12話 3【希望の新たな決心】
私にとって、それは想像のつかない話だった。
優しい父と母がいて、仲の良い姉がいて。私の今まで生きてきた人生において、廈織くんの歩んできた人生は、予想以上に暗い闇を孕んでいるようだった。
どうしたら、私はこの人の支えになることが出来るのだろう。
「あ! お母さん!」
声のした方に向くと、先程から姿が見えなくなっていた花音ちゃんが白くツバの広い帽子を胸の前に持ちながら立っていた。
「花音、どこかに行くのか?」
尋ねた廈織くんに花音ちゃんは答える。
「ああ、ケーキ買いに行こうと思って。ついでにおつかい頼まれてたの忘れてたから、それも」
「そんな、わざわざ悪いよ。あんまり気を使わないで。私、そんなに長居しないし」
慌てて花音ちゃんに駆け寄るが、彼女は自分の意思を曲げようとはしなかった。
「ダメですよ! お母さんにお客様にはしっかりおもてなしすること! って叩き込まれてますから私! ここは私がお母さんに怒られないように協力すると思って楽しんで下さい」
「じゃあせめて私も一緒に行くよ」
「希望さんはお兄ちゃんが話したいことがあるみたいなので家にいてください。すぐ帰ります」
「え!」
花音ちゃんはまくしたてるようにそう言うと、小走りに家を出てしまった。
あっけにとられながら廈織くんを見ると、彼は困ったように片手で顔を覆っていた。心なしか耳が赤いように感じるのは気のせいだろうか。
「えーと、私に話したいことがあるの? 廈織くん」
家を出る間際、花音ちゃんは私に向かってウインクをした。ケーキを買いに行く、というのはただの口実で、本当は私と彼を二人きりにするために色々作戦を練っていたのだろう。
そう、今、この場にいるのは私と廈織くんだけ。
意識した途端、急に恥ずかしくなり、私は汗ばむ手の平を服で拭う。
「話したいことなんてないよ!」
「あ、そうなの……」
あまりに直球な返答に肩を落とす。
私の様子に廈織くんは動揺していた。
「いや、そうじゃなくて! ごめん、ちょっと混乱してて……」
初めて会った時には感じなかったが、花音ちゃんは思ったよりずっと明るくお転婆なようだ。同時にとても人見知りで緊張するところがあるから、学校の中で彼女のもう一つの面を知る人は少ないのだろう。
「ははは! なんだか花音ちゃんにしてやられた! って感じだね。私たちはただの友達なのに」
言いながら悲しくなったが、この場合は仕方のないやりとりだ。
今この場で、私が彼を好きだとバレる訳にはいかない。
普段通りの私の態度に廈織くんも少しずつ落ち着きを取り戻したようだ。
「そんなところも可愛いんだけどね。時々、肝が冷えるよ」
「ちょっとー、本人がいなくなった途端に惚気んのやめてくれない?」
「つい、ね」
ふざけていつもの調子で笑い合えるまでにお互いの精神が回復したところで私はニュースに切り替わったテレビを消して、無音の中で言った。
「そういえば、私ね、ついに決めたんだけど」
「うん」
「私、琥珀ちゃんにしたこと全部話して、謝ろうと思うんだ。それで絶交されても仕方ないかなって思ってもいる。だからさ、その時は慰めてよね」
苦し紛れに笑ってみせると、彼は嬉しそうに笑って力強く頷いた。
「もちろんだよ。上手くいくように、心から応援してる」
「ありがとう……私、頑張るね」
この決断は、一つの大きな意味を持っている。
それは事実上の「共犯者」契約の破綻。
私は「琥珀ちゃんに真実を知らせないこと」を条件に彼と共犯者の協定を結んでいた。それを自らの手で破るというのは、私が彼との約束において握られていた弱みがなくなることを意味していた。
それでも私は彼の前で花音ちゃんへ秘密をバラすような真似はしない。
だって私が言うまでもなく、彼の狂おしいほどの妹への愛は既に本人に気付かれてしまっているのだから。
それから二十分後、ケーキとスーパーの袋を下げて帰宅した花音ちゃんに小耳で廈織くんとの進展を聞かれたが、私は「なにもなかったよ」とだけ答え、夏休み明けに待っている運命の時をどう乗り切ろうか、花音ちゃんが買ってきてくれたケーキを食べながら考えていた。
次の更新は、3月14日の予定です




