14 福島孫九郎綱成 登場
小田原城の簡易図です。
緑色が濃い所程標高が高いです。白が最も低いです。灰色は無視して下さい。
①本丸 ②二ノ丸 ③東曲輪 ④本曲輪
⑤西曲輪 ⑥南曲輪 ⑦鍛冶曲輪 ⑧斜面
⑨平地 ⑩毒榎平 ⑪馬場 ⑫矢場
⑬御前曲輪 ⑮⑯平地 ⑰御蔵曲輪
⑱蓮池(池中央に小島有り)
※
二ノ丸の東側に大手門、南側に箱根口門、北側に蓮池門有り。
凡そのイメージを掴む為のもので正確とは程遠いです。
資料に無かったりよく分からなかった情報は
作者のイメージで補ってるので注意して下さい。
何故本丸と本曲輪があるのかはいずれ作中で説明予定です。
小田原城の太鼓が未の正刻(午後二時)を教える。その音で治郎兵衛はようやく意識を取り戻した。
「おっ、起きたか。大丈夫か」
見知らぬ若い侍が覗き込んでくる。
庭を見ていた吉政もやってきて、その侍を軽く睨んだ。
「襲っておいて『大丈夫か』はないだろう」
「はは……それもそうだ。治郎兵衛、すまなかったな。やり過ぎた」
事態が掴めず体を起こした治郎兵衛の頭から濡れた手拭いがぼてっと落ちた。脳天にずきずきと痛みを感じて思わず呻く。吉政が慰めた。
「災難だったな。こやつがあろうことか刀でお主の頭に斬り付けたのだ」
「いや、そんな物騒なモンじゃない。刀と言っても俺が鍛冶曲輪で打ったナマクラだ。とてもじゃないが人は斬れんから安心してくれ」
治郎兵衛は頭を擦りつつ悲し気にぼやいた。
「たんこぶになってます」
「あ、はは……は。いや、ほんとにすまん。四郎佐がお前のことを随分褒めてたから、それならと力を試したくなってな」
「は……はあ。貴方様は」
「ああ、俺は孫九郎。福島孫九郎綱成だ。覚えておいてくれ」
日に焼けた顔がにっと笑っている。好奇心の強そうな瞳はその奥に微かな光を帯びていた。
治郎兵衛が頭を下げて挨拶したのを見届けて、吉政が茶化した。
「怨みをしっかり覚えておいて今度後ろから斬り付けてやれ」
「かしこまりました」
「いや、ちゃんと斬れないやつで頼むぞ、斬れないやつで」
焦る綱成に吉政は軽くため息をつき、治郎兵衛に言った。
「まあ冗談はともかく、こう見えても御本城様が若同様大切に養育されてきた、言わば北条の子だ。同い年なこともあってか昔から若とも仲が良くてな。そんなわけですまないが、今回はどうか大目に見てやってくれ」
「は、はい」
「悪いな。
それでお主のこの後だが、一応頭の怪我だ。大事を取って今日はもう長屋で大人しくしてろ」
「い、いえ。これしきの傷、大したことは……」
「まあそう言うな。それこそ倒れでもしたらコトだしな。見張り番の方も既に代わりの者を入れてあるから余計な気を遣わず休んでおけ」
「……そうですか。かしこまりました。どうも有り難うございます」
「うむ。では儂はもう行く。
孫九郎、お主も槍奉行の仕事があるだろう。こんな時だ。ナマクラ刀なんぞ打ってないで、武具の管理をしっかり致せ」
「了解しました~」
調子っ外れた返事にがっくりして出てく吉政を見送った後、不意に綱成が言った。
「そうだ、治郎兵衛。傷の詫びに明日の講義は俺が見てやるよ」
「えっ、孫九郎様がですか」
「ははは、心配すんな。遊びと御役目の分別くらいは弁えてるから」
* * *
翌日の昼。
綱成は治郎兵衛を城の北西に位置する曲輪へ連れてきた。どうやら本当に講義をしてくれるらしい。
見渡せばだだっ広い敷地の隅に馬小屋が数棟並んでいる。
「ここはもしや……」
「ああ、馬場だ。今日の講義は馬術だ」
「馬に乗せて頂けるのですかっ」
「そうだ。乗ったことはあるか?」
「いえ、一度もありません」
眼を輝かせる治郎兵衛を見て綱成も満足そうに頷く。
「そうか、なら丁度良かった。まあ治郎は戦に出てもまだ徒士扱いだろうが、今からやっておいて損は無い。三月もやればそれなりに乗りこなせるようになるだろ」
「はい、頑張ります」
「はは。その意気だ」
こうして綱成による講義が始まった。
ただ意外にも指導の仕方は昨日の第一印象を裏切って正確かつ丁寧だった。馬の荒い気性、首を撫でる、声を掛けるといった落ち着かせ方の説明から始まり、騎乗しないで曳く際の位置、頭絡・馬沓・鞍と鐙等の付け方を教わり、いよいよ乗馬となる。治郎兵衛は言われた通りに片側の鐙に足を掛け、その栗毛の背の鞍に跨った。
「……おお」
「そうだ、それで右足も鐙に乗せろ。体の重さが左右均等に馬にかかるよう、中心に座るんだ」
「……っと」
「胸は少し開いて背筋を伸ばして、顎は引く。頭、尻、踵が一直線になるように。膝は曲げて良い……そうだ。下半身はふくらはぎで馬の腹に触れておく位の感じだ。手綱を持つ両拳は馬の正面から見て八の字になるように……そう、それで良い。拳は大体、臍位の高さだ」
「こんな感じ、ですか」
「体全体にあまり力が入り過ぎないようにな。よし、この姿勢を忘れるなよ」
「ちょっと窮屈です」
「はは、じきに慣れる。それじゃ曳くぞ」
綱成が轡を持って馬を曳く。その四本足が地面を歩く強かな感触が鞍越しに伝わってきた。
「あははは、これは良いですな。」
「ふふふ、そうだろ」
馬場の柵に沿って半周したとこで、今度は実際に治郎兵衛が手綱や足を使って操作する方法を教わった。
「止まってる状態から歩き出す時は左右のふくらはぎで馬の腹を軽く圧してやればいい。止まる時は両手の手綱を短く持ち替えてから手前に引く。馬の頭の上下動を止めてやる感じだ。ちょっとやってみろ」
「はい」
綱成が轡を放す。治郎兵衛は言われた通り、ふくらはぎで圧してみた。……馬は動かない。
「もうちょっと強く圧してみろ」
もう一度圧す。馬は鼻息を荒く吐いて歩き出した。
「そうだ、それで良い。……よし、手綱を引っ張って止めてみろ」
今度は一回目で止まってくれた。
「できました……」
「よし、次は曲がり方だ。曲がる時は、曲がりたい方の拳を外側へ水平に引く。ただし肘を脇腹から離すなよ。腕力で引っ張るんじゃなくて、手綱から轡を通して馬に伝える感じだ。反対側の拳はそのまま残しておけ」
再び馬を歩かせ、適当な所で手綱を握る右拳を外へ引いた。馬の進路が少し右へとずれていく。
「お~」
「うん、良いぞ。発進、停止、曲がる。これでとりあえずは乗れる。今度は馬場の柵沿いに馬を進ませてみろ。時々止まる練習もしつつな。俺はここで見てるから」
「はいっ」
まだ人が歩く位の速度だが、楽しい。座学程頭を使うこともない。やはり自分は体を使う方が向いている。治郎兵衛は調子良く止まれ、進め、曲がれと指示を出していった。しばらくはそれで良かった。
――無論、それでは済まない。続けるうちにいつしか気が緩んで姿勢が崩れたのか、手綱を引く力加減を無自覚に変えてしまったのか分からないがともかく、馬が綺麗に静止しなくなっていった。進め、曲がれの合図への反応も緩慢になる。流れで治郎兵衛が手綱を引く力も強くなり、馬も負けじと手綱を引っ張った。
遠くで見ていた綱成が両者の変化に気付き、早足で駆け寄っていく間にもう馬が暴れ始めた。一度目の尻っぱね――前足で立って後ろ足を高く蹴り上げる――で体勢を崩した治郎兵衛は、更に激しくなった二度目で馬の前方に放り出された。
「治郎ッ!」
治郎兵衛は綺麗な一本背負いを食らったように背中からどしんと地面に落ちた。
綱成が駆け寄り、馬の轡を取りつつ治郎兵衛を覗き込む。
「大丈夫か……?」
「……びっくりしました」
治郎兵衛は目をぱちくりさせて答えてから自分が自分で可笑しくなったのか、くくく……と笑い始めた。
綱成もつられて笑い出す。終いには二人で大笑いした。
* * *
翌日、城内が少し慌ただしく講義は無かった。
翌々日、氏康は吉政以下二十数名のみを引き連れて小田原城を発った。
この時代の馬は去勢されてないこともあって気性が荒かったようです。
鐙は舌を曲げたような形になっていて、そこに足を乗せます。




