22 侍見習い 参
腹当:
鎧の一形式。肩に掛けて装着。胴体前面・側面のみをガードする。背中で紐を結ぶ。
名主:
姓を持っていて、百姓の取りまとめ役位のイメージで使ってます。
汚い頭と着物を額当てと腹当で覆った野武士が荒っぽく聞いてくる。
「何だ、てめえらは」
臆することもなく綱成が応じた。
「それはこっちの台詞だ。お前の様な野武士が卯吉に何の用だ」
「あァ? 若僧、口の利き方に気を付けろよ。俺は野武士じゃねえ。金子庄衛門様預かりの、れっきとした足軽だ」
「ふん、似た様なものではないか」
「何だと……」
「それで金子の足軽が卯吉に何の用だ」
「てめえら、あのガキの知り合いか」
口を開こうとした治郎兵衛を遮り、綱成は煩わしそうに言った。
「面倒くさい男だな。聞いているのはこっちだ。早く答えろ」
「……おい、どうもてめえは礼儀を知らねえな。答えるのはてめえが先だってんだよ。あのガキとどういう関係か言え」
「はは、やれやれ。野武士に言葉は通じぬか」
「二度目だ、次はねえぞ。若造」
男が草鞋のまま板の間に片足を上げる。だが綱成は更に挑発した。
「次など要らん。喋りたくなければ体に聞いてやると言ってるのだ。さっさとかかってこい」
「こ、この野郎っ……、人を馬鹿にしやがってッ……」
「野武士だったら野武士らしく立派に暴れてみろ」
「いい加減にしやがれッ!!」
男が飛び出した。だが綱成はさして慌てる様子もない。座ったまま太刀を引き寄せると鞘先でもって、眼前に迫ったその喉元へ手本の様な突きを食らわせた。
男は喉を押さえてよろめき、その場に崩れ落ちる。そうして激しく咳き込んだ。思う様に呼吸が出来ないらしい。苦しむ背中に綱成は容赦なく跨り、右腕をねじり上げた。
「いででッ……! ゴホッ、ゲホッ! ……っでぇ、痛ェ、ゴホッ! 折れる! 折れるって……! ゲホッ、ゴホッ!」
「二人とも、何か縛る物ないか」
三人は家にあった古縄を使って男を縛り上げ、太刀も取り上げた。
いきなりの展開に治郎兵衛は少し戸惑い、綱成に尋ねた。
「あの、何もここまでやる必要はなかったのでは……」
「あのまま押し問答してても埒が明かんだろ。それにこいつは多分、さっきの口振りからして卯吉の事を知っているぞ。だから――」
綱成は転がされている男の目の前まで行くと白刃を抜き放ち、その目先に勢い良く突き立てた。軽い悲鳴を聞いて真顔のまま頷き、男に顔を近付け囁く。
「これから尋ねる事に正直に答えろ。話したくなければ話さなくても構わんが、その時は腕を一本ずつへし折っていく。嘘だと感じても折る。それでも話さなければ足も折る。最後は首を折ってこの太刀でとどめを刺すからな。
言ってる事が理解出来たか? よく考えて好きな方を選べ」
「わわ、わ、分かった、言う。何でも正直に言うから勘弁してくれっ」
「本当だな」
「あ、ああ。約束するって」
綱成は『よし』と言って立ち上がり、こちらに片眼を瞑ってみせた。どうやら芝居だったらしい。そこからの尋問は与一郎が代わった。
「じゃあ、おっさん。聞くが、あんた卯吉に何の用があってここへ来たんだ」
「う、卯吉に用があったんじゃねえ。あいつはもう金子様の屋敷に捕まってる」
今度は治郎兵衛が猛然と立ち上がった。鬼の形相であり、先程の綱成を遥かに超える気迫だ。それを与一郎がどうにか落ち着かせて座らせた。
ただ、これが男には駄目押しになったらしい。すっかり大人しくなってしまった。
与一郎が尋問を再開する。
「それで、何でそんな事になってるんだよ。卯吉が何か仕事で大きな失敗でもしたのか」
「茶だよ」
「は?」
「あのガキ、茶を勝手に売りさばきやがったんだ」
「勝手に? それは横流しをしたということか」
「そんな生易しいもんじゃねえ。茶の在庫管理をしてる名主と結んで、蔵からくすねたのを神奈川湊で売ったんだ」
「……額は」
「十六貫(160万円)」
与一郎も卯吉も言葉を失った。
ややあって与一郎が問う。
「いや待て、いきなり湊に持ってったとこでそんな大量に買い取ってくれる人間なんて見つからないだろ」
「さあな。その名主の方に元々売る当てがあったんじゃねえのか」
「……。じゃあ、何かの間違いってことは。濡れ衣とか、脅されたとか……」
「物を渡すとこを直に見た連雀仲間がいたんだとよ。何よりあのガキ本人が認めてんだからな。ただ一人でやったわけじゃねえ」
「……そうに決まってる。連雀に入ってまだ一年で、しかもたったの十四だぞ。卯吉一人にそんな大きい話が回ってくる筈がない」
「そいつは正一という男なんだが、やはりこの山田村の出でな。独り身だ」
「じゃあ、そいつも金子殿の屋敷に捕らえられてるんだな」
「いや」
「?」
「こいつは逃げた」
「何だと!?」
「だから俺がこの村へ寄越されたんだ。万が一家に戻ってくるかもしれねえってことでな」
「……ちっ、ふざけやがって。
そういう話か……。それであんたは卯吉の家に明かりが見えたから不審に思って来たというわけか」
「そうだ。まさかてめえらみてえな悪ガキが待ち構えてるとは思わなかったがな」
綱成が男に尋ねる。
「だが茶の取引の現場を見られたんなら、それで中止になったか、そうでなくても代金だけは座元に返したんじゃないのか」
「さあな。ただ金子様にしてみりゃ、卯吉達が話に乗っちまった時点で、取引が成立しようがしまいが許せねえって事なんじゃねえのか」
与一郎が推測混じりに付け加える。
「前に卯吉に会った時に、座元は星野山の無量寿寺だと聞いてます。あそこは天台宗の東国本山ですから扱ってる品は茶だけじゃないでしょうし、末寺にも顔が利くでしょう。連雀側が寺の信用を失って取引そのものや門前市への出入りを禁じられる様な話になれば、金子殿は大きな痛手です。あるいは詫び金として多額の銭を支払わなければいけなくなってる可能性も有ります……」
「ふうむ……。せめて手引きしたのがを寺内部の人間だったら、責任はお互い様という話にもなったろうにな」
「確かに。何より一番まずいのはおそらく……」
与一郎は俯いて強く唇を噛む。
だがやがて顔を上げ、男に確認した。
「それで……、金子殿の屋敷に捕らえられたということは卯吉はこの後……」
「決まってる。身売りされるのだ」
治郎兵衛がまた立ち上がり、男が反射的に身を丸める。
与一郎は片手で制し、思案顔で言った。
「……しかし、一度の罪で身売りとは少し重過ぎはしないか」
「さ、最初は銭を用意すれば、そそ、それで勘弁してやるという話だったんだ」
「いくらだ」
「さ、三十貫(300万円)。ま、正一が逃げちまったから、その分上乗せされたんだ」
「なるほ――」
「ふざけるなッ!! そんな銭が用意できるなら、端から卯吉は茶を売ったりなんかしないッ!!」
「ひ、ひぃぃッ」
思わず叫んだ治郎兵衛に顔をしかめる与一郎だったが、次の男の言葉に衝撃を受けた。
「た、確かにそうだ。奴は元々借金も抱えてたらしいからな」
「何……!?」
「ふ、二親が早くに死んでんだろ? 飯だってタダじゃねえからな。
ともかく、そのでけえのを座らせてくれよ。何されるか分かったもんじゃなくて落ち着いてしゃ、喋れねえよ」
「……」
「か、金子様にしてみりゃ、働けるようになるまで村に置いといてやったのに恩を仇で返しやがってって感じなんじゃねえか」
「その借金が元で卯吉は茶に手を出したのか」
「恐らくそうだ」
「それで……。卯吉が身売りされるのはいつだ」
「明日の朝だ」
「明日の朝!?」
「金子様の知り合いに、三月に一度位の割合で東海道を下って六浦湊へ行く奴隷商人がいるんだ。そいつに売り渡す手筈になってる」
「六浦へ着いた後は海路か」
「あ、ああ。畿内の湊へ運ばれ、その後はどこかでこき使われるんだろ」
「参ったな……。既に崖っぷちじゃねえか」
与一郎は呻く。尋問の方はひとまずそれで終わった。
三人は一旦男を家の柱に縛り付けて外に出る。
治郎兵衛が消え入りそうな声で与一郎に言った。
「借金があったなんて、卯吉……今迄一度も言ってくれなかったよね」
「あいつは我慢しちまうとこがあるからな……。まあ頼られても銭の話じゃ力になれないんだが」
「……」
「昨日お前のとこに来たのも金策の為だったんだろ」
「……うん。
やっぱりあの時点で話をちゃんと聞いてあげなきゃいけなかったんだ。こんな事になるって知ったら卯吉を帰さなかったのに……!」
「仮にそうした所で問題は解決しなかったと思うがな」
「けどッ……!」
「卯吉の奴、どんな思いであの抹茶を俺達に持ってきたのかな」
「……」
「借金に困ってくすねた茶とくれば、道理で深い味わいがした筈だぜ」
ぼやく与一郎の背を治郎兵衛はバシッた叩いた。
「てぇッ」
「こんな時に上手いこと言わなくていいんだよっ」
綱成も苦笑いしていたが、ふと思い付いて言った。
「なあ、与一郎。卯吉は最終的にいくら位で買われるんだ」
「相場なら二貫(20万円)てところじゃないですかね」
「ふむ。俺も三十貫なんて大金はすぐに用意出来ないが、二貫程度なら城の屋敷に戻れば有る。それで卯吉を奴隷商人から買っちまえば良いんじゃないか」
治郎兵衛が驚いて綱成を見た。
「そんな……、卯吉は孫九郎様にとっては会ったこともない他人です。いくら何でもそれは……」
「ふん。お前等がこんな気に掛けてんだ。根っからの悪人じゃないんだろう。この程度のことなら力になるさ」
「孫九郎様……。
一兄、孫九郎様に助けて頂こうよ。これなら卯吉を――」
だが、与一郎は目を瞑り、首を横に振った。
「孫九郎様の御好意には本当に感謝します。しかし恐らく問題は銭とは別の事です」
「どういうことだ」
「さっき中で話した通り、連雀と寺院の関係にひびを入れる様な振舞を卯吉はしました。茶を盗まれた寺院側が怒るのは当然ですが、連雀連中も自分達の営みを壊されかけたのです。それも過失ではなく故意に。生活に余裕が無い彼等からしたらその憤りはある意味、寺院の連中以上ですよ」
「む……」
「だから金子殿は見せしめとして卯吉に三十貫という大金を要求したんでしょう。同じ事を繰り返す者が今後出ないように、また自身がしっかりと連雀連中の意を汲んだ運営を行っているのだと内外に知らしめる為に」
「ふうむ……そういう仕組みか」
「卯吉を俺達が買い受けた所で、あいつが連雀にとって裏切者であるという事実は覆りません。数日で事無く戻った卯吉を連中が見ても、それで禊が済んだとは到底してくれないでしょう。穏便に話を済ませたいなら、本来は三十貫払わなければいけなかったわけですから」
「そうなると金子の顔が利く地域では商人どころか農民として生きてくのさえ、横槍が入りそうだな」
「無理にねじ込んだとこで、結局何らかの形であいつに返ってくるんじゃないかと俺は思います」
もう与一郎は諦めかけているようにさえ見える。
だが治郎兵衛には我慢がならない。
「けど、けどさっ、……卯吉はそこまでの事をしたっていうの!? 罰として厳し過ぎるよ、そんなのッ……!」
「俺だってそう思うさ。けどな、治郎兵衛」
「……」
「あいつは最後に自分がどうなるかまで分かってて、それでもお前にすがらない道を選んだんだ。
全て覚悟の上だったんじゃないのか……?」
言ったきり与一郎は目を伏せた。
治郎兵衛も項垂れる。……だがしばらくして、もごもごと口を動かした。
「……だ」
「ん?」
「……嫌だ」
「治郎兵衛……」
「このまま卯吉が売られてくのを黙って見てるなんて……絶対に嫌だッ!」
「そんな事言ったって……」
「こうなったら、夜のうちに卯吉を金子様の屋敷から逃がす!」
「!?」
「小田原に居られなくなるとしても奴隷になるよりはいい……! いや、どうしたいかは卯吉に会って本人から聞くッ!」
「……ほ、本気で言ってんのか」
「本気だよ。借金だって元はといえば卯吉のせいじゃないのに、そんなのが積み重なって卯吉が奴隷になるなんて、絶対に許さない。許せるわけがない!」
「けど……」
動揺する与一郎に対し、綱成が愉快そうに笑った。
「はっはっは、治郎、お前も十分振り切れてるぞ」
「孫九郎様……」
「よおし、その案乗った。俺も手を貸そう」
「孫九郎様……! 有難うございますッ!」
二人は完全にやるつもりでいる。
それでもしばらくは与一郎が一人渋り続けたが、本来無関係な綱成も手伝ってくれるとあっては如何せん分が悪い。遂には『来るんじゃなかったなあ』と零し、作戦に加わることを了承したのだった。




