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15話   3【腐り落ちた花の蕾の行方】

 





 その言葉を聞き届け、ボクは花音の体を強引に引き剥がすと、その場に座り込んだ。

 今さらになって、後悔の念が押し寄せてきたのだ。



「花音、それは……」



 流れでこのまま彼女に襲いかかることも出来たが、寸でのところ理性を立て直したボクは、自分のベッドの上で寝転ぶ無防備な彼女を見下ろしていた。

 そのままボクは、言葉にすることが出来ず、代わりに首を横に振った。



「……どうして?」



 花音は、泣いていた。



「だってお兄ちゃん……花音のことが好きなんでしょう? 花音もだよ。花音も、お兄ちゃんが大好き。私たち、両想いなんだよ……? 花音、お兄ちゃんになら、何されてもいいよ……お兄ちゃんの好きにしてよ……」



 泣きながら紡がれる妹の言葉に、ボクは唇を噛みしめる。据え膳喰わぬは男の恥とは言うけれど、恥をかくぐらいどうってことはない。


ボクが天秤にかけているのは、己の恥とはつり合いが取れないほど重いものなのだから。



「花音」



 もはや幼い頃と現在の一人称がごちゃ混ぜになっている花音に、ボクは兄として、優しく声をかける。

 花音は涙でぐちゃぐちゃになった顔でボクの顔を見た。



「お前、やっぱりまだ無理してるんだろ。今まで本当の家族だと思ってた人たちが急に遠くに行ったみたいに感じてるんじゃないのか。まだ、受け入れられないだけなんだろ? だから、こんな自暴自棄みたいなこと――――」



「違う!」



 ボクの言葉を遮って、花音が声を荒げた。ボクの部屋が二階の隅にあるとはいえ、一階の寝室で眠る母さんまで聞こえてしまうのではないかと、ほんの少し焦る。

 この状況は、さすがに母さんに言い逃れができるものではない。



「私はずっと、ずっとお兄ちゃんが好きだった……これは本当。確かにお母さんと血が繋がっていないことはショックだったけど、それはお母さんが悪いわけじゃないもん……お母さんの反応を見たら分かるでしょう? お母さんの気持ちは十分に伝わってる」



 そう言って、花音はボクの苦し紛れの誤魔化しの言葉をキッパリ否定し、説き伏せた。


 さあ、これで八方塞がり。逃げ道は無くなった。


 ボクはいよいよ墓場まで持っていくと誓った己の気持ちと対峙しなければいけないようだ。こんなに早くその時が訪れてしまうとは思ってもみなかった。

 花音が、ボクと同じ気持ちだった場合なんて、考えたことがなかった。想定外だったのだから。


 花音は告白を続ける。



「苛められてばかりだった私を、お兄ちゃんはいつも助けてくれた。今までできた彼女との、どんな約束より、私を優先してくれた。それが死ぬほど嬉しかったの。ずっと、お兄ちゃんの彼女になりたかった……それが絶対に叶わないことは分かってたけど、それでも諦めきれなかった」



 泣き疲れたのか、次第に弱々しくなってきた花音の声を気にしながら、ボクは考える。


 どうすることが花音にとって最善なのか。ボクにとっての最善なのか。兄妹にとっての解決策なのか。


 悩み、考え過ぎて何も言わなくなったボクを見て、泣いたことで興奮状態だった自立神経が穏やかになったのか、花音は涙を自らの手で拭い、寝転んでいた体を起こす。

 そして、ボクの目の前に座り直し、ボクの名を呼んだ。



「ねえ、廈織」



 兄ではなく、一人の男として、彼女はボクの名を呼んだ。



 愛する少女の口から放たれた慣れない響きに体が違和感を覚える。

 ゾクリと背中を駆け巡る寒気にも似た感覚に罪悪感が募る。



 こんな時まで、ボクの体は妹を求めている。



 花音を、愛している。



「……ん?」



 ボクは困ったように笑いながら、花音の言葉の続きを待った。

 花音は正座をした状態で両手をボクに突き出し、まるで抱っこをせがむ子供のような体勢で言う。



「キスして、なんてワガママ言わないから、せめて一度だけ……一回だけ、私の名前を呼んで、強く抱き締めて。廈織が私のことをどう思ってるのか聞かせて。そしたら、私、明日からはちゃんと久藤廈織の妹に戻るから……お願い」



 ボクは花音の言葉に逆らうことが出来なかった。


 最善などあるはずがない。解決策などあるものか。すでに状況は最悪なのだから、どうにか折り合いをつけて、少しずつ今を過去に昇華していくことしかできないと、どうしてもっと早く気が付くことが出来なかったのか。


 そのせいで守りたかったはずの妹を傷つけた。結局、己に科した誓いも破ることになってしまう。


 ボクは嘘つきな、ただの醜い男だ。

 ボクのことをなぜか過大評価してくれている彼女にも面目が立たない。彼女もきっと、こんなボクを見たら失望してしまうかもしれない。


 それは少し、寂しい。


 ボクは花音に言われるがまま、ベッドの上に座り、手を伸ばす彼女の小さな体を引き寄せ、優しく抱き締めた。

 ボクとは違う高いシャンプーの良い香りがして、思わず頬を髪にすり寄せる。

 愛しいものを愛でるように。慈しむように。二度と訪れることはないであろうこの瞬間を、空間を全身に刻み込みながら。



「ずっと好きだったよ。愛してた」



「私も……ありがとう――――お兄ちゃん」



 耳元で聞こえた花音の言葉が胸に刺さる。

 これで、ボクたちの恋は終わったのだ。蕾は華を咲かせる前に腐り落ちてしまった。それがボクらの選んだ道。違えたものの末路だ。



 後悔はしていない。だってボクは、彼女に気持ちを伝えることができたのだから。

 それでいい。それだけで十分だ。



「ううう……ひっ……うう……」



 ボクの腕の中で、花音は最後の悪あがきとでもいうように、小さな子供のように夜明けまで静かに泣き続けた。ボクはそんな彼女の背を、何も言わずに一晩中撫でる。



 彼女を愛する一人の無力な男として。



 朝日が昇ればボクらはまた、兄と妹に戻るのだから。これくらいの蛇足は許してほしい。



 それは、もう二度と、交わることのない恋なのだから。愛だったのだから。










花音と廈織の関係はひとまずこちらで終結です。


これからは、兄と妹としての時間を二人で紡いでいくのでしょう。



15話は小話のようなものがもう1話ありますので、もう少しお付き合いください。


次回は少し間を置きまして、5月10日の更新になります。よろしくお願いします(*´∀`)




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