6 登用試験 面接・幕間
治郎兵衛はまた少し考えてから答えた。
「それは……その時になってみなくば分かりませぬ」
「ほう。その様な忠心不確かな者を召し抱えよと申すか」
「……」
答えられない治郎兵衛を家貞は冷ややかに見る。そして突き放した。
「冗談ではない。時には戦場で互いの命を預け合うことになるのだぞ。その程度の覚悟の者に務まるわけがなかろうっ」
「……」
「何か間違っておるか」
「……されば」
「ん?」
「御当家にとって、某の母が抱いた希望はただの勘違いでしょうか。早川の御侍様の憂いは物好きの戯言にございましょうか」
「……」
「禄寿応穏。この四字は何の真もない、ただの建前にござりましょうかっ」
「む……」
「……今誓えることは、そんな筈はないと某が信じている、ただこの一事のみにござります。
もしも北条家の皆様に頷けるところあれば、某の仕官がかないし後その御導きによってこの忠心もいつか揺るがぬものとなりましょう。言わずもがな、某自身その時が早く来るよう励む所存にござります。
後はもう……何をどう評されようともこれ以上他に差し出すべき言葉を持ち合わせておりませぬっ」
面を伏せたままとはいえ、ただならぬ気迫である。
しかし家貞は動じていない。治郎兵衛をただじっと見返していた。
一方、先程から脇息の上に置いた右手を強く握り締めていた氏康が、ここにきて遂にその口を開いた。……が顔を歪ませた後に出たのは小さなため息一つである。
結局、沈黙を破ったのは吉政だった。
「ふむ……。右衛門、ここらで良いのではないか」
「左様であるな」
「治郎兵衛とやら、もう面を上げて良いぞ」
「……は」
戸惑う治郎兵衛に吉政はゆっくりと語り掛ける。
「まず何よりもそちの問いに答えよう。
そちの申す通り、禄寿応穏は建前でもお題目でもない。我等が北条家の本分である。
どの手を打つがその一番の近道となるかについては、まだまだ足並み揃えてとはいかず、難しきとこなれどな」
「……はっ」
「それとまあ……」
吉政はちらりと家貞を見る。
「我等も御役目として受験者の本心、資質を見極めねばならぬ。意地の悪い問いをしたり等してな。試験とはその様なものだと解してあまり根に持つものでないぞ」
「あ……。はい」
平静を保てるかを試されていたのだ。全く気が付けなかった。
「……こちらこそ己の実力に見合わぬことを好き勝手に喚いてしまいました。どうかお許し下さい」
言いながら治郎兵衛は一時忘れていた筆記試験のことも思い出し、急激に気持ちがしぼんできた。ムキになっていた自分が二重に虚しい。
視線を落とし、少し考えた。
やがて僅かに残る未練を押し込めて一つの思いに至り、認めた。
「なれど御当家の存念をしかと教えて頂きましたゆえ……今回の試験に懲りることなく、いつか御仕官がかなうよう精進いたす所存にござります」
「ううむ……そうか」
吉政も少し間を置いたものの、言葉を繋ぐ。
「もう二、三尋ねたき儀もあったが少し長くなったようだな。後もつかえておる……。
相分かった。治郎兵衛の面接はこれまでといたそう。右衛門、良いかな」
「うむ」
「若、いかがですか。最後に何かござりますれば、遠慮なく」
振られた氏康は僅かに瞳を揺らした。
「……ん、む。……よい」
「……左様ですか。では治郎兵衛、ご苦労であった。下がってよいぞ」
「はっ」
治郎兵衛は丁寧に辞儀をした。頭を上げて立ち上がろうとする。
「治郎兵衛っ」
呼び止めたのは他でもない、今し方『よい』と言ったばかりの氏康その人であった。
「……は」
「と申したな」
「は、はい」
「試験はまだ実技がある。そう易々と諦めるな」
「は……はい。されど……」
思いがけぬ言葉に驚きつつも、口を濁した。
この場を取り繕うことすら憚られる程、筆記試験の出来はひど過ぎた。
しかし、俯こうとした治郎兵衛に氏康は力強く言った。
「もはやこれまで、道は無しと観念した時。その先こそ正に己が人生の時と心得よ。そこを避けて誰の人生と言えようかッ」
さっきまで殆ど言葉を発しなかった氏康がいきなりまくし立てたのである。
唖然とする治郎兵衛に、氏康は慌てて付け足した。
「……とまあ、これは儂自身が言い聞かせられてきた言葉そのままなのだが」
言いながら吉政をちらりと見る。
吉政は少し驚いていたようだが、やがて穏やかな笑みを見せた。
氏康もそれと変わらぬ優しい眼差しで治郎兵衛を見つめ、一番伝えたかったことを言った。
「この新九郎氏康がしかと見届けるゆえ、最後まで力の限りを尽くせ」
僅かの間、治郎兵衛は我を忘れて氏康を見ていたものの、はっとして頭を下げた。
「ははッ!」
治郎兵衛はこの短い間に氏康の言葉を完璧に理解した……かは大分怪しい。
ただおそらく、その思いは確かに汲んだのだろう。
今日一番、大音量の返事であった。
* * *
治郎兵衛が去った後、家貞は氏康をたしなめた。
「若君、あの様なお声掛けは控えて頂かねば。面接は受験者を励ます場ではありませぬ。
そもそも先が見えぬ中でどれだけやり抜くことができるかというのも実力のうちなのですから。現に筆記が出来なかったと諦め途中で帰る者も毎年幾人かはおります」
「む……返す言葉も無い。すまぬ。以降は黙って見極める」
次いで吉政にも矛先が向く。
「右京、お主も気遣いなど無用だ」
「ははは。まあ、そうかっかするな。あの懸命さに少し応えたとて罰は当たるまい」
こちらは碌に反省する素振りもない。
思い出した様に家貞に尋ねた。
「ところでどうなのだ。採点の規則上、残る二種、いや三種か。その成績次第でまだあの者にも挽回の目はありそうか」
「他の受験者次第だが、あやつの申す通り二つの筆記が散々だったのであれば中々難しいかもしれぬな」
「ふうむ……。
果たして順当に終わってしまうのか、それとも若の期待に応えて意地を見せてくれるか。
とくと拝見させてもらうとしよう」
この大らかな守り役はどこか楽しんでいる節もあった。