10話 3【春田希望の願いと気持ち】
私と廈織くんの「一途」は全くの別物だ。
私の場合、一つの恋が終わってしまったなら、前に進むため、自分の経験として強くなるために次の新たな恋を求める。
本来それが世の中の普通であり、大衆の意見だろう。
けれど廈織くんには、そんな誰もが歩むべき道――――別れた後に向かう「次」が欠落していた。
彼が愛するのは生涯に一人だけであり、たった一人の血を分けた妹。
「久藤花音」だけなのだ。
その人でなければ、彼女に必要とされなければ生きている意味すら見失ってしまうような勢いで、彼はひたすらに一方的な想いを兄という名を借りて日々伝えているようだった。
「君はボクに何を言いたいの? ボクらの抱えるものが違うのは、あの日から分かってたことだろう。今さら何があるっていうんだよ。君はボクを傷つけたいの?」
「違っ!」
言われてハッと我に返った。
うつむいていた私が顔を上げて見たものは、怒った顔をした彼の姿。
あの日とは、彼と「共犯者」になった時のこと。
あの瞬間から始まった私たちの関係は、とても曖昧で、壊れやすいものだったのに。
均衡を保っていたのは、互いの秘密を握り合い、胸に秘めるという、なけなしの「信頼」だった。
それを私は、自らの手で破り捨てようとしていた。
自分と彼は違うのだと決めつけ、不毛な想いを抱く「かわいそうな人」だと身勝手に思い込んだ。
それは私から見た彼の姿であり、ただの同情。
「じゃあ何?」
「私……私は……」
まっすぐな瞳で見つめられ、言葉に詰まる。
射抜くような視線に刺され、目が泳ぐ。
だから言ったのに。
私と彼は違うんだって。
私たちの決定的な差は、迷いの有無だ。
私には、一生をかけて想いを貫く覚悟がない。
この人でなければ、という意思もない。そんな私のような人間を、彼と同じ枠にくくりつけていいはずがないのだ。
「私、アナタが怖いの……」
口からこぼれた本音に、彼は疑うように細めた瞳を大きく開いた。
驚いたのだろう。私の瞳から流れた一筋の涙に。
「……どうして?」
その声は、今まで聞いた彼の声の中で一番に優しい響きで私の鼓膜を揺らした。
困ったような、あやすような声色の言葉に、私は何と返すのが正しいだろう。
「廈織くんは優しくて、強くて、自分のことも人のこともしっかり見て分かってるから……私なんかと一緒にされちゃダメな人なの……!傷付けたかったわけじゃないし、軽蔑してもいないから怒ったりしないで……私のこと、嫌いにならないで」
言いながら、涙が次々と溢れた。
自分の中にある彼を理解しようとする気持ちにズレが生じていたのは、あの日からずっと。
私はまだ彼の共犯者としての告白を受け止めきれていない部分があった。
身近でそういった話を見たことも聞いたこともなかった私は、近親間の恋愛とは小説や漫画の中だけの作り物だと思っていた。
だから当初の私は、彼の話を少し引いた目線で聞いていた節もあった。
偏見は持っていないつもりだったが、いざと現実を目の当たりにすると、どうしても理解しきれない部分がある。
そんな私の身勝手が生んだのが彼への彼への同情だ。
私は私が許せない。
「ボクはそんなにすごい人間じゃない、君の過信だよ。怒ってなんかいないから、そんなに怯えた顔して泣かないで?女の子に泣かれると、調子が狂うよ」
参ったように苦笑いを浮かべながらうなじを掻く廈織くん。
「ごめんなさい」
鼻をすすりながら涙を拭った私は、自分の考えを改めなければと思った。
彼は本当は、可哀想な人などではなく、幸せな人なのではないだろうか。
生涯一人だけを愛し、死んでゆく。それほど一途な想いがこの世にどれほどあるだろう。
そしてその愛する人の誕生から死に逝くまでを一番近くで見ることができる。生まれながらに言葉を超えた、想いを超えた「血」という繋がりがある。そんな幸福はないだろう。
だから私も、以前の彼が言っていたように、世の中の常識に囚われず、自分だけの幸せの形を見つけなくてはいけない。
それを見つけられた時、私は初めて廈織くんを好きでいてよかったと自分に胸を張って言える気がする。隣に立てる気がする。
だからどうか、私の立ち位置が彼の中で共犯者ではなく、友人に変わる日が来ることを願うばかりだ。
「君はバカだなぁ……ボクなんかのために、マドンナの涙はもったいないよ」
ふざけた調子で笑いながら私の頭をポンポンと優しく撫でる廈織くんは今、私の中で世界一かっこいい男の子だ。
「あなたもバカよ、色男」
負けじと鼻をすすりながら言い返すと、彼はいつもの調子でクククと喉を鳴らして笑った。
「バカ同士、気が合っていいじゃないか。ほら、ボクらは一緒だよ」
「ふふ、本当」
胸につかえていたもどかしさが一つ消え、私は素直に笑うことができた。
彼の持つ絵の具は、私をいつも晴れやかな場所へ連れて行ってくれる。
まっさらな気持ちにしてくれる白なのだ。
「ほら、早くここを片して皆に合流しよう。ボクらが行く前に、花火がなくなったら大変だ」
「そうね」
「君は氷で目を冷やしてから来るといい。ボクと喧嘩して、酷いことを言われたことにすれば、言い訳になるかな」
どこまでも優しさで出来ている彼に、私は首を横に振る。
「しないよ、そんなこと」
「でも……いいの?」
「いいの。悠希のこと愚痴って、勝手に泣いたことにするから。あいつね、私のこと引きずってるから、今回の間にしっかり別れた方がいいの。それがお互いのため」
星の輝く夜空を見上げながら、私は満足した顔で言った。
その横では難しそうな顔をしながら腕を組む廈織くんがいる。
「そんなものなのか」
「そう。そんなものなのよ」
後は時間が解決してくれるから。
そう言って、私は食事の片付けをしていた手を再び動かし始めた。
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