5 登用試験 筆記・面接
仕官希望者計四十一名は元町練兵場屋敷内にて筆記もしくは面接試験に臨んでいた。
治郎兵衛は筆記試験組である。
「よいか。まずは他者の発言に対する理解力、その表現力、速記力を見る試験を行う。
今より二人の百姓、乙吉と甲助が法事の場で喧嘩となり寺の仏像の腕を折るに至り、詮議の場に呼び出されたという体で主張を闘わせる。双方が言わんとしてる趣旨を正確に記録せよ。発言を丸々書き写すでも構わぬが、正確に要点をまとめて書き記せば評価はより高くなるので、各々励むように」
周囲の受験者同様、治郎兵衛も筆を構えて文机に向かう。
やがて、ほっかむりをした二人が出てきて前に立ち、論戦が始まった。
治郎兵衛は最初、二人が以前から揉めていたという銭の貸し借りの経緯について何とか要点を整理しつつ書き留めていった。
だが酔っ払った二人が厠で鉢合わせて始まった口論に関する記憶擦り合わせの辺りから論点があちこちに飛び、『あれ』や『それ』といった言葉が増え、何について言い争ってるのか理解が追い付かなくなっていった。
そうなってくるともう二人の発した言葉を記録し得る限り記録してく他やりようがない。
ただもう一心不乱に書き殴っていた腕がつりそうになった頃、論争はようやく終わった。
そこで初めて自分が書いた物を見返したが、中盤以降は聞き取れた部分の羅列でしかなく、どういう主張にどんな反論があってどう話が展開してったのかもう全く遡りようがなかった。惨憺たる結果である。
戸惑う治郎兵衛の額に脂汗が浮かんでいた。
続いて文机を隅に片付けた受験者達に算木一式――小指大の朱、黒棒の束と升目がびっしり書き込まれた大きな紙。これを使って四則演算や平方根等の計算を行う――が配られ算術の試験が始まった。
「二十四里で伝馬を置くとして三里毎に十六頭の馬を飼う。一頭の飼い葉が一日二文としてひと月にかかる銭はいか程になるか」
「戦で一人の足軽にかかる飯代が一日七文だったとする。五十貫文(一貫文は千文)の銭にて二十日足軽を雇うとすると何人雇えるか」
「米の買取相場が一石につき、百石未満なら六百文、二百石未満なら六百二十文、三百石未満なら……で次の分だけ売りに行った場合、合計でいか程の売上げとなるか。百三十石、百五十六石、三百四石、……」
「米が八合入る等辺の升を使っていたが、倍入る升を作りたい。一辺の長さをどれだけ長くすれば良いか」
一問目の答えをどうにか出したところで二問目が読み始められた。だが後は算木を並べてる最中にもう次の問いが読まれる始末である。最後の問いにいたっては計算方法からして分からなかった。
筆記試験、終了。
治郎兵衛は控えの間で面接の順番を待つ間がっくりと肩を落としていた。普段あまり落ち込むことのない彼もこの時ばかりは己の認識の甘さを恥じた。この数年、亡き母と一兄がせっせと教えてきてくれたことを全く活かせなかった自分に腹が立ち、失望していた。
やがて名を呼ばれ、面接の間へと案内される。
畳の間に三人の面接官と一人の書記がいた。
「足を崩して構わぬぞ、肩の力を抜き、問われたことに落ち着いて答えるがよい。
こちらは御本城様御嫡子、新九郎様であらせられる。某は清水右京亮吉政、こちらは石巻右衛門家貞」
言われて正面の氏康を見た。自分と同年代、整った目鼻立ち、表情はやや強張っている。
「頭を下げぬかっ」
家貞の鋭い叱責が飛んだ。
ちなみに彼と清水吉政は治郎兵衛や氏康より一回り近く年上である。
それからしばらく家貞が伏したままの治郎兵衛に出自、仕事、家族等について尋ね、更に話は筆記試験の手応えが散々であったという感想、そして仕官の動機へと移っていった。
治郎兵衛の声には面接の最初から既に力が無い。ただそれでも、戦の無い、民の為に政がなされる世を望み、亡き母の言葉を根拠として北条家にその思いを賭し、尽くしたい旨を語っていった。
正面で受ける氏康は、動機自体珍しくないものの同い年の割に中々落ち着いてる、程度に聞いていた。
だが話が続き、早川の土手で出会ったという侍が言っていた『相模伊豆に戦を持ち込んだ罪』のくだりへ至ったとこでおやと思った。既に十を超える者を面談してきたが、仕官を望む家に対しその行いを非難した者は初めてである。その場凌ぎでない本心を言っている、そう感じた。
一方、治郎兵衛と言葉を交わす家貞は厳しい視線を注ぎ、尋ねた。
「ふむ……。
一つ聞くが、その土手で会った当家の家来衆だという侍に『感じ入り』と申したな」
「は。申しました」
「さればそなたは当家の御先代様、御本城様が家来衆と共に相模伊豆に戦火をもたらしたこと、過ちであったと断じるか」
「……」
「答えよ」
「戦を厭う気持ちを偽ることは、……出来ませぬ。
少なくとも、北条様がこの地へお入りにならなければ焼かれぬ筈であった田畑、死なずに済んだ者達が犠牲となったことは厳然たる事実だと思っております」
「ほう……左様か。
ならば、仮に仕官がかなった後、戦略上必要として民家、田畑の焼き討ちを命じられたらどうする。御本城様に楯突くと申すか」
治郎兵衛は少し考えたもののはっきりと言った。
「納得できるだけの理由がなき時は、そうなるやもしれませぬ」
治郎兵衛はどの様な咎めの言葉を受けるかと気持ち身構えたが、家貞がしたのは咳払い一つだった。
それを聞いて氏康――いつの間にやら眉間に深い皺を寄せ、顎を触りつつ聞き入っていた――が姿勢を正したことは、視線を下げたままの治郎兵衛が知る由もない。
ただ家貞は追及を止めなかった。
「……ふむ。
どうも話を聞いてると、そなたの大事は当家の繁栄より民の平和な営みにあると聞こえるな。
それは結局のところ、そなたの大事を成し遂げる、より強力な大名家が現れた折には当家を離れることも辞さず。そう言ってることにならぬか?」
「……」
「よくよく考えた上で返答せよ」