7話 1【恨みのメッセージ】
「琥珀―、先にお風呂入っちゃいなさーい」
「はーい」
いつもどおりの日常が戻ってきた。
私は自分の中の悠希への気持ちに整理をつけ、「悠ちゃん」呼びを再開した。
当然、学校の生徒や七海からは何があったのか質問攻めにされたが、それも穏やかな気持ちで受け流すことが出来た。
噂好きの生徒が言うに、最近、悠ちゃんと希望ちゃんの仲があまり良くないということが今回質問攻めにされた要因だと話してくれた。
悠ちゃんは何も言わないが、二人の仲が少し変わり始めていたことは、私も薄々感じていた。
一度、私は希望ちゃんに直接「何かあったの?」と聞いたことがある。
希望ちゃんは私の質問に笑って「何もないよ」と答えるだけだった。
私に穏やかな日常が戻ってきたところに、悠ちゃんと希望ちゃんの不仲説。
悠ちゃんへの恋心を肯定した私にとっては、願ったり叶ったりの展開だったが、それを素直に喜べなかった。
誰かが幸せになるためには誰かが不幸にならなくてはならない。
そんな言葉を思い出しながら、私はジレンマに頭を痛めていた。
そんな日常が過ぎていた、ある日のこと。
夕食を済ませ、お母さんに言われたとおり入浴しようと自室を訪れた私。
闇に包まれた部屋の奥、ベッドの上で、私は充電していたスマホが光っていることに気が付いた。
電気もつけずに充電されたままのスマホを手に取った私は、画面を見て、そのままスマホを放り投げた。
ベッドに放られたスマホは相変わらず何かを受信して光り続けている。
画面を覗くと、そこにはおびただしい数の無料通信アプリの通知と、非通知の着信が。
「なんなの……これ」
震える手で恐る恐る放り投げたスマホを再び手に取ると、無料通信アプリから最近のメッセージが受信された。
その内容は。
【許さない】
数十件にも及ぶ過去のメッセージも似たような言葉が延々と続いていた。
怖くなった私は慌ててスマホの電源を落とした。
それで解決する問題ではなかったが、恐怖のあまり、そうすることしかできなかった。
* * *
不審なメッセージや着信が来るようになってから一週間。琥珀の体力もいよいよ限界に近づいてきた。
一度、メールアドレスを変えたことがあったが、それでも不審なメッセージが減ることはなかった。
友だちの中に犯人がいるのかもしれない。そう考えてしまう自分が嫌で、私は頭を抱えた。
直接危害が加えられることはなかったものの、誰かが強い思いで自分に嫌がらせをしているのだという変えようのない事実がどうしても気にかかる。
悩めど何かいい解決案が出るといったこともなく、私は眠れない夜を過ごしていた。
「琥珀、どうしたの?顔色悪いよ」
一限目の終わり、頭痛で項垂れる私を心配して、七海が声をかけてきた。
申し訳ないが、笑顔で取り繕う余裕もない。
私は青い顏のまま、ゆっくり口を開いた。
「めっちゃ頭痛い……それになんだかフラフラする」
「ちょっと本当に大丈夫?保健室行った方が良くない?」
「んー。どうしよう……行った方がいいかな」
チラリと七海の顔色を伺うと、珍しく本気で心配そうな顏をしていた。
「今にも倒れそうだよ。最近寝てないって言ってたし、少し寝てきた方がいいと思う。次の先生には七海が言っておくから、行きなって」
七海がここまで心配するとは、本当に死にそうな顔をしているらしい。
私は鉛のような体を持ち上げると、フラフラと歩き出した。
「じゃあ、行ってくるよ」
「一人で大丈夫?一緒に行こうか?」
「もう予鈴鳴っちゃうし、一人で大丈夫だよ」
「そう……気をつけてね、琥珀」
「うん、七海、ありが――――」
言葉を紡げたのはそこまでだった。
平衡感覚がなくなり、体がゆっくりと床に沈む。
ああ、本当に死にそうな顔をしていたのかもしれない。
このまま倒れたら、床、冷たいだろうな。
そんな呑気なことを考えていた私が倒れ込んだのは冷たい床の上ではなく、温かい、誰かの胸の中だった。
「おっと、大丈夫か、琥珀」
「琥珀!!大丈夫!?」
慌てて駆け寄って来た七海の声にゆっくり目を開けると、目の前には少し驚いた様子でこちらを見る悠ちゃんの姿があった。
抱きかかえられた腕の力が私を安心させる。
クラスメイトたちも、突然の事態に心配そうにこちらを見つめていた。
「え、……何?どうなったの?」
事態が呑み込めないまま首を傾げる私に七海は声を荒げて言った。
「倒れたんだよ!二宮くんがいなかったらそのまま床に頭打ってたんだからね!?もー、無理しないでよー」
「え……あ……そうなの」
未だぼんやりする頭を押さえながら私はフラリと自分の足で立ち上がろうとする。
しかし今度もまた、バランスを崩し、悠ちゃんの体に身を預ける形となってしまった。
そんな様子を見た悠ちゃんは私の手を引きながら言った。
「琥珀、保健室、行くぞ」
落ち着いたような、怒っているような悠ちゃんの低い声に、私はビクリと体を震わせた。
「いや、大丈夫だって……一人で行けるし、それに、みんな見てるから離して」
私の言葉に悠ちゃんは聞く耳を持っていないようだった。そのまま無言で手を引かれていく。
クラス中が一連の流れを呆然と見ていた。
これではまた、かっこうの噂の種にされてしまうのは間違いなさそうだ。
一年生の教室は三階、保健室は一階の端にあり、歩くと少し遠い。
しばらく無言のまま悠ちゃんに手を引かれていた私だったが、階段を下りながらようやく口を開くことが出来た。
「悠ちゃん、もういいよ。一人で歩ける」
先ほどは言うことを聞いてくれなかった悠ちゃんも、今度はあっさり手を離した。
そうこうしているうちに本鈴が鳴り、一瞬にして校舎は静まり返る。
怒っていると思っていた悠ちゃんが振り向き、眉を下げた彼が怒っているのではなく、悲しんでいるのだと知ることが出来た。
「体調、悪いのか?」
「少し、寝不足で……頭も痛いかな」
教室の中とはうって変わって優しい声色に、思わず涙が込み上げてくる。
グッとせり上がってくる涙を堪えながら私は笑った。
歩きながら、悠ちゃんはまた悲しそうな顔をした。
「何かあるなら話、聞くぞ。お前がそうやって眠れなくなるなんて、いつも決まって何かある時だからな」
「……敵わないなあ、悠ちゃんには」
悠ちゃんの言葉に私は困ったように笑った。
内心とても嬉しくて、飛びつきたくなる気持ちを堪えていたのは秘密。
悠ちゃんはいつもこうして私が困っている時に手を差し伸べてくれる。
幼い頃から私にとっての悠ちゃんは優しい王子様のような存在だった。
「いいや、悠ちゃんに全部話すね」
諦めたように笑いながら、私は悠ちゃんに全てを話すことを決め、ようやくたどり着いた保健室の扉を開けた。
次の更新は11月2日の昼過ぎの予定です