6話 2【怒りと悲しみと雷鳴】
* * *
悠希の部屋に足を踏み入れた琥珀は、久しぶりに入る幼なじみの部屋に声を上げた。
「汚い!」
「言うと思った」
悠希は部屋に足を踏み入れることを躊躇う私に対し、さも当然のように言った。
自覚はあるらしい。
部屋の中には服が散乱し、本が読みかけのまま、いたるところに落ちている。
自覚があって人をこの部屋に連れてきたのであれば、そうとう性質が悪い。
「あのさあ……まさかこの部屋に希望ちゃん入れてないでしょうね?さすがに嫌われるよ、これは」
大きな溜息をつきながら私は手当たり次第に散らかっている服をかき集め、ベッドの上へひとまずまとめていく。
「いいや、今日はリビングで昼飯食って終わり。だって足の踏み場ねーじゃん、この部屋」
「自覚してるなら手伝いなさいよ!」
的確なツッコミを入れながら、私は悠希の言葉に納得した。
だからリビングに希望ちゃんの忘れ物があったのだ。
悠希にとって私は、隠し事の必要ない存在なのだという事実に酷く安心し、少しだけ悲しくなった。
それは彼が私に対し、何も特別な感情を抱いていないと再確認してしまったから。
自分が彼にとって「見栄を張る対象」ではないと知ってしまったから。
彼女である希望ちゃんを、悠希が散らかった自分の部屋に上げなかったということが私の心を大きく揺らがせることになってしまったのだ。
「聞いてるの!?悠希――――」
悠希の服を片づけながら振り返った瞬間、突然腕を掴まれ、言葉を失った。
悠希は真剣な表情を浮かべ、私を見つめていた。
「俺、ずっとお前に聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」
「お前、彼氏出来たのか?」
意外な質問に私はポカンと口を開けるばかり。
「はあ?」
呆れ半分に返すと、悠希は言葉を噛みながら気まずそうにこちらの様子を伺っていた。
「何言ってんの?」
「お、俺が怪我した試合の日、お前、俺の知らない男と一緒にいただろ?随分仲良さそうだったし、最近お前、俺のこと避けてるし、彼氏でも出来たのかと思って……」
そういえば、悠希は橘くんの存在を未だ知らないままだった。
話そう、話そうと思っているうちに、随分と長い時間が経過してしまったようだ。
「なーんか、すごい顏でこっち睨んでたもんね……橘真広くんっていうんだけど、ただの友達」
「本当に?」
「いや、嘘つく意味ないでしょ。ていうか、悠希にも彼女いるんだから、私に彼氏がいても普通でしょ?いないけどさ」
随分しつこく食いついてくる悠希に私は首を傾げた。
これが俗に言う「やきもち」なのだとしたら、今の私にとってはこれ以上ない喜びなのだが、どうも様子が違う。
「俺は心配してるんだよ……お前、昔から男運ないだろ?変な奴と付き合ってないか心配で」
悠希が私に対して抱いてる気持ちは異性へ対する「やきもち」ではなく、身内として、妹を心配する兄のような立場としての「心配」のように感じた。
揺れ動く心と必死に向き合おうとする私。それに対し、悠希は昔のまま何も変わっていないようだった。
その事実に、私は思わず涙を堪える。
「悠希っていつもそうだよね。いっつも私を小さい妹扱いしてさ」
私がいつまでも小さな子供のままだと思ってる。
「私もう高校生だよ?悠希と何も変わらない。心配なんて、いらない」
その気がないのなら、優しくなんてしないで。優しくされるたび、勝手に心が期待して、傷つくの。自分の心のはずなのに、うまく扱うことが出来ないの。
ふてくされる私を少し落ち込んだ様子で見ながら、悠希はポツリと呟いた。
「だって、琥珀は女の子だから」
その言葉に一体どんな意味がこめられていたのかは分からない。
けれど今の私には、悠希の言葉が何より苦しく重く感じられた。
窓の外は数分前には考えられないほど黒い雲が広がり、ポツリと雨が散らばり始める。
私は感情を抑ええきれず、思いのたけを悠希にぶつけた。
「こういう時ばっかり女の子扱いしないでよ!私の気持ちなんて、何にも知らなくせに!」
ポツリと雨粒が落ち、私の瞳から涙の粒が落ちる。
号泣する私をギョッとした様子で見ながら、悠希は言う。
「お前、変わったよな。高校入ってから俺と距離置いてるだろ。俺のこと、悠ちゃんって呼ばなくなったし」
「それはもう大人だからでしょう!?学校でそんな呼び方してたらいい加減笑われるし」
「学校じゃ、明らかに俺のこと避けてるだろ!?だいたい、今日だって、何日ぶりに話してると思ってるんだ」
「私だって気使ってんの分かんないの?」
「はあ?誰に気を使う必要があるんだよ」
「バーカ。希望ちゃんに決まってんでしょーが!彼女の立場から女の子の幼なじみなんて、邪魔でしかないからね!学校の中でも希望ちゃんより私の方があんたと仲良かったら、みんな良く思わないでしょう!」
悠希と本気で喧嘩をしたのは一体いつが最後だっただろう。
今まで、小さなことで派手な喧嘩を何度もしてきたけれど、そのたび折れてくれるのはいつも悠希の方だった。
記憶の中の私は、いつも泣いてばかりだ。
思えば、喧嘩で泣いたことなんて、もう何年もなかった気がする。
「……あんたは本当に何も分かってない。分かってないよ……これじゃ、希望ちゃんが可哀相」
本当は、こんな喧嘩をしに来たはずじゃなかったのに。
どうしていつも空回りしてしまうのだろう。
私は泣きながら、悠希をキッと睨み付け、言った。
「そんなことだから、ケガなんてするんでしょ!!バーカ!」
言ってしまった。今の彼が一番気にしている一言を。
口から思わずこぼれた言葉に私は青ざめる。しかし、撤回することは叶わなかった。
「このっ……!」
叩かれる。
振り上げられた悠希の右手を見て、私はギュッと身を縮ませた。
一秒、二秒、間を置いて私を襲ったのは、悠希の平手打ちではなく、地響きを伴った、雷鳴だった。
次の更新はお昼過ぎの予定です
ストックがあと2話ほどしかありません
ピンチ(。´Д⊂)