3話 2【勉強合宿?】
* * *
「一年生のみなさん!入学して一カ月が経ちました。学校には慣れましたか?」
担任の言葉を片耳で聞き流しながら、高橋琥珀はぼんやり窓の外を眺めていた。
私の様子を真後ろの席で見つめながら、七海は首を傾げる。
「ねえ、琥珀」
「んー……?」
小声で話かけてきた七海に曖昧な返答をしながら、私は七海の方へ体を向けた。
「どうかしたの?元気ないね」
「寝不足」
目の下に刻まれたクマをなぞりながら、私は苦笑いを浮かべる。
一度絵を描き始めると、止まらないのが私の悪い癖だ。完成するまでは時間も食事も忘れて没頭する。その為、徹夜することも多い。
「高橋さん!先生に背を向けて、話を聞いていましたか?」
唐突に担任の雷に打たれ、私は慌てて前を向いた。怒られる原因となった七海は小声で「ごめん」と謝る。私は彼女に後ろ手でピースサインを作ってみせた。
担任は大袈裟にため息をつくと、もう一度同じ話をする。
「えー、もう一度言います。六月の頭に新入生の交流を兼ねて二泊三日の勉強合宿に行きます」
クラスの大半は露骨に嫌そうな表情を浮かべていた。あちらこちらから不平不満が上がる。
生徒たちの声を断ち切ったのは、担任の手の平を打つ音だった。
「文句言わない!うちは進学校。勉強にはクラスの団結力も大切なの。この合宿で早くみんなと仲良くなってね!一限は合宿の班決めに使うから」
始業の鐘の音と共に、生徒たちは一斉に机の移動を始めた。あらかじめ用意されていたクジのおかげで班決めはすぐに終わった。一限は、決まった班での自己紹介と各分担を決めて終わった。
一組五人の計五班。私は三班。
「高橋琥珀です、よろしく」
「柳七海でーす!」
七海はクジを誰かに交換してもらったらしい。大半の生徒が同じ行為をしていたようで、担任の作ったクジはあまり役に立たなかったようだ。
「……神谷優です」
ボサボサ頭で猫背の神谷優は欠伸をしながら一言だけ自己紹介を済ませ、目線を逸らした。
「久藤廈織でーす。七海ちゃんも琥珀ちゃんも可愛いねー!よろしくね」
切れ長で長い睫毛。高い鼻。整った容姿を持った久藤廈織は笑顔で自己紹介をした。女癖が悪そう、というのが第一印象。
そして五人目。
「廈織……女子口説いてんじゃねーよ。あ、二宮悠希です。よろしく」
悠希はため息をつきながら自己紹介を終えた。
「二人って仲いいの?」
廈織くんと悠希のやりとりを見ていた私は首を傾げた。
「入学式の日に仲良くなったんだよねー悠くん」
笑顔で同意を求める廈織くんに怪訝そうな表情を浮かべながら、悠希は言った。
「その呼び方やめろよ。まあ、そうだな」
私はホッと胸を撫で下ろした。悠希にも、新しい友達が出来たようだ。
「なんか、楽しそう」
「そう?ボクには琥珀ちゃんの方が楽しそうな顏してると思うよ」
「へ?」
「可愛い」
廈織くんの言葉に私は頬を赤らめる。女の子慣れしている男子は苦手だ。
「あれー?もしかして廈織くん、琥珀のこと気に入った?」
七海が面白いものを見るような顔で声をかけてきた。廈織くんは私から七海へ視線を移して言った。
「ボクは七海ちゃんもタイプだよ?」
「えっ」
廈織くんの返答に、七海も赤面する。彼の態度に私は呆れ半分、感心していた。
よくもまあ、歯の浮く台詞を簡単に言えるものだ。
「ちょっと廈織くん、あんまり七海のこと苛めないでよ?」
「ごめんね。反応が可愛くて、つい」
「ほらまた」
仲良く会話をする私たちを見ていた悠希は、廈織くんの方を見ながら言った。
「こいつ、シスコンだから。女たらしはただの偽装」
「え、そうなの?」
「おい悠希!妹はいるけど、ボクは別にシスコンじゃない」
「そうは見えないけど」
「違うって!」
喧嘩腰になってきた二人の会話の仲裁をしたところで、一限は終わった。
大半が雑談で終わってしまったが、なんとか各役割を決めることが出来た。
後日談。私は合宿の前日、七海からとあるお願いをされた。
「あのね、七海と廈織くん付き合うことになったから。合宿の夜は二人にしてね。協力お願い」
開いた口が塞がらなかった。私は七海から、何も報告を受けていなかったから。
合宿において男女間の部屋の移動はご法度だが、あまりに突然の告白に、私は言われるがまま首を縦に振っていた。
* * *
「あ、花音?今からそっちの校舎行くから、待ってろよ」
久藤廈織は携帯電話を片手に、通話をしながらとある場所を目指していた。
「ん?……ああ、分かってるよ、大丈夫。お前は心配性だな」
ボクの携帯電話には、多くの女の子のアドレスが眠っている。今話している女の子はボクにとって一番大切な子。そもそも、他の女の子と比べるのが間違っている。
「あ、花音!こっちだよ」
だって彼女は。
「お兄ちゃん!」
ボクの大切な、たった一人の妹。
花音を見つけると、足早に駆け寄る。慣れた手つきで妹の鞄を肩にかけた。
「いいのに。重いよ?」
「重いなら尚更だろ」
花音のため息を聞きながら、ボクは彼女の歩幅に合わせて歩き出した。
中学生の女の子が持つには重すぎる鞄の中には教科書がぎっしり詰まっている。彼女がこうして毎日全ての教科書を持ち帰るのには理由があった。
「今日は大丈夫だったか?学校」
妹の鞄を肩にかけ直しながら、ボクは遠慮がちに言った。花音は笑って言った。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんは心配性だね」
「でも……」
「私、最近は平和に暮らしてるよ」
ボクたちの母親は若い頃からモデルとして活躍している。花音は母親の優性遺伝子を濃く受け継ぎ、美しく、愛らしく生まれた。美しい人間は、常に他人の嫉妬を買う。臆病な性格も原因して、花音はいじめの標的になっていた。
泣いてばかりの妹を、ボクはいつも心配していた。過保護なのはそのせいだ。
ボクは思う。兄が妹を心配することの何が問題なのだろう。家族を大切にすることが、恥ずかしいことのはずがない。
「そ、そうか」
「お兄ちゃんは心配し過ぎなの!私は強いよ。お兄ちゃんみたいに恋人に泣かされたりしないもん」
「な!?お前、彼氏出来たのか!?いつの間に!」
「例え話!」
花音に怒られ俯いていると、彼女が思い出したように口を開いた。
「そういえば、お兄ちゃん、新しい彼女できたって本当?」
どこで聞いたのだろう。エスカレーター式の中高一貫校だから、どこからか噂が広がったのだろうか。
「え?ああ、うん。一応……」
「大事にしなよ」
花音の言葉にボクは首を傾げた。
いつもなら、すぐに「だらしない」とか「女たらし」なんて小言が飛んでくるはずなのに。こんなにあっさり受け入れる花音を見たのは初めてだった。
なにかあったのだろうか。
その日、それ以降、花音が学校での出来事をボクに話すことはなくなった。
「大丈夫」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
彼女の口癖は、いつもボクを酷く心配させてばかりだ。
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