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北条戦記  作者: ゆいぐ
幕間 石巻家貞集中講義
30/43

30 北条三郎長綱 文化の日

修正:

第26・27話で登場した田代三喜を綾小路盛直に変更しました。

治郎の元服の儀は小田原城二ノ丸、石巻(いしまき)屋敷内でつつがなく行われた。治郎が出陣を控えていたこともあり月代(さかやき)家人(けにん)に剃ってもらった。お陰で頭が随分涼しくなっている。


治郎はわざわざ同席してくれた綱成と共に本丸の氏康居館へと向かっていた。


「中々凛々しくなったな」

「すーすーします」

「はは。まあ直に慣れるさ。

にしても石衛門も帰ってきたその夜に講義するとはなあ」

「少し驚きました。でも結局、割と進んだからということで早めに切り上げて下さいましたから」

「まあ俺が言うのもなんだが無茶も程々にしとけよ? 明日には小田原を発つんだから」

「はい、有り難うございます。

ところで孫九郎様は新九郎様の館に何か御用があるんですか?」

「ああ。姉上から栄様に書物を持ってくよう頼まれてな。何やら舞の稽古が始まってから和歌の勉強までやる羽目になってるらしい」

「こないだ、脱走してきた所で会いました」

「はは。何度も捕まって流石に大人しくなったみたいだ。少しは辛抱強くなったんじゃないかな」

「頑張ってるんですねえ」

「だろうなあ…………あれ――」


館の前まで来て綱成が立ち止まった。


「どうかしましたか?」

「中から歌が聞こえる」


治郎も耳を澄ますと確かに聞こえてきた。若い男らしい。顔を見合わせた二人は中へ入っていく。


奥の一室まで来ると、そこでは先程の歌声と締め太鼓(だいこ)に合わせて栄が(まい)を舞っていた。歌い手は何と道服(どうぶく)の若い僧だ。


「せぇ~~~せぇ~ら~ぎ~~、す~~すぅ~ぐ」


稽古らしい。拍子が限りなく遅い。間近で聴いてみて治郎は知っている歌だったことにとようやく気付いた。

そして指南役だろうか。部屋の奥に小綺麗な中年の女と男が正座し、(まばた)き一つせず、睨むかの様に栄の舞を見ている。


「さ~~~こぉ~の、はぁ~~るよ~」


清々(すがすが)しく伸びやかに響き渡る歌声と全く釣り合わない、ピリピリした空気に気圧されて綱成と治郎は廊下にそっと座った。


(それにしても良い声ですね。僧侶みたいな格好してるのに)

(あれは三郎様だ)

(……!? 北条三郎長綱(ちょうこう)様ですか)

(うん。秋の饗応に向けた稽古だろうな。三郎様が取り仕切ってるらしいから)

(なるほど。しかし一門衆とはいえ凄いですね、まだお若く見えますが)

(ああ。俺達より七つ上だったかな)


区切りを迎えたらしく、中年の女が栄に手ほどきを始めた。手首の角度やら歩幅やらかなり細かく指導している。


(厳しそうな人ですね)

(前座と聞いてるけど、おざなりで済まそうって感じじゃないな)


やがて今日の分を終えたようだ。指南役の男と太鼓打ちの男は先に退出した。

残って三郎と話していた女が愉快そうに言う。


「三郎様やっぱり筋がええわぁ。刀も(きょう)も捨ててうちの座に()よし」

「いやいや。私みたいな根性無しにはとても務まらんよ」

「ふふ。そないな風には見えへんけどなあ」


やがて(しと)やかに辞儀をし、女も部屋を出ていった。

栄はその時になってようやく綱成と治郎に気付いたらしい。


「あ、(まご)。来てたの」

「ええ。先程治郎と一緒に」

「……治郎? ……あ、治郎兵衛。髪を剃ったのね」

「はい、朝、右衛門様の所で」

「御本城様から新しい名も頂いたんです。今日からは佐倉治郎清里(さくらじろうきよさと)と呼んでやって下さい」

「……そう、清里。……清、里。……うん、良い名前ね」


栄は何やら反応が鈍い。それでも長綱を紹介してくれた。


「この方は三郎様よ。父の末の弟なの。()()()叔父よ」


治郎兵衛が挨拶をすると長綱は気さくに応えた。


「――ああ、お主だったか。母から聞いたよ。こないだは糸乃の供をしてもらってすまなかったな」

「あ、いえ、とんでもありません」


治郎は善修寺を思い出した。やはり長綱も柔らかな雰囲気を持っている。しかしそれだけではない。もしかすると――


「ん? いかがした」

「……あ、申し訳ありません」


隣の綱成がにやりとした。


「大方三郎様に早雲様を重ね合わせていたんだろう」

「……はい。今右衛門様から早雲公について講義を受けてまして。

御本城様は(まげ)を結われていることもあって……つい三郎様を見入ってしまいました」

「はは、慣れてるよ。しかし私は父や兄と違いくぐってきた修羅場の数が足りんのだろうな。覇気が無いなどと周りの者からよく軽口を叩かれてるよ」

「いや、単に若いからというだけですよ。三郎様も御本城様位の御年になれば自然と備わってきますとも」

「嬉しい事を言ってくれるな、孫九郎」

「へへ」


照れ隠しか綱成は栄に話を振った。


「それにしてもあの栄様が我等に気付かぬ程真剣に打ち込まれるとは、若が聞いたら泣いて喜びますな」

「そうね、兄上のことだから泣き崩れるわ」

「はは。流石に栄様はいつも自信に満ちて――」

「きっと泣き崩れるわ。私のこの無様な舞に」

「え……」

「……」

「は、はは……。今日はまた変わった御冗談を」


しかし栄の視線はもう畳に落ち、呪詛の如く数多の言葉が零れ出していく。


「何がいけなかったのかしら」

「栄様……?」

「もっと小さい頃から戦国大名の娘として自覚をもって毎日稽古に励むべきだったのかしら」

「栄様、ちょっと」

「いいえ、それ以前に北条の娘として生まれてきたことが間違いだったのかも」

「栄……」

「そうよ、小田原城じゃなくて隣のお百姓の家に生まれていれば良かったのよ」

「……」

「ううん。私なんて人として生まれてはいけなかったの…………」


ずーんと沈んでいる。綱成と治郎は横目で見合った。


「辛抱強くなってるどころか病んでるな……」

「以前会った時とまるで別人です」

「普段元気なだけに落差が激し過ぎなんだよ」


それでも綱成は何とか気を取り直して栄を励ました。


「ま、まあでも最初から上手くいくものでもないでしょうし、少しづつ覚えていけば――」


栄はようやく顔を上げた。


「そうなの。少しづつだけど出来ないなりに小歌(こうた)(まい)の稽古に励んだの」

「ああ、そう言えば前見た時は閑吟集(かんぎんしゅう)だか何だかってのをやってましたよね。今日はあれとはまた別の――」

「そうしたらある日叔父上が『何か違うな』とか言い出したの。演目が変わってそれまで覚えた事が全部無駄になっちゃった。あはは」

「……ま、まあ三郎様にも色々考えがあるでしょうから。それにあれだ。糸乃もきっとまだ最初の所で苦労してますよ。焦らずに――」

「そうなの。私も糸乃と一緒に頑張ろうって思ってたの」

「う、うん……」

「でもまた叔父上が言ったの。『糸乃は笛をやってみるか』って。だから私一人が毎日毎日あの桐尾上(きりおのえ)天十郎(てんじゅうろう)から厳しい手直しを受けることになっちゃった」

「ああっ……と、でもこうして三郎様が心配して稽古の様子を見に来てくれたんですから――」

「そうなの。聴いたでしょ? 叔父上は歌が上手いの。おまけに(つづみ)だって尺八(しゃくはち)だって上手いの」

「……」

「だから私も叔父にあやかって……あやかっ……ぅう…………ぅわぁーんッッ!」


堪らず綱成は長綱を見た。


「三郎様、何してくれてるんですかっ!?」

「……いや、すまぬ。その……悪い癖が出てしまってな。

糸乃と二人で舞う演目でも良かったのだが、桐尾上と相談してるうちに熱が入ってしまった。しかも次に選んだ演目に幾つか直しを入れた為にその皺寄せが栄と糸乃に行ってしまった……」

「そうよ。全て叔父上が、自慢の叔父上が悪いのよ……うう……うぅ……」


綱成がしきりと治郎に目配せする。何とかしろと言いたいらしい。

治郎は思い付かない。仕方なく喋り出した。


「……ええと、あの、でも栄様」

「……?」

「栄様は」

「……ん?」

「栄……様は」

「……私は?」

「笑顔が一番似合いますよっ」


下手くそか、と綱成はずっこけた。


「治郎兵衛……。ありがとう」


だがそれで十分だったのかと気付いて必死に合わせた。


「そうそう、その通り。つらい時も笑ってればそのうち良い方に転がりますって」

「孫まで……。うう……何だか泣けてきた」


既に泣いている栄は綱成が差し出した懐紙でチーンと鼻をかんでいる。

治郎はもう一杯一杯なので綱成に任せることにして長綱に尋ねた。


「ところで先程のあの方達は上方の人なんですか?」

「いや、東国だよ。桐尾上は相模の出だが京で曲舞(くせまい)の稽古をしていた期間が長くて訛りがうつってしまったらしい。一族が北条に仕えている縁もあって今は巡業で小田原に来ているんだ。天十郎の方は伊豆の生まれで北条の家臣さ。普段は伊豆の芸能関係―大道芸能者・陰陽師・平家琵琶等―の座頭(ざがしら)達の取りまとめをしている」

「なるほど……。薬師(くすし)綾小路(あやのこうじ)様もそうですが色んな人が来てるんですねえ」

「町も活気付くしな。様々な所で様々な人種が繋がっていくんだ」


まだ治郎にはぴんと来なかったが、何だか誇らしい気分だった。


「治郎は曲舞や神楽(かぐら)は知っているか?」

「ええと、里神楽は松原(まつばら)の神社で見たことがあります」


昨年の始め、大漁を祈願して奉納される神楽を神社の境内で人混みにまじって見物した。雅やかな合奏(がっそう)の中で巫女が鈴を掲げて美しく舞っていたのを今でも覚えている。


「ああ、あれは有名だな」

「曲舞は……全く知りません」

「そうか。曲舞は舞と歌に小鼓(こつづみ)扇拍子(おうぎびょうし)を合わせるものが多い。

桐尾上は曲舞太夫(くせまいだゆう)だが神楽もやる。天十郎は神事(しんじ)舞太夫だな」

「太夫……」

「まあその集団の長ぐらいの意味だよ」

「ふむふむ。

けれど、先程歌われていたのは田植歌(たうえうた)……ですよね」


毎年今位の時期に足柄の百姓達が田植えをしながら歌っている。豊穣を荒神(こうじん)に祈る為のものだ。


「ああ、そうだよ」

「京から高い身分の方が来ると聞きましたが」

「うん。連歌師の宗長(そうちょう)様や僧の快元(かいげん)様もお呼びするが何より今回の主賓は近衛(このえ)家の家来衆だ」

「そのう……地元の田植歌なんかで大丈夫なのでしょうか?」


途端に栄が縋るような眼で治郎を見た。


「田植歌なんか……。田植歌なんか……」

「ああっ、違います、そういう意味ではなくて」

「ううぅ……ひぐっ…………」


長綱は穏やかに続ける。


「これは京にいた頃聞いた話なんだが、向こうでは応仁の乱以来、貴族階級で奏でられていた楽器類が散逸してその手の催しが随分減ってしまったらしい。だから龍笛(りゅうてき)を取り入れた歌舞(かぶ)は彼等の心に響くんじゃないかと考えてな」

「うう……きっと響かないわ」

「こらこら」

(きら)びやかな扇越しに『これだから田舎大名は困るでおじゃる』とか囁かれて笑われるのよ……ううぅ……」


そこまで聞いて初めて三郎は少し困った様に微笑んでみせた。


「栄、とりあえず一つだけ思ってみたらどうだ」

「……一つ?」

「うん。私が色々口を出してしまったから混乱しただろうが、元を質せばつい熱を入れたのはお前が舞い、糸乃が奏でるからこそだ」

「……」

「私は勿論、兄上も家中の者も皆楽しみにしている。だけどそれは優れた舞と笛を観たいからじゃない。北条栄と在竹糸乃の晴れの舞台を観たいからだよ」

「……叔父上」

「その大切な願いと京都外交がどうとかいう話は全く別だ。無論私や桐尾上が芸事に入れ込む気持ちも関係無い」

「……」

「何よりもまずは、お前を見守ってきた者達の思いを汲んで稽古に励んでくれぬか」


栄は膝の上に握り締めていた手を(ほど)き、小さく頷いた。


「…………そうか、そうよね」

「分かってくれるか?」

「……うん」

「ありがとう」


治郎と綱成もやれやれと胸を撫で下ろした。

長綱は努めて軽く付け加える。


「難しい政の話は大人の領分だ。むしろ兄上や私達、そして真打を務める桐尾上が果たすべき責任なのだから。そう気負わなくても大丈夫だ」

「うん」


ようやく普段の栄が戻ってきたようだ。


「私、糸乃の所へ行くわ。稽古のおさらいもしないとだし……」

「ああ。糸乃にも同じ様に伝えてあげてくれ」

「はい」


栄が出ていった後、静かになった部屋で綱成が低い声で尋ねた。


「とは言いつつも北条の姫君たる栄様にしか頼めない役目なのでしょう? 何かは知りませんが、朝廷外交の場における重要な……」


けれど長綱は静かな笑みを湛えるのみだった。


そして案じ顔をする綱成の隣で治郎は暢気(のんき)に別の事を思っていた。

もしも小沢での任を無事に終えて小田原へ戻ってこれたなら、自分も少しは北条家の一員らしくなっているだろうか。その時は同じ様に頑張って稽古を重ねた栄の舞と糸乃の笛を観てみたい、と。


30話は長綱が田植歌・舞・龍笛の組み合わせを選択した背景が説明し切れていません。邪道なのですがこの後書きで捕捉説明をします。読まなくても全く支障は無いですし、乱文で例によって間違った解釈をしている可能性も十分にありますので、興味ある方だけ読んで頂ければと思います。


以下、田植歌・里神楽についてはwiki、コトバンク(百科事典マイペディア・デジタル大辞泉等)を参照・抜粋してます。


田植歌:

田植歌は労働歌の一種で田植え作業をしながら歌う民謡をいう。田唄(たうた)とも表記する。主に田の神に敬意を示し、無病息災と豊穣・豊作を願う田植えの伝統的な芸能として、古くから日本各地で歌われている。田植は神事儀礼的な民俗行事でもあることから、こうした歌が歌われた。


民謡の一つで、田植えをしながらうたう仕事歌。もと、田の神をたたえて豊作を祈願する為のもの。上代(じょうだい)から行われ、田舞・田歌などにも取り入れられている。さおとめうた。さつきうた。

※上代:はるか昔。大昔。太古。


田植の作業時に歌われる労作歌。田の神を褒め,田主(たあるじ)を賞したり恨んだりし,労働の辛さを嘆くなど多彩。儀式性・芸能性に富む。《田植草紙》は室町末期の成立で,中国地方の伝承歌謡を伝えている。


●作者の理解(間違ってる可能性有り):

田植歌が始まりだったのか、田植歌を歌ったり苗を投げ入れたり等という神に捧げる神事が始まりだったのか不明だが、ともかく神と百姓を繋ぐことを昔から人は願っていた。何故なら稲の病気も天災も人力ではどうにもならなかったから。

そしてつらい労働を紛らせたり大勢の作業をテンポ良く行わせたりという労作歌(ろうさくうた)の面も手伝って歌がもっと大規模になり、さざら等の楽器も入ってきて田楽という賑やかな物に進化した模様。あるいは田楽法師が見世物として披露して他の地域へ伝わっていった。あるいは芸能の色が濃くなり田楽能として鎌倉時代に流行したのだが別分野から発展してきた猿楽能と覇権争いとなり、それに敗れて田楽能は廃れていった。

という歴史があるらしい。


里神楽:

五穀豊穣だったり豊漁を願って奉納するタイプの物がある。このタイプの物もやはり神に捧げて御利益を得たいという目的を含む催し物。


沼島八幡神社に伝わる淡路神楽:

神社自体は1436年に梶原俊景が創建している。淡路神楽が始まった年自体は不明なのだが、龍笛と舞と歌による里神楽があり、歌については現在は行われていない。(youtubeで視聴可能)


元々龍笛を用いる里神楽はそんなに沢山は無い模様。

ちなみに浪速神楽とかも龍笛を用いるがテンポはやや速く、歌も無い模様。



●拙作内での創作:

乱暴に解釈するなら田植歌も田植前に行われていた神事も、里神楽も豊穣を願って、神様に祈る、歌(あるいは舞)を捧げるという側面が有る。

(神楽は神懸かりといって神を巫女等に降ろさせて、人々の穢れを払ったり人と神の交流、宴をしたりという目的もあるらしい)

なので田植歌・里神楽の知識と上記の論理で長綱と桐尾上が舞の所作を創作・調整して、糸乃に奏でさせたかった龍笛(善修寺を継いでほしかった)もそこに組み込んで30話で田植歌(舞・歌・笛)を秋の饗宴で披露させようと考えた。

という感じの背景があります。加えて公家に見くびられないように上方の猿真似は今回は控えようという考えも。


●捕捉:

そして、恐らく開始年は近代だと思うのですが、龍笛・太鼓・歌による田植歌を公開している神社があります。それが奈良県天理市の大和(おおやまと)神社の御田植祭です。

こちらも大和神社・田植歌で検索するとyoutubeで見れます。

元々作者がイメージの参考にしてるメロディーがこの田植歌です。拙作の文章では全く想像しづらいと思うので、興味ある方は見てみて下さい。


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