2話 1【母と娘】
「幼なじみの異性」という存在は、物語の中に時々顔を出す。
そんな関係を、私たちはいつも羨ましがられた。現実、生まれた瞬間から家族のように育ってきた男女の幼なじみの間に恋愛は生まれにくい。私もそうだと思っていた。
けれど、気が付いた時には幼なじみに恋をしていた。
私はそんな彼に想いを伝えることができない。彼の中の私は「家族」なのだから。
* * *
「琥珀!ピーマンも残さず食べなさい!」
夕食の席でお母さんの小言を無視し、琥珀は口をへの字に曲げる。黙々と白いご飯を口に運び、目の前の皿に盛りつけられた緑の物体には手を付けない。
私はピーマンが嫌いだ。味も嫌だが、あの毒々しいまでに主張が強い緑が嫌い。母親なのだから、娘の好き嫌いは把握しているだろうに。ピーマンが食べられない私に、悪魔の食材で肉詰めを作るなんて、性質の悪い嫌がらせだ。
私は眉間に皺を寄せながら、器用にピーマンから肉だけを引き剥がすと、残ったピーマンを悠ちゃんの皿に乗せた。
「食べて」
当然のように渡されたピーマンを見つめながら、悠ちゃんは困ったように眉を下げた。
彼の様子を気にすることなく、私は肉の塊を口の中へ放り込んだ。
「お母さん。悠ちゃんがピーマン食べてくれるって」
「またそうやって……ごめんね、悠くん。残してもいいからね」
お母さんの言葉に私はムッと頬を膨らませる。
「悠ちゃんだけずるいよ」
「悠くんは琥珀の分も食べてるから言ってるの。あんたは好き嫌いを無くしてから言いなさい」
これには反論できず、口を尖らせる。
隣で会話を聞いていた悠ちゃんが笑い出した。
「ははは、大丈夫。琥珀のワガママは今に始まったことじゃないし?なあ、琥珀」
嫌みを含んだ笑みを浮かべながら、悠ちゃんはこちらを見る。その場所にいるのが当たり前のように高橋家の食卓に溶け込みながら、悠ちゃんは押し付けられたピーマンを口の中へ放り込んだ。
「悠くんは本当に琥珀のお兄ちゃんみたいね」
お母さんの言葉に、悠ちゃんは目を細めて微笑んだ。
「半分そんな感じでしょ。小さい時からずっと一緒だし、半分はこの家の人間だと思ってるよ」
「嬉しいわ。男の子がいるといいわね。沢山食べてくれるから、作り甲斐があるわ」
「お母さんの料理が美味しいから」
「あら、晴香ちゃんには負けるわ」
「母さんの料理も好きだけどね」
父親のいない高橋家で、時々夕食を食べに来る悠ちゃんの存在は、私のお母さんにとって大きなものだった。
流行のドラマが流れるテレビをぼんやりと見つめながら、お母さんは目を細めた。
「でも、琥珀が悠くんと同じ高校に進学が決まって良かった。ずっと心配してたのよ。琥珀は私に似てるから、無理してるんじゃないかって」
まるで若い頃の自分を思い出すかのように、お母さんは笑みをこぼした。
私はお母さんの言葉を聞きながら、黙々と箸を進める。
「悠くん。高校生になっても琥珀のこと、よろしくね」
「うん」
「そういえば、今日は晴香も啓大さんも仕事?帰り遅いの?」
お母さんは時計を見ながら悠ちゃんに問う。
「二人とも夜勤だから、俺一人だよ」
「あら、じゃあ泊まっていく?」
悠ちゃんの両親は共に医療従事者で、時々こうして夜勤が重なる。そんな日は決まって我が家で夕飯を食べる。
「いや、今日は家に帰るよ。ありがとう」
「そう。何かあったら家に来なさいね」
お母さんの言葉に悠ちゃんは苦笑いを浮かべた。
中学に上がってからの悠ちゃんは私の家に泊まることを避けるようになった。
小学生の頃はよく同じ布団で眠ったりしたのに。
当たり前だった日常が崩れたと感じるようになったのは、やはり悠ちゃんに彼女が出来てからだろうか。
「ごちそうさま」
箸を置き、食事を済ませた悠ちゃんは自分の使った食器を洗い、礼を言った。
私は味噌汁を啜りながら、まるで他人行儀のようだと悠ちゃんを見た。家族のように育ってきたこともあり、突然の変化に対応が出来ない。
「またいつでもいらっしゃいね。琥珀も待ってるから」
「は?別に待ってないから」
つい、毒のある言葉を吐いてしまった。
怒らせたかと不安げに悠ちゃんを見ると、彼は困ったように笑っていた。
「素直じゃないわね」
お母さんのため息より、悠ちゃんの表情が脳裏に焼き付いた。
そうやってまた、私の知らない顔をする。
「ははは。じゃあまた、お邪魔しました」
悠ちゃんが帰った後、片付けをしながらお母さんと何気ない会話をした。すっかり年を取ったお母さんの姿が不意に目につき、思わず声をかけたのだ。
「ねえ、お母さん」
「ん?」
父親の顔はあまり覚えていない。私が幼い頃に事故で亡くなった彼は、私をとても溺愛していたらしい。父は私の身代わりとなって命を落としたと最近になってお母さんが教えてくれた。私のせいでお母さんを一人にしてしまったのだと思うと胸が痛い。
今まで散々お母さんに迷惑をかけてきたことは自覚している。心配をかけたことも、泣かせたこともある。だからこれからは、私がお母さんを守らなければいけない。もう少し、歩み寄らなければいけない。
「いつも心配かけてごめんね。私、頑張るから」
私の言葉にお母さんは驚いていた。しかしすぐに笑顔を見せ、首を縦に振った。
お母さんと二人の生活は、今年で十年目を迎えようとしていた。
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