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20話   1【私にとっての幼なじみ】




 高橋琥珀と二宮悠希は幼なじみである。


 一言で幼なじみと言ってもその定義は案外広く曖昧だ。


 片手で数えられる年齢からの付き合いをそう呼ぶ人もいるし、義務教育が始まった頃からの付き合いをそう呼ぶ人もいる。


 結局その定義を決めるのは、個々人のさじ加減なのだけれど、きっとその中でも私と悠ちゃんは特別なのだろう。


 意識は定かではないにしろ、この世界に生まれ落ちる前から母親を通して知り合い、それからずっと一緒にいる。


 言うなれば、幼なじみの中の幼なじみ。


 そうは言っても本当の家族というわけではないので、片時も離れたことはない――――とまでは言えないけれど、一介の幼なじみとしては十分な時間を過ごしてきたように思う。


 そんな幼少期を過ごし、私の心には自然とある考えが芽生えるようになった。

 それは当時、母親たちが楽しそうに話していた夢物語を真に受けただけのようなものだったけれど、幼い私はそれを抗い様のない事実として認識していた。



「私、大きくなったら悠ちゃんのお嫁さんだもんね」



 私は自宅でよくそんなことをお母さんに言っていた。


 そう言うと、お母さんがとても喜んでくれたし、応援してくれた。


 そのせいなのか、私は今でもこうして悠ちゃんに好意を抱いている。


 彼以外の男の子と恋をするなんて、想像できない程一途に、私は幼なじみに恋をしていた。


 私が彼を好きなように、彼も私のことを好きなのだと本気で思っていた。


 それが私の妄想で、何もしなければ叶うことのない幻想だと気が付いたのは、一体いつだっただろうか。


 私の幼稚で身勝手な妄想を打ち砕いた最初の出来事はきっとあの時――――希望ちゃんが悠ちゃんの彼女として私の前に姿を現した時だ。


 当時から有名人だった希望ちゃんが何の変哲もない部活動一筋の男の子に告白したという噂は、一週間もしないうちに学校中に知れ渡った。

 学校のマドンナが私の幼なじみに告白したと本人からではなく、風の噂で知った私は、学校からの帰り道、何気なく悠ちゃん本人に事のいきさつを聞いた。


 当然、悠ちゃんは希望ちゃんからの告白を断るだろうと思っていた。


 部活では大会が近いし、女の子にはあまり興味がないようだし――――なにより、悠ちゃんは私のことが好きで、将来結婚するんだから、希望ちゃんの告白は断ったはずだ。


 そう思いながら聞いた私に、悠ちゃんは答えた。



「付き合うよ」



 予想外の返答に、私の脳内は大混乱だった。

 戸惑いを隠せないまま、震える声で動揺を悟られないように細心の注意を払って、



「そっか……よかったじゃん」



 そう答えるのが精一杯だった。


 悠ちゃんは私の幼なじみだから、誰にもとられない。


 その瞬間、私が長年信じてきた妄想は、希望ちゃんの登場によって粉々に打ち砕かれてしまったのだ。


 それから互いに挨拶を交わした私たちだったけれど、記憶は定かではない。


 表面上は「よろしくね」と希望ちゃんに笑顔で返答していた気もするけれど、ちゃんと笑えていたのかどうか、何もかもが曖昧で不透明だ。


 嫌な記憶は脳に強く刻まれるというけれど、私の場合は「忘却」という行為によって記憶が鮮明には刻まれていない部分が多い。


 嫌なことは頭の片隅に追いやって、忘れてしまえばいい。

 そうすれば、これ以上傷つかないし、自分を保っていられる。


 無意識な自己防衛本能が、私の記憶からストレスの原因となる部分だけを抜き取って、隠してしまう。


 だから私は先日のお父さんのことも、忘れてしまっていたのだ。


 正確には、忘れたふりをしていた。


 「忘却」と言っても実際に記憶がなくなったわけではない。何かの拍子で記憶の蓋が開いてしまえば、当時の記憶は鮮明に脳裏によみがえる。


 いつの間にか、私は自分自身に言い訳をするのが上手くなってしまっていた。

 自分をダマせてしまうほどに。


 現実を目の当たりにした瞬間、視界が暗くなって、悠ちゃんの声が遠くなって――――逃げるようにその場を後にした私は、ようやく自覚した恋心と浅はかだった自分に激しく後悔し、静かに泣いた。


 そんな経緯を踏まえ、悠ちゃんとの関係が実際は壊れやすく脆い繋がりだと認識した私は、悠ちゃんに抱いていた恋心を誰にも言わず、そっと自分の胸の内に大切に仕舞い込んでおくことにしたのだけれど、大切にし過ぎてしまったせいで、結果、余計に自分を苦しめることになった。


 誰にも言えないもどかしさ。

 それは想像を絶する苦痛だった。


 本当は、その時点で誰かに相談すればよかったのだけれど内心、恋心を打ち上げることに恐怖する自分がいたのも確かだった。


 言ってしまえば当時の私は所詮中学生で、「付き合う」ということが一般的にどういうことなのか分かっていなかったせいもあり、幼なじみの関係が全く別のものになってしまうのではないか、という漠然とした不安があった。


 高校生になって、知識を身に付け精神的にもそれなりに大人になり、漠然とした不安は感じなくなったけれど、その間胸に秘めた恋心は肥大化し続け、私を苦しめていた。

悲鳴をあげていた私の心を見事に開放してくれた人がいる。


 優しいその人――――橘は、悠希への恋心に自身を持てなくなった私に喝を入れてくれた。自分の気持ちに素直になるように言ってくれた。


 私が彼にどんなに勇希づけられたことか。

 橘がいなかったら、私は未だに自分に言い訳を続け、悠ちゃんとの関係も何一つ変わらず、希望ちゃんとも友達になっていなかったかもしれない。


 犠牲になったのも、また同じく「彼女」なのだけれど。


 私のせいで、彼女――――希望ちゃんは大好きだった悠ちゃんと別れることになってしまった。


 罪悪感はあるけれど、それは私のせいというだけではない。

 確かに半分は私のせいもあるかもしれないけれど、もう半分は、彼女が自分で選んだ結果に過ぎない。


 人の選んだ選択を丸ごと自分の責任だと言えるほど、私は善人ではないし、全てを背負い込めるほど強くもない。


 だからこそ私たちはきっと、誰かに迷惑をかけながら、かけられながら、お互い無意識にバランスを取り合って生きているのかもしれない。

 そこに本来罪悪感など抱くものではないのかもしれないけれど、私たち人間は、心を持って生まれてきてしまったから、感情を持って生きているから、考えられずにはいられない。

 思わずにはいられない。



「今の私があるのは悠ちゃん、橘、希望ちゃんに七海、それからお母さんたち、色んな人たちに支えられてきたからだ――――そんな皆に、私は何を返せばいいんだろう……どんな「私」を見せればいいんだろう」



 支えてくれた人たちに私が返せるもの、見せてあげられるのは、きっと一つだけ。


 私自身が選んだ後悔しない、幸せだと思える結末にたどり着くこと。


 きっとそれだけだ。





いよいよ20話、完結までもう少しです。


次回の更新は7月2日を予定しています。

よろしくお願いします!

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