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14話   2【アイドルの苦手なもの】






 要するに息抜き。運動した後の筋肉に乳酸菌が溜まり、疲労を感じるように、心と頭に溜まったストレスを一掃してしまおうという試み。言わばガス抜き作業だ。



「ちょっとー、聞こえてるんですけど。いくらなんでも酷くない? バカっていうのは否定できないのが悔しいけど」



 私は不機嫌を表すように眉間にシワを寄せ、口を尖らせる。


 私の冗談が分かっているように、七海は笑った。

 しばらく首を傾げたままだった希望ちゃんは、私たちの休憩という茶番が終わったところで「そういえば」と前置きをして言った。



「七海ちゃんは普段どうやって勉強してるの? 私、勉強の効率が悪いから、何かいい方法があれば教えてほしいなと思って」



「えー、そう言われても特に意識してやっていることなんかないしなあ……だいたい皆と同じように授業聞いてるだけだし」



「じゃあ、ノートのとり方が変わっている、とか?」



「ノートはとったことがない」



「ええ……」



 普通だよね? といった表情の七海に希望ちゃんは質問したことを後悔しているように全力で引きながら、それ以上の質問をやめた。


 私はというと、七海が授業中にノートをとらないことは前から知っていたので、さして驚いたりはしなかった。むしろ付け加えて彼女がノートをとらずに全授業を録音していることを希望ちゃんに教えてあげたら一体どんな反応をするのだろう――そんなことを考えながら私は山積み状態のまま放置していた教科書の一番上を一冊手に取る。数学の教科書をパラパラとめくっていると、希望ちゃんがこちらを見ていることに気が付いた。


 彼女は残念そうに言う。



「実は私、数学が苦手で……七海ちゃんと琥珀ちゃんに教えてもらおうと思って来たのだけど……難しそう、だよね?」



 どうやら彼女は勉強会において先生の立場ではなく生徒を志望していたらしい。



「へえ。希望ちゃんにも苦手なことってあるんだ」



 そう言ったのは七海。希望ちゃん皆のマドンナではあるが、だからといって完全人間、というわけではない。

 気持ちは理解出来なくもないが、私はこれまで希望ちゃんの欠点を何度も目にしているため、七海の意見には賛同できなかった。



「七海は希望ちゃんに一体どんな理想を持ってるの?」



 溜息と肘をつきながら聞くと、七海は浅く腰掛けていた椅子に座り直し、私の方に向き直って言った。



「いや、だって有名な話でしょ。春田希望は容姿端麗、なんでもできる皆のマドンナって」



 そのうち神格化されるのでは? というほど噂が一人歩きしていることは、当事者ではない私にも分かった。

 知らぬ間に理想像を押し付けられる気持ちとは、一体どんなものなのだろう。


 偶像崇拝もいいところだ。文字通り、偶像。すなわちアイドルとして持ち上げられ、崇拝される。理想を強要される。それは思っている以上に重く苦しい。



「まあ、確かに聞いたことはあるけれど」



「やだ、もう二人とも! それはあくまで噂でしょう。実際に私本人が言ってることを信じてよ」



 ごもっともである。


 本人の意思を意見を発言を蔑にし始めたら、それは本当に彼女という存在が一人歩きし始めている証拠だ。それは、希望ちゃんを苦しめてしまうだけ。彼女の性質を強めてしまうだけ。ストレスという名の興奮剤をもって。



「ははは、それもそうだね。でも七海、希望ちゃんになら、ちゃんと勉強教えてあげられる自信あるよ」



「本当? でも、どうして私なら? 琥珀ちゃんじゃダメなの?」



 不意に希望ちゃんの口から出た「ダメ」の言葉に心を痛めながらも私は口を出さずに会話を聞いている。



「希望ちゃん、数学以外は得意でしょ。特に国語。七海、国語だけは希望ちゃんに勝ったことないもん」



「ええ、まあそうだけど」



 と言っても毎回同率一位なのだから、この場合どちらも勝ったことにはならないし、負けたことにもならないだろう。

 目の前の二人は私からしてみれば化け物と同じである。頭の中身が同じとは到底思えない。私のピークはせいぜい高校受験をしたあの頃が限界なのである。


 入学と同じ頃、お母さんに「頑張るから」と宣言したあの頃が懐かしい。


 確かに頑張ってはいるけれど、結果が必ず努力についてくるとは限らない。それは、私が身を持って体感している。痛感している。今現在進行形で。



「だから大丈夫。教えるってことはね、相手にそれなりの読解力と理解能力が必要になるの」



 得意げに人差し指を立てながら七海は答える。嫌でも自分がけなされていることは分かる。

 私は国語ができない。日本に生まれ、日本語に囲まれて育ったとはいえ、万人が国語の成績が良いとは限らないように、私もまた、国語が苦手な日本人だった。


 人の考えていることを察知したりするのは得意だけれど、文章となると話は別。その場の雰囲気なんてあるはずもないし、実際の人がその場にいるわけでもない。あるのは文字だけ。情報が少なすぎるのだ。



「数学なんて、国語より簡単だよ。パズルみたいなもんで、公式さえ覚えれば答え、つまりはピースをそれに当てはめていくだけで答えが出るんだから」



「……まずは公式を暗記しろってことね」



 希望ちゃんは真剣な表情で言いながら、床に置いていた自分の鞄を漁り、中から私が手にしているものと同じ、数学の教科書を取り出した。



「よし、頑張る!」



「公式覚えたら、あとは数をこなせばなんとかなるよ! 一緒に頑張ろう」



「うん、ありがとう七海ちゃん」



「早く終わらせて帰るぞー!」



「「おー!」」



 七海のかけ声に元気に返答した私たちだったが、天井に向けて高く上げた右手も虚しく、それから私と希望ちゃんは七海を質問攻めで疲れさせ(おもに私のせいなのだけど)結局、帰宅できたのは夕日が沈むギリギリの時間になり、先生自らの怒声で教室を追い出されてからだった。










次の更新は4月15日の予定です。


桜の季節になりましたね。

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