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7話   2【幼なじみの特権】




 *   *   *




 私、春田希望は本当にタイミングの悪い女だと思う。

 これは、先日のバチが当たったのだろうか。


 夢であってほしいと思うが、確かに見つけた痕跡。

 予鈴を聞いた私は少し慌てて廊下を走っていた。

 一限目が体育だったこと、当番が重なってしまったこともあり、私は次の授業に遅れそうになっていた。


 そんな時、私は見てしまった。


 今一番見たくなかった、思い出したくなかったものを。


 私が見たものは、悠希に手を引かれながら歩く琥珀ちゃんの後ろ姿だった。

 咄嗟に隠れた私。見てはいけないものを見てしまったのかもしれないという興奮から、心臓が飛び跳ねている。

 彼女という立場を利用して、何事もないように二人の前に姿を現すことも出来たはずなのに、私はそれをしなかった。


 出来なかったのだ。


 悠希の心が今どこのあるのか、最近では全く分からなくなってしまった。

 大好きだったから、誰にも取られたくなくて、彼に想いを告げ、ようやく恋人になれたあの幸せだった時間はもうずいぶん前の思い出になってしまった。


 好きな人と恋人でいることが、苦しくてたまらない。


 一緒にいるとどうしようもなく息苦しくて、苛立ちが募るばかり。

 味わったことのない感情に、私の心は不安から悲鳴をあげていた。

 これではもう、二宮悠希の彼女と名乗るのはあまりにもおこがましい。

 だからこそ、私は二人の前に姿を現すことが出来なかった。

 二人の会話もろくに聞かぬまま、私はその場を離れたい一心で走り出していた。

 片手に握りしめたままのスマホを見ると、仲の良い友達から心配するメッセージが届いていた。



【もう先生来るよ!間に合いそう?】



【今行く】



 簡潔に返答すると、私は小走りに教室へと急いだ。

 そしてなにごともなかったように着席すると、深い溜息をついた。

 片手には相変わらずスマホが握られている。

 私は教師に見つからないようにスマホを操作しながら、苛立ちを抑えるかのように貧乏ゆすりをしている。

 私のスマホ画面には、おびただしい数のメッセージが書き込まれ続けている。

 また一つ、また一つと、メッセージは私の手によって新たに生み出されていくのだ。



【死ね死ね死ね──】



 子供の喧嘩のような幼稚さは自覚している。

 それでもおさえきれない心の中の黒い感情が今の私を突き動かしている。



「バーカ」



 どうせならもう、何もかもめちゃくちゃになってしまえばいい。

 そう思いながら、私は再びメッセージの作成に没頭するのだった。





 *   *   *




 琥珀は緊張しながら保健室へ足を踏み入れる。

 保健室に人の気配はなかった。

 バネの軋みが酷いソファに腰をおろしながら、私は隣に座る悠ちゃんに声を掛けた。



「悠ちゃん授業始まっちゃったよ」



 私の質問に悠ちゃんは何も答えない。



「行かないの?」



 何も答えない悠ちゃんの方に視線を向けると、困ったように口許を緩める表情が見えた。

 彼は、次の言葉を慎重に選んでいるように見えた。



「お前、本当は話したくないんじゃないのか。無理して俺に言わなくてもいいんだぞ」



 悠ちゃんは思い詰めている幼なじみを心配し、これ以上、傷を広げないよう、細心の注意を払っている。

 相手の心情が分かるからこそ、私はこれ以上心配をかけてはいけないと思った。

 だからこそ、彼に全てを打ち明けようと決めたのだ。



「ムリなんてしてないよ。全部話すから」



 私の話を悠ちゃんは無言で聞いていた。






 *   *   *





「そんなことがあってね、最近まともに寝てない」



 経緯を聞いた悠ちゃんは、大きく息を吸い込み、肺に取り入れた空気を一気に吐き出した。


 全てを話すことが怖くなかったかと言えば嘘になる。

 自分の置かれている状況が逃げようのない現実なのだと再確認してしまうことはとても怖かった。

 倒れるまで誰にも相談せずにいたことを咎められえるかもしれない。失望されてしまったらどうしよう。


 考えつく全てのことが恐怖に繋がり、私は唇を強く噛み締めていた。

 微かに震えていたのかもしれない。首をすくめる私の頭上に訪れたのは、想像していた怒号ではなく、大きくて温かい手の平だった。



「気付いてやれなくて、ごめんな」



 その言葉は、行動はズルい。反則だ。


 私は表情を隠すように顔を下に向け、無言で首を横に振った。

 今の私はきっと酷い顔をしているのだろう。

 幼なじみが本気で心配してくれているのにもかかわらず、私ときたら、頬を赤く染め、緩みきっただらしない顔をしている。

 自分がとてもなさけなかった。



「悠ちゃんが謝ることじゃないでしょ。でも、ありがとう」



 恋心を気づかれないよう、私は俯いたまま呟いた。



「何か危害があったらすぐに報告しろよ。どこにいたって飛んでいくから」



「……何言ってんの、バカじゃないの」



 次々と頭上に降り注ぐ優しい言葉たちに、目の前が霞んでいく。

 自分だけに向けられている彼の言葉がどうしようもなく嬉しくて、つかの間の幸せに胸が苦しくなる。

 このまま、ずっと隣にいて、私だけを見てくれたらいいのに。

 けれどその願いは届かない。

 彼には守るべき女の子が既に存在しているのだから。

 手が届かないという現実が目の前に現れ、悲しみが瞳から溢れ出す。

 ポタリとスカートの上に落ちた雫に気が付いた悠ちゃんは、一瞬ハッとして、すぐにいつもの調子で言った。



「お前は昔から本当に変わらないな。素直じゃないんだから」



「うるさい」



 涙を拭い、私は悠ちゃんをキッと睨み付けた。




 *   *   *





 まるで捨て猫を見ているようだと悠希は思った。

 近づけは爪をたてられてしまうのに、離れたら、後ろをトコトコついてくる。

 感情表現が苦手な琥珀をいつも近くで見てきたからこそ、俺は彼女が何かを隠していることに気が付いていた。

 気が付いていたけれど、あえて何も言わなかった。

 近づき過ぎれば爪をたてられ逃げられてしまう。

 決して心の中を見せようとしない琥珀との上手な付き合い方を俺は知っていた。

 琥珀の全てを知っているわけではないが、一つだけ分かること。

 それは彼女がとても臆病だということだ。

 彼女が父親という存在を失ったあの日から、幼なじみの関係は少しずつ変わり始めていた。

 数十分後、眠りについた琥珀の髪を優しく撫でながら、俺はおもむろに自分の携帯電話を取り出し、発信ボタンを押した。



「もしもし。あのさ、今晩少し話したいことがあるんだけど、時間作れるか?」



 穏やかな表情で眠る幼なじみの目の下に出来たクマを見つめながら、俺は無表情で電話を切った。





次の更新は11月3日の昼過ぎの予定です


更新が遅れてしまいました(汗)


来週くらいから少し引きこもって書き溜めをしてこようかと思います

更新は3日に1回は必ずするようにします……!



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