29話「ロード大森林、その2」
魔物と人で賑わう大通りを1人の青年が歩いていた。
黒い髪に健康的な肌色の顔、身には白いローブをはためかせ、額には三本の立派なツノが生えている。
その清潭な顔立ちと落ち着いた雰囲気によって、彼は途方も無い魅力を醸し出していた。道行く女性達は顔を赤らめながら彼を見やり、目を離せないでいる。
そんな視線を気にもとめず、彼は物思いに耽っていた。
(やはり、あの御方のお考えは素晴らしい。この状況を見越しての助言だったとは…「人を襲うな、助けてやれ」と言われた時、一瞬でもあの御方のお言葉を疑ってしまった自分が恥ずかしいな)
街の中央に位置する洞窟の入り口、そこから街の正門までを歩くのが彼の日課だ。
歩きながら街を眺め、あの御方と崇める存在への尊敬の念を深めることこそ、今の彼が持つ数少ない趣味の1つなのである。
「「「おはようございます、ゴブ様!」」」
「あぁ、おはよう」
街を警備するホブゴブリンの衛兵達は、彼を見つけるやいなや頭を下げる。
そう、彼の名はゴブ。おの御方と崇める存在とはユージの事である。
「勉強はどうだ?順調か?」
その衛兵達の班長と思われるホブゴブリンへ、ゴブは何気なく話しかける。
「はい!勉強がここまで心身を豊かにしてくれるものだとは思いませんでした。もう少しでジョブゴブリンへと進化を果たせそうです」
ジョブゴブリンとは、拳闘術を得意とするゴブリンファイターや魔術を得意とするゴブリンキャスターと言った職業を持つゴブリンの総称である。
通常であれば長い期間と苦難の末にごく僅かなゴブリンしか到達できない領域なのだが、目の前のホブゴブリンは数週間という短すぎる期間でその頂へと登りつめようとしていた。
「そうか、頑張れよ」
「ありがとうございます!それでは、失礼します!」
ホブゴブリンの衛兵達は綺麗な敬礼を決め、その場を後にした。
去っていくホブゴブリン達の姿を見つめ、ゴブは改めてユージへの尊敬を深める。
「前までは群れのほとんどが只のゴブリンだったと言うのに、今ではほとんどがホブゴブリンとジョブゴブリンへ至っている。人の文化を学ぶ事にこれ程の意味があったとは…」
そう呟きつつ、ゴブは正門へ向けて歩を進める。
なぜ進化したゴブリンが増えたのかと言うと、理由はゴブリンの性質にある。
只のゴブリンは魔物と魔獣の間に位置する存在であり、一段階目の進化方向が分岐しているのだ。
本能のまま戦いに明け暮れると、ゴブリンはオークと言う魔獣へと進化する。しかし、魔獣となるが故に知性は失われるため、群れの仲間としての意志も消えてしまうのだ。
そんなオークとは逆に、ホブゴブリンへ至るとゴブリンは完全な魔物となる。知能は人並みに高く、一体のホブゴブリンが加わるだけでも群れの統率力が格段に上がる。
その為、ホブゴブリンが増える事は群れの戦力拡大へと繋がるのだが、ホブゴブリンへと至る条件は長年の謎とされていた。
エルダーゴブリンやゴブリンプリンス、ゴブ自身もホブゴブリンへの進化を経験して今の地位へと至っているのだが、そんな彼らが長い期間議論を重ねても答えが出ることは無かった。
「その条件が知識を得る事だったとは…我々ゴブリンが長年にわたって出せなかった答えを、あの御方は一瞬にして導き出したという事か」
実際は全くの偶然なのだが、ユージの高尚な考えによる賜物だとゴブは考え、感動に打ち震える。
人を襲わず、人の文化について学べと言われた本当の意味とはーーーー
(我々の事を本気で考えてくださったが故の発言だった、という事か…)
ただの勘違いだとはカケラも思わず、ゴブは到着した正門の前でいつもの日課を果たす。
(あなた様の帰りを、心よりお待ちしております)
街の外へと続く街道に向けて深々と頭を下げ、届かないユージへの想いを募らせるのだ。
ゴブの散歩コースとは、ユージが旅立つ前にゴブ達と歩いた道のりであり、正門はユージを見送った場所でもある。
日課の散歩と礼を終え、ゴブは城へと戻っていった。
◇
「ここが、あの御方の縄張り…」
亡国ロードの中央に位置する街を、森の中から静かに眺める集団がいた。
リアビ村近隣でユージに忠誠を誓い、縄張りへの参加を認められたゴブリンジェネラルの群れである。
その群れの長であるゴブリンジェネラルは、目の前の状況を理解できずにいた。
「人と魔物が共存する街なのか!?」
街の正門と思われる場所からは、魔物だけでなく人間や獣人が出入りしている。
無理やり連れていかれている訳ではない、自ら進んで街へ入っているのだ。
「ここが、本当にあの御方の縄張りなんだな?」
「はい、王の匂いはこの街で途切れています」
側に控えるフェンリルへと確認をとるが、事実は覆らない。
このフェンリルはゴブリンジェネラルの側近の一体であり、知能と戦闘能力の高い狼型の魔物である。
狼型であるが故に鼻も効くため、探索能力は群れの中で最も高い。そのフェンリルが言うのであれば、間違いはない筈だとゴブリンジェネラルは自分へ言い聞かせる。
「王が人を襲うなと仰っていたのは、この事だったのか」
人の身でありながら魔物の王であると言う数奇な存在故に、人と魔物の共存を考えての命令だと思えば納得できる。ゴブリンジェネラルはそう考え、街へと踏み出そうとした。
すると突然、大きな影がゴブリンジェネラルの眼前へと降り立つ。
「お前達は何者だ?」
ゴブリンジェネラルをも凌駕する巨体。その全容を確認した瞬間、ゴブリンジェネラルは血の気が引くのを感じた。
「ゴブリン…キング」
自らを超える、遥か高みに位置する存在。ゴブリンの王と呼ぶに相応しいその姿見た瞬間、ゴブリンジェネラルは悟った。
(このお方こそが、王の眷属か)
王であるユージの魔力を浴びた瞬間、自分がどれ程矮小な存在であるかを悟った。しかし、このお方の群れの長であればなれるのではないかという期待をゴブリンジェネラルは抱いていたのだ。
獣国ガルドの東南において最大の群れを率いていた自分ならば、長を務めている3匹の眷属にも引けを取らない実力があると考えていた。
そんな期待と考えは、一瞬にして打ち砕かれる。
服従することに恥を感じる事はなく、ゴブリンジェネラルは頭を垂れた。
「お初に御目にかかります、私はゴブリンジェネラル。ユージ様に忠誠を誓い、この地に参りました。この地こそがユージ様の縄張りにて間違いないでしょうか?」
ゴブリンキングは一瞬目を見開き、直ぐさまゴブリンジェネラルの問いに答える。
「間違いない。ここは我等が王、ユージ様の縄張りだ。よく来たな」
ゴブリンキングの言葉に、ゴブリンジェネラルは安堵する。
自分の言葉を信じ、歓迎してくれたためだ。
魔物には好戦的な種族が多い。それ故に、王が許可していようとも長が気に入らない新入りを排除する事はよくある出来事なのである。
(王と同じく長も慈悲深いと言うことか。見習わねばならんな)
ゴブリンジェネラルはそう思いながら、目の前のゴブリンキングと王であるユージへの敬意を深めた。
「そういえば、あなた様の他に長が2人いらっしゃると伺ったのですが、その方々は何処におられるのですか?」
「俺の他に、長が2人?」
話が僅かに噛み合っていない事に、ゴブリンジェネラルは疑問を深める。
答えを聞くために疑問を投げかけようとした瞬間、ゴブリンキングの背後から声が掛かった。
「ゴブリンキング、そいつらは何者だ?」
そこには、ゴブリンキングの背後から悠然と歩いてくる青年がいた。
黒髪に肌色の皮膚。人間が近づいて来たのだとゴブリンジェネラルは思ったが、額のツノを見た瞬間、その考えを改める。
気が付くと、ゴブリンジェネラルの視界には地面だけが映っていた。膝には土の感触を感じる。
無意識に跪いたのだ。その強大すぎる存在に、考えるよりも早く体が反応したが為に。
(ゴブリン…エンペラー様!?)
ゴブリンジェネラルはあり得ない光景に、目の前の現実を受け止めきれずにいた。
あり得ないと思うのは当然である。ゴブリンエンペラーとは、伝承でしか知ることの無い伝説級の魔物なのだ。
自らを超える位置に存在するゴブリンキング。その存在をも超える極地、ゴブリンと言う種族の頂点に君臨する存在を前にして、感動と恐怖の入り混じった形容しがたい感情の波に晒される。
それと同時に、先ほどの会話に生じた齟齬を思い出す。
(まさか、長とは…)
ゴブリンジェネラルは、待たずしてその答えを知る事となる。
「私はゴブリンエンペラーのゴブ。ユージ様の眷属であり、この縄張りを管理する長の1人だ」
その言葉を聞き、ゴブリンジェネラルは己を恥じた。
(長になら成れるかも知れないなど、なんと不敬な考えを抱いていたのだろうか)
そして彼は、目の前の伝説へと忠誠を誓ったのであった。




