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北条戦記  作者: ゆいぐ
初陣編
43/43

43 戦の終わり (初陣編の最終回)

それは兜を割られて怯む朝興の眼前で一瞬の内に起きた。

勢い激しく繰り出された治郎の槍先が彼の眉間を抉るかに思われたその時、突如横から割り込んだ鎌槍(かまやり)に打ち弾かれたのである。


「だ、弾正……」


朝興が呼ぶ方に治郎も目を向ければ、そこには黒糸威(くろいとおどし)鎧の騎馬武者がいる。汗に口髭を濡らし肩で息をしているその男は扇谷の家宰難波田憲重だった。治郎と目を合わせるや猪突(ちょとつ)の如く鎌槍を突き出してくる。心身共に限界だった治郎は慣れない鎌槍にも手こずり防戦一方となった。


ただ実際のところ、本当に追い詰められつつあったのは憲重達扇谷勢である。


「ど、どかぬかッ、弾正! 百姓如きそなたの手など借りずとも……」


見栄を張って強がる朝興はようやく周囲の異変に気付いた。扇谷側の農兵が逃げ始めているのだ。


「何だ……何をしておる……。

おいっ、待たぬかッ。貴様等、儂の下知なく勝手に戦場を離れるとは――」

「既に左翼の三戸(みと)勢は崩れておりますッ」


朝興の本隊へ突っ込んだ氏康勢に気を取られた三戸義宜が兵を一部そちら割いた直後一気に攻め込まれたのだ。

粘る治郎と距離を取った憲重は、唖然とする朝興になおも続けた。


「やがて本隊(ここ)も南側から押し包まれましょう。されど兵共がこの有り様ではとても凌げませぬっ」


この上は前の難波田勢と合流して活路を開くか、あるいは撤退の他無い。

憲重は常時の朝興に、自分より十近くも年上の朝興に接しているつもりでその判断を仰いだ。しかし離脱していく味方を目で追う朝興は色を失いつつある。


「我等が数で勝っていたではないか。何故逃げる……。

百姓共の目には我等でなく北条が勝つと……北条の方が強いと映っておるのか……」


兜を失い右頬から流血して茫然とする朝興を見て憲重は六年前の窮地を思った。朝興が太田氏の裏切りに遭って江戸、河越の両城を捨てた際ひどく取り乱したあの窮地を。むしろ家臣を責める気力さえ無い今は更に悪いかもしれない。


ただその時、憲重の後を必死に追ってきた家来二人が駆け付けた。


「弾正様ッ、御無事でしたかッ!」

「お前達……」

「殿は」

「そちらにおわす」


もっとも朝興の様子に戸惑う家来達も各所に傷を負っている。加えて朝興に付いていた筈の近習達が全く駆け付けないという異常事態である。

憲重は離脱する兵が自分等の部隊からも出ていた事実を踏まえやむ無く決断した。


「お前達は退路が危うくなる前に殿の(くつわ)を取って城へ退()け」

「しかし……」

「形勢は敵に傾きつつあり殿も戦を続ける事は難しい。

時が無いのだッ、急げ!」

「か、かしこまりましたッ」


混戦の中、東へ駆け出した朝興達を横目で見届けた憲重は視線を戻し再び鎌槍を握り直す。

だがそうして突進をすべく馬の腹を蹴ろうとした足が――


止まった。


目の前の治郎(あいて)は酸欠で顔が紫になっている。槍も支えるのが精一杯で穂先が地に落ちていた。よく見れば年も若い。部隊を任せてきた甥の正茂(まさしげ)と同じか更に下に見えた。


「一つ聞く」

「……」

「殿の兜を割ったのは其方(そなた)か」


息も絶え絶えに頷く。


「名は」

「さく……ら、……治ろぅ……」

「百姓をやらせておくには惜しい腕だな。

殿が受けた恥辱を雪ぎたいが其方の相手ばかりもしておれぬ。いずれまた(まみ)える折まで腕を磨いておけ。此度の様な不甲斐なきことにならぬようにな」


言うだけ言うと憲重は馬首(ばしゅ)を返し、自身の部隊へと戻っていってしまった。


残された治郎の隣に、先程朝興を教えた声の主が現れて悪態をつく。


「馬鹿野郎、千載一遇の好機を(のが)しやがって」

「いち……(にぃ)……!」

「俺が後ろの雑兵の相手してたんだ。感謝しろよ」

「今……まで……どこに」

「あん? ちょっと極秘の仕事でな」


布田で扇谷の兵に追い立てられた挙句、浪人の振りをして別の村を訪れ、果ては徴兵に応じられなかった(ギックリ腰の)村人に代わって扇谷の軍に紛れ込んでいただけである。


「まあしかし、これで次からは扇谷の家宰様の方からお前を探してくれるってわけだ。

……ああ、難波田憲重な。弾正憲重」

「あの……人が……」

「しかし何で見逃してくれたんだ? 突けばもう倒れそうじゃねえか」


与一郎が小突いた治郎はそのまま崩れて四つん這いになってしまった。


「知ら……ない、よ」

「寝てる場合じゃねえぞ、最後のもう一踏ん張りだ」

「も……駄目……」


治郎はばたんと倒れる。

その後は死体然として、傍で与一郎が戦い続けてくれたお陰もあり事無きを得た。そもそも朝興の本隊が崩れ、難波田憲重・正茂と春日行信の部隊もしばらく粘った後、北条側が一方だけ囲みを開いた口から朝興の後を追って落ちていったのである。倒れた治郎を気に掛ける敵もいなかった。


無論、北条勢は潰走する敵の追撃に出る。ただしそれは余力を残していた荒木・山角・大藤勢が中心であり、氏康・吉政等はその場に残り負傷者の手当てに当たった。体調を回復した治郎も吉政を手伝った。


創傷・打傷(うちきず)を負った者には吉政から渡された張り膏薬(こうやく)(まさき)の葉を煎じて丈夫な紙に汁を浸し乾燥させた物―を張り付け、その上から切り裂いた布等を巻き付ける。張り膏薬も無くなればヨモギやウコギの葉を探してきて代用した。

更には(やじり)が刺さった者の処置―体を押さえ付けたり木に縛り付けたり引っこ抜いたり―もやった。


そしてそれらも一通り済むと、治郎は河原で氏康・吉政と共に戦を振り返ってあれやこれやと話をした。やがて日が傾く頃追撃に出た者達が無事戻り、一同は小沢城へと帰った。氏康と治郎の初陣は終わったのである。


 * * *


大手門をくぐり外曲輪へと入った氏康達を待ち受けていたのは城を守っていた四郷の百姓・家族達の大歓声だった。彼等が城の高所から見守る中、三倍差という劣勢を覆しての勝利であるからその喜びも一際だったのだろう。


馬を降りて兜を脱いだ氏康達を兵舎前に(つど)っていた四郷の土豪達十数名が迎える。


「皆の者、大儀であったな」


氏康が労いの言葉を掛けた途端、一番前に立っていた高田持則が勢いよく(ひざまず)いた。他の土豪達も一斉に倣う。


「し、新九郎様っ」

「ん……!?」

「貴方様こそ仁徳(じんとく)と武勇を兼ね備えた(まこと)の大将でありましたっ。これ以降は我等四郷の百姓、誠心誠意北条に従うことを固く誓いますのでどうかその傘下にお加え下さいっ」


氏康は少し驚いて後ろの吉政と金石斎を見る。二人はただ静かに頷いた。


主税(ちから)殿、儂はそんな大層な者ではない。ただその申し出は有り難く受けよう。今後ともどうか宜しくお願い申し上げる」

「ははッ。有り難き幸せに御座いますッ」


全てが丸く収まるかに思われ、ただそれでもまだ膝を突かない後ろの老人に皆の視線が注がれる。

孫の持則にたしなめられた持久はようやく観念したらしく、軽く咳払いをして氏康に言った。


「伊勢の倅殿。扇谷との戦に臨んだお主等の覚悟、しかと見せてもらった。

どうやら相手を安く見ていたのは儂の方だったようじゃ。あの日お主等親子を愚弄した言葉は取り下げる故、この通りどうか許されよ」

「高田殿……」

「じゃが――」


一旦頭を下げた持久はすぐに顔を上げて氏康を見据えた。


「?」

「こうなった以上、儂は耄碌(もうろく)するまでお主等北条の(まつりごと)の行く末をしかと見届けさせてもらうからの。気を引き締めて取り組まれよ」


氏康は僅かに口角を上げる。


「承知した。空言(そらごと)とならぬよう励もう」

「うむ。しっかりとな」


それにしても相変わらず偉そうな隠居である。定吉が呆れて言った。


「この偏屈(じじい)め。この期に及んでも結局若に跪かんのだな」

「かっかっか。北辰(ほくしん)(いただ)くにはまだ十年も二十年もかかろうよ」

「ふんっ、そこまで極まるとかえって清々しいわ」


定吉に続いて皆も笑う。


……ただ、そんな彼等の遣り取りに加わらず輪の一番外から眺めていた者がいる。長広である。

治郎はどこか影のあるその表情が気に掛かりそっと隣へ行って声を掛けた。


「どうかしましたか」

「ん……。いや、若を安く見ていたのは俺も同じだったと思ってな。

仮に今回も俺が城主を務めていたらとてもこの様な結果は得られなかったろう」

「兵衛様……」

「右京殿は励ましてくれたが、やはり御本城様はよく人を見ておられる。俺には城主という地位はいささか重過ぎたようだ」


長広の声は暗い。だが治郎は先程した氏康との会話を思い出して言った。


「でも新九郎様が言ってましたよ。あの突撃よりずっと以前から今日に至るまで、全てが上手く繋がったのだと」

「ん……?」

「『全て』が何をもって全てなのか私には分かってませんけれど。

あの合戦で新九郎様の突撃が成功したのは、兵衛様の部隊が敵勢を押し出して道が開けたからではないですか。新九郎様もあの時兵衛様を信じたのだと、私はそう思いますよ」

「治郎……」


不思議そうに見つめる長広に治郎は笑みを返す。

その時、不意に前の方で氏康が長広を呼ぶ声がした。


「若……、いかが致した」


怪訝そうに出てきた長広に対し、持則等土豪が改めて深々と頭を下げたのだ。


「年初めの扇谷との合戦の折、手を抜いた振舞を致した事、誠に申し訳ありませんでしたッ!」

「お前達……」


動揺する長広に氏康が言う。


「どうか許してやってくれ。そもそもこの様な過酷な状況に彼等を追い込んだのは我等武士だろう」

「……いや、全くもって若の仰る通りだ。

皆、謝らんでくれ」

「兵衛様……!」

「恥ずかしい話だ。そんな単純な事も分からぬから俺はいかんのだな」


氏康は首を横に振る。


「儂や吉政等が二月前にここへ来た時点で民と北条の絆が完全に断ち切れていたらそこで話は終わっていた。其方とて思い通りにはいかなかったかもしれんが……それでも繋いでくれたのだ。それが今こうして目に見える形になったのだろう。改めて礼を申すぞ」


長広は無言のまま、氏康に深く頭を下げた。


 * * *


かくして北条氏康が扇谷上杉朝興に勝利した小沢合戦は周辺の諸勢力に一定度の影響を及ぼした。多大な人的損害を出してしまった朝興はしばらく河越城に篭り甲斐武田・津久井内藤と連携する筈だった北条への侵攻も見送られる。小沢は平穏を取り戻して無事に収穫の時期を迎えたのだ。そして兵糧の売買によって兵力の調整を行った氏綱は小沢へ新たな増援の兵を送り、これをもって氏康等は小田原へ帰還、小沢城主には再び荒木長広が就いたのであった。


●適当用語解説

・鎌槍

穂の側面に『鎌』と呼ばれる枝刃が付いた槍のこと。片側に枝のあるのを片鎌槍(かたかまやり)、両側に枝のあるのを両鎌(もろかま)または十文字という。

なお拙作で憲重が用いていたのは片鎌槍(かたかまやり)です。

ちなみに鎌槍を用いるのを得意とする流派として宝蔵院流が有名ですが、コトバンク(朝日日本歴史辞典)に松本尚勝について記載があり、十文字・片鎌等の術技を完成させたと説明があったので、本作でも1530当時既にある程度の戦人達には広まっていたと考え取り入れました。


・松本尚勝(朝日日本歴史辞典より抜粋)

没年:大永4(1524) 生年:応仁1(1467)

室町時代の剣術家。鹿島神流の開祖。名は守勝、のち尚勝。飯篠長威の門人であったが鹿島神宮(茨城県)に祈願して源義経が奉納した秘書を手に入れ,鹿島神流を開創したという。鹿島神流は飯篠の兵法を基にしながらも陣鎌・薙刀・十文字(槍)・片鎌などにおける術技は松本の完成したもので合戦用の総合武術であった。代々松本家は鹿島神宮の神官で常陸大掾鹿島家の四家老のひとつであった。しかし鹿島家は永正期以来、一族・支族間の内訌が表面化しついには当主の廃立問題で鹿島義幹率いる軍と戦い奮戦の末に討死した(ゆ:高天原合戦らしい)。


・塚原卜伝(1489-1571)(wikiより)

『関八州古戦録』『卜伝流伝書』によれば、松本政信(尚勝)の奥義「一之太刀(ひとつのたち)」は養父の安幹から伝授されたとあるが、松本から直接学んだ説、卜伝自身が編み出したとする説もある。高天原合戦に参加している。なお卜伝も松本と同じ常陸大掾鹿島家の四家老の吉川家の出。

(ゆ:興味のあるある方は新當流(新当流)について調べてみると良いかもしれません)


北辰(ほくしん)

北極星。

(HP『Web漢文大系』様の解説より)

論語の巻一為政に『政を為すに徳を(もっ)てすれば、(たと)えば北辰の其の所に居て、衆星(しゅうせい)(これ)()かうが如し』とあり、『徳によって政治を行なえば、民は自然に帰服する。それはあたかも北極星がその不動の座にいて、もろもろの星がそれを中心に一糸みだれず運行するようなものである(下村湖人「現代訳論語」)』との教えがある。


●作者より

ここまで拙い文章にお付き合い下さった皆様に厚くお礼申し上げます。どうも有難うございました。

また以前にも書きました通り、ブックマーク、評価、いいね、アクセスといった形で応援をして下さった方々に改めて深く感謝致します。本当に励みになりました。

そして申し訳ないのですが、ネタが尽きてしまったので再び休眠期間に入らせて頂きます。一応一ヵ月程を予定しています。どうか続編をお待ちいただけますと有り難いです。よろしくお願い致します。


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