40 小沢合戦 出陣
深大寺城に扇谷の兵が集まりつつあるという知らせを受けた小沢城の氏康は金石斎に諮って小沢・片平・麻生の三郷について土豪達へ陣触れの書状を出し、残る四郷の扱いと扇谷への対応について吉政・長広・定吉を呼び内々の軍評定を開いた。
当然のことながら時間的余裕はあまり無い。氏康はすぐ本題に入った。
「此度は野戦にて扇谷勢を撃破しようと考えている。なお城の守りは菅生を始めとする四郷の農兵に任せようと思う」
強気な戦術である。
今日は大分落ち着きを取り戻している長広が一定の理解を示した。
「まあ四郷は人が少なく士気も低い。前回の轍を踏まぬ為に連中を後方に回すというのは分からんでもない。加えてあの多摩川を渡河する敵をわざわざ黙って見逃す手も無いし、押立を渡る敵勢に矢を射かけて数を減らすのは年初めの戦でもやった事だ。幾らかの効き目はあろう」
だがそれでも野戦には難色を示した。
「ただ兵数は敵が千五百。こちらは四郷の者を除けば五百数十といった所だ。小田原や小机からの援軍に頼らず凌ぐなら矢を射かけた後は退いて籠城が上策と思うがな」
ひとまず援軍は求めないという方針―即ち氏康に戦の経験を積ませると共に家中や外部勢力からの評判を上げる為に彼の大将起用がなされている事―はこの場にいる者達の暗黙の了解だった。
氏康は長広に反論する。
「されど仮に籠城して扇谷を退けても矢野口の様に郷村が荒らされては百姓達の生活が立ち行かなくなる。ここで更に欠落する者が出ればいよいよ村の存続が危うくなろう。また津久井の離反を考えると扇谷相手に長戦を続けるのも得策ではない」
「う~む、津久井の件は同意だが……。野戦で農兵が多く死傷すれば仮に扇谷を撃退出来たとしても若の望む百姓の信頼獲得は遠のこう。ましてや負け戦ともなれば前回の俺の様に城を維持するに必要な兵まで失う恐れさえある。それを分かっておられるか?」
長広の問いに今度は金石斎が助け船を出した。こちらは予想に反した氏康の提案を喜ばしく思っているらしい。
「いや、荒木殿。采配を誤らぬよう若君様には某が付く。万が一戦況が芳しくない場合も後の事を考えて退却の時機は正確に見極める故そう案ずる事はない」
「……ここまでひたすら若の無茶を後押ししてきただけの貴方が大した自信だ」
「必要な時のみ手を出すと最初に話したであろう。心配は無用だ」
常と変わらず不敵な笑みを見せる金石斎に長広は肩をすくめる。それから吉政と定吉を見た。
「右京殿も野戦に同意か」
「付き合うしかあるまい」
「四郎左殿も」
「雪辱を晴らす好機ではないか」
長広は氏康の赴任以来何度目か知れない溜め息をついた。
「思い返せば、百姓百姓百姓。若がこちらへ来てから戦の相手は扇谷ではなく百姓でしたな。
しかもこの土壇場で……少ない勝ちを拾いに行かれるか」
「分かってくれ。兵衛」
その真っ直ぐな眼差しが長広の記憶に残る幼い氏康と重なる。
「……やれやれ、若には負けたわ」
言いながら苦笑いして腹を括った。
* * *
この軍評定の結果を受け、菅生を始めとする四郷の土豪達にも陣触れの早馬が遣わされた。
ただここ数日、彼等は彼等で北条への対応を巡って何度か協議を行い、前回の如くおざなりの参戦でやり過ごすか否か、あるいはいっそ集団で多西の由井へ欠落するか(既に年初めに落ちていった者達がいて連絡を取り合っていたのだ)を論じている。
そこにきて『野戦への参戦は無用、城を守ってもらう代わりに家族の避難も許す』という今回の達しである。土豪達は喜び、戸惑い、訝しんだが中でも菅生の高田家は最後まで対応が決まらなかった。原因は勿論、当主持則の祖父持久(氏康を言い負かした老人)が北条の真意を疑って城へ行く事を渋った為である。
「どうせ罠に違いないわっ。何のかんのと理由を付け城へ呼んだら事情が変わった等と言って結局前の戦同様、従軍させようという腹じゃろうが」
「い、いや、必ずしもそうとばかりは……」
「大体あんな弱々しい鼻タレに何が出来ようっ。お主は儂の言う事を黙って聞いておればいいのじゃ!」
「しかし、ともかくここまでの心遣いを示して下さった若君様を無下には出来ませぬ……。
ひとまず支度をして城へ向かいましょう、母上達とて避難させねばなりませぬし」
「ぐぎぎ……っ!
もうよいッ。ならば儂が近隣の村々ともう一度話し合う!
欠落が早計であるにせよ近くの山野に逃れて戦の行方を見守るぐらいがここは現実的な対応じゃッ。お主は城でもどこでも行ってしまえッ!」
「いや、爺様っ。その様な勝手な事をされては困ります、おやめ下さい」
孫の制止も聞かず、持久は他の土豪達の郷村へ使いを出してしまった。
だが半刻後。その企みは脆く崩れる。
帰ってきた使いの者達は、どこの土豪・百姓も迷いつつ結局は戦支度をして家族と共に小沢城へ向かってしまったと言うのだ。漏れなく、どの村もである。これを聞いた持則は遂に決心し、家族と村の者達を集めて城へ行く旨を伝えた。持則に悪態をつき続ける持久も縄を付けて引っ張る様にして皆で村を出た。
そういうわけで四郷の中で小沢城に入ったのは彼等が最後であり、情勢は既に動き出してしまっていた。少し前に扇谷勢五百が深大寺城を出て押立方面へ向かったとの知らせが入り、これを陽動と見た北条側は協議の末、山角・荒木を大将とする三百名を迎撃に出したのである。
持則・持久は大手門で出迎えた吉政に案内されて外曲輪で着到の手続きを済ませた後、兵舎へと入った。陣幕が張られた屋内で甲冑姿の家来衆と土豪達が居並ぶ中、氏康に対面する。
「こ、この度遅参致しましたこと誠に申し訳なく、お詫びのこ、言葉もございませぬ」
持則はひれ伏しながら、この遅参を理由に出陣不要の約定が違えられるのではないかと案じた。持久の言葉が頭の中でぐるぐる渦巻いていた。
だが返ってきた言葉は全く逆の、心のこもった労いだった。
「いや、主税祐殿。北条に対して納得いかぬ所もあったろうによくぞ菅生の者達をまとめ、こうして城へ参じてくれた。我等は其方達の忠勤、決して忘れぬぞ」
躊躇いがちに頭を上げる持則に氏康は続けて言う。
「この上は我等が出陣した城の留守をしかと守ってくれ。
無論、野戦にて片を付けるつもりだが敵も兵を分けて進めてくる。この城へ寄せる者共が現れるとも限らんからな」
他意は見当たらない。徹頭徹尾、小沢へ来た初めから今に至るまで自分達百姓に対して真摯に向き合ってきた目の前の若者に持則は強烈な後ろめたさを覚えた。
持則と持久が末席に加わって間もなく、二人目の伝令が深大寺城から本隊と見られる兵一千が南へ向けて進発した旨を伝える。
氏康は金石斎を見て頷くと、立ち上がった。
「皆の者、聞いた通りだ。これより我等は布田方面から渡河してくると思しき扇谷勢を南岸で迎え撃つ。この一戦、ただの局地戦と軽んずるな。これは甲斐武田、山内上杉、津久井・武蔵の国衆といった周辺諸勢力が北条と扇谷の力を比して今後の動静を決める要の戦である。各々ここを北条にとっての分水嶺と心得、死力を尽くして戦えッ!」
「はッ!!」
そして全員が立ち上がると、吉政が音頭をとって『えいえいおう』の勝鬨を唱和した。
氏康はいよいよ出陣すべく、四郷の者達が見送る中、先頭に立って兵舎の出口へ向かう。
ただその末座に立つ持久の前まで来た時、不意に立ち止まった。前を見据えたまま『高田殿』と呼び掛ける。
「この浅間山山頂の櫓からは戦の様子が見渡せよう。
果たして我等北条の覚悟が軽いか、軽くないか篤と見定められよ」
虚勢とも気負いとも思えない。落ち着きを払ったその声に持久は不思議と言い返す気が起きず、去っていく氏康の背中を隣の持則と共にいつまでも見ていた。




