9話 4【マドンナと特別ゲスト】
「希望ちゃん!」
「おはよう、琥珀ちゃん」
見慣れた少女の正体は、悠希の元彼女である希望ちゃんだった。
肩から肩甲骨の辺りまで伸びていた黒髪をサイドで二つに結び、灰色のワンピースの上から白いカーディガンを羽織った彼女は悠希に声をかけることなく琥珀に笑いかけた。
来るとは思っていたが、いざ渦中の人物を目の前にすると嫌でも体が強張り、冷や汗が流れる。悠希を見ると、私より数倍驚いた、という表情で固まっていた。
その様子から、廈織くんは友人である悠希に何も話していないのだろうということが読み取れた。
私は動揺を悟られないように希望ちゃんと会話を続けていたのだが。
「さすが廈織くん!学年のマドンナを連れてくるなんて驚いた!もしかして付き合ってたりするの?」
私と希望ちゃんの背後で廈織くんに聞いたのは七海。
廈織くんが連れてきた見覚えのない女の子を除いた全員が七海と廈織くんの関係を知っていたので修羅場になるのではないかと肝を冷やす。
一瞬驚いた表情になった希望ちゃんは一変、声を上げて笑った。
「あはは!違うよー、廈織くんはただの友達。今回は琥珀ちゃんも一緒だって聞いたからついてきたの」
不穏な空気が明るくなったのを感じて私は「ほう」と胸を撫で下ろした。
「そうなんだー。てっきり廈織くんの彼女かと思っちゃった!美男美女でお似合いだし」
「ありがとう。七海さん、だっけ?私は春田希望。よろしくね」
「七海でいいよ!こちらこそ、よろしく」
二人の握手に、その場の空気は和やかに戻る。
「さてと、それじゃあ次はこの子の紹介をしようかな」
お待ちかね、と言うように廈織くんは背後に隠れている少女を自分の前へ立たせると、優しく言った。
「ほら、ちゃんと挨拶して。今日からお世話になる人たちなんだから」
母親のような、娘を見る父親のような慈愛に満ちた表情を少女に向ける廈織くんの姿に息をのむ。
とても大切そうに、愛しそうに少女に触れ、見守っているその様に、私は名前も知らないはずの少女の正体を感じ取った。
そうか、この子が……。
「分かったから押すのやめてよ……緊張してるんだから」
「ごめん、ごめん」
「もう……コホン。えっと、初めまして。廈織の妹で、久藤花音と言います。皆さんより一つ年下の中学三年生です。人見知りしちゃうかもしれないですが、仲良くしてください!よろしくお願いします」
小さな手を腹の前で強く握りながら二息で言い終えた花音ちゃんは、頭をゆっくりと上げ、不安そうに様子を伺う。
そりゃ怖いし不安になるし、緊張もするだろうな、と思う。
だって目の前にいるのは友人でもなければ同級生でもない初対面の先輩なのだから。
私は人混みの中でも聞こえるくらい強く拍手をして、花音ちゃんに笑いかけた。
「こちらこそよろしくね、花音ちゃん」
追々こちらの自己紹介もするとして、ひとまず今回旅行する全員と対面することが出来たようだ。
花音ちゃんは嬉しそうに、もう一度お辞儀をすると、再び兄の影へ隠れるように身を潜めてしまった。
「こら花音……」
妹を叱ろうとした廈織くん。
「ほっといてあげなよお兄ちゃんー花音ちゃん、まだ緊張してるんだから」
大袈裟に溜息をつきながら言った七海に希望も加勢する。
「そうよー女の子には優しく、でしょ?お兄ちゃん」
強い女子たちの言葉に反論できるはずもない廈織くんは困り果ててしまったようだ。
少し遠くでは、その様子を心配そうに見つめる橘くん。怖くて声はかけられないらしい。
なんだかんだで楽しい旅行になりそうで安心した私の気がかりは、いつもと違って大人しい幼なじみだけ。
原因はまあ、彼女絡みで確定のようだが、楽しい旅をずっと仏頂面で過ごされてはたまらない。
どうせなら、いい機会なのだから、この旅行中に希望ちゃんと話してみればいいのに。
私は声を小さくして悠希の隣に立つと、楽しそうにじゃれる七海たちを見ながら言った。
「そうやってふてくされてるとせっかくの夏が台無しになっちゃうよ」
暑さで流れる汗を気にしながら横目で彼を見る。怒っていると思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「……なにその顔」
悠希は唇を一文字に結び、眉を下げ、目を泳がせていた。
何か考えているというよりは、戸惑っているように見えた。
「何難しいこと考えてんの。いつものあんたなら海なんて大はしゃぎでしょうが」
泳げないのに、何度海に連れ出されて浜辺で待ちぼうけを食らったか分からない。
そんな奴が、こんなに心揺れている原因は、彼女の存在であり、それは未だ問題が解決していないことを示している。
悠希はまだ、希望ちゃんに未練があるのかもしれない。
「いや、あの……気まずくて」
やっと聞いた幼なじみの声はとても弱々しく頼りなかった。
「一体どんな別れ方したの」
「それは、言えない」
頑なに答えようとしない悠希に私は苛立ち、吐き捨てるように言った。
「あっそ」
そもそも別れた恋人同士の話に首を突っ込もうだなんて、それ自体が間違っていたのかもしれない。
私と悠希の関係は、そんなものだ。
ただ家が近くて親同士が仲良くしているからその延長線上で親しくなっただけの友達。同じ学校に通うクラスメイトの男女。それだけ。
幼なじみが羨ましいと希望ちゃんも七海も言っていたけれど、そんなもの、何の切り札にもならない。立場を持つ者が勝つのではない。最後は動いた者が勝つ。
私は自分の立場に甘えて動かなかった。だから一度、行動を起こした希望ちゃんに負けたのだ。もう二度と、そんな思いはしたくない。だから。
「たまには幼なじみに甘えてみなさいよね!何年一緒にいると思ってんの?生まれてからずっとだよ、ずーっと。悠希が悲しんでるのも、ツラそうにしてる顔見るのも嫌なの。力になれることがあるなら、なんでも言ってよ。頼ってよ」
私は自分の切り札を使って動く。それが私の戦い方。
「……琥珀が優しい。熱でもある?」
「な、ないよバカ!」
笑いながら私の額に手を当て熱を測る真似をする悠希。
久しぶりに悠希の手に触れた気がする。笑顔を見た気がする。
嬉しい。
「はは、ありがとな、琥珀。ちょっと元気出たわ」
「本当、世話のやける幼なじみですこと」
「お前もな」
「お互いさまでしょ」
周りの目を忘れて会話をしていた私たちは我に返って苦笑いを浮かべた。
ジト目の七海を筆頭に皆がこちらを見ていた。
「はいそこの幼なじみ二人―、まだ楽しい旅行は始まってませんよー、いちゃつくの禁止」
「七海―違うってば」
必死に弁解するが、一度餌を得た七海はもうなにも聞いてはくれそうにはなかった。
「ま、いいじゃん!仲良しなのはいいことでしょ!そろそろ行こうよ、皆で夏休みの思い出を作りに!」
照りつける太陽に向かって両手を広げた七海に、他の全員が賛同した。
今年は楽しい夏になりそうだ。
次の更新は11月18日の昼過ぎ予定です
少し書き溜めしますスミマセン(´・ω・`)




