14話 4【恋人から友達へ】
目の前では悠希がげんなりした様子で何を話そうか考えている。
私はそんな幼なじみの様子に呆れながら、ひとまず彼の心の準備が整うまで希望ちゃんと雑談に華を咲かせることした。
「あ、もしもし希望ちゃん? どう? 勉強してる?」
『七海ちゃんのアドバイス通りにやってるけど、調子いいわよ。琥珀ちゃんは?一人でも勉強できてる?』
「うーん、まあ……」
すぐ近くには悠希がいるので一人ではないが、元彼女の前でそう断言できるほど、私は意地が悪くない。
かといって嘘をつくことにも気が引けて、結果的に曖昧な返答になってしまった。
『あー、その反応さてはサボってチョコでも食べてたな?』
「ごふっ! なんでバレたの!」
口内に残る悠希からのお土産チョコレートの欠片にむせる。
的確過ぎてもう怖い。彼女には透視能力でもあるのではないか。あ、この場合は遠視能力?
どちらにせよ、この世界にそんな摩訶不思議な超能力というものは存在していないので、これはあくまで希望ちゃんの勘が当たっただけなのである。
可能性は低いが、悠希が希望ちゃん宛に同じお土産を渡しているという線もあるが。
電話口の向こう側で慌てる私の声を聞いた彼女が笑った。
『ふふふ、だってなんだか声がくぐもってるし、今日だって勉強会の間ずっと「甘いものが食べたい、糖分が足りない」なんて言ってたから……甘いもので一番先に浮かんだのがチョコレートってだけ。まさか当たるとは思わなかったけど』
無意識のうちにしっかり伏線を張ってしまっていたらしい。それをまたもや無意識で回収してしまうとは。私の思考回路はどうなってるんだ。イラストレーターより、小説家の方が向いてたりして。
しかしその線は数時間前に開催された勉強会の席で七海が言った「琥珀には読解力がない」という発言で既に潰されてしまっているのであった。
「なるほどね……希望ちゃんは私の性格をよく分かってるなあ」
『まあ、中学時代から仲良くなろうとそれなりに努力はしてきたからね』
「それは初耳」
中学時代の希望ちゃんと言えば、それはもう、女の子の取り巻きが多くて、会話をするのにも許可がいるほどの存在だった。許可をとる相手は、アイドルさながら親衛隊を名乗る一部の取り巻き。私はそんな彼女たちから一目置かれる立場だったので、そんな回りくどいことはせずとも希望ちゃんと会話できたのだけど。
春田希望の彼氏の幼なじみ。希望ちゃんが私に好意を持っていてくれていたのだとしたらそれはなおさらだろう。例えそれが歪んだものだったとしても。
妥協して和解した今は、もう何も言わない。言ったところで何かが変わるなんてことはないし、結局誰かが不幸になるだけなのだから。
そんなことを頭の片隅で考えている私に希望ちゃんは言った。
『だってほら、仲良くなっておきたいじゃない? 彼氏の大切な人とは』
「ああ……その彼氏のことなんだけど……」
そこで私はようやく悠希の方へ視線を話題を移す。彼は相変わらず落ち着かない様子だったが、さきほどより幾分覚悟が決まったような力ある目をしていた。
これなら大丈夫だろう。
何を言うまでもなく頷いた私は希望ちゃんに悠希との和解提案を持ち込むことにした。
私の時と同じように、希望ちゃんが悠希と和解してくれますようにと願って。妥協してくれますようにと祈って。彼に、通話状態の携帯電話を渡した。
悠希は黙ってそれを受け取ると、何も言わずに通話口を耳に押し当てた。
「希望」
『……悠希?』
ここまでくるのに、一体どれほどの時間がかかってしまったのだろう。
気まずさからお互い意地の張り合いを続け、いつの間にか長い時間が経過してしまった。
でも、まだ、変えられる。悪いしこりになりつつある思い出を、ほんの少しでも砕けるのなら、その為に動かなければ。それは彼女のためでもあり、彼のためでもあり、私自身のためでもある。
八方美人は生まれつきだ。どうせなら皆からよく思われたいし、誰も傷つかない結末を望む。願うことくらいいいじゃないか。叶う保証は何もないのだから。
「うん、俺……その、元気にしてたか」
『なんか爺臭い言い方。私はいつも通り元気よ』
「そっか」
どこかよそよそしい、ぎこちない会話は携帯の通話音量を大きく設定したままだったので真横の私にも聞こえる。盗み聞きではない。聞こえてしまうのだから仕方がない。
「あのさ」
『何』
悠希は慎重に言葉を選んでいるように見えた。
与えられたチャンスは一度だけ。この機を逃したら、次はないかもしれない。この場ですら、自分で用意したのではなく、幼なじみである私のお節介から存在しているのだから。
そんなことより、私は希望ちゃんの態度に驚いていた。彼女はあからさまに嫌そうな、めんどくさそうな声で悠希との会話を続けている。私が友達として普段話す声とは一オクターブ違う。これが、彼女の本質なのかもしれない。悠希がそれにあまり驚いていないところを見ると、付き合っている頃はそれが普通だったようだ。
だとしたら、希望ちゃんは私が思っていた以上に悠希に心を開いていたのでは?
そしてきっと、私に彼女はまだ、心を開ききっていない。それは私も同じ。未だ互いを探り合っている。
「俺……分かったんだ、あの時お前が言ってたこと。琥珀は確かに俺の幼なじみで大切な人だけどさ……けど、それは彼女だったお前をないがしろにしていい理由にはならないよな」
真横で突然呼ばれた名前に驚き反応しながら、それより「大切」と称された自分の悠希の中での立ち位置に悲しくなる。
やっぱり、悠希の中の私は、妹なんだろう。家族の枠を抜けていないんだろうな。
「俺の知らないところでお前をずっと傷つけてたんだろうな。不安にさせてたんだろうな。気が付かなくてごめんな……本当にごめん。こんな俺を好きになってくれてありがとうな」
やればできる男なのだ。
背中を突いてやらなければ本領を発揮できないのが惜しいところだが、本当に決めるべき場面ではしっかりとその役目を果たす。それが私の幼なじみ。二宮悠希。かっこいい。
今のは、女の子的には百点ではなかろうか。採点は私のさじ加減なので惚れた弱みとやらで大分甘くなってはいるが。
『……遅いよ、バカ』
短く溜息が聞こえ、希望ちゃんが言った。そのため息も、正確にはこちら側に聞こえるように言ったのだろうけど。
『あんたって本当にバカよね、こんないい女逃しちゃって。次はもっといい彼女探しなさいよ。案外、あんたの近くにいる子かもしれないわよ?』
「え?」
私が近くにいることを知ってか知らずか、希望ちゃんは笑いながら言った。
言われてしまった私は気が付かれたのではないかと肝を冷やす。
してやられた。手の平が冷たい汗で湿る。
『ま、それは自分で探さないと意味ないからね。私もすぐにいい男見つけちゃったし。悠希も頑張って。相談に乗る友達くらいになら、なってあげてもいいよ』
「え? 男って、ちょ、どういう――――」
『内緒。次会う時に話すわ。今度は友達としてね。じゃあね』
そう締めくくられ、一方的に切られた通話。
悠希は放心状態で私の携帯電話を握り締めていた。
「はい、私の携帯返して」
私はそれを強引に奪い返すと希望ちゃんに「やり過ぎ(笑い)」とラインを返す。
直後に彼女からウサギが笑うスタンプが送信されてきて、私はそれを見て携帯をポケットにしまった。
そして、混乱する悠希に言った。
「よかったじゃん。仲直り成功、じゃない?」
私も、こんなにうまくいくとは思っていなかったので、内心驚いている。
「え、でも、希望に新しい男? え?」
「彼氏じゃなくて、好きな人ってことでしょ、多分。希望ちゃんなりに前に進んでるんだよ。だから、次は悠希の番だよ」
「俺の、番?」
「そ。失恋の傷は新しい恋っていうでしょ? 手始めにどう? 可愛い幼なじみと恋愛してみる?」
言ってから壮大な恥ずかしさに襲われたものの、発言を撤回することはできない。
あわよくば。そんな期待を込めた軽口は残念ながら悠希に笑い飛ばされてしまった。
「ははは、慰めようとしてくれてサンキューな。そうだな……新しい恋愛、か」
返事はもらえず、話ごと流されてしまったが、否定されたわけでもないのも事実。
悠希が胸に抱えていた心配事は解決し、全てが丸く収まろうとしている。
ここからが、本当の勝負なのである。私が悠希を振り向かせ、彼の幼なじみではなく、彼女になるために、私が頑張らなくてはいけないのだ。
今日が記念すべき旅立ちの日になる。私にとっても、悠希にとっても。
「ねえ悠ちゃん」
「ん?」
「希望ちゃんと仲直りできてよかったね、本当に」
だから、頑張らなくちゃ。
「うん。よかった、本当によかった……琥珀のおかげだよ」
幸せな明日を迎えるために。
お待たせしました。これで14話は終了です。次回は15話。
廈織と花音のお話です。
次回は4月28日の更新を予定しています。




