36 小沢城にて
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本文中の小沢城縄張りは現地案内板を参考にしています。
間違って書いてる部分もあるかもなので注意して下さい。等高線は省略しているのでご了承ください。
●小沢城(北条方)と深大寺城(扇谷上杉方)
※あくまでおおよそのイメージ図です。多摩川の下流は当時はもっと蛇行して南側を流れていたという情報もあったので、あるいはこの辺りもそうだったかも分かりません。
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升形山城(升形城)は1504当時は立河原合戦で早雲と氏親が入城したが城自体の防御力・施設が乏しいので現在は使用されていない。
河越城で扇谷上杉朝興が鼻息を荒くしていた頃、北条方の小沢城では城将荒木兵衛尉長広―御由緒六家荒木家の若当主。去年来、氏康着任までは小沢城主を務めていた―指揮の下、改修工事が行われていた。
五月上旬に赴任した治郎も殆どの日はこれに戦装束(額当・腹当・小袖・四幅袴・脛当・草鞋)で参加している。
長らく使われていなかった外曲輪東側の朽ちた木柵、埋まった堀、崩れた土塁の修繕。半年前の合戦で焼け落ちた本丸、二ノ丸の兵舎、櫓等の新築。新たに活用することになった西曲輪の整地。やる事は尽きず、もっこで土を運び、木柵の杭を打ち、伐採した丸太と資材をごちゃ混ぜに置いて上役から叱られたりしているうちに三週間が過ぎていった。
そうして梅雨の終わりも近い五月晴れのある日。今日も治郎は足軽連中とニ十貫以上ある丸太を担ぎ、外曲輪を歩いていた。ただこの日は城で申の上刻(午後三時過ぎ)からささやかな酒宴が予定されており、土塁を盛る百姓から木柵を結う足軽、大鋸挽きや屋根葺きの職人達までどこか活気付いて見える。
治郎達はそんな連中を避けつつ運んできた丸太を天日干し用の敷地に積み上げ、再び西曲輪へと向かった。
「背中がまたでかくなったなぁ」
振り返ると与一郎がいる。その小袖は人足と化した治郎程ではないがやはり汗と埃に汚れていた。
「そういえば前よりは丸太の重さに慣れてきた気がするけど」
先に戻っていく同僚を見送る治郎に与一郎は竹筒を渡す。
「足軽連中とは上手くやれてるか?」
「うん。一回喧嘩の仲裁に入った事があったけど、その後は何も起きずに皆作業に励んでるよ」
治郎は以前やり合った金子の足軽達を思い出していた。
ちなみに与一郎が今ここにいるのは、小沢へ出立する朝、彼がぎりぎりに小田原へ戻ってこれたからであり、肝心の卯吉は江戸から北へ向かったという話だった。
「なら良いけどな。ここではあの時みたいな面倒事は無しだぞ」
「分かってるって。一兄や孫九郎様にも迷惑掛けたと思ってるし、御本城様にも叱られたし」
もっとも氏康からは然程叱られず、それは少し意外だった。忙しくてそれどころではなかったのだろう。
「頼むぜ、ホントに。
まあお前が言ってた『伊勢様』が御本城様だったのにも驚いたがな……。その上ちゃっかり正式登用されてるしよ」
「へへ。責任重大だけどね」
視線を落とす治郎だったが与一郎は構わなかった。
「ともかく何であれそのままお付き合いさせてもらっとけよ。その縁がいずれ俺の役に立つかもしんねーからな」
「知らないよ、そんなのは」
「なんだと……っ。『そんなの』とはなんだ『そんなの』とはっ」
与一郎がガシガシと治郎の肩を揺さぶった。
「お前は大体、松田城の土牢に閉じ込められた時だって結局御本城様の力で助けてもらった癖に――」
「だから御本城様と新九郎様に恩返しするんだよ」
「なら俺にも恩返ししろ、恩返しっ。今すぐに恩返しするんだっ、この野郎っ」
「暑苦しいなあ、もう。離れてってば」
夜間の巡回をしているせいで睡眠時間が足りないのか、いつにも増してうるさい与一郎を治郎は押し返す。ただ抗うかと思った与一郎はそのまま自分から離れた。
いつの間に来ていたのか、その『新九郎様』がすぐ横で供の者と呆れ顔で笑っていたのだ。
「治郎、今日も元気そうだな」
「あっ、新九郎様」
小具足の氏康は小田原にいた時より幾分逞しくなって見える。
「そちは確か栗原と言ったな」
「はっ。わざわざ覚えおき下さり有り難うございます。足軽備え方を務めております栗原与一郎成利と申します」
改まって膝を突く与一郎に氏康は『よいよい』と手を振った。そうでなくとも普請・作事の現場ではある程度の無礼が許されている。
氏康は後ろに控えるやはり小具足の坊主に尋ねた。
「金石斎、そちの配下か」
「はい。騒がしいだけあって頭と口は回ります」
鷹の様に鋭い目と無精髭をもつこの男は大藤栄永金石斎という。元は紀伊国の根来寺で宗徒をしていた男だ。
そもそも根来寺は鎌倉中期(一二八八)紀伊国において高野山―古義真言宗の総本山。金剛峯寺―から分派した新義真言宗の総本山であり、その治外法権の下に紀伊や周辺国の地侍他様々な階層の人が集まって強大な経済力・軍事力を有する境内都市へと発展したのだが、結局は例に漏れず内部抗争が起こってしまい各派が寺外に活動領域を拡張していったという歴史がある。活動、つまりは軍事介入、傭兵稼業、土地売買等のことだが、この金石斎も本人の足軽采配能力と根来寺に持つ人脈を認められて八年程前に北条に雇われ、間もなく家臣になったという特異な経歴を持っていた。
「ちょっと金石斎様、騒がしいとはひどいじゃないですか」
「褒めたのだ。隙がない者に人は寄り付かんからな」
「え……、ぁああ、そうかァ。いやあ、だったら良いんですけどね。ふふふふ」
「そんな事より片平や麻生の土豪達の様子はどうだった」
「あ、ああ……、言われた通り宴の事を念押しして世間話をしてきましたけど、大熊殿も中島殿も別段扇谷に通じてる様子は無い……無いのかなあ。付き合いが短か過ぎて普段との違いなんて中々分かるもんじゃないですよ」
「ふっ。まあ良い。午後からは菅生の方も回ってこい」
「行けって言うなら行きますけどね……。どうなのかなあ」
遣り取りを聞いていた氏康は眉間に皺を寄せて金石斎をたしなめた。
「何だ、味方に探りを入れているのか。
お主は父が遣わした目付故考えがあるのだろうが、北条に付いてくれた者達に余計な気煩いをさせてはならんぞ」
「承知してます。ただの用心ですからご案じ下さいますな」
「なら良いが……」
「さあ、荒木殿を待たせても悪いですからそろそろ参りましょう」
「うむ、そうだったな。
治郎、西曲輪の者達に宴までもう一頑張りだと伝えてやってくれ。お主も怪我に気を付けるのだぞ」
「はっ」
二人が去った後、治郎は与一郎に言った。
「何か大変そうな御役目を任されてるんだね」
「え? ああ、そういうわけでもないけどな。風魔の数が足りないとかで金石斎様が見繕った他の連中と諜報の手伝いをしてるのさ。どちらかと言えば夜間の巡回の方が面倒だ」
「ああ……、でもそのお陰で村の人も家に戻って生活が出来てるって感謝してたよ」
治郎も小沢に来て以来数える程だが氏康の村の見回りに供をさせてもらった事があり、連年の合戦に疲弊し困窮する彼等の現状を自分なりに理解しつつあった。
「私なんて丸太運ぶのは大変だけど一兄みたいに気が張り詰める事も無いから楽なもんだよね」
「まあそれだけ俺が期待されてるという事だな」
「……」
「ところでその風魔の連中の話だと深大寺城に侍大将級の奴がまた何人か入ったらしいぞ。やっぱりこのままじゃ済まなそうだな」
「……そう」
「しかし、扇谷が攻めてきた時にあの若君様で凌ぎ切れるのかね」
「む」
「どうも行儀良過ぎるというか繊細な感じなんだよな。……例えば孫九郎様みたいな何し出すか分からない獣っぽさとか、内に秘める力強さみたいのが欠けてるというか」
「そうかなあ?」
「お前は若君様贔屓だもんな。
ま でも戦が始まる前に金石斎様が本当に無理そうだと判断すれば、代わって采配を振るってくれるのかな。その為の目付だろうし」
「大藤様ってそんな凄い人なの?」
「普段の仕事では冷静で指示も的確だし、武田相手の合戦では足軽を指揮して活躍したって話も聞いてるぞ。そもそも北条にいて御本城様から認められる以上の評価は無いだろ」
「そうか。
……でも、新九郎様だって今迄しっかりやって下さってるし、戦もきっと大丈夫だよ」
治郎は周囲を見渡す。ここに来た当時は殆ど見かけなかった小袖姿の者達が今は少しづつ増えている。即ち近隣の村へ戻ってきた百姓達が再び北条に力を貸そうとしてくれているのだ。
「ニ十以上ある村を回って、百姓達と話し合ってさ。これだけ村の人が戻ってきたのは新九郎様が頑張ったからだよ。きっとこれからも逃げた人達が戻ってきて兵力ももっと増えるよ」
「そう願うけどな。
周囲の味方の城との兼ね合いや銭の都合があるから、ここの足軽はもう大幅には増やせねえし……。あとはその二十幾つの村々に兵役を果たしてもらうしかないんだが……。
治郎、お前は今この小沢周辺の動員数が足軽込みでどれ位か知ってるか?」
「え、確か四百ぐらい?」
「六百二十だ。この一月弱で村に戻った者達が北条との取り決め通りに徴兵に応じるという前提でな」
「ふうん」
「対して深大寺はおよそ千五百だ」
「……千、五百? こっちの倍以上か」
「俺だって北条が負ける事なんて望んじゃいねえけど、中々まずい状況だろ」
「確かに……」
「まああとはどれだけあの若君様の思いが村の連中に届くかってところかな」
「思いかぁ」
「前に金石斎様が言ってたよ。『若君様には民と共に力を合わせて国をつくっていくという理想があるんだろう』ってな」
「……ああ。そうだね」
治郎は本丸を見上げる。やがて強い口調で続けた。
「私は届くと思うな。絶対に届くよ」
それは願いや祈りではなく己の実体験に基づく確たる予測だった。
高野山と根来寺、北条家(松原神社等)に関連するエピソードをいつの日か書きたいと思います。
●適当用語説明(主にコトバンク参照)
四幅袴:
前後各二幅で仕立てた、ひざ丈くらいの袴。
(ハーフパンツ的な見た目)
並幅:
並幅織物の略で最も一般的な幅の服地をいう。和服地では小幅ともいい約 36cmのものをいう。
和服地:
着物用生地のこと。反物ともいう。
土塁:
石材を用いずに土を土手状に敷地の周囲に積んだもの。
一貫(重さ):
3.75kg。二十貫だと75kg。
もっこ:
「もちこ(持籠)」の変化した語
藁筵や藁縄を網に編んだものの四隅に綱をつけて土・石などを盛り、棒で担って運ぶ具。
大鋸:
木材を軸方向と平行に切断する(引く)二人挽きの大型縦挽鋸で板の製材などに用いる。
境内都市:(wikiより)
寺院・神社という宗教的施設を中心として成立した都市群。
個別に規模は異なるものの、大きなものは10万人以上の人口を持っていたものと考えられている。
中世の日本にとって数万人という人口はまさに「大都市」と呼ぶべきものであり
「門前町」という言葉の語感による「小規模な集落」というイメージとは全く異なる。
日本史学者の伊藤正敏氏が指摘して成立しその後支持者が増えている概念。
門前町:(wikiより)
広義には、神社・寺院の信徒が近隣に集落を形成した社家町や寺内町も含めて門前町という。
規模が大きいものを宗教都市・境内都市として定義する場合がある。




