1 春日 前編
柑子:薄皮ミカンとも言われる。柑橘類の一種。
享禄三年(一五三〇年)、春。
相模の国、小田原城下の近くを流れる早川の土手には桜が満開に咲き誇っていた。
花誘う風に吹かれるその道を大柄な若者が歩いている。名を治郎兵衛という。齢一五。小田原の町で用を済ませ川向こうの村へ帰るところだった。
花見を楽しむその足がふと止まる。
桜の根元に背を預けて座る壮年の武士が川面をじっと見下ろしていた。
気になった治郎兵衛はその隣に立って川面を見た。
「お侍様、こんな日に桜より心惹かれるものがあるんですか?」
侍はちらと治郎兵衛を見上げる。やがて視線を戻すと、小さく笑った。
「なに、他愛無い。武士とはどうあるべきかと考えておった」
「武士とは……ですか」
「ふふ。
この様な場所で折角の桜に目もくれず、物好きな侍だとでも思ったか」
「はい」
「ふっ。正直だのう。そちは近在の百姓か」
「はい。早川村の百姓です。お侍様は北条氏の御家中の方ですか……?」
「ん? うむ、まあそんなところだ」
「そうでしたか。しかしこんな時分に、こんな所で油を売ってるのが上役の方に知れたら大目玉を食らいませぬか?」
まだ日は高い。
「……仕事の合間にちと抜け出してきただけじゃ。そういうそなたの方こそどうなのだ。柑子も今は枝の手入れや虫取りやら暇ではなかろう。若い者がこんな所をほっつき歩いて」
早川村では小田原の海にまで及ぶ箱根外輪山の斜面を使って柑子を栽培している。
「私は今日の分を終えたので、着物を少し売りに行ってきたとこです。近頃生活が苦しいものですから。村の者にも断ってあります」
「む……。そうであったか。それは済まぬことを言った。許せ」
「いえ。それに貧しさはお侍様もあまり違いが無さそうですし」
「むむ。これは北条の武士のたしなみじゃ。それにしてもそなたは本当に遠慮がないな」
「申し訳ありません。その質素な身なりはあまりご身分のある方とも思えず」
「これこれ」
「あ、いえ。加えて着物が汚れるのも構わずこの様な所で座り込まれてしまうような方なら、百姓の戯言も大して気になされないだろうと思いました」
侍はやれやれとため息をついた。しばらくして苦笑いをする。
「いかがなされました?」
「いやなに。元々、この様に時々考え耽るようになったことの始まりを思い出していた。
流せるような戯言ではなかったのだ、その百姓の言葉は」
「何か無礼を働いた者がいたのですか?」
「無礼。……無礼か。その程度のことなら良かったのだがな」
「……」
侍は少し遠い目をした。沈黙の後、再び治郎兵衛に尋ねた。
「そなた、禄寿応穏の印を知っておるか」
「何か、聞いたことは、あります……」
治郎兵衛は一応の読み書きが出来るものの、その見た目が示す通り体を動かす方が得手であった。
「禄つまりは財産、寿つまりは生命がまさに穏やかであるように。この地に息づく者達が平和に暮らすことを願い作られた、北条家が政で書類等に用いる印じゃ」
治郎兵衛は言われてみて思い当たる。早川村の名主の家に集められた大人達に混じり、訴状の書式に関するお触れを回覧した覚えがある。その紙の隅に四つの漢字と虎の絵から成る印が押されていた。
「だがな。ある貧しい村を見回ってた折、その百姓が声高に罵ったのだ。『禄寿応穏何ほどのものか、新たなる戦の火種を持ち込み相模の地を奪い取った盗人の家が民の平穏を願うなど片腹痛し!』とな。確かにその者の言う通りであった。たとえ伊豆制圧や小田原城奪取、その後に続いた相模平定の戦について上方の意向や他国の事情が絡んでいたにせよ、本来ならば戦火に晒されることもなかったであろう村里が、我等がこの地へ来たことによって焼け出された上に多くの人死にを出してしまった事実は動かしようもない」
室町幕府の将軍継嗣やその周囲の権力争いに伴い、伊豆制圧の任に着いたのが伊勢宗瑞――幕府官僚であった後の北条早雲。北条家始祖――であり、その戦をきっかけの一つとして再燃した関東及び周辺の勢力闘争の流れの中で北条家は相模まで支配を広げたのだった。
そして、この北条家台頭より半世紀以上も昔から戦乱の絶えない関東で艱難辛苦を強いられてきたのが百姓達だった。