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15話   1【花音の生い立ち】






「ねえお兄ちゃん」



「ん? どうした花音」



 夏休みが終わり、学校中の生徒が中間テストに向けて勉強に精を出す九月の中頃、土曜日。花音はソファでテレビを見ながらボクに声をかけた。

 このところ、妹とまともに会話をしていなかったボクは平然を装いながら返答した。


 花音はボクの手から甘い珈琲を受け取ると、おもむろにテレビの電源を落とした。


 途端に静まり返る部屋の空気に、ボクは生唾をのむ。



「今日、お母さん仕事?」



 緊張しながら花音の言葉の続きを待っていたボクに、彼女は何気ない質問をした。



「今日は夕方の四時頃には帰るって言ってたぞ」



「ふーん。そう」



 正午を指す掛け時計に視線を向けながら花音は納得した。


 彼女がいつもつけっぱなし状態のテレビを消した理由は分からないままだったが、ボクはもう一度電源を入れようとは思わなかった。

 理由を聞くことすら躊躇われたのは、妹がまだ何か言いたそうにしているのを感じたからかもしれない。


 ボクは昼食で使った食器を片づけながら彼女の様子を対面キッチンの向こう側から見ていた。


 自分から声をかける選択肢もあったが、昨晩ちょっとした喧嘩をしてしまったせいもあり、こちらからは声がかけづらい。なんてことはない、ボクが構い過ぎたせいで花音の機嫌を損ねてしまったが故に起きた、ただの兄妹喧嘩。

 ボクはすっかり花音を許しているのだけれど、いつでも仲直りをする準備は出来ていたのだけれど、彼女の中では未だ冷戦が続いているのかボクとまともに目を合わせてくれない。随分と嫌われてしまったものだ。


 花音はボクが食器を片づけ終わるまで何も言わずに真っ暗になったテレビ画面を見つめていた。


 もしかしたら、彼女が静かな理由はボクとの喧嘩が原因ではないのかもしれない、とふと、思った。


 学校で何かあったのかもしれない。

 また苛められて悩んでいるのかもしれない。


 けれどボクは、彼女に学校での出来事を聞けなかった。


 喧嘩をする以前から、花音はボクが高校生になった頃から本当のことを話してくれなくなったから。ボクを心配させまいと、嘘をつくようになった。泣かなくなった。

 彼女がボクに報告する近況が嘘なのだと感じていたからこそ、ボクはこれ以上妹を苦しめぬよう自分から声をかけないようにしていた。

 言いたくないことを、強引に聞き出したところでボクに解決できるとは限らないのだし。結果的に花音を更に傷つけてしまうかもしれないのだから。


 もしかしたら、本当は今も一人になりたいのかもしれない。


 そう思ったボクは、おもむろにリビングを出て行こうとした。


 その時。



「ねえお兄ちゃん」



 また、花音から声をかけられた。



「なんだ?」



 ドアノブを握ったまま振り返るボク。


 花音はボクの予想を遥かに超えた問いを、まるで夕飯の献立を訪ねるかのように何気なく聞いた。



「私とお兄ちゃんのお母さんって違うの?」



 一瞬、何を言われているのか分からなかった。



「なんで……知って……」



「……やっぱり本当なんだ」



 気が動転し、思わずこぼれてしまった言葉が彼女の疑問を確信へ変えてしまった。

 慌てて弁解しようとした時にはもう、取り返しがつかない状況になっていた。


 ボクは状況の悲惨さに、ただただ青ざめる。



 久藤家は現在、母、兄、妹の三人家族であり、母さんと父さんは三年前に離婚した。

 その母さんとはすなわちボクの母さん、女優のミヒロであり、花音を生んだ母親ではない。父さんはボクが生まれてまもなく水商売を営む女性と関係を持ち、一年後に花音が生まれた。その後、花音の母親は娘を父に押し付けたまま行方をくらませた。

 元来浮気癖のあった父さんにボクの母さん、ミヒロは離婚を決意。その際、母さんはボクと花音の親権だけは頑固として父に渡そうとはしなかった。

 結果として花音は血の繋がった家族を失うことになったのだが。



 父さんがいなくても、ボクは幸せだった。

 優しい母さんと妹がいてくれたなら、それ以上に幸せなことはなかったはずなのに。


 花音の生い立ちを知ったのは、母さんが父さんと別れてすぐの頃だった。

 母さんが兄であるボクにだけ真実を語ったのは、正しかったのだと思う。

 母さんは分かっていたのかもしれない。幼く心の弱い花音が、現実を受け入れる力をまだ持っていないということを。


 ボクの不注意から真実を知ってしまった花音は、それ以上何も言わずにボクの横を通り過ぎ、自室へ籠ってしまった。

 ボクは頭が真っ白になり、その場に立ち尽くす。


 机の上には冷めてしまった珈琲がほんの少しだけ残っている。

 ボクは妹の残した珈琲を飲み干すと、大きな溜息をついた。


 母さんから真実を聞かなければ、ボクは妹への歪んだ想いを自覚せずに済んだのかもしれない。


 いつからから、ボクは妹のことを異性として見ていた。

 物心つく前はそれがいけないことなのだという認識はなかったが、成長するにつれ、自分が抱く感情の異常性に気が付いた。

 血の繋がりがある事実に変わりはないはずなのに、片親だけの繋がりだと知ると、どうしようもなく嬉しくなった。

 それは当時のボクが血の濃さに異常性を見出していたから。

 血縁関係が薄まれば、罪の意識も同じように薄まるような気がしていた。


 本当はそんなこと、絶対にありえないのに。


 妹が残したものを食べたり、触れた場所に自分も触れてみたりした。

 想い続けた年月の分だけ行動は異常性を増した。


 それでも、無理矢理にでも自分の想いを遂げようとしたことは一度もなかった。


 それはボクが花音を一人の女性として愛しているのと同じように、たった一人の妹として愛しているから。この想いは墓場まで持っていくと決めていた。ボクが自分に科した十字架。

たった一つの良心。



 そうして事件は起きた。



 夕方、何も知らずに帰宅した母さんにボクは事実を伝えることが出来ずにいた。

 夕食の時間になってもリビングに顔を出さない花音を心配し、ボクは気まずさを抱えたまま妹の部屋の前に立った。



「花音、夕食だぞ」



 返事がないことに不安を抱き、ドアノブを回すと、鍵はかかっていなかった。


 部屋の中に花音の姿は無く、勉強机の上には「探さないでください」という紙切れが無造作に置いてあった。


 ボクはこの時、自分がとんでもないことをしてしまったのだと改めて痛感し、事の重大さを現実のものとして把握した。

 これ以上隠すことができないと思ったボクは、仕方なく昼間のできごとを母さんに話した。


 母さんは、話を聞いた途端に青ざめる。



「そんな……どうしよう」



 顔面蒼白の母さんを見て、ボクはどこか安心していた。

 母さんは血の繋がらない花音を心の底から心配している。

 その事実が、この家族を今まで繋いできた確かなものだ。


 それなのに、ボクが壊した。いつ壊れてもおかしくなかった家族の形を、均衡を崩してしまった。



「ボク、花音を探してくるよ」



「でも……」



 これは、ボクの責任。ボクの自覚と覚悟が足りなかった結果だ。



「母さんは花音が帰ってきた時のために家にいて。何かあったらすぐに電話するから。大丈夫。ボクはあいつの兄だ。すぐに見つけて帰ってくるよ」



 母さんを安心させるため、ボクは満面の笑みでそう言った。


 男親のいないこの家で、家族を支えるのはボクの役目だ。

 そのボクが、自らの手で家庭を壊すということは、あってはならない。


 だからボクは花音に何も望まない。見返りなんて求めない。

 ボクはあくまで兄として、家族の支えとして、妹を探しに行く。



「行ってきます」



「気をつけてね」



 母さんに見送られながら、ボクは日の沈みかけた外へ妹を探しに飛び出した。











花音と廈織、兄と妹のお話です。


恋愛要素が強いので、近親ものが苦手な方は読み飛ばしていただいても問題ないと思います。多分。(少し物語にも関係しますが)



次の更新は5月1日を予定しています。



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