵衛か。果たして……」
口を尖らす栄に構わず、氏康は試合を注視した。吉政達もそれに倣う。
向き合った試験官と治郎兵衛が槍を構える。
審判を務める者が『始めッ』と声を掛けるや否、試験官は鋭い突きを繰り出した。
それを治郎兵衛の槍先が打ち落とす。叩き折るかという凄まじい威力だ。
想定外の衝撃に試験官はつんのめり、足を一歩前に出した。その時にはもう喉元に治郎兵衛の槍先が突き付けられている。
いきなりの決着で呆気に取られていた審判が『そ、それまでッ』と叫んだ。
「何だか早くて良く分かりませんでした。もうお終い?」
「……うむ」
きょとんとする栄に返事だけ返し、氏康はかなり驚いていた。
試験官は手練れの者が充てられている。事実、この試合の前に挑んだ二名は数合打ち合った後にいずれも敗れていた。治郎兵衛の勝ちは果たしてまぐれだろうか。
一方、吉政も声を弾ませていた。家貞は相変わらずのつれない反応だったが。
「中々やるではないか、あの男」
「三人目となって試験官の方も疲れが出たのやもしれぬが」
「……お主、もう少し物事を正面から見てみてはどうだ」
「某は贔屓目無しに申してるまでのこと。
ともかく次の試合で実力の底が分かろう」
家貞が言う通り、一対一の試合が一通り終わると次は一対二の試合が始まった。ただし試験官二人は長柄槍――二間二尺(約四.二メートル)の物。穂を外してある――を使う。
これには受験者達も閉口した。多くの者が防戦一方となり、しのぎ切れずに負けていく。
そうして再び治郎兵衛の番が回ってきた。
先程と同じ合図で試合が始まる。
今度は敵の間合いが長い。何より二つの槍が突き、打ち、払いと間断無く襲う。
治郎兵衛も守り一辺倒になり、遂に大きく後退した。退き際に槍を大きく払い、そのまま首の後ろへ回して天秤棒の様に担ぐ。それに二の腕を絡ませた後、右足を引いて腰を僅かに落とすと相手二人を見据えた。
隙だらけに見える治郎兵衛を前にし、どういうわけか二人は足が前に出ない。
理屈抜きに本能が警戒したのだ。
両者睨み合う。
一瞬の間。治郎兵衛が深く踏み込み、遠心力を乗せた切っ先で二人の槍を弾いた。がら空きとなった片方のみぞおちへ凄まじい突きをくれる。そうして素早く引いた槍先をもう一人の眉間へ向け――
「そこまでッ!」
審判が急いで止めに入った。
三間ばかり先で倒れてる方はぴくりとも動かない。あるいは気絶したのかもしれない。
氏康は思わず床几から立ち上がった。嘆息する彼の隣で栄が無邪気にはしゃぐ。
「すごーいっ! 強いっ! あの者を家臣にしましょう、兄上」
氏康は返事を曖昧にする。代わって家貞が治郎兵衛の崖っぷちな現状を栄に説明した。
「――というわけです。確かに中々の腕を持ってるようですが、武術試験は武術試験。どんなに高い評価であっても『秀』より上がつくことはありませぬ」
「……! ではあの治郎兵衛という者は」
「はい」
「合格ということですか」
「そうです」
妙な間が空いた後、家貞が慌てて打ち消した。
「……いやいや全然違いますっ。話聞いてましたか!?
全種目の合計評価で競わせているので一種目だけ飛びぬけて良くてもまだ分からないと某は言っているのです」
「な~んだ。驚いて損しました」
「驚いたのはこっちです……」
吉政が可笑しそうに言う。
「流石の右衛門も栄様には形無しか」
「どうも調子が狂いますぞ。姉君の苗様はもっと落ち着いてらしたというのに」
ちなみにこの苗は太田資高に嫁いでおり、現在は武蔵江戸城にいる。
「ふふ。それにしても『まだ分からない』……か。幾分持ち直したかの」
「む……。少なくとも取り柄があるということは認めよう」
「取り柄、か」
「何だ」
「ふっふ。いや、気にするな」
やがて全試合は終了し、治郎兵衛達受験者は最終試験を迎えることとなった。
試験科目は水練である。