24 侍見習い 伍
夜はまだ明けない。四人は山田村の北東の外れまで来ていた。
治郎兵衛と綱成が同行出来るのはここまでである。あとは与一郎の案内で東に広がる丘陵地帯の森林を徒歩で抜けることになっていた。
「こっからは道無き道だ。東海道なんか行った日には馬に乗れない卯吉はすぐ捕まっちうからな」
「与一郎様、すみません」
「問題ねえよ。
中井郷(現中井町)に知り合いの杣(木こり)の家があるからな。森の奥で地元の者も滅多に来ない所だ。まずは今日中にそこまで行くぞ」
「はい、よろしくお願いします」
治郎兵衛と綱成が持ち合わせの銭を巾着ごと差し出す。
この期に及んで遠慮する卯吉の手に綱成がしっかり握らせた。
「許せよ、卯吉。流石に俺も今回の事は少し考えさせられた」
「孫九郎様……」
「お前のこと、しっかりと胸に留めておく。だからお前も何とかしてここを生き延びろ。次に会う時までに北条の政がもっと良くなっているよう、俺なりに励んでみる故な」
「勿体ないお言葉です。本当に有り難うございました」
卯吉は恭しく受け取る。
そして治郎兵衛に向き直った。
「治郎兄も本当に……、有り難うね」
治郎兵衛は首を横に振ることしか出来なかった。今から先が卯吉にとって紛れもなく『人生の時』なのだと思う。しかしそこまで追い込んだ一因が自分にもあると思うと、どうにも掛けるべき言葉が見つからなかった。
押し黙ったままの治郎兵衛に卯吉は別れを告げる。
「元気でね……」
「……うん」
「僕も頑張ってみるから、治郎兄も立派な侍になってね」
「…………うん」
卯吉は微笑む。
そうして与一郎に言った。
「それじゃ、与一郎様。よろしくお願いします」
「ああ。治郎兵衛、足軽備え奉行の詰所には風邪で二、三日休むって伝えといてくれ」
「……分かった」
二人は薄暗い森の中へと踏み入っていく。その後ろ姿はいくらも進まないうちに闇に紛れてしまった。
やがて綱成が言う。
「……俺達もあまり長居しない方がいい。後はあいつらの運に任せるより他ない」
「……はい」
二人はとぼとぼと道を戻った。
「そういえば……馬は卯吉の家だったな」
「はい」
治郎兵衛は鬱屈とし、綱成も気だるげだった。それきり会話は全く無い。
二人が村の中程まで戻ってきた頃、空は白み始めていた。
右手(西側)は雑木林である。さっき金子村へ行く時に使った林道の入り口が見えてきた。正に折悪しく、である。その入り口から足軽らしき集団がぞろぞろと出てきた。不揃いに武装している彼等は目敏く二人を見つけると近付いてくる。十二、三人はいようか。
先頭の頭目らしい男が綱成に尋ねてきた。
「卯吉というガキを一人探している。仲間と共に逃げているのだが、それらしい者を見ておらんか」
「さあ……。見ていないな」
「……そうか。年もお前等と大して変わらん位なのだが」
「……」
「ところでお前等はこんな早くから何をしている。見た所、なりは武士のようだが」
「使いの途中だ」
「ふむ……。こんな時分に行くとは急ぎの用だと見えるが、その割に馬も使っていないのはどういうわけだ」
「……」
「答えろ」
威圧的な問い掛けに、綱成が全くひるまず返す。
「何様だ。足軽風情に御家の大事を漏らす訳がなかろう。身の程を弁えろ」
だが頭目も引かなかった。
「弁えるのはお前等だ。たかが死体二つ、どうとでもなる。
早く答えぬと怪我では済まなくなるぞ」
二人は無言のまま、見合う。足軽達も武器に手を掛ける。
だが一触即発という空気の中、何かを察した様に頭目は笑ってみせた。
「……そうか。
まあ俺達が探すよう言われてるのは卯吉一人だ。余計な事はせず言われた範囲を探すとしよう。
……おい、行くぞ」
足軽連中は綱成達を素通りしていく。今、綱成達が来た方へと歩いていく。
綱成はため息を吐いた。振り返って呼び止める。
「村の外れまで行ったとて、そこで道は終わりだ。どうせ探すなら東海道か足柄路が良いのではないか?」
頭目が立ち止まり再び答える。
「そっちは別の連中が探してる」
「……。たかが子供一人に、大袈裟なことだ」
「どうあっても捕えねばならん罪人だからな」
「それ程の罪か」
「そうだ」
「捕えた後はどうする。身売りか」
「はは、よく分かったな。だが今となってはそれも叶わんかもしれん」
「なに……?」
「まず逃げた罰を負わせるのだ。
一度目で既に死にかけていたからな。恐らく次で終わりだろう」
足軽達も薄ら笑いを浮かべている。
そんな男達を綱成は冷めた目でじっと見ていた。そしてやはり同じ目をした治郎兵衛がつかつかと前に出ていく。そのまま頭目の真ん前まで行くと、無遠慮に見下ろした。
「ん?」
――凄まじい風圧と同時に治郎兵衛の右拳が頭目の頭蓋にぶち込まれた。
頭から地面に突っ込んだそれは捻じれた格好でもう泡を吹いている。
唖然とする足軽達に向けて、綱成が平然と言い放った。
「すまんな。今、俺達は少し虫の居所が悪い」
「ふ、ふざけんなッ……!!」
「ふざけてなどいない。だからお前等もぶちのめすことにした」
「な、何を……。たった二人でこの人数相手にやろうってのか……!」
「そうだ」
綱成は刀を抜く。足軽達をギロリと睨み、告げた。
「一人たりとも逃がさんから覚悟しろ」
「か、覚悟すんのはてめえらだ! 殺っちまえッ!!」
足軽達が得物を手に猛然と襲い掛かる。
だが綱成と治郎兵衛は望むところだとばかりに応じ、暴れ回った。綱成は自前の太刀で、治郎兵衛は拳二つで溜まりに溜まった鬱憤を発散させた。足軽連中の槍は折れ、刀はひん曲がる。鉢金は飛び、腹当はひしゃげた。腕は折られ、殴り倒され、投げ飛ばされ、叩き伏せられた。
巧さは無い。美しさも無い。ただ力、力、力で圧倒した。
終わってみれば戦慣れした足軽十二名は残らずぶちのめされていた。
あちこちに軽傷を負った綱成が『清々(せいせい)したわ』と吐き捨て、治郎兵衛も頷く。
二人はその場を後にし、卯吉宅へ戻った。馬に乗り――与一郎の馬については後で人をやって取りに来させると綱成が言うのでそのままにした――山田村を出る。
林道を下り再び足柄平野に出る頃、治郎兵衛は与一郎のふくれっ面を思い浮かべていた。
「やってしまいましたね」
「やってしまったな」
「顔も多分覚えられてしまったでしょう」
「致し方あるまい。あのまま追わせるわけにもいかん。
後でもし小田原で詮議を受けるような事になったら、連中に言った通りただ喧嘩を吹っ掛けたと言い切るしかないな」
「なるほど。確かにむしゃくしゃしたから喧嘩を売り申した」
「はは、まあ全くの嘘ではないからな。
しかしそれはそれとして、この様子だと帰り道でまた金子の配下に出くわしそうだな」
「はい」
「まあ、連中と違って他の場所はいくら探されても構わんから、そいつらに対しても知らぬ存ぜぬで押し通そう」
「この汚れたなりで押し通せるでしょうか……」
「押し通すしかない……」
また二人はしばらく無言になる。
だが酒匂川を一つ越えてしばらく進んだ辺りで、治郎兵衛が改まって言った。
「孫九郎様」
「何だ」
「今回の卯吉の事、手を貸して下さり本当に有り難うございました」
「気にするな」
「それに、喧嘩にまで巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません」
「あれもやりたいからやったのだ。
それより、治郎、お前やはり強かったな。四郎左の言った事に間違いは無かった」
「……我を忘れて暴れてしまいました」
「それでも刀を抜かなかったのだ、忘れてはいなかったのだろう」
「……。孫九郎様も凄かったです」
「まあ俺は亡き父が召し抱えた武骨者達に揉まれて育ったからな」
綱成の父九郎は伊勢の名乗りを許される程氏綱の信頼が厚かった。しかし五年前、上杉朝興を相手に白子原(現埼玉県和光市白子)の戦いで総大将を務め、討死している。
「そうだったのですか。それで……」
「うむ。それとあとは姉上の影響だな」
「姉上様がいらっしゃるのですか」
「うん、楓という。今度紹介しよう。さばさばしてるがそれなりに優しいから大丈夫だ」
「左様ですか……」
「それに弟もいるぞ。弁千代という。こいつは石衛門並の真面目で……」
話していた綱成の口がふと止まる。道の先に数名の足軽が見えたのだ。『足軽』と言っても先程の様な半端な武装とはまるで違う。黒塗りの陣笠・桶側胴に槍と、揃いの格好をしている。彼等は道の端に白い陣幕を設置している最中で、垣楯が置かれて幟まで数本立っている。その白地に組直違の家紋を見た綱成はしばらく顔を歪めた後、苦笑いして呟いた。
「……能面殿には恐れ入る」
「え?」
「……治郎。押し通るのは無しだ。この先は決して手を出すな」
「か、かしこまりました」
二人は陣所まで馬を進めた。足軽一人が寄ってきて綱成が応じようとした時、幕の後ろから『孫九郎様!』と声がして小具足の武士が出てくる。その顔見知りらしい男に対し、綱成は事実を伏せたまま通してもらおうと粘ったがやはり通用しなかった。
陣が設けられていた理由は卯吉とその脱走を助けた者を捕縛する為であり、怪我だらけで着物も汚れている綱成と治郎兵衛はあからさまに怪しかったのだ。
「ならば城に伺いを立てます故、しばしお待ち下さい」
「だから急いでいるのだ。その卯吉のことは知らんが、俺は福島家の当主だぞ。小田原に戻ったとてどこかへ消えたりもせん。金子側と何か問題があれば直接話を付ける故、要らぬ手間を掛けさせるな」
「しかし我等も御役目としてここに居るのです。勝手を申されては……」
言いながら男は綱成の後方に目をやる。そうして安堵して言った。
「ああ。丁度松田様がいらっしゃいました。直接お話をなさって下さい」
「何だと……」
振り返った綱成はこちらへ向かってくる数騎の武者を見つける。そして彼等の先頭に立つ素襖の武士を認めると、忌々しそうに舌打ちしたのだった。
●適当用語解説
陣笠:平べったい円錐形の黒い笠。日除けに手拭いを後ろから垂らす
組直違:×の字を二つ重ねた様な図柄
垣楯:地面に置いて使う木の盾。火縄銃には通用しなかった模様
素襖:
大河ドラマ等の戦国物でよく見るそこそこの身分の武士の平時の服装。
桶側胴:
桶の側面に似てることから名前が付いた胴鎧
板札という長方形の鉄板を留め合わせて作る
能面:
能で使う面。以下wikiより抜粋。
『「能」という語は元々、特定の芸能を指すものではなく、物真似や滑稽芸でない芸能で、ストーリーのあるもののこと全般を意味していた。猿楽以外にもこれが用いられていたが、猿楽が盛んになると共にほとんど猿楽が能の略称となった』
この時代(1530)、いってみれば猿楽面と名付けるべきですが、綱成はごろが悪いので能面と名付けた模様です。




