18話 2【恋を知る者知らぬ者】
誤解を生むような言い方をしてしまった可能性があるので補足しておくけれど、別に私は感情全般が理解出来ないといったわけではない。
むしろ逆。
誕生日をサプライズで祝ってもらえば両手放しで喜ぶし、大切なものを侮辱されたりしたら顔を真っ赤にして怒りもするし、誰かに裏切られたら哀しいし、放課後のカフェで友達とケーキを食べながらおしゃべりする時間は楽しいと感じる――――喜怒哀楽は、ハッキリしている。
現代では、物事に対する正しい感情の受け取り方が出来ないことを――――サイコパス、なんて呼んだりすることもあるらしいけれど、それは残念ながら私には該当しない。
私は感情表現が乏しいと嘆かれる現代一般人よりはるかに感情豊かな女の子で、誰より相手の気持ちに寄り添える、優しい女の子。
自分で言うのはちょっぴり恥ずかしいけれど、誤解されないように、しっかり主張しておいた方がいいだろう。
私が何かを知りたい、と心を乱される時、それは――――無知との遭遇。
知らないことは、知りたいと思う。
それは自然な人間の反応であり、私は生まれのせいで人よりほんの少しだけ知識に対する探究心が強いから、知らない、という状態が嬉しくて、怖い。
知らない、ということは、対処が出来ないということであり、それは何か危機に陥るようなことがあったとしても打つ手がないということ、お手上げ状態になること。
私はそれが怖くてたまらない。怖くて、無知と遭遇する度、自分の中に増える新たな知識が嬉しくてたまらない。
恐怖を感じて喜ぶだなんて、我ながら悪趣味だと思うけれど、私を「こう」したのは間接的とはいえ両親だと思っているので、改善をしようとは思っていないし、だからと言って責任をなすりつけようとも思っていない。何とも思っていない。
そういうわけで、感情豊かな私が唯一知らない感情――――恋愛感情に、思春期も相まって、私は興味を持ったのだった。
手っ取り早い方法として彼氏を作ってみたけれど、やはりそれだけでは駄目だったのは廈織くんで実証されたので、何か別の方法を考えなくては――――と考えたところで人がいた。
頭の中で少女漫画で得た様々な知識を自分に置き換えてシミュレーション中の私の視界に、人が入り込む。
最近、秀才の面が目立ちすぎているので、好感度を下げる目的で、放課後の教室掃除をサボり、今は物置としての価値しかない原則生徒は立ち入り禁止の仮設校舎の屋上へ続く階段を目指していたのだけれど、どういうわけか、先客がいた。
一瞬、幽霊? と勘違いして目を擦ってみたけれど、人影が消えることはなく、それが実在する人間だと分かったのは良かったのだけれど、どういうわけか、屋上の扉の前で、螺旋状になっている階段の一番上から、落ちたら間違いなく骨折するだろうという高さを見下ろしている人影が、大きな溜息をついたのが聞こえた。
声に誘われるまま、私は人影をもっとよく見ようと目を凝らす。
そこで私は、見覚えのあるシルエットに反射的に声をかけたのだった。
「ねー、そこで何してるのー!」
「う、うわぁ!」
自分以外の人の声に驚いたのであろうその人は、大袈裟に体を跳ねさせ、私の姿を探す。
私は先ほどまで頭の中を支配していた恋愛感情の話を脳の隅に追いやって、興味を引かれた先へ、偶然出会った知り合いの元まで階段を駆け上がった。
「やっほー! 橘じゃーん! こんなところで何してんの? 優等生のあんたがこんな立ち入り禁止の場所に来てるのがバレたら叱られるよー?」
「……や、柳さんか……ビックリした……」
遭遇した知り合い、もとい、友達の橘真広は、私の登場に大きく目を見開き、安堵の息を吐き出しその場に座り込んだ。
「ビビり過ぎー、ウケるんですけど。で? 橘は何してたの? たそがれ中?」
明るい声色でそう問いかけた私に、橘はどこか戸惑った表情を覗かせながら答えた。
「……まあ、たそがれ中、です」
感傷的に笑う彼に、私は思いつく事柄をぶつける。
「もしかして琥珀関係?」
私の言葉に、橘の肩が跳ねた。
やっぱり。
「琥珀は気が付いてないけど、結構噂になってるもんねー。希望の元彼が幼なじみと両想いらしいってさ」
私は続ける。
「橘は琥珀が好きだったんだもんねぇ……あ、過去形じゃなくて現在進行形か。告白の返事待ちの立場としては、勝負ありって感じだもんねぇ」
なるべく明るい声色で話してみるが、話題が話題なだけに、慎重さが求められる。
橘は友達とはいえ、そこまで親密に、まして二人で会話をする機会など今まで一切なく、推測でも彼の性格を把握するのは難しかった。
私が知っているのは、橘が琥珀に告白して未だ返事を貰えていないらしい……という断片的な情報だけ。
知らないことは気持ち悪いので、この機会に本人の口から直接話してもらおうと思った次第である。
「返事は僕が琥珀さんに告白したその時に貰いましたよ。直接言葉で言われたわけではありませんけど……あれは完全にフラれたようなものですし」
「え、そうなの?」
どうやら私の得た情報は間違っていたらしい。
まあ、あくまで高校生同士の噂だし、信憑性を持ち出す方がお門違いではある。
情報を修正出来ただけで儲けものだろう。
「僕は琥珀さんの本当の気持ちを確かめた上で二宮さんと上手くいくように応援してたんです。もしダメだったら、その時はって、彼女に逃げ道を作るような形で告白の返事を先のばしてもらいながら」
橘は、緊張しているのか、両手を擦り合わせながら私と目線を合わせずに、それでも言葉だけは途切れないように続ける。
「合法的に、琥珀さんの恋を応援する友達として、けれど彼女に恋をしたままで、僕はそんな――――ぬるま湯みたいな状態が心地よくなっていたんです。それがいよいよ終わってしまうのかと思ったら、なんだかやるせなくなって……気がついたら、この場所に来てました」
「ふーん……でも、どうしてこんな立ち入り禁止の場所に? 何か思い入れでもあるの?」
「ああ、僕、この場所で告白したんですよ。丁度今と同じ場所ですね。柳さんのところに琥珀さんが立ってました」
「マジで!?」
言われて反射的にその場を離れてしまった。
なんというか、他人の思い出の場所に自分が入り込んでしまうのは、失礼にあたる気がしたから。
橘は、それから私にいろんな話をしてくれた。
どうして琥珀を好きになったのか。
片思いをしている時、ぬるま湯につかっている時、琥珀をどんな風に見ていたのか。
大切な思い出を惜しげもなく語る橘に、私は熱心に耳を傾けながら、同時に苛立ちを感じていた。
橘は――――廈織くんと同じく、私の苦手な「優等生」の部類だったから。
自分が人生において、他者からの評価に対して圧倒的に損をしているにも関わらず、それに気が付かない。
結果は努力についてくるというけれど、橘は努力なんてしていない。そんな彼に結果がついてくるものか。
自然体でぶつかりました、と言葉を示せば聞こえはいいけれど、それは何もしていないと同義であり、最初から良い結果など、本当は期待していなかったのではないだろうか。
自己満足。変化を恐れる臆病者。主役になれない役者。
それが、私が橘真広に下した結論だった。
彼は変わりたいと願いながら、変わることを恐れている。
新しい、知らない明日が来ることを恐れている。
変化を望むことを拒むなんて、私には到底理解しがたい考えだ。
私の周りは、こんな人間であふれかえっている。
みんなが私のように変われば、人生はもっと楽しいものになるはずなのに。
「ねえ、橘」
けれど、私はまだ子供だから、そんなに多くを動かせる力は持っていないから。
「はい?」
自分の出来る範囲で少しづつ、周りを変えてみよう。
「橘は……変わってみたいとは思わない? 全然知らない自分に会ってみたいって……昨日とは違う明日を生きてみたいって思わない?」
まずは、目の前にいる、この臆病者の男の子から。
「それは……どういう意味ですか?」
あからさまに警戒する橘に、私は両手を空けて笑顔を見せる。
だますつもりではなく、ただ、君を変えてあげたいんだと、得する人生を教えてあげたいんだと伝わるように。
「だーかーらー、イメチェンしてみない? って言ってんの! こーんなもっさい髪型も眼鏡も変えてさ、かっこよく変身しようぜってこと! 女の子の気を引きたいなら、まずは外見からでしょ。琥珀にカッコいいって言ってもらえるように、私がプロデュースしてあげよう! 七海のことは師匠と呼ぶように!」
「ええ! そんないきなり! でも、まあ……こうしていても何にもなりませんしね。琥珀さんに褒めてもらえるのなら、やってみてもいいかもしれないですね。宜しくお願いします、師匠」
「うむ、任せなさい!」
偽りだらけの私だから、人に献身することでこうして自分を保っていられる。
誰かの為になる自分。
人からの評価を求める自分。
人の心を掌握しようと思いながら、私は結局その誰かに頼って生きていくことしかできないのだな、と気が付いた。
一人では生きていけない寂しがり。
人を求める癖に、人を愛する方法を知らない、恋を知らない偽善者。
それが私。
柳七海。
次回の更新は6月17日を予定しています。




